第122話:「だから、見直したの。あんたのこと」とエルフの少女が言う。
転移座の向こうは、僕たちの野営地を見下ろせる高台だった。
騎士が2人、隠れていた。
僕たちを茂みから見上げ、怯えていた。
彼らを捕虜とし、『革命軍』は転移魔法のための一対の魔道具を手に入れた。
――――その夜は、悪夢が現実世界に乗り移ったかのような、苦しくて、悲痛で、永い夜だった。
僕は夜の野営地を、『暁の賢者』の顔をして、歩く。
僕はそうするだけでよかった。
魔法使いたちが僕に役割を与えた。葬式の施主であったり、「大丈夫ですよ」と言う医者であったり、懺悔を聞く神父であったり、友だちや家族の代理であったり。
僕はその役目を忠実にこなした。
役割をこなしていれば、いつか許されるような気がしていた。
「――――賢者様」
野営地の中を亡霊のように歩いていた僕は、声のほうを向いて、言葉を失う。
「今、いいですか」
まっすぐな口調で言ったのは、緑がかった髪をした人間、リィンくん。
その隣には痩せすぎた狼人族の少女。
ファロ村で最初に出会った『革命軍』4人組のうちの、2人だった。
2人。
「……大丈夫ですよ」と答える。
2人はぺこり、と頭を下げる。……どうして僕なんかに頭を下げるんだよ、と汚い言葉が胸の中に広がった。ガキっぽい反発だった。これから起こる、突きつけられる現実への、反発。
僕は2人に続く。
無言のまま、天幕の間を歩く。どこかの天幕からすすり泣くような声が聞こえた。
「パイクと、ボイルです」
立ち止まったその場所で、ガラのわるい犬人族の鉄砲玉と、大柄な妖精種は、なぜかリィン君に紹介されていた。知ってるよ。2人の顔だって覚えている。自分の感情に素直なパイクと、涙もろいボイル。ほら? あってるだろ?
おかしいのは、それだけではない。
どこにもいなかったのだ。
僕の目の前には、ただ、2本の丸太が立っている。
そこには、血のこびりついた緑の布が無造作にかけられていた。
地面は色が変わっている。ずいぶんと深いところまで掘り返したのだろう。
安らかに眠れるように。
彼らは――――死んだのだ。
「…………ドジな死に方でしたよ」
リィン君は乾いた笑いを吐き出した。
「かがり火が消されたあと、ボイルは考えもせずに明かりを打ち上げてしまって、岩の塊に潰されてしまったんです。あいつは前からちょっと考えが足りないところがあって……すぐに泣くし、やれやれ……。……パイクは、まあ、これも呆れちゃうような話なんですけど、野営地に忍びこんだ騎士に素手でケンカを挑んだんです。あと少しで勝てそうだったんだけど、剣を持った騎士のほうが1枚上手でした。惜しかったんだけどなあ……」
「~~♪」
狼人族の少女はヘッドバンギングではなく、ゆったりと身体を揺らしながら、聞いたことのないメロディーの鼻歌を歌っている。
「僕は」
言う。
「これから先、なにが起こっても」
2人が僕を見る。
「パイクと、ボイルのことを、忘れないから」
僕は丸太に向かって目を閉じ、手を合わせた。
この世界で一般的な『星の祈り』ではなかったけれど、リィン君も狼人族の彼女もなにも言わなかった。
「~~♪ ……~♪ ……~ッ。~……ッ」
後ろから聞こえていた狼人族の彼女のメロディーが、脱輪していく。
半音ずつ外れて、悲しい旋律に変わっていく。
リィン君は右目を左手でおおい隠した。
「僕は……いや……『僕ら』は。忘却の碑石に刻みつけようッ。我らを新たな段階へと導く叛逆の戦いに散った、同胞たちの純粋なる輝きを――ッ。その残影を――ッ」
よどみのない声だった。
決意を宿して凛とした、格好いい声だった。
その左手を涙が濡らしていたけれど、僕は見ていないふりをした。
――
この戦いは、招集とは違う。
同じ国の人間同士が殺しあう。だから、敵も味方も僕は知っている。北東域の、ほんの一握りの人たちを束ねただけで、これだけの人が死ぬ。昨日までの顔見知りが、明日には何人になるのだろう。そんな想像をしてしまえば、足がすくむ。
僕の行動原理。
ゲルフの信じ続けた遺志。
最初は大義だけだった。理想だけだった。
頭の中で考えたことを根拠に、僕は行動した。
次はその理想に仲間が集まってくれた。
今は――その上に、犠牲がのしかかっている。
重い。
僕の背中を押してくれていたその力は、いつの間にか、びっくりするほどの重さになっている。膝が砕けてしまいそうだ。背骨がぎりぎりと軋んで、肩甲骨にヒビが入るような、そんな重さ。
永い夜、僕は自分の天幕に入って、仰向けになって、天井を見ていた。
白いはずのその布は闇空と同じ色だった。
いくつも後悔をした。それを反省に変えた。具体的なこと、ぼんやりしたこと、いろいろ考えた。次はこんなドジをしない。次? 次ってなんだ? 今日お前のために死んだ人には次はない。次と言っているのはお前だけだ。分かってる。そんなことはよく分かっていて、でも――――
気付いたときには。
天幕の天井がゆっくりと明るくなっていく。
僕は、仰向けのまま、それを見ていた。
でも。
それでも。
僕は身体を起こす。
立てかけたミスリル剣をベルトに通す。
背負うしかない。
大義も、理想も、仲間も、犠牲も。
この両手が血の色に染まったとしても、歩き続ける。
歩みを止めることは許されない。
僕は『暁の革命軍』の盟主なのだから。
――
「最近なんだけどさ。あんたのこと……やっぱり見直した」
そうシリアが言ったのは、翌朝、ピータ村の出身者全員でソフィばあちゃんの弔いを終えたときだった。金髪の妖精種は腕を組み、つり目で僕を見ている。ツンツンとした雰囲気のまま、けれど、シリアはなかなかに可愛らしいことを言う。
シリアはあの後、ちょっとびっくりしてしまうくらいの勢いで、僕に謝ってきた。『村の人を私はだました。それは許されることじゃない。ほんとうにごめんなさい』……そんな3つの文で伝えられる思いを、まるで塗り重ねるように、いろんな言葉で言ってくれた。
当然のように僕は許した。だってシリアは悪くないじゃないか。
最近になってようやく、シリアはもとのシリアに戻ったように見える。
「もしかして……僕の評価、ずいぶんと低かった?」
「んー、そこまでじゃないけど……。中の下?」
「……コメントしづらい……」
「今は、上の下くらいかな……?」
「その変更のきっかけは?」
「プロパの部隊をやっつけたのもすごかったし、普段と違って演説のときは説得力あるし」
でも、とシリアは言う。「1番は、泣き言をみんなに言わないこと」
……ふむ。
それは、ガーツさんの言葉を借りれば『大将の役割』だと思う。
表に出していないだけで、僕の本音は泣き言だらけだ。
「シリアって……けっこうサバサバしてるよね」
「え? なんで? なんでその話?」
「シリアもあんまり愚痴とか不満とか、言わなさそうだなと思って」
「言っても仕方ないでしょ。子どもじゃないんだから」
「僕も同じだよ。なんたって『暁の賢者』だからね」
「……そういう立場でも、愚痴っちゃうやつはいるのよ」
シリアは腕を組みかえた。「正騎士になったのに、帰ってくるたびに、『任務が大変だ』とか、『魔法奴隷たちと良好な関係を構築するためには』とか、カッコつけて悩んじゃってさ」
「でも、プロパの自慢話を聞くのは楽しいんでしょ?」とごくごく自然にパスをだす。
「……まあ、なんていうの、嫌いじゃないわよ。人数が多い敵国の兵士をどうやって出しぬくか、とか、魔法使いをどういう風に動かせばいいのか、とか、そういう話題だけどね、すごく幸せそうに話すんだもの、私もそれなりに楽し――――って!」
シリアの顔が一気に赤くなった。「なにを言わせてんのよ!」
「なにをって……2人の、のろけ話」
「違うっ!」
「え? 違うの?」
「だ~か~ら~!」
ぷりぷりと怒りはじめたシリアをなんとかなだめる。
――――そうしながら、僕は想像してしまう。
プロパが今、どこでなにをしているのか。騎士団の本部で、僕たちの作戦を潰すための戦略を練っているのだろうか。それとも、僕たちを迎え撃つための防御の準備を領都で進めているのだろうか。
いずれにせよ、プロパとシリアが再会するのは……難しいだろう。
冷静な推測。
たぶん、こういうことを考える僕を指して、シリアは中の下と言ったのだ。
「でも、それを言わないでしょ? あんたは」
「…………え?」
目の前で、優しく微笑む彼女。
プロパともう1度会うことが難しい、なんて。
僕よりも、だれよりも、シリアが1番よく分かっているはずだ。
「だから見直したの。あんたのこと」
シリアはもう1度、腕を組み直す。つり目が気性の強さを連想させる。
ピータ村の女の子たちは、基本的に強い。
ラフィアも、マルムも、シリアも。
「1発引っぱたいてやんないと気がすまないのよね。タカハもそう思わない?」
「……たしかに。だって今回のプロパはさ、僕をつかまえるために、幼なじみの両親を人質にとって、その幼なじみを働かせたんだからね。うわ、言葉にするとヒドいな」
「……最低よ。男なら1対1でびしっと勝負すればいいのよ。だまし討ちなんて人間として言語道断。一刀両断」
「まあ、でも……」
「いいえ。言わせてもらう。戦略だか戦術だか知らないけど、見ていて情けなかったわ。呆れた。それに私を使うなんてね。……土下座程度じゃ許さない。下僕ね。あら。いいアイデア。それがいいわ、下僕にしましょう。決定。『正騎士プロパは魔法奴隷シリアの下僕になる』のよ」
僕はシリアの言葉の真ん中あたりから笑っていた。
息をつく間も与えず攻撃する言葉を繰り出し、相手が降参したところでふふん、と鼻を鳴らす。負けん気の強いピータ村の王女様。プロパは僕よりも何倍も恐ろしい相手を、完全に敵に回してしまったようだ。
「――――だから」とシリアは言う。
胸を打つような、本気の声だった。
「賢者様。あたしを、あいつのところまで、連れていってください」
緑の瞳は強い決意の光を宿している。
……いいだろう。
だれもが僕に、『暁の賢者』に、役割を与える。
革命のリーダー。知識の伝導者。戦場での切り札――――
シリアにとっての『暁の賢者』の役割は、それらとは少し違う。
「もちろんです、魔女シリア」と僕は答える。「君に、正騎士プロパを引っぱたいてもらう」
――
『革命軍』はその日、2度、騎士団の小部隊と交戦した。
結果はいずれも圧勝。
戦力の差も大きかったし、夜に転移座を使って不意打ちをかけてきた騎士団に対して、魔法使いたちは怒りの炎を燃やしていた。それは僕も例外ではない。魔法を遠慮なく撃ちまくった。……撃ちすぎたかもしれない。
その後は妨害されることもなく進軍を続け、そして、夕方ごろ、領都を取り囲む草原丘陵にたどり着いた。ここからなら1時間もしない移動で領都にたどり着く。僕たちは草原丘陵の1角に堂々と野営地を構えた。
領都にこれほど近づいたのに、攻撃が少なすぎる。
騎士団は『革命軍』を押しとどめるのが不可能と判断したのだろう。だから領都に引っこんで、籠城戦をするつもりなのだ。ムーンホーク領都は要塞都市としての機能も持っている。
今日は第13月、12日目。
領都の方角へ燃えるような夕日が沈んでいく。
月が照らす明るい夜はすぐに過ぎる。
そして。
――――運命の日の朝が来た。




