第142話:1つの事実と2つの仮説。
「――――ええと、セラフィル劇団、だっけ?」
「はい」
ティルさんは人差し指を立てて、言った。
「”暁”とは、村の古い言葉で夜明けや暁を意味していて――」
「――ちょっと待って」
思わず、僕は遮っていた。
「今、魔法の詠唱じゃないのに、『精霊言語』を言ったよね?」
――”暁”、と。
ティルさんはたしかに、精霊言語を口にした。
『対訳』の力が僕に読み解かせる異世界の言葉。
だが、当のティルさんは――本当に困惑した様子で首をかしげた。
「タカハ様……? いえ。あの、申し上げておりませんが」
「……」
ふざけている感じではなさそうだ。
……聞き間違い?
いいや、あり得ない。
『対訳』が言語を判別する感覚は機械のように正確なはず。
これまで1度だって『対訳』が失敗したことはない。
どういうことだ?
「もう1度言ってくれる? 劇団の由来の話から」
こくり、とティルさんは頷いた。
「はい。セラフィルとは、私の出身の村に伝わる古い言葉で夜明けを意味しておりますので、暁の劇団という名前が込められています」
今度、『対訳』は、反応しなかった。
こくごの穴埋め問題だ。
『セラフィル』という固有名詞の部分を、たしかにティルさんは精霊言語で『”暁”』と言った。つまり――
「――――」
これは、大きな意味を持つ発見だ。
だって、たった今、ティルさんはこの独立領に伝わる『言葉としての精霊言語』を、無意識のうちに言った、ということになる。
メルチータさんとの久しぶりの再会。
僕は、思いがけなく大きな手土産を手に入れたのかもしれない。
「……ちなみにティルさんは、何属性の魔法使いなんだっけ?」
はい、とティルさんは頷く。
「珍しがられるのですが、私は、識属性の使い手です」
――
識属性。
土、水、火、風の一般的な下位4属性と対比して、上位属性と呼ばれる魔法の系統だ。
識属性が司るのは、人間の認識と精神、あるいは、その混乱。
相手のステータスを表示する『識の2番』や、吸いこんだ相手を混乱させる『識の8番』、痛覚を幻体験させる『識の10番』、使い物にならない『識の1番』の4つしか、ムーンホーク地方には伝承されていない。
研究室の中で、メルチータさんはすっと目を細めた。
「ティルさんは、それを、『村に伝わる古い言葉』って言ったのね?」
先ほどのティルさんとの会話でおぼえた違和感を僕はさっそくメルチータさんに報告していた。案の定、目を輝かせてぐいぐいと話にのってきてくれた緑色の魔女。今は興奮がだいぶ冷めてきて、クールな思考モードに突入している。
「タカハくんの耳には、なんて聞こえたの?」
「識属性の精霊言語で〈暁〉という言葉に聞こえました」
「それが『セラフィル』という音に近い可能性がある、というわけね。……だったら」
メルチータさんはすぐに僕と同じ結論に達した。
「タカハくんが実際にそれを言って、私が音として聞いてみればいい。そうだよね?」
「はい」
「ああ、ナイアを呼んでこようかな……? またタカハくんがすごいことを見つけちゃいそう……」
ひとしきりそわそわしたメルチータさんは、でも、意を決した様子で、応接椅子の1つに座った。
羊皮紙を挟んだ板と羽ペンを身体の前で構え、目を閉じる。
「では、識属性の精霊言語で〈暁〉と言ってみますね」
「おねがいします」
「――――”暁”」
結果は、確かめるまでもなかった。
メルチータさんが驚いたようにぱっちりと目を開いたからだ。
「間違いない! たしかに聞こうと思えばセラフィルって聞こえるわね!」
「ということは――!」
メルチータさんは深く頷いた。
「ティルさんの出身地、アーム村には魔法に関連しない『精霊言語』が伝承されている可能性がある」
「……もしかしたら、僕たちが知らないだけで、他の村にも魔法に関連しない精霊言語の発音が伝承されているのかもしれないですね」
「その伝承が複数の村で見つかれば、魔法使いたちがどういう風にしてこの『魔法の国』に入ってきたかが分かるかもしれない」
メルチータさんの視点は興味深い。
魔法民族の大移動みたいなものを検証しようとしているのだろう。
僕はそこまで踏み込んだ、学術的な考察みたいなものはできない。
披露できるのは、どこか空想じみた冗談くらいだ。
「日常の言葉として『精霊言語』があったのだとしたら、現代でもそれを標準語にできればもっと話はスムーズですよね。そうすれば、詠唱にともなう発音のミスも減るし、子どもたちに魔法を教えることが簡単に…………」
「――――」
「…………メルチータさん?」
メルチータさんは、僕の夢物語のような冗談にこれっぽっちも笑っていなかった。
「やっぱり、タカハくんもそう思うよね?」
「…………え?」
「ここまでの検証で『精霊民族にとって、精霊言語が標準語だった』という事実が証明された。私たちがいつもの挨拶をするみたいに、彼らは精霊言語を日常のものとして使っていた」
「それは……間違いないです」
「一方で、精霊言語の断片しか知らない私たちにとっての魔法は『願い』、だよね? 『願い』を言葉の形にして、代償を支払う。そうして発動するのが魔法」
メルチータさんの言葉はぼんやりとしていた。たぶん、メルチータさんの頭のなかでも説明がまとまりきっていないのだろう。僕はなんとか、メルチータさんの言葉についていく。
「今の私たちが知っているのは単位魔法と修飾節で構成される魔法。……で、ここから先が私とナイアの仮説なんだけど。
精霊民族は日常の言葉で魔法を発動させていたんじゃないかな?」
日常の言葉で、魔法を発動させる。
「ちょっとわかりづらいよね。
つまり、こういうこと」
メルチータさんは近くのテーブルにおかれていたガラスのフラスコを1つ手にとって、それを指差しながら、言った。
「このフラスコに水を満たしたい ゆえに対価は」
「――――ぁ」
メルチータさんは続けて、火の消えた暖炉を指した。
「あの暖炉に火を灯したい ゆえに対価は」
窓の外を見た。
「道を塞ぐ岩をとりのぞきたい ゆえに対価は。
洗濯物を乾かす風が欲しい ゆえに対価は。
雷をこの手に集めたい ゆえに対価は。
傷を癒やしたい ゆえに対価は――――」
僕の思考は完全に停止していた。
いや、木っ端みじんに粉砕されていた。
だって、メルチータさんのアイデアは突拍子もなさすぎる。
つまり、発した言葉のすべてが現実になる世界、ということだ。
精霊様に訴えかける言語を操る『精霊民族』は、マナという対価を支払うことで、自分の望むように、願うように、世界に干渉できた――――
そんな理想郷、あり得ない。
あり得てたまるものか。
内心で断じる。
同時に――その仮説は恐ろしいほどの説得力をもって、僕に迫ってきた。
だって、僕は『精霊言語』で言えたじゃないか。
自己紹介。
思わず、つばを飲みこむ。
そのつもりになれば、この喉は今すぐにでも発することができるだろう。
『僕はあのフラスコに水を満たしたい』と。
水の精霊様に届く言葉で、発音で、『願い』をかけることができる。
でも。
「――――その対価は、いくつなんだろうね?」
メルチータさんは金髪をかきあげてから、右の手のひらを頬に添えた。
「対価の謎はまだ残っているけど……うん。タカハくんがこの前見せてくれた自己紹介、ティルさんの村に伝承されていた魔法に関連しない精霊言語。この2つの事実をかけあわせれば、このくらい踏み込んだ仮説を立てられると思うんだ」
『精霊民族』は日常的に魔法を使っていた。
言葉という名前の、魔法を。
それがメルチータさんとナイアさんの仮説。
独立領が誇る2つの頭脳が導き出した、過去の可能性。
「それと、もう1つ。タカハくん、思いつくことはあるかな?」
「思いつくこと、ですか?」
「そう。仮説に仮説を積み重ねるのはあまり意味がなくて、だから半分くらいは妄想なんだけれど、……研究者としては説得力を感じてしまうような、そんな想像があるんだ」
仮説に、仮説を、積み重ねる。
瞬間、脳裏に電流が走った。
ああ……!
そうか!
メルチータさんの意図を、その瞬間、僕は完全に理解できたと思う。
「『大魔法防護』、ですね?」
「そう。あの魔法もそういう風に継承された言葉による魔法、だとしたら」
つながった。
単位魔法と修飾節という知識では説明ができない特大魔法。
発動の瞬間から継続してマナを消費し続けるという特殊な形式も、願い続ける言葉なのだとしたら、その可能性はある。
メルチータさんの言うとおり、仮説に仮説を重ねた妄想だ。
僕たちが知らない単位魔法があっさりその答えなのかもしれない。
それは、僕が詠唱を聞き取れば分かる。
独立領主として重要なのはそこじゃない。
「メルチータさん」
僕は翡翠の魔女の瞳を見る。
「この仮説にはもしかしたら『魔法の国』を転覆させるような価値が含まれているのかもしれませんよ」
「うん。間違いないよ。少なくとも、王立工房の中にタカハくんは居ない。彼らは私たちより数歩先の知識をもっているのかもしれないけど、それを証明する手段がないんだ」
「この『精霊言語』に関するレースでは後発の僕たちにも十二分に勝機があります。そして、『精霊言語』の真実に先にたどり着いた方が――圧倒的な優位に立てる」
鍛え抜いた圧倒的な技術力は。
万の弱兵を凌駕する。
自分が思わず、不敵な笑みを浮かべた――そんな感覚がした。
「では、出し抜いちゃいましょうか。王立工房」
「うん! やっちゃおう! タカハくん!」
「近いうちにアーム村へ行ってみたいと思います。ついてきてくれますか?」
「もちろんっ!」
メルチータさんと僕はすごく子どもっぽい仕草でハイタッチをした。実に僕たちらしい決意の仕方で大満足。
その後、メルチータさんは目をキラキラとさせながら、なにかを呟いたり羊皮紙に文字を書きつけたりし始めた。没頭している人は他人を惹きつける。魔法の世界にのめり込むメルチータさんは、いつもに増して輝いて見えた。
――
「よしっ……! これで一区切り!」
会話を閉じてから30分ほどが経過していた。
僕はローブの内側に持ってきていた仕事に関する資料から顔を上げる。
「お疲れさまです」
「ありがとう!」
ふぅ、と一息をついたメルチータさんは慌てた様子でふたたび顔を上げた。
「……って、タカハくん? あれ……?」
きっかり3秒、硬直。
「あ――ッ!!」
メルチータさんはものすごい勢いで立ち上がった。運動神経に若干の弱点があると分かるような危なっかしい足取りで僕の方に近づいてくる。近づいてくるなり、ペコペコと頭を下げた。
「ご、ごめんなさい! 忙しいところを来てもらったのに! 手伝ってほしい研究があと7つくらいあったのに……! 私としたことが……!」
「い、意外と多いですね!」
「次にアーム村に行くときまでに効率的な実験の計画を立てておくから……また、お願いしてもいいかしら?」
アーム村に行く話までの記憶はあるようだ。
……まあ、魔法に関連することだ。忘れているはずがないか。
「もちろん。……と言いたいところなのですが、条件が1つ」
「なにかな? なんでもするよ!」
「言いましたね? ――僕もそれなりに忙しいですが、メルチータさんはもっと忙しい。こんな僕たちには、そう、つかの間の息抜きが必要だと思いませんか」
「おおおっ!」
「……」
メルチータさんの盛り上げ方は孤児院の少年たちと同じレベルだった……。
気を取り直して。
「そんなわけで、僕の優秀すぎる使用人が、チケットを用意してくれたんですよ」
僕は万感の思いを込めて、言った。
「ちょっとそこまで、演劇でも見に行きませんか?」




