第137話:「そういえば」と僕は魔女に問いかける。
そんなこんなで、穏やかな朝食の時間は続く。
「あっ! これも美味しいね!」
もくもく、と。
メルチータさんはよく食べる。
この世界の麦を潰して伸ばした生地で野菜を巻いた料理を、瞬く間に2本ほど食べ、別の料理へ。
僕よりもペースは早い。
しかも、量もたぶん、僕より多いだろう。
「お昼とか夕食はどうしてるんですか?」
「あ、ええと……、没頭しちゃうと、時間を忘れちゃって……つい。これも一昨日の晩御飯ぶりかもしれない」
ほんと、ハマってるなあ……。
メルチータさんは口元を手早くナプキンで拭うと、空になった皿に向けて『星の祈り』を刻んだ。
「ごちそうさまでした。ティルさん、今日も美味しかったです」
「ありがとうございます。紅茶はいかがでしょう?」
「いただくわね」
ティルさんは先ほどまでのおおはしゃぎっぷりが嘘のように、粛々と使用人に徹している。
ティルさんの淹れてくれる紅茶を待つ間、メルチータさんはしばらく僕をじっと見つめていた。
「どうしましたか?」
「ええと……なんだか」
メルチータさんは広間のテーブルをゆっくりと見回す。
「広すぎて、少し寂しいな、と思って」
「……そうですね」
このテーブルは8人までなら同時に食事ができるサイズだ。
革命の前はもう少し賑やかで。
僕は記憶の中の、この屋敷で過ごした数日間を思い出す。
……うん、本当に、夢のような数日間だった。
「エクレアは今、なにをしてるのかな?」
メルチータさんはそんなテーブルの一角を見つめていた。
まばたきをした僕のまぶたの裏側に、あの小柄の少女の快活な表情と薄青の髪が踊る。
「驚かないでくださいね。『革命軍』の中隊長です」
「た、隊長……!?」
中隊長は200人程度の人員をまとめる部隊長だ。
メルチータさんの驚きはもっとも。
だって、あんな小さな女の子が率いる軍隊なんて、さすがに冗談だろう。
そんな部隊が革命軍随一の練度と士気を誇り、重要な任務をこなしてくれていると言っても、信じてもらえなさそうだ。
「てことは国境線に?」
「エクレアの所属は第2軍団だから……うん、今はそうですね。先月までは領都の近くに駐屯していたのですが」
「戦闘は?」
メルチータさんの瞳がかすかに揺れていた。
安心させるように僕は頷く。
「国境線で戦闘が発生していたら、僕はここでのんびりしていませんよ」
「それもそうね。……よかった」
豊かな胸元に手をあてて、安堵の吐息をつくメルチータさん。
革命の後、僕が四大公爵に正式に任じられたことで、『魔法の国』本国と独立領は事実上の不戦条約を結んだ状態にある。
むこうの3騎士団からのアクションは、今のところない。
とはいえ、現在の革命軍の人員では国境線のすべてをカバーできるわけではないから、侵入者がゼロと断じることもできないだろう。……それは、お互い様だ。
「今は訓練期間?」
「革命軍全体がそういう時期ですね。加えて、エクレアの部隊に関しては別の任務を依頼してあります。――『アート』を作ってもらってるんです」
『アート』。それは、あの少女の造語だ。
魔法をもたないエクレアは幼い頃から様々な道具を作り出すことに没頭してきた。
それは奇妙な形の武器であったり、日常生活を少し便利にするツールであったり。
ただ、領主が軍隊の一士官に依頼するそれは――
「――兵器開発っていう認識で、いいのよね?」
僕は頷く。
「『学舎』とは違う方向から独立領の武器を開発してほしい。……エクレアにはそういう風に依頼しました」
「……」
メルチータさんは紅茶のカップに一度口をつけ、それをゆっくりとソーサーに戻した。
「こんなこと言ったらエクレアには笑われちゃうと思うんだけど、……私、あの子のことはライバルだと思ってるんだ」
「……ライバル、ですか?」
うん、とメルチータさんは大きく頷く。「エクレアは『魔法を持たないやつが魔法使いに立ち向かえる力を探す』って言ってたでしょう?
それと同じくらい、私は魔法使いを強くしたい。剣士よりも弓使いよりも敵国の兵士たちよりも神秘使いよりも、魔法使いは強くなれると思うから。……私、たぶん、負けず嫌いなんだよ」
ゲルフに魔法を学んでいたころのメルチータさんは、負けん気の強い魔女だったのだという。
孤児院を立ち上げたときも、革命の旗の元に集ってくれたあの日も、瞳に炎を燃やしていたはずだ。
「そういう意味では、エクレアはもっと負けず嫌いだと思いますよ。『のぞむところだぜっ!』とか言いそうですよね」
「あははっ、すごく似てる! ……あんなにたくさんの人を束ねることができるんだから、きっとそうだよね」
あんなに小さくて可愛いのにね。
そう言って、メルチータさんは笑う。
あまり長い時間一緒にはいなかったと思うけれど、エクレアはメルチータさんによくなついていた。
エクレアが心を許した魔法使いの1人目が僕だとするなら、2人目はメルチータさんなのかもしれない。
「コロネちゃんは?」
「エクレアと同じ部隊の補給班にいるはずです」
「な、なんていうか……すごく賑やかになりそう……」
同感。
てか、僕だったら少し疲れそう……。
「じゃあ、ラフィアちゃんは?」
「ラフィアは――」
そっか。
もう、4月も会ってないのか。
忙しかったから気付かなかった。
同時に、姉成分が枯渇しつつあることを思い出した。
『姉さんに起こしてもらう』という流れには使用人に起こしてもらうのに匹敵するロマンがあると思うんだ。前世の僕は長男だったので。
「ラフィアは、今、辺境地帯をまわってくれています」
「辺境地帯?」
僕は頷く。
「あらためてご説明すると……革命の後、整理も終わって、ようやく領内も落ち着いてきたので、いろいろとこれまでの制度に手を入れているところなんですね」
「改革、だね」
やっていることは、僕が従騎士の時代にこなしていた駐屯任務と変わらない。規模がムーンホーク地方の全部になっているだけで。
魔法、狩猟、農業、教育を評価し、パラメータ化。不足している部分を重点的に補えば、その村が回り出す。
この4分野それぞれに基準となるような『教科書』を作成して、分野のエキスパートじゃない人でも一定の水準に到達できるように配慮してある。
この仕事を、僕は地方に派遣した文官たちに任せていた。
とはいえ――
「文官を増員して対応しているのですが、やはり小さな村の数が多いので、独立領の直接的な介入は辺境地帯にまで届いていなくて……。それを、ラフィアに引き受けてもらっています」
ラフィアは血のつながっていない僕の姉さんだ。
そして、9歳のとき、騎士たちの重税に耐えられず脱走した奴隷によって魔法を奪われた、という過去をもつ。
生まれながらに魔法を使うための回路をもたなかったエクレアと違い、ラフィアは9歳になるまで回路があった。
『9歳の儀式』のあの日、脱走奴隷が最悪のタイミングで邪魔をしなければ、間違いなくラフィアは魔女になれていたはず。
17人いれば16人以上が魔法使いであるこの国で回路をなくすのは、残酷すぎるペナルティだった。
だが。
ラフィアは決して、めげなかった。
それどころか、胸を張って、高らかに、自分の夢を語った。
『――奴隷の人たちが飢えないように、正しい狩猟術や武術を広めたい』
騎士団による『管理』の結果として、ムーンホーク領にはひどい知識の偏りがあった。
それは主に魔法の知識に関することだったけれど、生きていくために必要となる狩猟術や農業に関する知識もそう。
もしラフィアの回路を奪ったあの奴隷が狩猟術をもっと知っていたのなら、飢えることはなかったのかもしれない。命の危機に迫られて脱走する必要なんてなかったのかもしれない。……ラフィアの魔法は今も彼女の手のひらの中にあったのかもしれない。
『――わたしは魔法が使えない。
でも……ううん、だから、身体を動かすことで、少しでも他の奴隷たちを幸せにしたい。
脱走してしまう奴隷を、1人でも減らしたいの』
それが、魔法を失った少女のささやかな願い。
今、奴隷と呼ばれる人はこの領から居なくなって、みんなが領民になった。
でも、ラフィアの夢は変わらない。
この領都からはるか遠くの辺境地帯で、あの笑顔を振りまきながら、今日もがんばっているはずだ。
なんて言ったって、ラフィアは僕の姉さんで、ゲルフとソフィばあちゃんに育てられた長女なのだから。
「…………いよぉしッ!」
メルチータさんは謎の掛け声とともに立ち上がった。
「私もがんばる! よーし、研究しよう!」
みんな、そうだ。
みんながんばっている。
がんばってくれている。
だから、領主である僕はそれ以上を目指さなければ。
やる気スイッチをぐいぐいと押し込まれた僕は、立ち上がろうとして……、その直前で踏みとどまった。
「そういえば、メルチータさん」
「なにかな?」
「さっき、僕に『お願いがある』と言っていませんでしたか」
「…………あ」
なぜか。
ふたたびメルチータさんの顔が赤くなった。
先ほどまでの話を総合する限り……研究の予算に関することだろう、と僕はあたりをつける。
増額してほしいと自分から言い出すのが恥ずかしいのかもしれない。
でも、その提案に正当性があるなら、ためらいなく僕ら出資するつもりだ。
首をかしげて続きをうながすと、メルチータさんはぎゅっと両手に力をこめてから、意を決した様子で言った。
「タカハくん……! こ、今度っ、いつでもいいんだけどね……! 夕方で、じ、時間を作ってもらえないかな……!?」
……あれ?
そんなこと、別にお願いだなんてもったいつけなくていいのに。
「もちろんいいですよ。メルチータさんのお願いを僕が断るはずないじゃないですか」
魔法の研究が目的だろう。
今度はどんなテーマかな。
僕に宿った『対訳』の力。
それを僕が振るうだけでは、たぶん、個人が戦術的に強い魔法を使えるというだけ。
だが、メルチータさんやナイアさんの研究を後押しすることができれば。
独立領すべての魔法使いを強くできる可能性を秘めている。
期待値はこちらの方が大だ。
だから、『学舎』へ行くのは重要な僕の仕事。
うん。間違いない。
リュクスに仕事をぶん投げれば、時間を作るのは不可能じゃない……はずだ。
「では、予定が決まり次第、『学舎』にご連絡します」
「あっ、ティルさんに言っておいてくれれば大丈夫だから!」
「分かりました」
「じゃ、じゃあ、今日もお仕事がんばろう! おー!」
そう言って、メルチータさんはどこかそわそわしたまま、広間を去っていった。
「タカハ様、本日以降のご予定です。明日から数日間は南西域の視察が計画されていますが……」
「マジか……」
ティルさんがすっと差し出してきた羊皮紙には、スケジュールがみっちりと詰まっていた。
誠に遺憾なことに、メルチータさんのもとを訪ねる日は、もう少し先になりそうだ。
ため息を飲み込んで、僕は椅子から立ち上がった。
「……じゃあ、僕も行くよ」
深緑色のローブを羽織る。
自分の両頬を軽くはたいて、表情を引き締める。
そんな僕を見つめていたティルさんは、いつもの無表情のまま、流麗な一礼をした。
「いってらっしゃいませ、タカハ様」




