第121話:死線。
野営地がにわかに慌ただしくなったのは、会議が終わって1時間もしないうちだった。
1番大きな天幕で、僕は、希望者に対して魔法の授業のようなことをしていた。招集とは違って相手は魔法使いです。高出力の魔法を回路いっぱいに使うだけではなくそれぞれの魔法の性質を見極めた上で――――
「タカハ様」
不意に、耳をそばだてた兎人族の女性が手を上げて、僕の言葉をさえぎった。
「野営地が騒がしいようです」
「……ん?」
僕は耳を澄ます。
たしかに聞こえた。
遠い。野営地の端の方だろう。虫の鳴き声のような音量のそれは、よく聞けば怒鳴りあう人間同士の声であることが分かる。
喧嘩かな、と思う。
魔法使いたちの疲労や緊張はピークに達しているはずだ。しかも出身がごちゃ混ぜの人々がこれだけ集まっているわけだし。喧嘩をするなという方が無理なのかもしれない。
この時点の僕は、まだどこか楽観をしていた。
異常は野営地の中で起きていると分かったからだ。
野営地の外からの襲撃であれば、偵察班によって笛などの合図が鳴らされることになっている。
とりあえず、くらいの気持ちで僕は外に出た。
月のない夜の野営地を、等間隔で設置されたかがり火が照らし上げていた。魔法使いたちが休む白い天幕もきっちりと整列していて、マンションを真下から見上げたみたいだと思う。
僕は怒号が聞こえた方向を見つめて――――
「…………え」
色のない闇空が背景だったから、よけいにそれは目立った。
なにかが落ちてくる。
雨でも、星でもなかった。
水球。
『水の1番』。人間の頭大の水の塊を生み出す水属性の最軽量魔法。
それが、数えきれないほどに降ってくる。
なんだこれ。
『水の1番』は1マナという対価の低さの分、ほとんど使い物にならない。その弱さは折り紙つきで、なんと、植物にだってまともなダメージを与えることができないと言われているくらいだ。
けれど、敵には、意図があった。
無数のその魔法の狙いは、野営地にいくつも設置されたかがり火だった。
しゅうううっ、という音がそこかしこで響き――野営地は夜の幕に押し包まれる。
「暗いっ」「ちょっと!」「えっ」
「賢者様っ!」「これは――」
先ほどまで僕の天幕で授業を受けていた魔法使いたちの顔すらよく見えない。月が無いせいだ。目だってすぐには暗闇に慣れない。
「みんな――――」
と言いかけたところで、僕は口をつぐんだ。
暗闇の中、なにかが空気を切り裂く音が聞こえた。
悲鳴と怒号、物が打ち壊される大きな音はすぐ近くから。ビルの中でひどい地震に遭ったらこんな感じだと思う。けれど、残念ながら、ここは4階以上の建物がない異世界だった。
大きな物が飛んできて、魔法使いたちが眠る天幕に当たったんだ。
これは、『土の7番』……?
――――つまり、魔法。
襲撃されている。
僕はようやく状況を理解した。
遅すぎる認識だった。
「明かりを打ち上げろ!」と近くからガーツさんの声が響く。
野営地のあちこちから火属性の魔法が打ち上がっていく。
『火の1番』、『火の3番』……。
だが。
「ッ!」舌打ちをする。
火属性の明かりを打ち上げた複数人の魔法使いに、次々と『土の7番』が襲いかかる。夜の闇の中で『明かりを上げる』という行動は目立ちすぎる。場所を教えているようなものだ。闇にまぎれた襲撃者が彼らを狙うことは赤子の手をひねるように簡単で。
僕は暗闇の中を走る。
「ガーツさん! ガーツさんッ!」
「おう! 大将か!」
近くにいたことが幸いした。
暗闇の中、大きな背中の輪郭を僕は見つける。
「状況は? なにが起こってるんですか?」
「転移座だ」
ガーツさんは忌々しげに吐き捨てる。「今さっき、分かった。騎士団のやつら、脅した魔法奴隷に転移座の片割れを持たせて、俺たちの部隊に忍びこませたんだ。夜になったところで、魔法奴隷たちがマナをこめれば――」
「騎士たちは、ここに、転移できる……」
招集のときに使われる転移魔法は、マナを込める一対の魔道具によって発動する。それを使って、僕たちの野営地の中へ飛びこんでくる。想像することすらできない作戦だ。
……想像することすらできない、だって?
なにを言ってるんだ僕は……!
もう取り返しのつかないことになってるんだぞ……!?
「けど、妙だ」
ガーツさんは言う。
「この転移座が、もしやつらの本部とつながってるんなら、襲撃がこんなに軽いはずはない」
「…………たしかに」
納得する。
騎士団の全力が転移してきているにしては、攻撃魔法の数が少なすぎる。
「今のところの魔法の量を見る限り、17人は越えてないね」
別の声が入りこんできた。夜の闇のなかにぼんやりと白いティーガが浮かんでいる。ソフィばあちゃんだ。
そうか。
敵は人数が少ないから、明かりを潰しているんだ。
つまり、野営地のすみのほうに、小規模の部隊だけが転移してきている、ということか。先日追い返した騎士エリデの部隊は、外から僕たちを襲うには小規模すぎた。
彼らかもしれない。
分からない。
ひとまず落ち着こう。僕は指揮官だ。冷静に対処法を考えなければならない。転移座で野営地の中に転移してきた少数の騎士によって、かがり火が消された。そのせいで、僕たちは今のところ組織だった行動ができないでいる――――
敵の人数は少ない。
ならば。
「ガーツさん、できるだけ多くの魔法使いで、一斉に明かりを打ち上げましょう。できるなら、全員で」
「……それがよさそうだな。よし、俺が号令する」
「…………」
僕は呪文を決めた。
「――――全員、明かりの魔法を打ち上げろ!」
野営地に、一斉に炎の明かりが灯る。
僕は揺れる炎の明かりに照らされたガーツさんの頬の傷を見た。
ソフィばあちゃんのティーガの茶色の腰ひもを見た。
魔法使いたちが明かりに顔をしかめる表情を見た。
彼らの身体を飾る、緑色の布を見た。
そして。
ぐるり、と僕たち数人を取り囲んでいる、8人の緑コートを見た。
その手にぎらりと宿った8つのミスリルの輝きを、見た。
敵は。
最初から、
――僕だけを、
――――狙っていたのだ。
「み――――」
僕は、自分が何を言おうとしたのか、分からない。
ただ、無我夢中だった。
自分の腰からミスリル剣を抜く。
正面から年若い犬人族の騎士が突っこんでくる。
突きの構えだ。
血走った目の彼の動きは単調すぎる。
僕は身体の軸をずらしつつ、直剣をふるう。
硬いのに柔らかい手応えがかえってくる。
魚をさばくときによく似ている。
鮮血が舞った。
頸動脈だ。
首の側面にある血管。
頭に血を送るそれを、僕のミスリル剣が切り裂いている。
このときの僕はそんなこと理解していない。
背後から空を切る音が聞こえて、とっさに地面に身体を投げる。
電撃みたいな痛みが右足から。
切られた……?
分からない。
必死に立ち上がる。
右足の力が入りづらい。
やっぱり切られたっぽい。
右から2人の騎士。
左から1人。
単位魔法は――
などと考えている時間はない。
一斉に襲いかかる剣を必死に受け止める。
3本は無理がある。
左の二の腕が切りつけられる。
深く。
ざっくりとだ。
傷も深いように見えた。
なのに、痛みは感じない。
攻撃は容赦なく続く。
防戦一方だ。
そのとき。
――じじっ、という音が聞こえた。
風魔法のうちの『雷撃系』。
とっさに、僕はミスリル剣を放り出す。
瞬間、そのミスリル剣に雷が落ちる。
持っていたままだったら行動不能になっていた。
けれど――――僕は武器を手放してしまった。
「うおおおおおおおおおおッ!!」
ガーツさんが視界の真横から戦車のように突っこんでくる。
ミスリル剣を向ける間もなかった2人の騎士を、筋肉の塊が弾き飛ばす。
僕は左の騎士と向かい合う。
レイピア型のミスリル武器。
騎士団長かぶれだ。
けれど、素手の僕としてはやりにくい。
距離を保つ。
魔法を――――
「タカハッ!!!」
切り裂くようなそれは。
ソフィばあちゃんの声だった。
「……ぐうっ」
後ろから。
悶絶のような、悲鳴のような、声が聞こえた。
「どうりゃあああああッ!」
僕の正面にいた騎士をガーツさんが吹き飛ばした。
僕は振り返る。
ソフィばあちゃんの白いティーガがうずくまっている。
その背後には、ばあちゃんを斬りつけた騎士。
猫人族、団長の側近――騎士エリデ。
表情を歪めた騎士は舌打ちをする。
「邪魔なんですよ! 奴隷が!」
ミスリル剣の輝きがもう1度、踊る。
白いティーガにまだら模様の赤色が広がる。
ぽたたっ、と液体が地面に落ちる音を僕ははっきりと聞いた。
「…………”風―15の法―”」
ばあちゃんの口が『精霊言語』を紡いでいる。
騎士エリデは気付いていない。
「…………”―今―眼前に”」
騎士エリデのブーツがやせ細った身体を蹴り飛ばす。
脱力したその身体が耳を覆いたくなるような音とともに地面を跳ね返る。
なのに。
呪文の最終節を唱えるソフィばあちゃんは、笑っていた。
単位魔法は『風の15番』。
枝分かれする稲妻、12マナ。
発動時間指定『今』、2マナ。
発動位置指定『眼前に』、2マナ。
「”――――ゆえに対価は 16”」
ソフィばあちゃんが伸ばした両手のように広がった二条の稲妻は。
その、瞬光は。
至近距離から一瞬で、騎士エリデに収束した。
「――――ああああッ!!!」
一条は右腕から左足へ。
もう一条は左腕から右足へ。
皮膚を焼き、臓器を破壊した電撃が、一瞬で騎士エリデを通り過ぎた。
白目をむいた騎士エリデはマネキン人形のように倒れていく。
ミスリル剣が地面に落ちる。
その前に。
そんなどうでもいいことの前に。
「ばあちゃんッ!!」
僕はソフィばあちゃんに駆け寄った。全身から力を抜いたその体を抱き起こす。薬草の匂いがしていた白いティーガは、鉄錆の臭いと、ぞっとするほどの赤に染まっていた。
「あ、ああ……」
手を熱い液体が濡らしていく。僕は両手の指をぴっちりと揃えて、液体がこれ以上ばあちゃんの身体から離れないように必死に押さえつけた。まったくの無駄だった。僕の両手はこれっぽっちも止めることができなかった。
なんだよこれ。なんなんだよ……ッ!
「だれか! 回復魔法を!」
「タカハ……」
ソフィばあちゃんはゆっくりと首を横に振った。
その意味を認めたくなくて、僕も首を横に振る。
「頑張ってる子に……言いたくはないんだけどね……」
ばあちゃんは微笑む。さすがの僕でも無理やり微笑んでくれたのだと分かる。だって、ぞっとするくらいの白い顔だったのだ。どんな化粧だって人間の顔をこれほどの白に染めることはできないだろう。
「ここからが正念場だよ……タカハ……頑張んな」
僕は歯を食いしばる。
息をとめる。
思考を、止める。
「……………………はいっ」と答えた。
いつものように。元気に聞こえるように。
それが僕に出来る精一杯だった。
「……大きく、なった……ねえ……」
「…………あ。ああ……ッ!」
目を閉じたソフィばあちゃんの身体から熱が失われていく。出血は徐々にゆるやかになっていた。もう、ばあちゃんの枯れ葉のような体内には残されていないのだ。血が。熱が。
心臓の拍動をもう感じない。
僕の手の中でその呼吸が止まる。
静止する。
閉じる。
……。
……。
僕はゆっくりとその体を横たえた。
びっくりするほど軽い。
「――――ガーツさん」と僕は言った。
背後から、ゆっくりと兎人族の大男が近づいてくる。
僕は声が震えないよう、精一杯、腹に力をこめた。
「状況を、教えて、ください」
「…………こちらの被害は大きい。死亡、重症が13人、負傷者はその4倍ってとこか。騎士は7人が死亡、5名を捕虜とした。……捕虜にしている、が。どうする?」
「……」
殺すか? とガーツさんは訊いている。
「…………いえ」と僕はしぼり出すように言った。「捕虜のままで。使える人質です。用がなくなるまでは、とっておきます」
「了解した」
「それと、精鋭部隊を集めてください」
「……この状況でか?」
「だからこそです。転移座の向こうに、反撃に向かいます」
「――――なっ」
「襲撃してきた人数よりも多い騎士がいるということはないはずです。転移座はまだ開いている。騎士を殲滅し、僕ら『革命軍』が転移座のための魔道具を確保します」
ガーツさんはしばらく無言だった。
やや遅れた返答は力強くて、僕は救われた。
「……了解したぜ、大将」




