第134話:「学園モノだよな」と僕は呟いた。
~メモ~
●ナイアさん
種族:妖精種
珍しい紫色の髪と瞳をもつ魔女。
古典的な――悪く言えば古臭い黒ローブと黒いとんがり帽子の服装を常に身につけている。ややどんよりした眼光とあいまって、ほの暗い雰囲気の女性。
だが、魔法の腕前や知識は卓越しており、『虚幻の繰り手』という二つ名をもつ。認識や精神を司る識属性と空間を司る空属性の魔法に精通し、戦場では敵部隊を混乱させ同士討ちを誘うなどの範囲魔法で戦果を積み重ねていた。
使用可能な魔法は水、風、識、空の4属性。
(登場シーン:第90話、第125話など)
ムーンホーク領都は上から見ると大きな円形をしている。
その西側の街壁に沿うように、一見すると要塞のような、物々しい建造物があった。
――――旧緑色騎士団、本部。
革命以前、この地方を実効支配していた騎士団の駐屯地だ。
魔法使いの反乱も想定してある――という説明を、騎士だった頃に聞いた記憶がある。
2階建てのその建物は重厚な石造り。木製の巨大な正面扉は鉄で補強されており、岩石魔法でも壊れない。窓もまた特殊な構造をしていて、部屋の内側をはっきり視認できないようになっている。
(ここに立てこもられたら厄介だったな……)
重厚なその建造物を見上げて、僕は思う。
結果として――本部は革命の戦いの間に傷一つつくことすらなかった。
緑色騎士団の騎士たちは、乾燥しきった大地を焼く炎のように拡大した奴隷の反乱を『鎮圧できない』と判断し、他の領にしっぽを巻いて逃げ出したからだ。
奴隷たちの重税を束ねて作り上げたこの城塞が迎えたのは、戦うべき戦士たちの不在という哀れな結末だった。
革命の後、そんな騎士団の本部を僕は魔法使いたちの教育研究機関に変えた。
一種の皮肉のつもりだったけれど、一周回ってもっとも正しい使い途なのかもしれない。
要するに僕らの税金で建てられた立派な建物ということなのだから……。
魔法使いたちの教育研究機関。
正式な名称は『学舎』という。
ざっくりと説明すれば、大学のようなものだ。
そして同時に、それは軍学校でもあった。
領内から若い魔法使いを生徒として集めていて、今いる1期生は17人のクラスが4つで68名。いずれも成人前の魔法使いで、いずれは革命軍の幹部候補生となるための教育を施されている。
教鞭をとるのは、領内から僕が集めた優秀な魔法使いたちだ。『軍団』時代からの顔見知りが多い。彼らには後進の教育に加えて、魔法に関する研究も職務として進めてもらっている。
そう。
成人前の魔法使いたちが入学する『学舎』だ。
これはどう考えても……
「学園モノだよな」
「……タカハ様? 申し訳ありません。今なんとおっしゃいましたか」
「独り言です。気にしないで」
「はっ!」
きびきびと返答をしてくれた護衛役の兵士に領主スマイルを向けてから、僕は顔を正面に戻す。
『学舎』の正門に立った僕は、そこに濃縮された甘酸っぱい香りを、胸いっぱいに吸い込むことになった。
正面の運動場では、緑色の制服に身を包む少年少女が走ったり、剣を振ったり、魔法の詠唱訓練をしたりしている。にぎやかな声と活気は騎士団本部だったころにはなかったものだ。
魔法の実力に性別は関係ないから女の子も多い。
てか、普通に半々くらい。
生徒たちの制服は、『革命軍』の士官コートを少しアレンジしたようなデザインになっていて、男子のものも、女子のものも、かなりカッコいい。情報筋によると、このデザインには領主様の強力なご意見があったとか、なかったとか。
「…………はぁ」
外見上は17歳の独立領主は、ため息を吐き出して空っぽになった胸の底で、そっと思うのだった。
混ざりてえ、と。
「タカハ様、時間が押しております」
「分かりました」
右側に控えた革命軍の士官にうながされ、僕は正門をくぐる。
同時くらいに、緑色のローブ姿の教官たちが僕に気付いて、授業を中断させた。
「そのままで構いません」と僕は声を張る。
が、授業を続けろ、というのがそもそも無理だったようだ。
「あっ! 領主様だ……!」「!」「本物だ!」
「本物よ! 本物!」
「『学舎』にお見えに……?」「本当にお若い!」
「公爵様……!」「閣下!」
「お疲れさまです!」「ローブが素敵……!」
「サインください……!」「領主様!」
まるで割れた海のように、正門と旧隊舎をつなぐ直線の両側に生徒たちが集合した。
ほとんど全員が僕の顔をひと目見ようと詰めかけていたけれど、エネルギーの総量で言えば明らかに女の子たちの方が多い。
『忙しくてごめんね』という顔と領主スマイルを交互に繰り出しながら、僕はその海を渡り切る。
…………ああ。
恍惚。
これだよ。
これを待ってたんだよ。
だからかわいい制服にしたんだよ。
僕ってば策士。
後に『あれほど幸せそうに笑っていらっしゃったタカハ様は、あとにも先にも1度きりでした』と護衛の士官が教えてくれた。異世界転生の絶頂期にあったことを知らないそのときの僕は、足取りも軽く、本棟の正面扉をくぐる。
出迎えは、すぐ。
「お待ちしていました、領主様」
生徒たちと同じ意匠をあしらった緑色のローブに身を包む金髪の妖精種が僕を待っていた。
窓の光に照らされる金色の髪は春の風のように輝いていて、翡翠色の瞳が穏やかに僕に向けられる。肌が白いせいで、耳の先と頬の血色の良さがよく分かった。
メルチータさん。
『学舎』の教官にして、研究者の1人。
革命の日の活躍から『緑の学士』様と呼ばれることもあるのだとか。
そんな仰々しい肩書も、一方で領主という僕の立場も、メルチータさんと話すときに意識することはない。
――孤児院にまつわるあの戦いの一件。
――そして、革命の戦いを逃げ延びた日々。
その中で僕たちの間には断ち難い絆が形成されている。
気心知れた、とはまさにこういう関係のことを指すのだろう。
だから、メルチータさんの一礼には形式上の意味しかない。
「お忙しいところすみません、緑の学士殿」
「こちらこそご訪問に感謝します、領主様」
「相変わらず素敵ですよ」
「もうっ。すぐにからかって……」
メルチータさんはいつもの微笑に切り替えて、右手を肩の高さに持ち上げた。
「じゃあ、研究室、案内するね」
――
メルチータさんの研究室。
これはどう考えても……
「放課後とかに呼び出されたいよな」
「ん? タカハくん、今なんて?」
「独り言です。気にしないで」
「そう? 分かったわ」
そこは、かつて騎士団の資料庫だった部屋だった。
分厚い羊皮紙の本や、ガラスのフラスコや、各種の木材で作られた杖が棚に整然と並べられている。そのきっちり具合が普段のメルチータさんと真逆で、じつに興味深い。
メルチータさんは『昼食をもらってくる』と言って出ていってしまった。
そして、僕は取り残されることになる。
研究室に居た先客とともに。
向かい合う彼女は、絶壁のような無言と、ナイフのようにギラついた眼光と、全身にどよよぉぉぉんと漂う暗い雰囲気で僕を威圧している。
「…………」
「な、ナイアさん? 僕の顔になにかついてますか?」
「…………」
「そんなことないですよね、あ、あははは……」
「…………」
本人にそのつもりはないんだろうけど、要するにまるで呪われているみたいなのだ。
うう。
居心地、悪すぎでしょ……。
黒のとんがり帽子に黒い長ローブの姿のナイアさんは、珍しい紫色の髪と瞳をもつ妖精種の魔女だ。
その実力の一端は革命の日の記憶にも深く刻まれている。
『大魔法防護』――敵の大詠唱の中核となる術者を見抜いて、倒し、あの巨大魔法を機能不全に追い込んだのが、他でもないナイアさんだ。
それがなければあの防御障壁を突破する糸口はなかったわけだから、領都攻略戦の影の立役者はまず間違いなくナイアさんということになるだろう。
そのどこか仄暗い雰囲気と実力から『虚幻の繰り手』という二つ名をもっている。それを公爵から賜ったのは、なんと彼女が17と5歳のときだったらしい。異例ともいえる早さだ。
裏を返せば、以前のムーンホーク領でそのくらいの活躍をしてきた人物ということになる……のだけれど。
僕にはよく分からない。
なんでナイアさん、僕のことを睨んでるんだ――?
ナイアさんの紫色の瞳に宿った暗い光は、いっそうその輝きを増していく。
なにか、やらかしてしまったのだろうか。
まったく心当たりはない。
革命の旗揚げにも賛同してくれていたし、『学舎』での研究を依頼したときも快く引き受けてもらったと記憶しているけれど――
「……メルチータとは……」
まるで真犯人を問い詰める名探偵のような口調で、ナイアさんは言った。
「……メルチータとは……どういう……関係……ですか……?」
「…………え?」
はしごを外された気分だった。
「えっと……。どういう関係でもないですが」
「嘘」
蛇の舌よりも速く放たれた否定の言葉に、僕はびくりと体を硬直させる。
「貴方とメルチータには……『領主』と『学士』という関係が……ある、はず……。あるいは……『家主』と『居候』……。なのに、それを言わず……『どういう関係でもない』と言った。……つまり、誤魔化した」
「め、めちゃくちゃな――――痛ッ!」
がしっ、とナイアさんの両手が僕の肩をつかんでいた。
紫色の魔女はそのまま僕に顔を近づけてきて、くわっ、と目を見開いた。
「……誤魔化したんだ……あなたは誤魔化したんです、領主、様。……タカハ、くん。タカハくん、タカハ様? タカハ、少年。タカハ、くん……なにか……やましいことがあるのね? 私に……言えない、ことが、あるのでしょう……? ……メルチータと……メルチータと、メルチータと、メルチータとメルチータとメルチータとメルチータとメルチータと――――」
ひぃぃぃぃぃ……!
と思ったけれど、不思議と恐怖はなかった。
話はある意味単純。
僕がメルチータさんに手を出しているのではないかと心配しているのだ。
「ナイアさんは、メルチータさんのことが大切なんですね」
瞬間、肩に食い込んでいた圧力がふっと緩んだ。
「…………え……?」
呆然と僕を見上げる紫の瞳は、あどけなさすら残っている。まるで魔法を解かれた魔女のように。
「あれ? 違いますか」
「……」
ナイアさんは僕の肩から手を離すと、視線を手元に落として、自分の人差し指をたがいに絡め始めた。
「大切……大切、かも、しれない……」
ゆっくりと、だが、何度も、ナイアさんは頷く。
「本当に……メルチータは、魔法が好きだから……」
「はい」
「私も……魔法以外はなくて……だから、メルチータと話しているときは……ふふふふふふふふふっ……楽しい……」
「……」
正直、最後のはかなりガチで怖い感じの笑い方だったけれど、つっかえつっかえの言葉からはナイアさんの本心を感じた。
魔法の魅力にとりつかれた2人の魔女には、たしかに似ている部分がある。
「なら、よく分かるんじゃないですか?」
「……なにが……?」
「メルチータさんと僕の関係は、ナイアさんが危惧するような関係では決してありません」
「…………」
「領主と文官、家主と居候、あるいは、僕の特殊な能力とそれを対象にする研究者。そのいずれかですよ。
だってメルチータさんは魔法が大好きで、生徒たちのことが大好きなんですから。僕は大変な仕事ばかりを押し付ける領主でしかありません。うん。ナイアさんの言うとおり」
「……………………やっぱり、分かってない」
ナイアさんは肩を震えさせて、僕をじとぉぉぉぉっとした視線で睨みつけてくる。
な、なんで……ッ!?
「……命があれば、いい……だから……認識をいじって……擬似的に記憶を喪失させて……いや、動けなくして……襲撃は夜にして……」
「いやに現実的ですね!」
長いとんがり帽子ごとナイアさんは首をかしげた。
帽子のかげになっていた目元に光が飛びこんで、珍しい紫の瞳が輝く。
「……本気、だけど?」
「…………」
これは……やられる。
「ただいまー!」
部屋に響き渡ったメルチータさんのお声は、神の救いに等しかった。
ナイアさんは幸せそうに微笑みながら「メルチータ……ありがとう」と声をかける。
「ううん。気にしないで。……それよりも」
ローブ姿のメルチータさんは両手に大盛りのお皿を持っていた。獣肉と野草の煮込み料理だ。生徒食堂からもらってきてくれたらしい。
香草の食欲をそそる香りが部屋の中に拡散していく。
僕は空腹を思い出した。
「楽しそうだったけど、なんの話をしてたのかな?」
「ちょっと聞いてくださいよ。ナイアさんが――――」
瞬間、僕は口をつぐんだ。そのナイアさんが強い眼光を僕に投げつけていたのだ。
呪いの釘のような視線だった。
怖い。マジで怖い。
「ナイアが?」とメルチータさんは首をかしげる。
「タカハ少年は……忙しいみたいだから……急いでいろいろな報告をしていたの……」
「あ。そうなんだ」
……僕の命を狙う算段しかしてなかったけどね。
メルチータさんは僕を見て、「ごめんね」と言いながら肩をすくめた。「タカハくん、やっぱり忙しいんだね」
「いえ! そんなことはありません! 僕は――」
「メルチータ。……タカハ少年はとても、とてもとてもとても……忙しくて……だから、しばらく学舎には顔を出せないって……メルチータにも、しばらく会えないって……」
「言ってないからな! そんなこと!」
「じゃあ……私からお願い、します……メルチータに、会わないでください……」
「ナイアさんの狙いは最初からそれですよね!?」
そうも露骨な独占欲をぶつけられると、僕も黙ってはいられない。メルチータさんは僕の大切な仲間であり、神経をすり減らす毎日における癒やしなのだ。そうやすやすと独占されてたまるものか。
「喧嘩しないで。とりあえず食べよっか?」
不毛なやり取りに辟易したのか、メルチータさんは神々しい微苦笑を浮かべた。「せっかく来てもらったんだから、進捗はきっちりと報告したいし」
「……そうですね。僕もそれを聞きにきたんです」
2人とも研究者、教育者として多忙の身だ。時間を割いてもらっていることをさっぱりと忘れていた。ついついムキになってしまった。全面的にナイアさんが悪い。
僕がここを訪ねた用件は2つある。
まず、1つ目から。
「本題の方に入る前に」
「「……?」」
2人の魔女が同時に首をかしげた。そのタイミングと角度がぴったり一致している。本当に仲がいいご様子。
「ええと、考えてもらえましたか? 『学舎』の初代総長の件は」
「あっ!」
「…………避けてた」
メルチータさんはぽんっと右手を打ち、ナイアさんは顔を背けた。対照的な反応にいずれも共通しているのは、結論は出ていないらしいということ。
「『学舎』は領内の全域から優秀な生徒を集めることを目的としています。できるだけ早めに『学舎』の存在を領民の全員に印象づけたい。
ですので、そろそろリーダーを決めたいなと思っています」
そう。
今のところ、『学舎』における校長先生は決まっていない。
革命後のごたごたが落ち着いていない状況の中でスタートさせた組織だったし、魔法の研究や教育方針はそれぞれの魔法使いたちに一任している。それでも十分に『学舎』は機能しているわけだから、集った研究者たちが優秀なのは間違いないのだけれど……。
「それって、……ええと、私たちのどっちかがやらないといけないのかな?」
メルチータさんのやや戸惑いがちな視線をフォローするように、ナイアさんもかすかに身を乗り出した。
「少なくとも……私は……適任じゃない……」
「私も人前に立つのはちょっとね……。タカハくんが兼任するのはダメなの?」
「現場から出してほしいんですよね。僕は実際に魔法の研究ができるわけではないので」
「そういうことなら……。『学舎』には……もっと経験があって……ベテランの魔法使いも……いる……けど……?」
「いや、2人も経験豊富なベテラ――」
――がっ、と。
――言葉が断ち切られた。
テーブルの向こうから伸びてきた2つの手が、僕の襟元を掴んでいる。
「「…………」」
右。メルチータさんは満面の微笑を浮かべていて。
左。ナイアさんの紫色の瞳は血塗れのナイフのようなどす黒い光を宿していた。
いずれも、その手に込められた力は強い。
強すぎた。
「……失言でした。撤回させてください」
「うん。私、なにも聞いてないよ」
「……分かれば……いい……」
「……」
たしかに女性に年齢を想起させるようなフレーズを言いかけた僕も悪いけど……。
いろいろな話を総合する限り、2人とも二十代の後半であるようだ。
ただ、数字のもつ意味合いは僕の前世と少し違う。
17歳で成人。2度めの成人――つまり34歳で周囲の誰からも頼られる存在になる。3度めにあたる51歳がほぼ平均寿命くらいだから、本人たちの意思にかかわらず目の前の魔女2人は中堅――――
「ひぃっ!」
がっ、ともう1度ナイアさんが僕の服を掴んだ。
「領主様……? さっきから……なにを、考えてるの……?」
「な、なにも考えてないです!」
「なに、も……?」
「いや嘘! 独立領の今後のあり方とそれに寄り添う『学舎』の未来像を空想していました!」
「そう……? なら……いい」
どばっと手のひらに湧き出た冷や汗を僕はローブの裾で拭い、呼吸を落ち着かせる。この話題はタブーだ。絶対的禁忌だ。気をつけよう。
「……事実として」
咳払いをし、僕は真面目なトーンに無理やり軌道修正をはかる。
「たしかに、2人より戦場での活躍が長い魔法使いも数名、この学舎に研究者や教官として務めてもらっています」
こくこく、と2人の魔女は頷いた。
「それでも僕は2人のうちのどちらかに引き受けてほしいと思っています」
「それは、どうして?」
「決まっています。
――2人は革命のあの日の戦いですさまじい戦果を上げた魔法使いだからです」
ナイアさんは目元をかすかに細めて、顎を引いた。
「……そういう、こと」
「はい。南東域の革命軍を束ねたメルチータさんは『緑の学士』として誰もがその名を知っていますし、同じように領都攻略戦で活躍した『虚幻の繰り手』ナイアさんの名前も領内に知れ渡っている。
たんに名前が売れている、ということを重要視しているわけではありません。
この『学舎』が奴隷たちの自由と解放の結果として設立された――そういう理念をアピールするために、僕は初代総長の人選を決めようと思っています」
2人の魔女はしばらくの間返事をしなかった。
ややあって、メルチータさんが言葉を切り出す。
「やっぱり私はナイアの方が適任だと思う」
「……メルチータ……?」
「タカハくんの今の言葉に納得してるし、それはとても光栄なことだから、もちろん私が引き受けてもいいよ?
でも、私はやっぱり……『孤児院の魔女』だった期間が長いから」
「…………なるほど」
僕は腕を組んだ。
そう。それは間違いなくあるだろう。
ナイアさんは以前のムーンホーク領で公爵から『虚幻の繰り手』という二つ名を授かっている。それはつまり、奴隷の義務であった招集の中で、圧倒的な戦果をあげたということの証左。
魔女としての箔は、間違いなくナイアさんの方が上だ。
「…………私は……」
僕とメルチータさんの視線に明らかに居心地が悪そうに身じろぎをした紫色の魔女は、数秒言葉を探してから、か細い声で言った。
「もう……目立ちたくない……」
「……ナイアさん?」
紫色の魔女は、ぎゅ、と帽子を目元まで下げた。
「……私に二つ名をくれた……ライモン様ががなにを考えてたのかは……知らない。
……けど、1つだけ確かなのは……。
私はただ……生きるために必死だった……ってことだけ」
「…………」
招集。
戦場に呼び出され、戦うことを強制される。
それは、すべての魔法奴隷の義務だった。
「私は……死にたくなかった……。死なないためなら……なんでもやった……。だから……勉強した。……いろんな人の魔法を……その呪文を、教えてもらって……応用して……積み重ねて……。その動機は……死にたくなかったから、だから……」
だから、とナイアさんは言う。
「私は……そういうの、やりたくない……。
魔法の研究は……好き。……できれば、それだけでいいから……。人前に立ってなにかを言うとか……やらされるとか……そういうのは……もう……」
「……」
ナイアさんの気持ちはよく分かった。
それにこれは嫌がっている人に無理強いするようなものでもないだろう。
それこそ、『学舎』の中を見渡せば、メルチータさんのように『引き受けてもいいよ』と言ってくれる人はいくらでもいるはず。むしろやらせてほしいと言い出す人の方が多そうだ。
ただ。
革命のあの日をともに戦い抜き、かつ、二つ名もち、という人物は『学舎』の中にはナイアさんしかいない。
「分かりました」と僕は言った。「この件はもう少し検討してみます。現状、急いで決定する必要があるわけでもないですから」
「…………」
「気にしないでください、ナイアさん」
ナイアさんはびっくりしたように紫色の瞳で僕を見た。
首をかしげ、困ったような表情になる。
ナイアさんは無口だし、会話もぶっきらぼうだけれど、本当は優しい魔女だ。『自分にしかできないから』と戦いの最前線にためらいなく立ってくれた背中を僕はよく覚えている。
たぶん、メルチータさんと本当によく似ているのだ。魔法が大好きで、他人に迷惑をかけずに日々を過ごしていきたいと思っている。そういう素朴な人。
だから、僕の申し出を断ることにも心を痛めてくれたのだろう。
ナイアさんはぱちりと紫の瞳を瞬かせてから言った。
「全然……気にしてないけど?」
僕は崩れ落ちた。
「少しくらいは気にしてくれると思ってましたよ!」
「……人選もできない……領主様……。そう呼ばれて、評判を落とすんだ……」
「言わせておけば!」
どうもやっぱり最近のナイアさんは僕に敵対的だ。オーラが見えるとしたら間違いなく赤色だろう。以前はどっちつかずの紫って感じだったんだけど。
ぐぬぬ、と唸った僕は、もやもやした気分を盛大なため息にして吐き出した。
「じゃあ、この件は終了で」
僕は腕を組み直した。
「――本題に、入りましょうか」




