第136話:「計算通りですね」と使用人が言う。
――――数日前の回想終了。
屋敷の広間を背景に、翡翠色の瞳が僕を見つめている。
「『学舎』を訪ねてきてくれたあの日からの進展は……1つくらいかな」
寝不足のメルチータさんは、気だるげに金髪をかきあげ、はっきりとした口調で続けた。
「先日、タカハくんの力で確定した事実を言葉にするとこうなるかしら。
――精霊言語は『魔法のための』言語じゃなくて、日常で使われる『言葉としての』言語だった」
「はい」
「この事実を踏まえて、やっぱり気になるのは……『大魔法防護』の詠唱文、だよね?」
僕たちの知らない、僕たちの知識では実現できない、未知の大魔法。
その詠唱さえ知ることができれば、なにかが分かるはず。
「それで、私とナイアは聞き込みをしたの」
「つまり……貴族や市民たちに?」
「ええ」こくりとうなずくメルチータさん。「ずっと調査の要請はしていたんだけどね。つい先日まで許可が下りなくて。……ほら。いろいろと整理をしていたでしょう?」
独立領が処断した貴族や市民の数は膨大だ。
罪刑が定まるまで、彼らは革命軍の管理下で捕虜として捕らえてあった。
そして、その公平性を期すために、彼らへの接触はごく一部の文官たちにしか許可していなかった。
……結果としては、僕のその命令がメルチータさんの調査を邪魔していた形になる。
こればっかりは仕方がない。
貴族や市民の断罪は領民たちの誰もが望んでいたことで、不満の熱量の向かう先はコントロールしなければならなかった。
だが――革命を終えたばかりの領民たちは、誰もが冷静ではなかった。
捕虜として捕らえた貴族や市民たちに接触を許せば、彼らは自らの魔力が尽きるまで、魔法を叩き込んだだろう。あるいは拳を。たぶん、罪のごくわずかな捕虜たちに対しても、見境なく。
ここで僕まで冷静さを失って、ルール以上の断罪を許してしまえば、僕たちは本当に文字通りの暴徒になってしまう。
その事実は『魔法の国』の本国や騎士団に付け入られる弱みに変換され、少なくとも独立領にとってのプラスにはならない。
結果として、メルチータさんの言う『整理』には膨大な時間がかかってしまった。
「聞き込みというか、尋問をしてもらったって感じかな。革命軍には将官クラスにも知り合いがたくさんいるし。ちょっとゴリ押ししちゃった」
調査の過程を思い出したのか、ふふっと楽しそうに笑うメルチータさん。疲労の色が一瞬で蒸発し、それはずいぶんと魅力的な笑顔になる。
「……タカハくん?」
「あ。はい」
「ちゃんと聞いてた? 結構大事な話をしてるつもりなんだけど」
「いえ、メルチータさんに見惚れていました。……あうっ」
テーブル越しに頬を軽くつねられる。
実にいつもの距離感。
「それで、調査の結果はどうでしたか?」
「んー。そうね」
メルチータさんはかすかに眉を曇らせて、数度呼吸を整えてから、言った。
「本来、これは革命軍のお手柄だから、私が先に伝えるのはルール違反なんだけど。
あの日、『大魔法防護』の魔法を詠唱した仮面の魔法使いたちは、ムーンホーク領の人間じゃなかったらしいの」
…………え?
ちょっと待って。
どういうことだ……?
「あの仮面の魔法使いたちですよね?」
「うん」
「貴族や市民ではなかったんですか?」
「ええ。
ムーンホークの旧市民はだれ1人、あの『大魔法防護』の詠唱を知らなかった。
それどころか、あの日の戦いに加勢してくれた仮面の魔法使いたちは全員、ファリーニ卿が『増援だ』って言って連れてきた人たちだったらしいの。
そもそも……貴族や市民も騎士団と同じように他の領に逃げ延びようとしていたみたいね」
「…………!」
「けど、仮面の魔法使いたちが『大魔法防護』を実際に使って見せて、『これなら勝てそうだ』っていう雰囲気になって、籠城を決めた――
あの日、向こう側はそういう雰囲気だったらしいわ。
少し荒っぽい尋問もしてもらったし、かなり多くの旧市民が同じことを証言してるから間違いない、って」
一気に状況への印象が変わる。
それじゃあまるで、ムーンホークの旧市民たちは自らの意思で戦うことを決めた、というより、戦わされたかのような――
「覚えてるわよね? ファリーニ卿。マッカスさん」
覚えている。
『聞けえええええッ! 大罪人――ッ!』
『貴様らの負けだぁぁ! 愚かで下賤な奴隷ぃぃぃッ!!』
セリフから知能指数の低さが窺い知れる、やたらピカピカの、市民たちの代表だ。
ちなみに消息は不明。どさくさに紛れて逃げ延びたのだと思う。
けど、メルチータさんの話を総合する限り。
あの男が『大魔法防護』の詠唱を取りまとめていたわけでは、ない。
「たぶん、王都の魔法使いじゃないかな。ミッドクロウ領やスターシープ領にも市民はいるけど、あんなにたくさんの人が集まるとも思えないし……」
「……『大魔法防護』そのものも、王都の魔法なのでしょうか?」
「私とナイアの予想としてはそういうことになりそう」
「……」
革命の日、戦いの直前――マッカスも『応援が来る』と言っていた。
市民たちはおそらくそういう繋がりをムーンホーク領の外に持っていたのだろう。
だから、僕たちの知らない魔法を使ってきた。
王都……か。
そう考えると、ますます謎が深まっていく。
『大魔法防護』。
その呪文を僕は知りたい。
メルチータさんとナイアさんが現状、白旗を上げるしかない魔法だ。
『対訳』をもつ僕が詠唱を直接聞かないと手がかりすらなさそうだ。
「というわけで、タカハくん。『大魔法防護』の件は、もう少しお時間を……」
メルチータさんは、やや疲れた様子で、それ以上に無力感の入り混じった吐息をついた。
とてもよくやってくれていると思う。
けれど、それを伝えたところで、メルチータさんは『まだまだ全然ダメだよ』と言うだろう。ストイックな人なのだ。この金色の髪の魔女は。
「……それはそれとして、メルチータさん」
「ん? なにかしら?」
「『学舎』の他の研究者のみなさんにも言っているのですが、自分の好きなテーマで調査したり、研究したり、そちらも進めてくださいね?」
「…………」
メルチータさんは大きく目を見開いた。
……あれ?
メルチータさんなら喜んでくれると思ったんだけど……。
「も、もちろん、なんでもオッケーというわけじゃないですよ。報告書とかはほしいです。でも、相談してくれれば、価値があると思った研究にはしっかり予算をつけますから」
シミュレーション系のゲームで、僕の戦略は基本的にいつも同じ。
武器や防具、魔法や騎馬を強化する技術開発部門に大量の資金を投入するのだ。
同じ資金を徴兵につぎ込めばかなりの兵力を集められるところを、あえてピーキーな武器の開発にいそしむのが僕のジャスティス。
たくさんの兵士を運用するのも気分がいいけれど、圧倒的な技術力で他国を制圧する快感もそれに匹敵する――と思うのは僕だけではないはず。
なによりも。
全国統一編とかに移行したとき、コツコツ積み上げてきた技術力は、単純に数だけの兵士よりも強い。
同じことじゃないかな、と思う。
魔法使いたちが多くの割合を占める独立領で、技術力とは、魔法に関する研究の深さに他ならない。
だったら、資金を出し惜しみする理由はない。
『学舎』に集まってもらった魔法使いたちはみんな一癖も二癖もあるけれど、全員が情熱的かつ頭の切れる魔法使いだ。
彼らはすごく楽しそうに魔法の真理に潜っていく。
どこまでも、深く、果てしなく――
まるで、息継ぎのために水面に戻るのが面倒だと言わんばかりに。
今日のメルチータさんは目の下のくまもひどいし、普段のさらに素敵なお姿とくらべてしまえば……ぱっと見ゾンビだ。徹夜を何日も繰り返してきたのだと背中に描いてあるかのよう。
でも、その瞳は翳るどころかむしろ輝きを増している。
領主として、そんな彼らにはしっかりとお金を出したい。
「――タカハくん」
メルチータさんは無表情のまま、向かいの椅子から立ち上がった。すぱーん、と椅子がずれる。つまりものすごい勢いで立ち上がったメルチータさんは、そのまま大きなテーブルをすたすたと回ってくる。
身構える時間はなかった。
「タカハくん!」
がばり、とメルチータさんの深緑のローブが視界一杯に広がり、
「え……?」
次の瞬間。
僕の顔面に押し付けられたのは。
ふよふよとした感触の危険すぎる物体だった。
いや、包まれているのに近い。
ぴっちりとした茶色のティーガは目の前にある。
信じられない温もりとどこか甘い匂いに包まれる。
「ほんっと最高! 領主様が1番の理解者だなんて!」
どうやら僕はメルチータさんに頭を抱きかかえられているらしい。
僕はただ、茫然自失。
魔法のこととなると、メルチータさんの感情表現は常識の枠を軽く蹴っ飛ばしていく。
「もちろん『大魔法防護』のこともやらせてほしいけどタカハくんの発音を見せてもらってからはやっぱり『精霊言語』の言語としての体系に興味があるんだ! ムーンホーク領のいろんなところから資料を集めてて――――」
僕の頭を抱きまくらのようにしながらも熱弁を続けるメルチータさん。
一言だけ感想をいいだろうか。
すごく、柔らかいです。
「各地には『精霊言語』の痕跡みたいな伝承が残っているんだけど、それを組み合わせるとこのムーンホーク地方にどういう風に『精霊言語』が伝わってきたかっていうのが分かって、そのうえでいくつか仮説が――――」
でも、たぶんメルチータさんは僕のことを見ていない。
僕の存在をまったく意識していないのだろう。
あの緑の瞳をキラキラ輝かせて、なんならぽけーっとした顔で、頭の中にある魔法の世界に飛び立っているはずだ。
僕も飛び立ちそうです。
……あれ?
これ、まさか、ウィンウィンの関係?
「メルチータ様」
「え? あれ? ティルさん? ……。…………あ」
使用人につつかれ、シャボン玉が割れたみたいに我に返った魔女。
そんなメルチータさんの胸に顔を埋めている僕。
状況認識に、3秒くらいかかって。
しゅばっと機敏な動きでメルチータさんは僕から距離をとった。
メルチータさんの顔が首のほうから一瞬で赤くなっていく。アニメみたいだった。赤い直線が上昇してくるというありがちな演出そのまま。
「こっ、これはっ……! 違うんだ……っ!」
「……違う、というと?」
「わっ、わざとじゃないんだよ……。ほ、ほらっ、私、孤児院にいたから……! 子どもたちを抱きしめるのは、ふっ、普通だったっていうか! 『頑張ったね』とか『ありがとう』っていう意味で……! ゆ、ゆゆゆ誘惑したとかっ! そういうのじゃなくって……!」
「……」
何も言っていないのに自滅していくメルチータさんに僕は果てしない親愛を覚える。
その親愛が口を滑らせた。
「でも、わざとじゃないのに、こんなことになるでしょうか……?」
「~~~~ッ!!」
知ってますよ。
本当に、わざとじゃないんですよね。
「メルチータ様」
そこへ、我が意を得たとばかりに――白黒の使用人が参戦した。
「個人的な見解を申し上げてもよろしいでしょうか」
そのとき僕ははっきりと分かった。
完ぺきな無表情に見えるティルさん。
だが、目元が、ほんの少しだけ、いじめっ子の笑い方をしてる……!
「この場合、メルチータ様の側の主張はさほど重要ではないのです。むしろ、優先度としては低くなってしまうと指摘せざるをえません」
「私の、主張……?」
「はい。『殿方が誘惑だと感じたのならば、それは立派に誘惑として成立する』のではないでしょうか。この場合ですと、タカハ様が誘惑されたと判断したのなら誘惑なのです。……この点に関して、メルチータ様のお考えをぜひおききしたい、と」
ティルさんすごい……!
前世の日本におけるセクハラの定義を余すところなく理解している。
しかもそれで居候を攻撃している……!
対するメルチータさんは。
「…………え、ぅ……」
涙目、だった。
あの悪魔のような使用人を相手にするには、メルチータさんは純粋すぎた。
まあ、からかい始めたのは僕だけど……。
「……メルチータさん、本当に気にしないでください。僕はむしろ――」
「じゃ、じゃあ! お詫びをしないと、だね……!」
「お、お詫び……?」
きっぱりと放たれたその言葉に、僕とティルさんは耳を疑う。
だって僕とティルさんの発言はだれがどう見ても冗談なのだから。
「自由に研究をさせてもらってるお礼もしたいし、あと、ちょっとお願いしたいこともあるし……。タカハくん、なにか欲しいものとか、お仕事で手伝えることとか、あるかな?」
顔は赤いままだけれど、表情は真剣だった。
ああ。
いい人だ。本当に。
心が洗われるほど、優しすぎる人だ。
「その必要は――――」
だが。
不幸なことに、この場には人の良心を容赦なく喰らう使用人がいた。
「ああ。そういえば」
白黒の使用人はぽんっと右の拳を左の手のひらに打ち付けた。
「先ほどタカハ様とメルチータ様の寝込みを襲う話で盛り上がりました」
「…………え?」
メルチータさんの目が見開かれる。
「違う! 全部ティルさんが振ってきたんだろ!」
「はっ。失礼いたしました。口が滑りました」
「滑るタイミングがおかしいんだよ!」
「…………えっと」
声に振り返って、メルチータさんを見ると。
メルチータさんは自分を抱きしめるようにして、視線を横にそらして、尖った耳の先まで真っ赤にして、何度か深呼吸を繰り返した後、かすれるような声で言った。
「もしっ……そっ、そんなことで……お礼になる、なら……」
……。
…………。
「それはどう間違ってもお礼じゃないですよ。メルチータさん」
そして、僕は無表情の使用人をにらみつけた。
「こうなったのは全部ティルさんのせいだからな!」
「計算通りですね」
「認めた……!?」
「――というわけで皆様、朝食の用意が整いました」
いつの間にか、テーブルにはクロスが広げられ、朝食というには豪華にすぎる料理が並べられていた。
「麦料理をメインにしたメニューとなっております」
完璧すぎる食卓。
洗練された一礼。
「…………」
手強すぎるよこの使用人……。




