第123話:「味方、ではないでしょうか」と僕は言う。
――――第13月、13日目。
薄暗い早朝だった。
まだ朝日も姿を見せず、空には星すら瞬いている時間。
僕たち北東域の『革命軍』は、ムーンホーク領都の真正面に布陣した。
総勢は357人。
うち、魔法使いが339人で、肉体奴隷たちも18人参加していた。彼らは陣地の設営や補給などで十二分に活躍してもらっている。僕は未来の方向性が少しだけ見えたような気がした。けれど、ここから先は魔法使いの仕事になるだろう。
僕は陣地の正面で腕を組み、固く閉ざされた領都の正門を見上げている。
妨害もなにもなかった。
眠りについた巨人のように、領都の正門はそこにある。
僕の右肩には、緑の布が乗っている。騎士団のコートと比べればごわごわしている上に、重い。肌に触れた部分は痒くなるし、染めかただって雑な、1枚の布。
それは『革命軍』の証だ。
僕は手を伸ばして布に触れる。
そのときだった。
「報告――ッ!」
指揮用の大きな天幕に、騎乗した偵察班の1人が走り戻ってきた。
僕は踵を返して天幕へ向かう。天幕の中ではガーツさんとグラムさんが9人に増えた部隊長たちと領都攻略の作戦を練っているところだった。偵察班の中年妖精種に続いて、僕は天幕の中へ。
「どうした?」とガーツさん。
両足を揃えた偵察班員が大声で答えた。「はっ! 南西より城壁を大きく回って近づく部隊があります! 規模も大きかったです! 暗いため詳細をつかみきれていませんが、迎撃の準備をお願いします!」
閉ざされた領都の外。
南西から接近する部隊、か。
「……」ガーツさんが含みのある視線を僕に向けている。
「……ええと……?」と偵察班の妖精種が首をかしげた。
僕は言った。「味方、ではないでしょうか」
「…………あ!」
「ガーツさん、念のため、3隊を側面に展開してください。グラムさん、ここをお願いします」
「応よ」「は、はいっ」
「偵察班も3班を回しましょう。最悪、こちらから名乗っても構いませんから」
「了解しましたッ!」
偵察班の妖精種が慌ただしく天幕を出て行く。
――
南西から接近していたのが僕の読み通り南西域の『革命軍』で、それを率いているのが犬人族の元正騎士、リュクスだと分かったのは、それから10分もしないうちだった。
300名近い魔法使いたちとの合流も、すぐに行われた。
指揮系統を編成し直すガーツさんとグラムさんの悲鳴が響く。
そんな天幕の中の様相を尻目に。
「久しぶり。てか…………なに持ってんだよ」
僕は天幕の外で、僕はジトっとした視線をリュクスに向けている。
かがり火が1月ぶりのリュクスを照らしあげていた。
犬人族のリュクスは、黒い長髪をきっちりとセットしている。ぱたぱたと揺れる尻尾が向こうに透けて見えるような笑顔を浮かべるリュクスは……イケメンだ。
今日の彼は自分の見た目を最大限に有効活用していた。
緑の飾り紐で髪の細い束を作り、それを幾筋も垂らしている。首には洒落たネックレス。胸元が深く開いているゆったりしたティーガは、単一の布ではなくて、複数の色の布をデザイン重視で組み合わせてあった。わざわざタイツのようなものをはいて、靴は実用性皆無なぐらいに先端がとんがっている。
そして、その手には、リュートのような弦楽器があった。
ぽろろん、とリュクスはそれをかき鳴らす。
リュクスはなにかを待つように僕を見上げていた。
……吟遊詩人か、とは死んでも言ってやらない。
「でも、ばっちり似合ってるでしょ?」とリュクスが言う。
「……そういうの自分で言っちゃう?」
「言っちゃう。……あ、みんなー、紹介するよ。こちらが『暁の賢者』様」
リュクスが少しだけ身を引いた。
僕の肩がびくりと震えた。
――――美女の集団が、そこにいた。
「きゃー!」「はじめましてー!」「お若い!」「かわいいー!」「頭良さそう……!」「じゅるり……」「素敵ー!」「こっち向いてー!」
僕はリュクスの向こうから響いた黄色い声に圧倒される。苦笑いを返すので精一杯だった。僕は10人くらいいる彼女たちのうち2人くらいに視線を縫いつけられる。……くっ。くそ。なんだあの猫人族と人間。かわいすぎる……。
「再会を記念して、『暁の賢者』の歌、2番、いきまーす!」
「ええええっ!?」
リュクスはにやりと笑う。「タカハが賢者なら、俺は楽士さ」
ええと。
それ、コスプレじゃ、なかったのか……。
いろいろに疲れ果てた僕の目の前で、楽士様はリュートを奏ではじめた。
比較的覚えやすいメロディに乗せて、誇大に誇大を重ねた僕の活躍が歌われる。予想通りというべきか、リュクスは歌が上手だった。どこで習得したのか知らないけれどテクニックのようなものもあるし、なにより感情が乗っている。……まあ、歌詞が恥ずかしすぎて、僕はそれどころではなかったのだけれど。
「ずっと、その歌を……?」
「南西域でばっちり広めといた」
僕は頭を抱える。
「集会所とか酒場を見かけたそばから歌ったからなあ。おかげで最後のほうは声が枯れたよ。南西域だったら、子どもたちまでみんな知ってると思う」
「うわあ……」
「賢者さまがほんとうの魔法を教えてくれた、ってさ」
「…………」
顔を上げる。
リュクスは笑っている。
笑いながら、言った。
「この一月、半端なく面白かったよ。ラフィアちゃんと逃げるときもスリリングだったし、歌を作ったあともずっと。すっげードキドキして、ゾクゾクした。だって、俺の作った歌がたくさんの人を動かしたんだ。魔法の教科書がみんなを勇気づけていった。ゲルフ様の祈りが、タカハの考えたことが、奴隷だった人たちを束ねていって――俺、その手ごたえを全身で感じてた。ずっと。ずっとだ。……なあ、タカハ」
「うん」
「俺たち、もしかして歴史を作っちゃってるんじゃない?」
僕はようやく、リュクスの笑みの正体に気付いた。
「たぶん、ど真ん中だね。太字で」
「ははっ。サイコーだぜ! タカハ!」
リュクスは僕の首に腕を絡めてくる。
僕はすぐ近くのリュクスの目を見て言った。
「――――でも、まだ。歴史の本の、たったの一行だと思うんだ」
「お?」
「僕は埋め尽くすつもりだよ。この時代のページを、僕たちの行動で埋め尽くすんだ。魔法の国の人たちのだれもが、僕とリュクスの名前を知っている――そういう状況にしてみせる」
その瞬間のリュクスの表情を、僕は忘れないだろう。
リュクスらしからぬ、無防備で、少し間の抜けた表情だったのだ。
「……………………くっそぉ!」
リュクスは笑っているのに悔しそう、という器用な状態になった。感情のままに地面を踏んでいる。美女軍団も少し驚いていた。
「そこまで言うならさ。やってやろうじゃん!」
「……言ったでしょ? 後悔はさせない、って」
リュクスは不敵な笑みを浮かべる。幻想のようなその笑顔をすぐに消して、だれもが見惚れるような優美なしぐさで僕にお辞儀をする。
切れ長の瞳が、僕を試すように見上げていた。
「――――どこまでもお供します。賢者様」
――
続いて、南東方向から大きな部隊が接近しているという報告が入った。
すぐにその正体が判明する。
南東域の『革命軍』。
『南域の大乱』の起点になった南東域の『革命軍』は、間違いなく4つの小域で最大規模となる500人にも上っていた。
それを束ねるのは、『緑の学士』と呼ばれる、妖精種の女性なのだという。
彼女は、白い馬に乗り、長い杖を持っている。深い森の色のローブと、同じ色のベレー帽のような帽子が、『緑』の由来だろう。
凛と遠くを見る緑の瞳は、孤高。
遠くから近づいてくるメルチータさんは、すごく……サマになっていた。
正直、僕は見惚れていた。
「タカハ君」
「……お久しぶりです、『緑の学士』様」と僕は言う。
「もう。からかわないで」
頬を膨らませるこどもっぽい仕草や、「あわわっ」と落ちるように馬から下りる仕草に目をつぶれば完ぺきに革命の聖女って感じなんだけど……。
「メルチータさんも、作戦会議に加わってもらえますか」
「もちろんだよ。……ここが正念場だね、タカハ君」
メルチータさんは、ぽん、と僕の肩を叩くと、司令部のある天幕の方へ歩いて行った。魔法使いたちが頭を下げ、メルチータさんを迎え入れる。彼らと談笑した後、領都の地図に視線を落としたときには、メルチータさんの視線は真剣そのものに変わっていた。
……あれ?
……キャラ、変わってない?
「タカハさん」と穏やかな声がかけられたのはそのときだった。
僕は振り返る。犬人族の耳まで白髪になった老魔女が、赤みがかった茶色の瞳で僕を見上げている。目尻はふわりと垂れ、笑顔も優しい。
「ヴィヴィさん、お疲れさまです」
『白光の繰り手』という異名を持つ老魔女は、『革命軍』の精鋭を率い、騎士団の妨害に駆け回ってもらった。リュクスやメルチータさんが奴隷たちを束ね、ここにたどり着くことができたのは、ヴィヴィさんが率いる『軍団』時代からの魔法使いたちおかげだろう。それに、なにを隠そう、僕が広めた教科書のうち、水魔法の項目を執筆してくれたその人だ。
「教科書、ありがとうございました。ヴィヴィさんが読みやすく書いてくれたから、こんなにも広まったのだと思います」
「いいえ」
ヴィヴィさんはゆっくりと首を振る。
「なによりもあなたの力ですよ、タカハさん。正騎士になったあなたが本当に上手に立ちまわったから、教科書は広まったの。村の魔法使いたちに心を開かせて、本を手渡せる正騎士なんて、魔法の国を見たってタカハさん1人しかいないって、私は思うから」
「……ありがとうございます」
「褒めすぎたかしら」とヴィヴィさんはいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「ええ。褒めすぎです」
「謙虚なのね。盟主様なんだから、もう少し自信を持ってくださいな」
「……」
若くは、ない。それに、自信を持つのも難しい。
僕の手柄……?
それは、たぶん、違う。
「……ヴィヴィさん」と僕は言った。
「なにかしら?」
僕には、伝えなければならないことがある。
『白光』の2つ名をもつヴィヴィさんに。
「ピータ村の、ソフィばあちゃんは」
「……」
「ここまで来る途中で、僕を庇って命を落としました」
「……………………そう」
赤みがかった茶色の瞳にかげが落ちる。『光』という言葉を2つ名にもつ、優秀な4人の魔女たちは、ついにヴィヴィさんだけになってしまったのだ。
「会えるかもしれないと思っていたのだけれど……仕方ないわね。思い出話はあっちの世界でしましょう」
ヴィヴィさんはすぐに優しい笑顔を取り戻した。
「ゲルフ様とソフィの分まで、私が見届けないとね。タカハさんの戦いを」
「……。よろしく、お願いします」
ヴィヴィさんの声には隠し切れない感情が少しだけ混じっていて、僕は自分の胸をかきむしりたい衝動に駆られた。
僕はその衝動を押しこめる。
ヴィヴィさんの後ろから、知っている顔が2つ続いた。
「数ヶ月見なかっただけなのに、なんというか、ご立派になられましたなあ」
目が細くてほわんとした雰囲気の人間が言う。
「いや。あれですよ、雰囲気、オーラっちゅうやつでしょうかな。それがこう目元のあたりからビンビンと出ておりますよ。うおっ、アチチッ。……あ。今のはですな。タカハさんの目元から出たオーラが私の右腕に直撃したときの反応をイメージしてみた、まあ、一種のジョークだったわけですが……いやあ、こいつはやられましたなあ」
彼は頭の後ろに手を当てて「失敗失敗」と呟いている。結構な歳で、残念ながらその言葉のほとんどに意味はないが、これでも『剛弾の大魔法使い』の異名をもつ、土魔法の第一人者だ。
名前はプナンプさん。
教科書の土魔法の項目を書いてもらった人だったりする。
「……勝手に……やられてて」
邪神だって凍てつかせるような冷たい口調でプナンプさんに言ったのは、紫色の珍しい髪をもつ妖精種の魔女。
教科書では上位属性の項目を担当してもらった『虚幻の繰り手』ナイアさんだ。
30歳くらいのナイアさんは基本的に他人に視線を合わせない。なんというか、すごく幸が薄そうな人なんだけれど、その魔法の実力は折り紙付きだ。
「ほっほっほ」と鷹揚に受け流すプナンプさん。
「……」無言のまま睨み続けるナイアさん。
こうして見ると、ナイアさんはプナンプさんにだけ心を許している、とも言える。その向こうではヴィヴィさんがニコニコと2人の様子を眺めている。
この3人が2つ名を持っているのは、招集された戦場で戦果を上げ続けたからだ。数えきれない戦場を駆け抜け、死闘と死線をいくつも乗り越え、そしてここに居る。
頼もしい限りだ。
僕は領都の正門を見上げる。




