第138話:「円卓会議を開会します」と領主は宣言する。
ばさりと、旗が揺れる音がした。
振り返ると、ムーンホーク独立領を象徴する緑色の大旗が列をなして揺れている。
そうして見上げた空は、抜けるような秋空。
そこから吹き降ろす風が緊張と興奮で熱をもった僕の頬を冷やしていく。
視線を正面に戻す。
僕の視界を、人が埋め尽くしていた。
――ムーンホーク独立領、南西域。
――最大の村、アルクス村。
領内の視察のために、僕はこの地を訪れていた。
視察と言って思い出すのは、僕が従騎士だった数年前、はじめての駐屯任務についたパルム村のこと。
あの日、僕の呼びかけにこたえて集会場に集まってくれたのは、幼女が1人だけだった。柴犬に似たあの幼女の名前は、ミーネちゃん。忘れることは決してないだろう。あの駐屯任務から僕の戦いは始まったのだから。
そう考えてみると。
なんというか……すごいところにきてしまったと思う。
革命軍の報告によれば、今日、ここに集った領民は、総数1万5千人程度。
この世界の数字を使うなら約3個の17倍して17倍した17人。
にわかには信じられない人数が告知を聞きつけ、新領主である僕の話を聞くために集まってくれたのだった。
その全員に声を届けるために、革命軍の士官たちがリレーする形で『音声拡大』や『伝令』の魔法がいくつも展開されている。
これぞまさに、新領主への忠誠。
……などと考えてつけあがるつもりはない。
単純に、領民たちの不安の裏返しだろう。
僕たちは革命を成し遂げて、旧来の身分制度を破壊した。結果、領民たちは貴族や騎士の支配から解き放たれ、今までと比べてはるかに自由な生活を送ることができるようになった。
でも、現実問題として、『魔法の国』本国はすぐ隣にあるし、そこから騎士たちが侵攻してくる可能性は絶えずある。
これまであった徴税や招集、そういう義務がどうなっていくのか。
もっと大きなレベルで、この独立領はどこへ向かっていくのか。
その説明の義務が、今は権力の座に収まっている僕にはある。
領内の視察は、文字通りの視察に加えて、そういう説明の時間でもあった。
「――結論として。
革命の前と変わらない徴税量で、独立領の健全な運営をしながら、『革命軍』を常設・維持することが十分に可能であるという試算が成立しました」
穏やかな口調で領民たちに語りかけるのは――僕の筆頭補佐官。
緑色のローブを身にまとった犬人族の青年、リュクスだった。
微笑を浮かべたリュクスは、自信に満ちた口調で、固唾をのむ領民たちに告げる。
「よって、独立領は、領民の義務に、大きな変更を加えることとします。
――――『招集』は、もうありません」
しん、と。
会場が音をなくした。
領民たちの誰もが身動ぎをせず、立ち尽くしている。
「『魔法の国』の本国から命じられる兵力供出の義務は、すべて革命軍によってまかなわれます。戦闘教育を受けていない一般の領民たちに、以前のように強制的な『招集』がかけられることはありません」
さざなみのように、領民たちの間でどよめきが湧き起こっていく。
「これはもちろん、現時点の安定した情勢の中で、という条件付きのものです。いつ『魔法の国』本国の魔法軍や騎士団が攻め入ってくるかは分かりません。みなさんには、魔法や武術の鍛錬を怠らず、日々を過ごしてほしい。
ですが――義務としての『招集』は、この独立領から消失しました。
独立領の最高会議である『円卓会議』は、今までと変わらない徴税の負担のみで、独立領を運営していきます」
「……嘘、だろ……?」「招集が、なくなった……?」
「ああ……!」「今、リュクス様は間違いなくそう言ったぞ!」
「領主様もお認めになっているのか!」
「決定なのね……!」「間違いない……!」
その波は次第に大きなうねりとなって、会場を埋め尽くしていく。
1万人を超える人々の声は、聞き間違えようもないほどに喜びに満ちた歓声だった。
「「「おおおおおおおお――ッ!」」」」
「独立領!」「我らがムーンホーク独立領!」
「革命の勝利に!」「美しき緑の領に!」
「万歳!」「領主様!」「万歳!」
各地方でこの演説をこなしてきて、そのたびに領民たちの反応は同じだった。
この瞬間は、なにものにも変えられない喜びがある。
僕たちは僕たちの力で、自由を勝ち取った。
その自由の中で、奴隷たちは1つの義務を解き放たれた。
最悪で最低の『招集』という義務。
戦争で使い潰される、奴隷としての義務を。
ゲルフは見ているだろうか。
魔法使いたちの祈りと願いの戦果を。
『……わしらが立ち上がったのじゃ。当然の結果じゃろう?』
そう言って笑う老魔法使いの声が、風に混じって聞こえたような気がした。
――
領民たちのどよめきが静まるのに十数分の時間がかかったのは、仕方のないことだった。
ふたたび静寂に包まれた会場に、リュクスは語りかける。
「今日は、『円卓会議』の代表として、領民のみなさんに2つのお願いがあります」
リュクスは先ほどと違って表情を引き締めていた。その決然とした表情は、生まれ持っての気品と相まって、領民たちの目と耳を強烈に惹きつける。
「1つ目は、円卓会議の下部組織にあたる『領民会議』に関して。
領民会議は独立領の運営方針を提案するための組織です。その議員となる人物をこの南西域から17名、村長たちの話し合いによって選出してください」
実際の行政命令はすべて独立領の首都である領都から発せられる。だが、その決定には地方の領民たちの意見が必要不可欠だ。領民の代表と定期的に会議を重ねるために、僕はこの組織を立ち上げた。
「そして、2つ目は、領民のみなさん全員に関することです」
静まった広場に、リュクスは歌うように訴えかける。
「ぼくたちは、ぼくたちの自由のために立ち上がり、勝利を収めました。
この解放は、しかし、ぼくたちが守り抜かなければならないものです。
ぼくたちの力で、守り抜かなければならない。
その力とは、今、みなさんの近くにいる革命軍の兵士たちです」
ざっ、と。
靴音を響かせて、僕たちの演説を補助していた兵士たちが敬礼をする。
一糸乱れぬその仕草は、統一された緑色の制服と相まって、整然として見えた。
「「「おお……っ」」」と領民たちが感嘆の声をあげる。
「革命軍は領民の全員に向け、広く志願兵を募集しています。心身が健康であることのみを条件とします。魔法の有無は不問。三食と寝床を保証。徴税の義務も革命軍の兵士にはかかりません。
むろん、危険はつきもの。革命軍の兵士たちは今もなお厳しい訓練課程をこなしています。命じられれば、革命軍の兵士はまっさきに独立領の盾とならなければなりません。そして、命をかけて戦うこととなるでしょう。
ですが、それは領民のだれもが同じです。
領主様も、補佐官であるぼくも、改革を推し進める文官たちも、日夜独立領のために戦っています。
そして、この独立が奪われようとしているのならば、この命をかけて最後まで戦うでしょう……!
みなさん、ともに、この独立領のために戦おうではありませんか……!
独立領を守るという強い意思を持ち、どうか各地の駐屯地の門を叩いてください!
革命軍はあなたの力を必要としています!」
一瞬の空白の後。
領民たちの雄々しい声が秋空を吹き飛ばすように爆発した。
――
南西域の視察から、数日後。
「……本題に入る前にな」
円卓についた1人の男が苦笑交じりの口調で言った。「ちょっと文句をつけさせてくれ」
全身が筋肉の鎧でできているのではないかと思わせるような大男だった。
筋肉の鎧の上に、さらに金属製の重鎧を身につけ、革命軍将校のマントを羽織っている。頬には、かつて戦場でつけられたという大きな傷痕。頭の上からちょこんと伸びているうさみみが冗談のようだ。
「なんですか、ガーツ将軍」
――革命の日。
ピータ村で旗を上げた北東域の革命軍を率い、僕を無事に領都の門前まで連れて行ってくれたガーツさんは――現在、革命軍の総大将という地位についてもらっている。
任じられてまだ数ヶ月しか経っていないはずなんだけれど、すでに歴戦のオーラをその身にまとっているのは、招集の戦場を生き延びてきた過去がそうさせるのだろう。
僕はガーツさんが本気で『文句』をつけようとしているわけではないことに気付いていた。
ぽりぽりと頬の傷を掻いて、将軍はにやりと笑む。
「お前さんたち、煽りすぎだ」
「え、と……?」
「ここ1月、革命軍への志願の数が多すぎて、受付が追いついてない」
……。
…………。
「それは……想定外でした」
「気合い入れすぎちゃったね」とリュクスが僕の隣で肩をすくめる。
「視察はリュクスを前面に立ててやってるんだろ? 女の志願兵も相当に多いぞ?」
「俺目当てってことですか? まったく……自分がいかに罪作りな男か、再認識できましたよ」
「こいつ」とガーツさんは笑いながらリュクスを小突いた。「『リュクス=アルベルト筆頭補佐官に会いたければ文官を目指すのが最短ですよ』って説明させられる士官の身になってみろ。そんでその女が目の前で去ったとするだろ? もう仕事する気にならんぞ」
「現場が混乱してるじゃないか。リュクス、真面目にやって」
「え? やってたよ! 俺すごい働いてるよね!? ねえ!?」
リュクスは「報われない! 報われなさすぎる!」と円卓に崩れ落ちた。テーブルを囲む参加者たちから苦笑がわき起こる。
とはいえ。
執務時間中のリュクスは、お世辞を抜きにして、優秀な補佐官だった。
言葉遣いも、仕草も、態度も、知識量も、そして働きぶりも、今のところ僕に文句のつけようがないほどに。
そこに、前公爵と平民の妾の間に生まれた『半分の貴族』というバックグラウンドと、革命のあの日に僕とともに立ち上がった若き正騎士という事実が伝え広められることで、リュクスの知名度は急速に拡大している。
『辺境の王子様』だとか『黒い俊英』だとか、いろいろな二つ名で呼ばれているようだ。
なおかつ、各地方の村長や文官たちとは従騎士の時代からつながりをもっていたから、評判も上々。
先日の南西域の視察では、あの大演説の後、僕と別行動でいくつもの村を回ってもらった。僕にとっては、交渉を担当する自分がもう1人いるみたいで、とても助かる存在だ。
……今回のような副作用もたまにあるけど。
「参考資料です」とガーツ将軍の補佐官が手早く円卓に羊皮紙を配った。
それに視線を落として、僕は自分の目を疑った。
北東域、北西域、南東域、南西域。
独立領を分ける4つの地域から、合計して約1万人の志願が提出されているらしい。
革命軍は現在4軍団、1軍団1000人強で構成しているから、トータルで5000人ほどの規模を有している。その倍近い志願があったということになる。
……これはたしかに、煽りすぎだったのかもしれない。
「全員採用しちまっていいのかい?」
「さすがにノーです。……グラムさん」
「は、はい……っ」
茶色の大きな瞳が印象的な青年文官は抱えていた羊皮紙の束をかき分け、いくつかの資料を取り出すと、それらを交互に眺めながら言った。
「現状の徴税基準では……その4分の1の採用が限界となりそうです。冬も近いですし、次年度への備蓄も考慮すると、1回目の志願募集は……さらにその半分で、おねがい、します……」
「んー、それっぽっちか……」
ガーツさんは腕を組んでうなる。
しばらく考えた革命軍の総大将は、かすかにうなずきながら目を開けた。
「4軍団それぞれに17人隊を17つ……ええと、新数記法だと、300人弱ってとこだな。そのくらいは増員させてくれ。だから、合計して1200人弱の増員。これでどうだ?」
「心苦しいですが、財務局としてはそれが上限ですね」
「承知した。若い人間、実力に優れる人間を優先的に選抜していく方針だ。それで問題は……ありますかい? 領主様」
その採用基準はオッケー。
あとは……。
「法務局。緊急の仕事となりますが、志願者の戸籍の把握は可能ですか?」
「その程度であれば問題ありません」円卓につくベテランの文官は目をつむったまま言った。「冬前までに終わらせますよ」
「領民会議。異論はありますか」
「全会一致でしょう」と領民会議議長のプナンプさんがほっほっほと笑いながら応える。「領民会議は、革命軍の強化に全面的に賛同いたします」
「分かりました。では、第1次追加募兵はその人数で決定します。選抜を開始してください」
僕はすぐにガーツ将軍に視線を向けた。「もちろん人数も重要ですが、できたての革命軍においてなによりも重要なのは練度だと考えます。教練の方も手抜かりなく」
「ああ。多少は脱落者がでるくらいでちょうどだろう? ……と、思いますが」
「最適でしょう。お任せします」
革命軍は独立領の軍隊。
その教導に関して、僕はガーツさんを信頼していた。
ガーツさんはかつて、ピータ村の狩猟団を率いていた人物だ。それは数十人規模の小さな組織だったけれど、その練度は北東域で随一だったとされる。事実、ピータ村狩猟団はここ数十年の間、1度も徴税を達成できなかったことはない。
ガーツさんは人を鍛え上げることに関して一流だ。
問題は――革命軍が数千人規模の組織だということ。
この規模の人間をまとめあげられるかどうかはまた別の話なのは、僕も理解していた。
だが、かつての奴隷身分に、数千人を束ねる指導者になったことのある人は誰一人としていないのだ。
そう考えれば、少しでも実力を確信できる人に依頼したい。
結果として、ガーツ将軍という人選は失敗ではなかった。
発足して数ヶ月の軍隊が、曲がりなりにも軍隊としての行動ができている時点で、その手腕は評価するべきだろう。
「……領主様。全員、参集いたしました」
文官の1人が僕に耳打ちをする。
僕は円卓についた十数人のメンバーを見渡した。
「議題を1つ消化してしまいましたが。
――――これより、第9回円卓会議を開会します」
~メモ~
●ムーンホーク独立領
『魔法の国』四大領の1つ、北部を占める森林地帯を直轄する1領。
テーマカラーは緑。
タカハを首謀者とする『暁の革命』により騎士団を領内から追放し、平民たちによる新たな秩序が構築されようとしている。
『魔法の国』本国とは事実上の停戦協定が結ばれているため、今のところは平穏。今のところは。
人口16万人程度。
(『魔法の国』全体の人口は100万人程度。)
他の領より、妖精種や人族が比較的多い。
基本的な産業は、森で行われる狩猟や採集。
近年、農業が積極的に導入されている。
領都を中心として、北東域、北西域、南東域、南西域の4域に分割される。
●ガーツさん
種族:兎人族、年齢:53歳
ピータ村の元村長、元狩猟団長。
筋骨隆々、狩猟術の腕前もピカイチな頼れるおじさん……なのだが、うさみみのせいで、対戦相手をおちょくる悪役プロレスラーのようにも見える。
革命に際して、北東域の革命軍を指揮し、タカハを領都まで送り届けた。
タカハが信頼を置く重要人物の1人。
現在は、革命軍の総指揮官を務めている。
(登場:幼少期編、騎士団編・第5部など)
●プナンプさん
種族:人間、年齢:41歳
『剛弾』の二つ名をもつ、大魔法使いの1人。
革命の戦いに際して魔法使いたちに知識を広めた『教科書』を執筆した3人のうちの1人。
ほんわんとした雰囲気とにこにこした表情から老若男女分け隔てなく打ち解けるが、通すべき話はきっちり通すタヌキ系の人物。
魔法の腕前も相応。
現在は、領民会議の議長を務めている。
(登場:騎士団編・第4部、第5部)
●グラムさん
種族:猫人族、年齢:24歳
ピータ村の出身。タカハの幼馴染であるマルムの兄。
革命の日、領都への進軍に関して理論的で具体的な計画を立案した手腕を認めて、タカハが文官として採用した。
旧体制では測量を仕事にしていた。
どうやら妹のマルムとは数年会っていない様子。
(登場:騎士団編・第5部)




