第127話:「ここが、最後の分岐点です」と僕は問いかける。
「…………笑うがいい」と目の前に立つ人物が言った。
その声に僕は、ぞっとした。
首筋のあたりでぶわりと鳥肌が立ち、背筋が凍えた。
1ヶ月ぶりに見た騎士団長の目は、虚ろだった。
理性も、知性も、感情も、なに1つ、その瞳からは分からない。
まるで骸骨だ。骸骨になった騎士団長は白っぽい骨格だけになっている。金色の目があった部分には、ぽっかりと開いた昏い穴があるはずで――――
僕は1度、意識して目を閉じる。
開ける。
騎士団長は騎士団長だ。
黄金の瞳と、白すぎる肌を持つ、冷徹なロイダート団長。
そして、団長と向かい合う僕はもう正騎士タカハではない。
『暁の賢者』という仰々しい2つ名が、僕の全部だ。
――――市民たちの降伏はさらに増加を続け、『革命軍』はほとんど領都を占領した。この時点で、革命は達成された、と言っていいはずだ。僕たちはじわじわと大通りを進み、ムーンホーク城へ進んだ。
その城門で、『革命軍』は騎士団と向かい合っている。
にらみ合い、と言えるようなものではない。
人数の比は数十倍だったからだ。
「……反乱が拡大していくに従って、従騎士の8割、正騎士の5割が任務を放棄し、ミッドクロウ領やサンベアー領へ亡命した。……私は、愚かな団長だよ。逃げ出す騎士がいることなど、想像することすらできなかったのだから」
僕は自分の耳を疑った。
従騎士の8割、正騎士の5割。
軍隊で言えば、全滅だ。立て直しようがないほどの壊滅だった。
指揮系統がズタボロになるのも、騎士がそれぞれ勝手に動くのも、道理だ。プロパに従騎士が5人しか与えられないのも、手柄を求めた騎士エリデが17人隊だけで『革命軍』に夜襲をかけてきたのも、仕方がない。
僕たちが戦いを始めたその瞬間から、騎士団は崩壊していたんだ。
肩の力が抜けた。なんだよ。それ。
僕の内心に乾いた笑いが広がる。
同時に――――苦いものを噛んでしまったような気分になった。
ムーンホーク城を取り囲む城壁に埋めこまれた城門は、開かれている。
その城門を挟んで、僕と団長は向かい合っている。
30歩の距離。
……団長の向こうにいる騎士たちの間には悲痛な雰囲気が満ちていた。その数はびっくりするくらいに減っていた。100人は届かないだろう。
もう、彼らにこの状況を覆す力は残されていない。
ただ悲痛な雰囲気に身を任せることしか、彼らには許されていないのだ。
僕にそんなことを思う権利はないけれど――――彼らのその様は、どうしようもなく、哀れだった。
「……公爵閣下の剣として、『魔法の国』の軍隊の代理として、騎士団は存在していた。私は志を同じくする騎士たちと、任務についていた。疑問を抱くことなど、なかった。ただ誇らしく、ただ自信を持って、私はこの道を進んできた」
「……」
「…………私は間違っていたのだな」
その言葉を聞いて、僕の心の中は、万華鏡のように次々と色を変える。
最初の一瞬は、同情だった。
騎士団長は知らなかったのかもしれない。魔法奴隷の出身の団長がどういう人生を歩いてきたのかは分からないけれど、この人は騎士の権力の大きさに気付いていなかったのかもしれない。だから、市民出身の騎士たちの専横を見抜けなかった――――
次の一瞬は、猛烈な怒りだった。
なぜ『間違っていた』などと平然と言えるのか。魔法奴隷を兵士として戦場に送り出し続けてきた団長にだけは、言ってほしくなかった。『魔法の国』のためだと信じて奴隷たちを絶望的な戦場に送り続けた張本人の懺悔なんて、僕は、聞きたくもない。
「騎士団は『革命軍』に――――全面降伏する」
僕は、燃え尽きた灰のようなその言葉に、返事をしない。
「公爵閣下にお話があります。『出てきていただきたい』とお伝えください」
騎士団長の肩が、震える。『公爵の剣』である騎士団の存在を無視した僕の言葉は、最大級の侮辱だ。
すべてを投げ出してしまったような団長を、僕は淡々と見つめ返す。
「――――その必要はないよ」
声が、上から降ってきた。
朗々と響く、太い声だった。
あの人……こんな貴族っぽい声も出せるのか、と僕は思う。
燃えカスになった騎士団と『革命軍』を、ムーンホーク城の最上階のテラスから見下ろす人影がある。赤いマントをはためかせ、宝石をしつらえた杖を抱く人影は、太っている。太りすぎている。ちょこんと頭にのった王冠は冗談みたいだ。
ライモン=ファレン=ディード四大公爵。
ムーンホーク領の支配者。
彼は、高いところから僕たちを見下ろしている。
ライモン公爵は呪文を詠唱する。
『革命軍』の全員が身構えたけれど、なにも起こらない。
『状況はおおよそ知っている』
公爵の声は『音声拡大』の魔法によって、ムーンホーク城の周辺に響き渡った。
「さて。『革命軍』は、おれに何を望む?」
メルチータさんが僕のすぐ横から、『音声拡大』の魔法をかけてくれた。
「閣下に願うことはただ1つです」
僕は大砲の音のような咳ばらいをして、ライモン公爵の目をまっすぐに見て、言った。
「すべての奴隷の解放を。
……僕たちはもう、あなたの奴隷ではない」
騎士団長が大きく目を見開く。
僕の背後で、数千人の魔法使いたちがライモン公爵を見上げている。
全員が固唾を呑んで、ライモン公爵の言葉を待った。
「うーん」
ライモン公爵は、算数の問題を間違えてしまったかのように、首をひねっている。
「いや。残念だけど――君たちは奴隷だよね?」
僕は絶句する。
この人は状況が分かっていないのか。
数千人の魔法使いたちがムーンホーク城を包囲しているのに――――
「それを言ったら死ぬかもしれないって? 分かってるよ。当たり前だろ。おれだってそこまでバカじゃない。けど、おれは四大公爵だ。ムーンホーク領の全権を国王陛下から任されている。そして、なにより、『魔法の国』は戦争状態にある」
ライモン公爵は、ふだんの巫山戯た雰囲気が嘘のように、淡々と言葉を続けた。
「君たちが奴隷であること、騎士団と文官がそれを管理していること。市民たちが資金力や知識でその基盤を支えていること。――――その全部は、ムーンホーク領が国王陛下の要請に応じて戦力を前線に送り出すために必要なことだ」
はぁ、とライモン公爵は呆れたようなため息を吐き出した。
「今はいいよ。おれを殺したいほど憎んでる人も居るんだろうね。で、その後は? どうするのさ。王都を相手取るつもり? 何倍の戦力がいるのか、計算した?」
ライモン公爵は、ただ、淡々と。
僕を見下ろしている。
「答えは9倍ね。ムーンホーク領は面積の割に人口が少ないから。『魔法の国』の10分の1しか人がいないんだ。おれの発言権もそのぶんショボいんだけど、まあ、それはどうでもよくてさ」
ライモン公爵は自分の肩を自分でもみほぐした。
「…………で? どうしたいの?
奴隷、やめるの?
奴隷、続けるの?」
だれもが、言葉を失った。
騎士たちも、魔法使いたちも、息を呑みこんでいる。
身を切り裂かれるような沈黙の底で、僕は、息を吸い込む。
振り返る。
「――――みなさん」
ところどころ建物が崩壊した領都を背景に。
奴隷と呼ばれ続けた仲間たちが並んでいる。
例外なく、彼らは僕を見ていた。
『革命軍』を束ねてくれたガーツさん。
参謀として活躍してくれたメルチータさんとグラムさん。
閉ざされていた城門を開けてくれたエクレアと肉体奴隷たち。
『教科書』を現実のものにしてくれた3人の偉大な魔法使い。
こっ恥ずかしい僕の歌を広めてくれたリュクス。
現実に立ち向かう勇気を見せつけてくれたシリア。
真っすぐな瞳で僕を見ていてくれる、ラフィア。
その向こうでは、出会ったことすらない魔法奴隷たちが、領都の通りという通りを埋め尽くしている。
無数の瞳が、僕を見ている。
「ここが、最後の分岐点です。
奴隷として生きるか。
革命を成すか。
――――革命を願うならば、杖を、剣を、掲げてください」
僕を見つめる無数の魔法使いの目は、でも、僕を試しているわけじゃない。
みんなが『暁の賢者』に役割を与えてきた。
それはライモン公爵の試すような問いかけの中でも変わらない。
みんな、ここに居る。
僕1人でここまで来ることなんてできなかった。魔法奴隷たちが隣に並んで一緒に呪文を詠唱してくれたから、肉体奴隷たちが城門を開け、爆弾を市民たちに投げつけてくれたから、僕は今、ここにいる。
そして――――彼らは一斉に右手の武器を掲げた。
ただ粛々と。
沈黙したまま。
まっすぐに僕を見て。
僕の役割は始まったばかりなのだ。
僕はもう1度、ライモン公爵を見上げる。
「奴隷が騎士に不満を持つのは当然だ。『人の上に人が居る。なぜ?』――そう問いかければ、10人に9人は『おや?』って思うだろう。『人の上に人が居るのはおかしい』『俺たちの方が人数が多いぞ』『魔法は知識だ!』『魔法は力なんだ!』……ってね」
淡々と、四大公爵の正論が返ってくる。
「それを上手に焚きつけて、こんなに大きな炎にした。すごい。タカハ、お前はやっぱりすごいよ。ファンなんだ、おれは」
ライモン公爵は拍手をした。
ぱち、ぱち、ぱち。
絶妙にいやみったらしい、拍手だった。
「けど、それは炎の燃やし方が上手かっただけじゃないの?」
「ですが――――あなたの騎士団も、あなたの市民も、この炎を消すことができなかった」
僕は笑う。
「そうでしょう? ライモン公爵閣下?」
笑って、ずっと持ち歩いていた書状を取り出した。
ライモン公爵の目が細められる。
「これは『市民』階級の権利を定めた王法です。こう書かれている。『魔法の国は奴隷以外の民を例外なく『市民』と定め、正当な対価のもとに招集の義務を免除し、その生命の価値を保証する』と。
つまりこういうことです。
あなたが僕たちを奴隷でないと認めた瞬間に――僕たちは全員、市民になる。
招集の義務を免除され、生命の価値を保証された、『魔法の国』の国民へと」
「――――な」
ライモン公爵の指摘などすべて織り込み済みだ。
先人たちが練り上げたこの計画の核は、ここ17年のうちに新しく生み出された『市民』という身分階級にある。
奴隷より一段優れるその身分には奴隷から解放されることで上ることができる。
そして、それは――四大公爵の言葉によって保証される。
僕たちは『魔法の国』の敵にはならない。
この革命の目的は、奴隷が奴隷でなくなることだけだ。
「このムーンホークから奴隷が消え去ったのなら、騎士団による管理も貴族による庇護も、必要ではなくなります。僕たちは僕たちの意思で魔法を鍛え、僕たちの意思で『魔法の国』を守るための戦場へ向かう」
「…………」
「僕たちには――――そのための力がある」
瞬間。
ライモン公爵はギラリと笑った。
まるで、僕のその言葉を、待ち構えていたかのように。
「そうだ。たしかに君たちには力がある――! 強靭な信念と意思の力がある!」
公爵は、歌うように言う。
「いいだろう! 君たちの提案を、呑む! 全面的に受け入れよう! ムーンホーク領は魔法奴隷の望む場所へ姿を変える! この領の支配者たるおれが、そのすべてに全力で協力しよう! 王族のこの血を、君たちは好きに使うがいい! 俺の血は、君たちの自由だ!」
嘘だ、と思ってしまうほどに、あまりに、あっけなかった。
革命は達成された。
僕が息を吐き出そうした、その瞬間。
ライモン公爵はゆっくりと言った。
「――――ただし、条件がある」




