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算数で読み解く異世界魔法!  作者: 扇屋悠
魔法の国編・第1部
146/164

第145話:「こんな歌でよろしければ」と彼女は息を吸い込む。




「おかえりなさいませ」


 屋敷に帰った僕を白黒の使用人が迎える。

 時刻に直すなら夜の9時くらいだろうか。太陽と同じリズムで進むこの異世界においては、かなりの深夜に近い。演劇で興奮していなければ、僕も眠っているであろう時間だ。


「ほら、メルチータさん、つきましたよ」

「え……? もう朝……?」

「違いますよ。帰ってきました」

「んー? お屋敷……?」


 馬車の中で僕にしがみつくようにして眠ったメルチータさんは、ここが自分の居候している屋敷で、その部屋のドアノブがすぐのところにある、という事実にはなんとかたどり着いたようだ。頭の上に疑問符を浮かべまくったまま、ゾンビのような足取りで部屋に消えていく。今日でばっちり睡眠不足を解消して、明日からまたがんばってほしい。


「ティルさん、ありがとう。すごく楽しかった」

「礼には及びません。――小銅貨1枚分ですから」

「ほんとにお礼しないからな!」


 ティルさんは、かすかに首をかしげた。


「ベルの歌はどうでしたか?」

「すごくよかったよ。最初と最後で大きく変化する役柄を演じ分けてて……。終わった後に会ってしゃべったんだけど、ティルさんの言うとおり太陽みたいな人だったな」

「そうですか。ベルらしい……。相変わらずですね」


 こくり、と頷いたティルさん。


「ではタカハ様、今日はこれにて失礼させていただきます」


 僕は首をかしげた。

 ティルさんは住み込みで働いてもらっている。


「どこかへ行くの?」

「はい。少し、外出をさせていただきたく思います」

「いってらっしゃい。むしろそういうことなら、今日は遅くまで待たせてしまってすみません」

「お気遣いをありがとうございます。ですが、ご主人様をお迎えするのは私の大切なお役目ですので、休暇は不要です。……では、行ってまいります」


 夜だから気をつけて、というのは野暮ってものだろう。


 ティルさんも17と5歳。

 想像もつかないけれど……屋敷の外に想い人が待っていたりするのかもしれない。

 僕は結局、それ以上なにも言わなかった。そういうプライバシーに土足で踏み入るのは、独立領主としても、屋敷の主としても、あまりいい態度ではない。


「…………」


 ……ではないのは、分かってるんだけど。


 扉が閉まる。

 その向こうに、エプロンをつけたまま背筋を伸ばしたティルさんが消えていく。


 …………うう。

 ……気になる。

 ティルさんの恋人、どんなやつなんだ……?


 ダメだダメだ。人には知られたくないことの1つや2つある。それは僕だってそうだ。まして僕は雇用主。僕のささいな言葉が従業員であるティルさんの心を圧迫してしまう。好奇心なんていう単純すぎる動機で安易に振る舞っていいわけではない。決してない。僕は決めた。


「尾行しよっと」


 意気揚々と自室に飛び込むと、僕は堅苦しいローブを脱ぎ捨てて、着古したティーガに着替えた。



――



 屋敷の外で男が待っている――という僕の予想は外れた。


 背筋を伸ばした姿勢のまま、ティルさんはてくてくと大通りの方向へ進んでいる。片手には枯れ枝を編んだバスケット。白いエプロンに黒いティーガと相まって、どこからどう見ても『使用人さんのお買い物』という図にしか見えない。


 だが、問題なのは、これが深夜だということだ。


 使用人さんは間違っても深夜の買い物には行かないだろう。


 ティルさんは領都正門とムーンホーク城までをまっすぐにぶち抜く大通りにたどり着いた。

 ここまで来ると、夜でもかがり火が焚かれているし、深夜までやっている酒場からの賑やかな声が聞こえてくる。人通りも多くて、尾行はなかなか骨が折れた。


 ふいに、ティルさんは大通りを逸れた。


 入った場所をよく覚えておく。僕は少しだけ速足にして、石造りの建物の隙間のようなその細い路地を覗きこんだ。


 ティルさんはわりと入り口から近くのところでしゃがんでいた。

 手に、焼いたパンのようなものを持っている。


 その手の先には――子犬がいた。


「いっぱい食べなさい」


 くぅん、と喉を鳴らした子犬がティルさんの持ってきたパンに食らいつく。

 ティルさんは無表情でそれを見下ろしていた。

 な、なんだか怖い……。


「いい食べっぷりね。大きくなったら、領主様に尽くすのよ」


 …………。

 ……。


 そいつには、荷が重すぎるんじゃ……?


 ティルさんの目的はその子犬……だけではなかった。大通りをゆっくりと南下しながら、ときどき裏路地に逸れてはさまざまなミッションをこなしていく。大泣きする双子の赤ん坊の面倒を見たり、子どもたちに読み書きを教えたり、屈強な男たちとヨガみたいなことをしたり――最初から最後まで全部無表情でそれらをこなしたティルさん。


 どういうつながりなんだ……。

 明日から以前と同じ目で見ることはできない……。


 そんな感じで、ティルさんは1時間くらいかけて南北大通りを上から下まで歩いた。


 もうすぐ領都の正門だ。

 さすがに正門の外には出ないよな。

 それはそれで面白いけど。


 結果として、僕の心配は杞憂だった。


 正門のすぐわきには階段がある。

 今は開放されているその階段は、領都をぐるりと取り囲む外壁に上るためのものだ。


 ティルさんは、その階段に進んだ。


 正門の近くは大通りから投げかけられるかがり火の光が遠い。明かりは空に昇った2つの月だけ。僕は気配を殺しながらティルさんについていく。


 折り返しを2度。


 一気に視界が開けた。


 少し風を感じる外壁の上を、ティルさんはすたすたと歩いていく。

 僕はもうしばらく待機。


 ……思えば、街壁ここに上るのは初めてだ。


 十数メートルの高さから領都を取り囲む草原丘陵を見下ろす。夜の海のように、草原丘陵は静かに揺れていた。

 背後には、僕の足元にある正門からムーンホーク城までの大通りを照らし上げられた領都。美しき独立領の首都。


 革命のあの日の戦いを僕は思い出す。

 金ぴかの市民代表が立っていたのがちょうどこのあたりだろう。

 両側に、あの仮面の魔法使いたちを従えて、マッカスは僕たちを見下ろしていた。


 どう見えたのだろう。

 あの日、暁の名前のもとに詰めかけた奴隷たちは1万人を超えていた。

 草原丘陵を埋め尽くすような数だったはずだ。


 マッカスは怯えただろうか。

 恐怖しただろうか。

 それとも、そんな僕たちを見てもなお、勝利を確信していたのか。


「……」


 敵の大将に思いを馳せるのはこのくらいにして。


 僕はティルさんが歩いて行った右手に向かって慎重に歩を進めた。

 見張り台のようなものがあって、ティルさんはその中に入っていったようだ。


「……」


 あの中で逢引きとかしてたら、さすがに気まずいよな……。


 ここで引き返そう。

 僕の中に領主らしい決断がようやく芽生えた――そのときだった。


「…………ん?」


 かすかな音が聞こえた。

 遠くから響いてくるため息のような音。


 耳をこらして、意識を集中して、それが人の声だと分かった。

 時間がかかってしまったのは、あまりに人の声から遠かったからだ。


「……〜〜……♪」


 旋律。

 音色。

 とても僕の喉から生み出すことはできないような、高音。


 透き通った、川の流れのようなそれは――歌だった。


 歌詞はない。

 いや……たぶん、要らない。


 はじめはかすかな風にかき消されそうだったその歌が次第に声量を増してくる。透き通る歌声と悲しい旋律は、まるで2つの月の光のように、僕を包んでいく。


 なんだこれ。めちゃくちゃ上手い。

 いや、上手いなんてものじゃない。歌詞も伴奏もないし、音量だってかすかなのに、どうして――鳥肌が収まらないのだろう。


 僕は見張り台にそっと近づく。『ら』と『あ』の間みたいな音で紡がれる高音のメロディラインは、抑揚をつけて踊り続けていた。近づけば近づくだけ、その声の粒のきめ細かさがよく分かる。


 まさか、これを歌っているのは――――


「……ッ」


 瞬間、歌が途切れた。


 …………最悪だ。

 途切れさせたのは僕だ。

 ざり、と響いた音は僕の足の裏から。

 見張り塔を建てたときにできた段差に足をかけてしまった。川魚がたわむれる綺麗な水の流れに、どぼり、と重石を投げこんでしまったかのような、とりかえしのつかない気分。


 夜の無音が僕を押し包んだ。

 その無音の中に、小さな声が響く。


「……見つかってしまいましたか」


 胸に手を当てて、白黒の使用人が姿を見せる。


「タカハ様、申し訳ありません。私が夜分に1人で外出したことを心配してくださった……ということですよね?」

「えっと……そう、だね」


 もっと子どもじみた動機でした……!

 すみません……!


「しかし、タカハ様、私として成人の領民です。お心遣いはとてもありがたいのですが、ご心配なさりすぎです」

「怒ってる?」

「ぷんぷんです」

「……」


 無表情。

 ……最近のティルさんはときどきかわいい。


「今のセリフ、ほおを膨らませながら言ってみてよ」

「承知しました。私はタカハ様の使用人。身も心もタカハ様のお金で買い取られた召使いです。もちろん喜んでその命令に従わせていただきます。……そう。私には逆らうという選択肢など、はなから存在しないのですから……」

「わ、分かった! 無理にとは言わないから!」


 変顔をするのは抵抗感があるらしい。


「さっき歌ってたのは……ティルさん?」

「はい。お聞き苦しいものでした」

「……もしよかったら、なんだけど」


 綺麗な歌だった。

 お気に入りに追加したいくらいの。


「もう少し、歌ってくれないかな?」


「……」


 ぴくぴくっ、と使用人の犬耳が揺れた。

 珍しいリアクションだった。


「…………はい。こんな歌でよろしければ」


 少し咳払いをしたティルさん。


 僕は外壁のでっぱりの1つに背中を預ける。

 なめらかな紺色の夜空に、2つの月。


 風が一瞬、揺れて。


 秘密のコンサートが、始まった。



――



 ティルさんは3曲歌ってくれた。3曲とも音の運びはそれぞれ違ったけれど、共通してどこか悲しげだった。悲しげで、美しい旋律。


 幼いころに母親から教わった歌なのだという。

 透きとおる綺麗な声が、歌に込められたメッセージを表現していく。


 僕は想像してしまう。悲しげな歌が僕の胸に響くのは、単に技術だけの問題ではなくて――それが、ティルさんの想いを代弁しているからじゃないだろうか。

 ティルさんは9歳のとき城仕えの奴隷となるためにアーム村から登用された。登用、スカウト……そういえば聞こえはいいけれど、逆らうことなんてできなかったはずだ。


 もし、ティルさんが歌を本当に好きだったのだとしたら。

 ただ、歌い続けることだけが幸せだったのだとしたら。

 ティルさんに押しつけられたその物語は、悲劇以外のなにものでもないだろう。


 それに、僕にはもう1つの推測がある。


 自らの劇団を立ち上げたベルさんは、ついさっきこう言ったじゃないか。


『――いつか、私の心を大きく動かした歌がありました。月光のように澄んだ声と悲しい旋律。聞いた瞬間に私も歌いたいと願わずにはいられないような美しい歌。私はいつも彼女の背中を追い続けているのです――』


 その彼女とは、だれなのか。



――



 夢のようなコンサートはあっという間に終わる。僕は拍手をして、ティルさんが一礼をした。


 帰り道はほとんどが他愛もない会話だった。

 その最後に、少しだけ真面目な話をした。


「9歳のときから?」

「はい」

「1度も帰ってないの?」

「そのとおりです」


 表情を少しも変えずに言い切る使用人。

 生まれ故郷のアーム村にティルさんは13年間帰っていないのだという。


「城仕えの仕込みはとても厳しいものがありました。同期の少女たちと協力しなければ、とても耐え抜くことはできなかったでしょう。そんな日々が6年間。15歳で正式に使用人として認可されてからは、貴族様や騎士様のお屋敷を転々としておりましたので……」


 本当に転々とさせられていたのだろう。

 休みなど許されないほどのスケジュールで。


 ……さて。

 なんと切り出したものか。


「ちなみに、僕はアーム村へ行こうと思ってるんだけど」


 白黒の使用人の目が、かすかに見開かれる。「……どういうことでしょう」


「メルチータさんの研究の対象っていうのが1つ。もう1つは、さっきベルさんに会ったときに相談されたことが理由かな」

「……もしや、幽霊、ですか?」

「知ってる?」

「はい。ベルに話を聞いたときは驚きました。まるで私がうっかり言ってしまう冗談みたいな話だ、と……」

「冗談の方向性に自覚があったんだ!?」

「では、タカハ様はアーム村へ?」

「……そうだね。日程を調節してみないとわからないけど、なるべく早く行こうと思ってる。革命軍の小部隊を同行して、1泊くらいの日程で。その日はティルさんは休みをとってもらっていいよ」

「なるほど……」


 ティルさんは小さく息をついた。

 その目元は、どこか残念そうに伏せられている。


「――で。ここから先は領主とか屋敷の主とか抜きにして、なんだけど」

「……?」

「たぶん僕が使う馬車は広いから、実家に帰りたがってる友人・・を乗せるくらい余裕なんだ」

「――――」


 やっぱり使用人の表情は変わらなかった。

 けど、残念だったねティルさん。

 ぴくっと犬耳が動いた。


「アーム村まで乗ってく?」


 ティルさんは黒曜石のように透き通った瞳で僕を見た。


 ややあって。


「…………つまり、残業、ということですか?」

「いや、この場合、申し訳ないけどサービス残業だね」

「人使いの荒いお方ですね。やはり革命を起こされた方は一味違います」


 僕は、僕を否定する言葉を吐き出すティルさんをニヤニヤしながら眺める。


「で、ですが、タカハ様がどうしてもとおっしゃるのでしたら」


 そんな僕の顔を見てティルさんはほんの少しだけ頬を膨らませた。


「――どうか、アーム村までご一緒させてください」



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