第144話:「ご相談したいことがありまして」と劇団長が言う。
セラフィル劇団の代表――ベルさんは、太陽のような人だった。
言葉も、振る舞いも、無言の立ち姿でさえも、常に誰かがスポットライトを当てている。そんなイメージ。その鮮烈な印象は単に生まれ持った才能というわけではなく、すさまじい努力に裏打ちされているのだという。誰よりも早く稽古場に姿を見せ、誰よりも遅く稽古場を去る――練習していないベルさんを見たことがないという劇団員もいるほどだ。
そんなベルさんは革命の日々の最中も演劇用の脚本の執筆を続け、あの日の出来事と自身の村の伝承とあわせて完成したのが――この『黒い月』なのだとか。
「第13月はとても刺激的な日々でした」
楽屋に僕とメルチータさんを招いたベルさんは、『セールストーク』と冗談めかしながらも、熱く語ってくれた。
「領主様の革命には、緻密な計画と戦略と、なによりも、奴隷たちの全員を動かすほどの感動がありました。――それはつまり、物語だと私は思うのです」
魔法の教科書も、リュクスが広めた歌も、あの日あの場所に奴隷たちを集めるという計画もまた――物語。
「同じように、童話も、歌も、私たちの演劇も、物語です。物語には人の心を動かす力があって、私はその力に心のスペースのすべてを奪われた……そう、奴隷なのです」
「なにか、きっかけがあるんですか」
「はい」
ベルさんはにっこりと微笑んだ。
「私がまだ幼い頃、心を大きく揺さぶられる歌を聞いたことがあります。月光のように澄んだ声と旋律。聞いた瞬間に私も歌いたいと願わずにはいられないような美しい歌。私はいつも彼女の背中を追い続けているのです」
好きなアーティスト……と言ってしまえば一気に現代風だ。でも、前世の僕もそうだったかもしれない。いくつもの物語が僕という人間を構成しているのは、間違いない。
「ぜひ、改革の一手順に加えていただけないでしょうか。歌、演奏、童話、演劇、絵画……そういったものは間違いなく、人の心を豊かにしてくれると信じております」
「芸術、か……」
これまで考えたことのない視点だった。
領主としてそういうことに力を入れるのがありなのかどうか、僕にはわからない。
いや、話は単純か。僕はベルさんの演劇に心を奪われた。単純にすごいと思った。だから、そういう物語を応援するのは間違いじゃないはずだ。
「円卓会議の議題にあげて予算をつけるというようなことは、今の独立領ではできないと思います。……が、また必ず観にきます。ベルさんの作る舞台を」
「それがなによりの援助です、領主様。ふさわしい感謝の言葉も見つけられないくらい」
ベルさんは瞳をどこかうるませてそう言った。この公演再開には、たぶん、並々ならない苦労があったのだろう。この約束は必ず守ろう。僕はそう決めた。
「……そういえば」
ベルさんはなにかを思い出したのか、口調をいくぶん柔らかくした。
「革命のあの日、領主様をたたえる歌が私の出身の北西域でも広まりました。あれも素晴らしい歌ですね。覚えやすく気楽な歌は、とても多くの人に愛され、歌い継がれていく」
「ええと、それは……」
『革命の歌』。
作詞作曲は頼れる僕の筆頭補佐官だ。
どちらかと言えば、犬人族のあのイケメンが完全に悪ノリした結果。
僕から見れば恥ずかしすぎる歌なんですけど……とは言えず。
「ふむ……」
何やら僕の表情に思うところがあるらしいベルさん。
「では領主様、せっかくですので、革命の歌、1番から3番まで劇団員全員で――」
「歌わなくていいよ!」
くすくすとベルさんが肩を揺らす。
他人のからかい方は、僕の使用人によく似ているのかもしれない。
――
「――――領主様」
楽屋を後にする直前。
ベルさんは太陽のような表情を少しだけかげらせて、言った。
「お忙しいところ重ねて恐縮なのですが、ご相談したいことがありまして」
「なんでしょう? どうぞ遠慮なく」
「私とティルの出身地であるアーム村のことです」
僕の隣でメルチータさんがぴくりと身体を揺らした。
巫女歌と温泉を脈々と継承する美しい村。
ティルさんが生まれ育った小さな村。
僕とメルチータさんにとってもう1つの価値をもつ。そこには、魔法に関係しない精霊言語が伝承されている可能性があるのだ。
「ぜひ近いうちに1度、訪問させていただければと思っていました」
「ほんとうですか……!?」
ベルさんは一瞬、ぱっと表情を明るくしたが、ふたたび曇らせた。
数度、息を吸いこんだベルさんは、はっきりと言った。
「領主様、それはおすすめできません」
「……どういうことですか」
「はい。その、……」
ベルさんは降り出す直前の雨雲のような表情のまま、でもきっぱりと僕を見て、続けた。
「アーム村には――『幽霊』が出るのです」
「…………」
「…………」
これは、あれか。
ティルさんと同じジャンルの冗談なのか。
「お気持ちはよくわかります。ただ、そうとしかご説明できなくて……」
ベルさんの表情に冗談の色はない。
「……詳しく聞かせてください」
「ことの発端は――革命の日の少し後から、でしょうか。森に入っていった狩猟団員たちが『幽霊を見た』と口々に言うようになったのです。……それだけならば気の利かない酒飲み話で済んでいたのですが、1月前――ついに実際の被害が出まして」
「被害」
「ベテランの狩猟団員です。森の中で気絶しているところを発見されました。この季節だったのが幸いし、本人にケガもなかったとのことなのですが……」
よかった。
というのは表面上の話。
この場合は――
「その人がケガをしていないのが不気味、ですね」
「ええ。……彼ほどのベテランが負傷することなく行動不能に追い込まれた。慣れ親しんだ森の中で、です。私のような素人の推測が正しいのかは分からないのですが――森の中に何者かが潜んでいるのではないか、と」
「……」
「その狩猟団員もまた証言しておりました。『幽霊にやられた』と」
……幽霊、ね。
「その後、村長様の指示で少人数の班に分かれた狩猟団員たちが森を調べているのですが、なにごとも見つからず、それどころか追加の被害者が現れる始末で」
「ん? 班を組んで調査していたんですよね?」
「はい、その全員が同時に意識を失って翌朝発見されるということが2度ありました」
これは、かなり奇妙だ。
不気味。
少なくとも楽観視できる要素はどこにもない。
幽霊のような超常現象が原因とまっさきに決めてしまうのはさすがに情けないだろう。
ケガをしていないのなら、危険な獣の可能性は低い。
ならば――やはり、人の手による犯行ということになる。
「たとえば……革命のあの日にすべてを失った、旧市民たちの残党、とか」
……。
…………。
いちばん警戒しなければならないのは――ベルさんの推測どおり、森の中に潜伏している旧市民たちの残党だ。
革命のあの日、領都からは逃げ延びたものの、国境線を越えることができなかった旧市民が領内のどこかに潜伏しているはずだと推測されていた。革命軍4軍団のうち1軍団は今もなお、領内の治安維持と並行してそんな彼らを捜索している。まだ革命から数月。発見できていない可能性は十分にあった。
でも……、と心のなかでもう1人の僕が首をかしげた。
領都でのうのうと暮らしていた彼らがベテランの狩猟団員たちを手玉にとれるだろうか――?
いずれにせよ、ここで考えていても結論は出ない。
「その話を聞けてよかった。すぐに状況を調査し、場合によっては革命軍を派遣します」
「そうしていただけますでしょうか。もう村人の手には負えない話になっているようで」
「安心してください。原因、突き止めます」
「ご相談して本当に良かった……」
ベルさんは肩の力を抜いた。
すぐにさっぱりとした笑顔を浮かべる。
「お引き止めして申し訳ありませんでした。領主様、お気をつけてお帰りくださいませ」
「はい。……また観に来ます。今度は自腹で」
「ティルが失礼を申し上げたらいつでもおっしゃってくださいね」
「ははっ」
僕は笑みを浮かべた。
演劇よりもそっちの方が先になるかもしれないな、なんて思いつつ。




