第128話: 「――――ただし、条件がある」と公爵は言う。
「そうだ。たしかに君には力がある!」
瞬間、ライモン公爵はギラリと笑った。
まるで、僕の言葉を待ち構えていたかのように。
「いいだろう! 君たちの提案を、呑む! 全面的に受け入れよう! ムーンホーク領は魔法奴隷の望む場所へ姿を変える! この領の支配者たるおれが、そのすべてに全力で協力しよう! 王族のこの血を、君たちは好きに使うがいい! おれの血は、君たちの自由だ!」
嘘だ、と思ってしまうほどに、あまりに、あっけなかった。
革命は達成された。
僕が息を吐き出そうした、その瞬間。
ライモン公爵はゆっくりと言った。
「――――ただし、条件がある」
ライモン公爵は、小さな瞳に貪欲な光を宿していた。
魔法使いの目だった。
「ムーンホーク領は変わる。この緑の領は強大な力を手に入れるだろう。これだけの魔法使いたちが、言葉としての魔法を知った。……だからこそ、おれは、証明してもらわなければならない」
証明…………?
「『暁の賢者』が、ムーンホーク領でもっとも優れた魔法使いであるということを!」
なにを。
言ってる……?
「ロイダート!」
閣下は鋭く名を呼んだ。
公爵の剣、ムーンホーク領の管理者――騎士団、その長。
騎士団長の名を。
「――――は」
僕と30歩の距離を隔てて立っている騎士団長は、ムーンホーク城を振り仰ぐと、機械じかけの人形のように完ぺきな騎士団の礼で、公爵の呼びかけに答えた。その仕草に合わせて、騎士団長がコートに背負った巨大な鷹の刺繍が、生きているかのように躍動する。
「……騎士団は降伏したんだな?」
「はっ。すべて私の不徳の致す結果です。どうかこの場に残った義のある騎士たちに、寛大なるお心を――」
「お前は?」
閣下はロイダート団長の懇願を踏みつぶすように、そう言った。
その瞬間。
ようやく、僕はライモン公爵の意図を理解した。
「公爵、あなたは――ッ!!」
「騎士は公爵の権力の代行者だ。先代の時代から騎士団に尽くし続けてくれたお前は、公爵の権利そのものだ」
「閣下……」
「そんなお前は、ロイダート=ボウという1人の騎士は、降伏したのか?」
騎士団長の沈黙は、長くなかった。
「…………閣下、重ねてお願いを申し上げます」
「うん。言え」
「どうかこの場に残った義のある騎士たちに、寛大なお心を」
「もちろんだ。俺にできる精一杯のことをしよう」
「ありがたいお言葉です。それを聞いて、安心しました」
ばさり、と緑のコートが翻る。それが背負っていた巨大な金色の鷹は見えなくなった。代わりに、どんな鷹よりも鋭い金色の瞳が僕を貫く。団長の全身に闘気がみなぎっていく。その立ち姿こそがライモン公爵の言葉に対する騎士団長の返事だった。
ライモン公爵は淡々とした口調で言い切った。
「最後の剣に命じる。決闘をもって、かつての正騎士タカハを打ち倒せ」
「…………」
僕は、絶句していた。
視界の真ん中にあるそれが信じられなかった。
勝っても負けても死が待つ命令を下しておきながら、ライモン公爵は笑っていた。獲物を前にした野獣のような、ギラついた笑みだった。どうして、この人は笑えるんだ……?
内心に問いかけてから、僕は舌打ちをする。
簡単な問題だった。四則演算のように繰り返した基礎問題だ。最初から最後まで、あの人の行動原理は一貫している。それを僕はよく知っていた。
面白い、から。
それだけ。
こめかみのあたりがぶわりと燃え上がる。
死ぬための命令を待ち望んでいた団長は、ライモン公爵がなにも言わなければ、戦う必要なんてこれっぽっちもなかった。
なのに、今は違う。
騎士団長は、その存在意義をかけて戦わなければならない。
一方の僕は、もちろん無視することもできる。『革命軍』の総力でぶつかれば、騎士団も、公爵も、難なく制圧できるだろう。
けれど、『暁の賢者』が逃げた、という事実は残る。
魔法の力を強調しておきながら、この決闘を逃げた――となれば、僕の説得力の1つが消えるだろう。僕のここまでの道のりは、すべて、純粋に、魔法の実力によって保障されてきたからだ。
僕は公爵を睨みつける。ライモン公爵はその視線に気付いて、怯んだような表情をしてなにかを言った。『音声拡大』の魔法は途切れている。そのせいで音は聞こえなかった。けれど、口の動きで、僕はライモン公爵が何を言ったのか、よく、分かった。
「――――ゾクゾクするね」
感情が振り切れそうになる。
僕はさっさと魔法を公爵に撃ちこまなかったことを強く後悔した。
……それは、後だ。
鎮める。沈める。静める。
怒りを僕は忘却する。
僕は騎士団長を見る。
30歩の距離。
ミスリル武器を抜き放ったのは、同時だった。
僕の手にあるのは、一般的な長さより少し短い、直剣型。
団長の手にあるのは、団長クラス専属の鍛冶師が叩きあげた、レイピア型。
僕たちはぎらつく白銀の刃を揺らしながら、1歩1歩近づいていく。
30歩の距離はまたたく間に20歩になり、10歩になり、5歩、2歩――――そこで、僕たちは互いの剣を軽く触れ合わせる。硬質な手ごたえと、澄んだ金属音。
「……」
「……」
言葉は、ない。
妖精種の団長は、額が少し後退していて、白すぎる肌の色と相まって、どこか不気味な印象を受ける。けれど、緑のコートの下にはしなやかな筋肉が隠されている。
団長の表情は穏やかで、金色の理性的な瞳は哀しいほどに透き通っていた。この人は、平静で、冷徹で、理性的な瞳を、この状況でしか取り戻せなかったのかもしれない。
僕たちは互いに背を向け、ゆっくりと10歩を歩く。
開いた距離は合計20歩。
ざり、と振り返った足元で、靴と地面がこすれる音が響く。
徐々に心臓がペースをあげていく。
僕は、1人で、騎士団長を打ち倒さなくてはいけない。
その事実が心臓を走らせる。
柄を握る手のひらに汗がにじむ。
団長が得意とする魔法の武器への付与は風魔法のうちの『雷撃系』。かつ、優れた水魔法の使い手でもある。純粋な『風系』は『原則』がある以上、致命的にはならないはず。けれど、『雷撃系』への対処を怠った瞬間に、すぐにでもやられるだろう。加えて、王都の近衛隊で脈々と受け継がれているレイピアの技法を団長は習得している。対する僕は直剣の扱いかたのうち、いくつかの基本の型を知っているだけだ。
武術の力量では勝負にならない。
魔法で、押しつぶす。
僕には、それしかない。
きん、とかすかな金属音がした。20歩の距離を隔てて騎士団長がレイピアの剣先を地面につけている。どうやらタイミングは僕にくれるらしい。
僕がこのミスリル剣を地面に触れさせれば、決闘が始まる。
――――この人と初めて会ったのは、9歳のときだった。
魔法を失ったゲルフが送り出された絶望的な戦場に僕を行かせてくれたのが、団長だった。あの日、団長は絶望的な状況にある奴隷たちを指して、こう言った。
『…………切り捨てたが。それがどうした?』
もしかしたら、あのときから、こうなる運命は決まっていたのかもしれない。
僕は奴隷と呼ばれる彼らも人間だと思っている。彼らの存在がムーンホーク領を支えているのだと思っている。
けれど、団長は、奴隷を奴隷としか見ていなかった。騎士団の存在がムーンホーク領を支えてきたのだと信じていた。
致命的なすれ違いだ。
でも、僕も、団長も、最後まで自分を曲げなかった。
だから僕と団長は、こうして向かい合っている。
記憶が濁流のように押し寄せてくる。
『……期待している。今度は従騎士としてな』
『だが、従騎士タカハ。力ない者の言葉をだれが聞く?』
『ゆめゆめ忘れるな。……彼らは魔法を使うぞ』
『招集を拒めば、国が死ぬ』
『――――吐け。全部だ』
『王都に行かないか』
『その任務を、従騎士タカハと従騎士プロパに与える』
『公爵閣下から与えられた騎士姓はユークス。タカハ=ユークス卿だ』
『だけではない!』
『それが分かっていて、なぜだッ!! 騎士タカハ――――ッ!!』
次々と現れた黄金の瞳のすべてと目を合わせ、僕は、その記憶を意識から追い出した。
小さく息を吸い込む。
――――僕はミスリル剣の剣先を地面に触れさせた。




