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算数で読み解く異世界魔法!  作者: 扇屋悠
魔法の国編・第1部
142/164

第141話:「お待ちください」と使用人が僕を呼び止める。




 ライモン前公爵とリュクスを公爵会議に送り出した後、僕は精力的に領内の改革に従事した。


 季節は冬。

 狩猟術や農耕、治水事業などに手を加えることは難しい。

 その分、僕が重視したのは、教育の分野だった。


 ――円卓会議の議題にも上がっていた新数記法。

 ――魔法に関する正しい知識。


 その2点を伝え広めるという重要な仕事だ。


 結論として、その手応えは想像以上によかった。


 革命の原動力となったのは、僕が先人たちに編纂してもらった『魔法の教科書』だ。単位魔法ユニット修飾節モディファイを整理し、魔法の文法にも言及したその書物のおかげで、魔法使いたちは知識が力に変わることを実体験として経験している。それが、追い風になった。


 『領主様が勉強しろっていうなら、そりゃあもう大切なことなのだろう』みたいな雰囲気になって、領内のほとんどの村が新数記法と魔法の習得に対して積極的に動いてくれたのだ。


 改革を進める教導局の文官のみならず、革命軍や領民会議の議員たちも総動員して、知識を領民全員に広めていく。


 冬に閉ざされた緑の領。

 目に見えて何かが変わったわけでもない。

 だが、雪解け水が川に流れ込むころには、ムーンホーク独立領は生まれ変わっているはずだ。


 その手応えを、僕は全身で感じていた。



――



 そんなこんなで、メルチータさんの居る『学舎』を再訪するのはずいぶんと遅くなってしまった。


 約束の日は、冬の乾いた太陽がわずかに雲間から顔をのぞかせる、温かい1日となった。


 少し早く、少し気分よく仕事を切り上げた僕は、馬車を断って、徒歩で屋敷に向かうことにした。


 冬の領都は町並みに白い冠をかぶっている。大通りは丹念に除雪が行われ、行き交う馬車の数も普段と遜色がない数だった。開いている店も多く、人通りも多い。行き交う領民たちの表情は明るく見えた。僕はそんな領民たちを横目に見ながら、コートに深く顔を埋めて、大通りを進む。


 屋敷は、大通りから少し外れたところにある。仕事場である領城まではなんと徒歩5分。2階建ての5LDK。煉瓦造りの見た目がいかにもファンタジー世界といった外観だけれど、手入れは行き届いている。しかも家賃無料の超優良物件。


 正騎士に任命されたときに受領したその屋敷は、門から扉までがきっちり直線状に雪をかいてあった。ティルさんらしい雪かきの仕方だと思いつつ、僕は屋敷の木製の扉に近づき、引く。


 この時間に僕が帰ってくるとは思っていないだろう。

 ティルさんの普段の生態には少し興味があった。


「――おかえりなさいませ、タカハ様」


「…………」


「本日もお疲れ様でした」


 引いた扉の向こうでは。

 白黒の使用人がきっかりと一礼をしていた。

 まるで僕の帰宅のタイミングを知っていたかのように。


 徒歩を選択した理由の半分くらいは、最近本性をあらわしはじめたティルさんをびっくりさせることにあったから、うん、歩き損になってしまった。


「タカハ様、本日はメルチータ様のもとをお尋ねになる日です」

「あ、うん。だから早く帰ってきたんだ」

「馬車も手配してあります」

「相変わらず手際がいいね、ティルさん」

「ありがとうございます。…………」


 コートを脱いで手渡すその間――ティルさんは、黒曜石の瞳で、じっと僕を見つめていた。


「ティルさん?」


「タカハ様。……少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」


 少し、驚いた。

 ティルさんがそういう風に僕に話を切り出したことは、今までなかった。


「……耳に痛い話? 屋敷の管理費が足りないかな?」

「いいえ。決してそういうわけではありません。個人的なお話です」

「……」


 ふむ。

 なんだろう……?


「もちろんいいよ。お茶をもらってもいいかな?」

「かしこまりました」

「ティルさんの分もね」

「はい。ありがとうございます」


 そんなわけで。

 僕は広間のソファに座って、持ち帰ってきた報告書に目を通していた。

 前のオーナーの置き土産であるこのソファは、同じ材質のテーブルを挟んで2つセットになっている。獣の皮をよくなめした逸品だった。前世の安物のソファのクオリティは軽く凌駕りょうがしているだろう。思わず眠ってしまいそうになるほどのいいソファには、ティルさんが自分で作ったという布製のカバーがかけられていて、いつもいい匂いがする。


「どうぞ」


 音をさせず、ティルさんがソファの前のテーブルにカップを置いた。琥珀色の紅茶からはイーリの花の香りが品よく立ち上る。


「ありがとう。ティルさんもかけて」

「はい。では、失礼します」


 ティルさんは座った。

 なぜか、僕のすぐ隣に・・・・・・


「…………え?」


 肩が触れるような距離。

 黒髪と純白のエプロンからは石鹸のように清潔で甘い匂い。


「…………ティルさん」

「なんでしょうか」

「向かいにもソファがありますが」


 正直、ぱっと見ればかなり不思議な光景のはずだ。向かい合うソファの一方が空いているのに、わざわざ同じソファに座る主人と使用人、というのは。


 ……。

 ……。


 夕暮れの薄暗い広間。2人だけの屋敷。

 密着する主人と使用人。


 ティルさんに限ってそういうのはありえないんだけど、なんだか……あまりよろしくないような気がする……。


「…………」


 僕の隣に座ったティルさんは、顔をまっすぐ正面に向けたまま、すぐには返事をしなかった。すっと背筋を伸ばし、優雅な手つきで自分のティーカップをとると、そっと口をつけ、テーブルに戻す。

 見惚れるような仕草だった。

 ……仕草は洗練されているよな。仕草は。


「……こちらのソファの方が、向かいのものと比べますと、ほんのわずかですが座り心地がよいのです」

「ささいな理由だった!」

「加えて、こちらのソファからは夕日に照らされるムーンホーク城が見えます」

「わーい! ほんとだ! たしかに見えますね!」

「あぁ……美しい……。ムーンホーク城はこの緑の領の宝だと、タカハ様は思いませんか?」


 すでにマイペースモードか。

 ……まったく。


「わかりましたよ。僕があっちに行きますから」


「――――お待ちください」


 立ち上がりかけた僕のローブの裾をティルさんが掴んでいた。

 振り返る。


「どうか、不快でなければ、このままで」

「……」


 僕を見上げる黒曜石の瞳は吸い込まれそうな色をたたえていた。

 こうしてみると、ティルさんはやっぱり美人だ。無表情が似合う系の正統派。クールビューティ。犬耳とメイド服の破壊力なんてかすむくらいに。


「僕は、別にいいですけど。でも、なんだか不思議な座り方ですよね?」

「その……タカハ様にも夕暮れのムーンホーク城を見ていただきたく思いまして」

「……」


 それがこじつけの言い訳だってことは、よく分かった。


「そこまで言うなら……仕方ないですね」


 僕はティルさんの隣に座り直す。

 肩がわずかに触れる距離。


 ティルさんは背筋を伸ばし、やはりまっすぐに前を見ていた。


「……」

「……」


 どこか収まりが悪い沈黙の中で、僕から話を切り出そうとした――まさにそのときだった。


「以前、朝食のメニューに関して、麦料理か木の実料理のいずれかが好みか、私にたずねていただいたことを、タカハ様は覚えておいででしょうか」

「……もちろん。それは僕から言い出したことだから」


 ティルさんに軽く投げてみた変化球。


「あの日からずっと考えていました。私は木の実料理と麦料理のどちらがいいのだろう、と。つい先日、その結論が出ました。私は――麦料理の方が好きなようです」


 カップを手に取り、そこに映った自分を覗き込むようにするティルさん。


「もしかしたら幻滅させてしまうかもしれないのですが、私がご用意させていただくお食事は、ある手順書のようなものに従って順番でお出ししていただけなのです」

「あ、そうなの? いつも微妙にメニューが違うから、ティルさんが毎回アレンジしてくれているのかと思ってた」

「いいえ。全部書いてあるのです。もうすぐ1周回りますので、ボロが出始めます」


 それは……逆にすごいな。

 手順書。

 おおよそ4月分のメニューが書いてあることになる。


「お掃除にしても、お洗濯にしても、私には9歳の頃より仕込まれた手順がありました。紅茶を手に取る作法も、ご主人様と交わす言葉の順番も、すべて、私の中には刻みつけられております」

「……」


 城仕えの元奴隷。

 白黒の――色をもたない使用人。


 ティルさんはかすかに前髪を揺らしながら、言った。


「それが、少しずつ変わってきたのです」

「変わってきた」

「はい。数日前、麦料理が好きだと気付いてからは、少しずつ手順書に変更を加えて、麦料理の割合を増やしております。そうすると食材の減っていくバランスが変わり、今までなかったような組み合わせで食材を調理しなければならなくなって、それが……それが……、そうですね……」

「もしかして……楽しい?」


 ティルさんの肩がぴくりと揺れた。


「楽しい……、はい。そうですね。楽しい、がぴったりだと思います」


 そのとき、僕はようやく、ティルさんが僕と同じソファに座った理由に思い至った。


 向かい合ってこの打ち明け話をするのが、恥ずかしかったんじゃないだろうか。


 ティルさんは17と5歳。22歳だ。

 転生する直前の僕と同い年。

 だから、ラフィアやエクレアとは一味違った共感を、僕はティルさんにおぼえることがある。


「そして、ここから先がもっとも重要なのですが。私は、こういった気持ちを今までお仕えした他のご主人様からは感じたことがありません」

「……」

「そうですタカハ様。この気持ちは恋――……ではないのですが」

「じゃないのかよ! 期待を返せよ!」

「ふふっ」


 その瞬間、僕は目を奪われた。


 くすり、とたしかにティルさんが笑ったのだった。


 一瞬。ほんとうに一瞬でその笑顔は溶けていった。


 でも、目尻をくしゃっとたたんで、形のいい唇をきゅっと持ち上げたその笑顔は、夜空の月を一瞬だけ見せつけられたみたいに、僕の網膜に焼き付いた。


「――――タカハ様」


 笑顔を消したティルさんはきっちりと目礼をしながら、言う。


「タカハ様は私に選択肢を与えてくださいます。あの日――騎士エリデ様の使用人として不届きな行いをしようとしたあの日から、ずっと。はじめは、選択肢に応えることができませんでした。もしかすれば、理解することすら……。今もそうです。タカハ様のお気持ちを十全に汲み取ることが出来ていないと、そう痛感する日々です」

「そんなこと、ないと思うけどな」

「同時に、数日前にふと気がついたのです。私は麦料理が好きです。洗濯よりも掃除の方が好きです。そして、なにより――タカハ様やメルチータ様に給仕をしている時間が、これまでの仕事の中でいちばん好きなのです。そのことを今日はどうしてもお伝えしたくて、こうしてお時間を頂戴しました」

「……」


 ティルさんの言葉は不器用だ。

 面と向かって言うには恥ずかしすぎるセリフの羅列。

 冗談なのではと勘ぐってしまうような。

 でも――そのぶんだけまっすぐに僕の心に響いた。


「そう言ってくれるのは、屋敷の主としてとてもうれしいよ」

「よかった。計算通りです」

「それは計算しちゃダメだああ――ッ!」


 やっぱり、ティルさんの性格は変わってるよな……。

 僕は内心で苦笑する。


 だが、今日の使用人は手強くはなかった。


「ですので、これを受け取っていただけないでしょうか」


 ティルさんはそっと、テーブルに羊皮紙の封筒を置いた。


「これは……?」


 僕は手にとって、封筒を開ける。

 中から出てきたのは、大きく文字と数字が焼印された2枚の羊皮紙だった。


 ――セラフィル劇団、再開記念公演。


「劇団?」


 この単語を目にするのは、異世界に来てから初めてだ。


「はい。以前の体制で、貴族や市民のみなさまの間で楽しまれていた娯楽の一種に、演劇というものがあります。数十人の演者が巧みな演技と歌で魅力的な物語を表現し、客は椅子に座ってそれを観劇する――という娯楽です」


 へえ。

 そんなのがあったのか。


「革命の後、この劇団は一度解散したのですが、数人の有志が残り、ようやく公演の再開にこぎつけました。券は予想以上によく売れていて、半月ほど先までとれない状況と聞いています。私は出身の村の知人のツテで観劇のための券を分けてもらうことができました。

 ……こちら2枚、今夜の券です」


「これを、僕とメルチータさんに……?」

「はい。素晴らしい舞台です。ぜひ、メルチータ様とご覧になってください」

「あ、チケット代を払うよ」

「――――いいえ」


 ティルさんはきっぱりと首を振った。


「どうか、受け取ってください」


 そして、ティルさんは白いエプロンの胸元に手を当てて、まっすぐに僕を見た。


「この券を自分のお給料で買って、タカハ様に差し上げたいと思ったのです。使用人としてではなく、ティルと名付けられた1人の人間として。あの日、タカハ様の言葉によって救われた1人の奴隷として」


 ……本当に、別人みたいだった。

 騎士エリデの言いなりになっていたあの日と比べれば、完全に。


 僕の心の中はごちゃごちゃとしていた。嬉しい、照れる。そんな風に思ってくれるなんてありがたい。でも、その恩ってやつのせいで距離をとられてしまうのは嫌だな。とか。


 いずれにせよ。


「ありがたくもらうよ。……なんだか申し訳ないな」

「いいえ。身内割引で小銅貨1枚ですのでお気になさらず」

「そのネタバレは絶対にしないほうがよかったよ!?」

「これでタカハ様へのご恩はぜんぶチャラとなりました」

「小銅貨1枚分の恩……!?」


 隙を見せるとすぐにこれだ。

 でも、やっぱり、悪気はないんだろうな、と思う。


「身内、ってことは……知り合いの人が演者をやってるの?」

「はい。私の出身は北西域、アーム村といいます。巫女歌を脈々と継承する美しい村です。私は、9歳のときにムーンホーク城に出仕することとなりましたが――」


 ――瞬間だった。

 ティルさんの表情が、ほんのわずかだけかげったように見えた。


 だが、本当に一瞬。


 瞬きを1つした間に、ティルさんはいつもの無表情に戻っている。


「――幼馴染が今回の演目『黒い月』の主役として出演しているのです。昔から歌が上手な女の子でした。美しい歌声と豊かな感情表現、まさに太陽のような演技を披露してくれるでしょう」

「ええと、演目は月なのに?」

「…………タカハ様、それは領主様らしからぬご指摘です」

「はいはい、どうせ僕は細かいですよ……」


 苦笑しながら肩をすくめる。


 これは楽しみだ。

 この世界に来てから正直、娯楽に飢えていた。


 なによりも、これ……メルチータさんとのデートといえるのでは。

 しかも『チケットもらっちゃってさぁ』という言い訳が嘘じゃなく使える。


「『黒い月』のストーリーは伏せさせていただくとして、見どころは魔法使いたちが暴走した月を鎮めるために結束し、立ち向かうシーンでしょうか」

「言っちゃってるよね!?」

「その他の予備知識といたしまして……劇団の名前の由来はタカハ様と革命の二つ名から頂戴しております」

「ええと、セラフィル劇団、だっけ?」

「はい」


 ティルさんは人差し指を立てて、言った。


「”暁”とは、村の古い言葉で『夜明け』を意味していて――」


「――ちょっと待って」


 思わず、僕はティルさんの言葉を遮っていた。


「今、魔法の詠唱じゃないのに、『精霊言語』を言ったよね?」

「タカハ様……?」


 ティルさんは本当に困惑した様子で首をかしげた。


「いえ。あの……申し上げて・・・・・おりません・・・・・が」



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