第130話:公爵は、宣言をする。
「騎士団総員! 抜剣――ッ!!」
それは、知っている声だった。
ムーンホーク城の城門の向こうで、残った100人程度の騎士たちが、一斉にミスリル剣を抜き放つ。
「緑色騎士団、最後の任務だ! 騎士団長を奪還し、オレたちは戦域を離脱する!」
妖精種の王子様。皮肉めいた悪ガキ。
――――そんな彼は、もう、どこにも居なかった。
青い瞳に悲壮な決意を宿し、淡々とした無表情の影に絶望の気配を隠した正騎士プロパは、僕を、僕だけを、まっすぐに見ている。
いや違う。
僕から5歩の距離で倒れ伏す騎士団長を見ているのだ。
プロパは僕のことを見てなどいない。
プロパの右手はミスリル剣を高く掲げていて、それは、僕が覚悟するよりもずっと早く、振り下ろされた。
「――――――――突撃ッ!!」
その後の僕の記憶は、曖昧だ。
僕は記憶を映像として覚えているのだけれど、その後の数分間の記憶は、無数の写真のように細切れになっていた。現像してもらって、写真を収めた袋を開けて、写真を取り出して、僕はそこで違和感を感じる。僕はほんとうにこの景色を見ていたのか。僕はほんとうにここにいたのか。――――そう感じてしまうくらいには、僕の記憶の中の写真は、血塗られていて、ピントがあっていなくて、残酷だった。
突っこんでくる騎士たち。
同時に僕に襲い来る、いくつもの魔法。
仲間が展開してくれた土の壁が僕の視界を塞ぐ。
その表面で魔法がいくつも炸裂する。
騎士団は最初の位置から半分くらいの距離を詰めてきていた。
そこで、『革命軍』の反撃が始まった。
始まってしまえば、一方通行だった。
まるで虐殺だった。
僕の両脇をおびただしい数の魔法がかすめ飛んでいく。
『招集での魔法は『土の7番』か『火の3番』を選択してください』
僕は自分の言葉を思い出す。
『マナコストあたりの威力が優秀ですから』
その通りだった。
びっくりするくらい優秀だった。
人間大の土の塊と炎の玉が緑のコートを地面に倒し、引きちぎり、焼きつくす。僕は気づく。『精霊言語』の詠唱を終えた瞬間に魔法は現実の力になる。冷酷すぎる現実の1つになる。岩に潰されれば、炎に焼きつくされれば、人は死ぬ。そういう、現実の1つに。
僕は魔法を思いつかない。
単位魔法を決められない。
頭が回らなかった。
僕はゆっくりと首を横に回したらしい。視界が動いた。
プナンプさんも、ナイアさんも、ヴィヴィさんも。
メルチータさんも、ガーツさんも、グラムさんも。
みんな『精霊言語』を唱えている。
淡々と。
無表情の瞳で、バタバタと倒れていく緑の騎士たちを見ている。
映画で見たことのある、機銃を掃射する兵士みたいだ。
騎士たちが殲滅されるのも時間の問題、と僕は思った。
けれど、目標を1つに絞った騎士たちは、強かった。
まるで植物を刈り取るように次々と味方が倒されていく中、矢のような隊形となった騎士たちの先頭が――ついに、気絶していた騎士団長にまでたどり着いた。
「賢者様!」「タカハ!」
「お下がりください!」
「ここは我らが!」
僕は魔法使いたちによって、ずい、と隊列の後方に引きこまれる。
「プロパッ!!」
僕は叫んでいた。
「プロパぁ――ッ!」
僕の隣で、シリアが泣き叫んでいる。
「もう終わりなんだよ! プロパ!」
リュクスも叫んでいた。
緑のコートの軍団の中から、一瞬だけ、名手の放った矢のように僕を貫いた青い視線があった。けれど、ほんとうに一瞬で、それがプロパの目だったのかどうか、僕には分からなかった。
代わりに、プロパの声が聞こえた。
「防御詠唱――ッ!!」
騎士団の動きは整然としていた。彼らは一糸乱れること無く土の壁と覆い尽くす霧を同時に展開した。霧が、僕たちをも包みこむ。視界が遮られ、『革命軍』に一瞬の動揺が走る。
「風の2番だ! 吹きとばせ!」とガーツさんの号令。
それを受けた『革命軍』の動きも、鋭い刀のようだった。
ガーツさんの命令に従って、一斉に突き進む突風が放たれる。数えきれない突風が一瞬で霧を吹き散らかしていく。領都の城門の輪郭があらわになる。その根元で――――
転移座が、緑色の淡い光を放っていた。
「…………」
足元がふらつく騎士団長を支えながら、プロパは僕を見ている。
無言で、ただ、見ている。
「プロパ! やめてくれ!」と僕は叫んだ。
不思議な感覚だった。衝動のままに行動する自分を、僕は自分の斜め後ろから見ているような、そんな感覚。
僕はなにを言ってる……?
やめる? なにを……?
――――もう、僕とプロパは、真逆を向いているというのに。
「タカハ」
プロパは言った。
その声は、戦場にできた一瞬の空白の中、よく通った。
「オレはよく分かったよ。オレは、ふつうの魔法使いで、ふつうの騎士なんだ。それ以上でも、それ以下でも、ないんだ」
その言葉に込められた思いを、僕は直感する。
だって、僕は、ふつうの魔法使いじゃない。
僕のこの力は、反則だ。
神が授けた魔法への絶対的な適性。
僕はそれを振るっているだけにすぎない。
「――――お前みたいには、なれない」
プロパは感情を決して表に出さないように唇を強く結んでいる。
「だから、そこには居られない。オレはなにも持ってない、から」
…………そうか、と深いところで僕が言った。
プロパは前世の僕と同じだ。
人間は誰でも数字を持っている。
その人を表現する、たくさんの数字。
5点が平均で、10点が満点。つまりロールプレイングゲームのステータスやスキルポイントと一緒だ。この分野で、あなたは1です。でも、そこの彼は7です。そういうのが、決まっている。もちろん、その数字は人生の中で増やすことも減らすことも出来る。
けれど、スタートが3の は、10の の隣に立つことだって難しくて――――
「シリア。オレ――――」
聞き取れたプロパの言葉はそれが最後だった。
僕たちの陣地に、石の塊が、火の玉が、一斉に出現する。
統率された狼の群れのように、現実となった凶悪な魔法が騎士団に襲いかかる。
緑のコートの集団を、一切の慈悲すら見せず、完全に押しつぶす。
その、寸前。
転移座が起動した。
淡い燐光が半分以下に減った騎士たちを包みこみ、その眩しさが彼らの輪郭をかき消していく。魔法はその光にわずかに届かなかった。光が収束したその向こうにある城門に次々と着弾する。石組みの城門が悲鳴をあげ、美しいムーンホーク城の一部だった城門は、ついに倒壊した。その瓦礫が騎士たちの遺体を覆い隠していく。城門の崩壊はしばらく続いて、僕はそれを呆然と見ていた。
城門が崩れ去る。
そうして見えるのは、美しく翼を広げた、ムーンホーク城。
そして、テラスで一部始終を見ているライモン公爵。
……ああ。そうか。
思い出す。
僕の仕事はまだ終わってないんだ。
「――――宣言を!」と僕は叫ぶ。
ライモン公爵は一瞬だけ目を閉じて、すぐに開けた。彼は魔法使いたちを見る。領都に詰めかけたムーンホーク領の魔法使いたちを。
ムーンホーク領の支配者は、厳かな口調で言った。
「ムーンホーク領に生きる、すべての奴隷を、奴隷の身分から解放する」
ライモン公爵は両手を大きく広げた。
「魔法使いタカハ=ユークスを私の養子として迎えるとともに、ただちに公爵の称号を継承する! 今日、この瞬間より、『暁の賢者』は四大公爵の1人だ! ムーンホーク領は彼が支配する!」
僕は『音声拡大』の魔法を、自らの喉にかけた。
『ここは、もう、ムーンホーク領ではありません』
ライモン前公爵は驚いたように僕に目を向ける。
打ちのめされたライモンの表情が、ゆっくりと変化していく。彼は新しいものを見つけた興奮に目をキラキラとさせて――不気味な笑みを浮かべた。
「おおおおおッ!」と魔法使いの1人が叫んだ。それが引き金だった。魔法使いたちの声が、領都を揺るがす。その音量は大きすぎて、うわんうわんとうねって聞こえた。
――――その日、『魔法の国』の歴史に新しい1ページが刻まれた。
魔法使いたちの反乱とムーンホーク領都の占拠。
わずか1ヶ月でなされたその革命を、だれもがこう呼んだ。
『暁の革命』と。
「……僕は、後見人にライモン=ファレン=ディード前公爵を指名します」
魔法使いたちに向かって、声を張る。
彼らが静まり返って僕の言葉を聞いてくれる。
その気配と視線を感じながら、僕は呼吸している。
やることは山のようにある。
考えることは領都の瓦礫よりも多く転がっているだろう。
戦い続けなければならないかもしれない。
もう、泣き言は許されないのかもしれない。
けれど、僕は知っている。
僕は1人じゃない。
僕に賛同してくれる何千、何万の魔法使いたちが、ここに居る。
「『革命軍』の代表として、新しい公爵として、1人の魔法使いとして――――」
僕は彼らに向かって言った。
「僕は、今日、ここに『ムーンホーク独立領』の建国を宣言します」
――――――――騎士団編、了




