第119話:「妹がいつもお世話になっています」と猫人族の青年が言う。
僕は馬の背に揺られている。
隊列の中央で馬を進めながら、いろいろなことを考え続けていた。
まず、挙兵した北東域の『革命軍』の部隊構成。
僕をリーダーとして、ガーツさんとソフィばあちゃんに参謀として加わってもらった。この3人を命令系統のトップとして置く。2人が決してムダな指示は出さない、と信頼した上での、複雑なシステムだった。中間職の育成ができていない分、トップを増やすしかない、という判断だ。
戦力は全部で160人程度。
僕たち3人の下に、狩猟術に優れた20名からなる偵察班と、今のところは3つの戦闘部隊がある。戦闘部隊は50人程度の魔法使いから構成されていて、部隊長は村人たちの話し合いで決めてもらった。それとは別の軸で、僕は『識の2番』をほとんどのメンバーに使用して、操れる属性や回路の太さの合計が部隊ごとで偏らないように調整した。
『今のところは』と言ったのは、続々と志願してくれる魔法使いたちが増えているからだ。隣村のファロ村を通過したときにも、さらに15名の加入があった。いずれ詳しい数は分からなくなるかもしれない。嬉しい悲鳴だった。
僕に軍事的な知識はほとんどない。当然、奴隷と呼ばれていた魔法使いたちもだ。この部隊構成が正しいのか僕は確信を持てない。
ああ……。スマホがほしい……。
僕は転生以来1番インターネットの海を欲していた。
あれがなければ僕にあるのは本当に算数だけなのかもしれない。
とはいえ、確信を持っているふりはしなければならないだろう。
…………プロパならどうするのだろう。
僕は首を振って、脳裏に浮かんだプロパの顔を消した。
そのときだった。
「飲みな。大将」と声がかけられる。
横を見ると、僕のすぐとなりに馬が寄せられていた。
またがるのは、兎人族の大男。
頬の大きな傷を歪めながら不敵な笑みを浮かべているガーツさんは、木製の器を差し出していた。漂う酒精の匂い。注がれた琥珀色の液体。蒸留酒だ。僕は器を受け取る。
「ったく、お前さんはな。初日だってのに気を張りすぎだ」
「……いきます」
僕は器を一気にあおった。喉を灼熱が落ちていく。強烈すぎる匂いにくらくらとした。やめておけばよかったと強く後悔する。みんな見ているし。
「いずれ、お前さん1人じゃ手が足りなくなる」と、ガーツさんは真剣な口調で言った。
「……そう、ですね」
「だから、頼れ。人を使うんだ。それが、真の大将の仕事だ」
「はい」
「人をまとめたり話をつけたければ俺が居る」
ガーツさんは分厚い胸板をどん、と打った。頼もしすぎて泣きそうだった。その手をガーツさんは大きく広げる。
「魔法に関しちゃソフィばあさんが居る。計画を立てたりするのが得意なグラムのやつも居る」
「グラム、さん……?」
あ……、とガーツさんはバツの悪そうな顔をした。
「しまったな、紹介するのを忘れてた。……マルムは覚えてるよな?」
「もちろん覚えてますよ」
眠そうな目をした同い年の彼女は、今はムーンホーク領どころか『魔法の国』すらも飛び越えて、『蒼海の国』で商人たちに混じって学んでいるはずだ。
「あいつには兄貴がいたんだよ。つい最近ピータ村に戻ってきてな。それが、グラムだ。……ちょっと待ってろよ。第3部隊で仕事をしてもらってたんだ」
「ガーツさん……?」
「呼んでくる。大将はどんと構えて酒でも飲んでればいい」
ガーツさんは魔法使いたちの歩みに逆らうように馬を返し、僕から離れていった。
魔法使いたちがちらちらと僕を見上げてくる。
『どんと構えて』って、たぶん1番の難題だと思うのだけれど。
難しい表情を無理やり作って、魔法使いたちに視線を巡らせる。指揮官っぽいだろうか。分からない。
…………お。
僕は、左後ろのほうに懐かしい顔を見つけた。
じわじわと馬の速度を落としていく。視線を感じながらも接近を続け、唐突に声をかける。
「久しぶりです、リィン君」
「け、賢者様ッ! 覚えててくださったのですか!」
緑がかった髪をしたリィン君は、けれど、明るい声を出してしまったことを恥じるように咳払いをした。
彼のまわりには、もう3人。
ファロ村で最初に見つけた『革命軍』メンバーだ。
リィン君はしっかり左目を隠して、重苦しい口調で言った。
「……暁の残照が審判の夜を超えるその果てまで、矮小なる愚者はその傍らに在り続けるだろう……あぁ……」
自分の言葉に恍惚となるリィンくん。
どこに恍惚となれる要素があったのか、僕には分からないけれど。
見れば、狼人族の少女は何もない空中に向かってヘッドバンギング中、犬人族の彼はシャドーボクシングを開始し、大柄な妖精種は感動スイッチを押されたらしく落涙している。僕はしばらく4人組の様子を眺めていた。
日常とひとつながりであるようなその冗談っぽい雰囲気に、少しだけ不安になる。
「ええと、招集には?」と僕は訊いた。
4人がぴたりと動きをとめて、僕を見上げる。
『戦場を知っているの?』という疑いの心を、僕は言葉にしていた。してしまった。
「…………賢者様」とリィン君は普通の言葉づかいで答えた。「お忘れですか? 成人した僕はたちは、ムーンホーク領の魔法奴隷です」
「招集……4回……イヒヒっ……」と狼人族の少女が笑う。
「へっ。だから賢者様の『魔法書』の価値だって、よーく分かってるぜ」
「その上で、お供して、いるのです、から」
「……」
失礼なことを訊いた上に、大人の対応をされてしまったようだ。少し反省する。
顔見知りになった彼らに感謝しているし、頼りにもしている。
僕はその気持ちを伝える言葉を思いついた。
「では、どうか僕に付いてきてください。……審判の夜を超える、その果てまで」
その後、彼らは発狂したかのように騒ぎ始め、部隊長にこっぴどく叱られることになるのだけれど、僕はそれを知らない。すでに彼らから意識が離れていた。視界のすみっこに、騎乗したガーツさんと猫人族の青年を見つけたからだ。
僕は2人に馬を寄せていく。
ええと、グラムさん……だっけ?
マルムのお兄さん。そう言われてみれば、たしかによく似ている。マルムよりも少し深い茶色の髪と、同じ色の耳。イケメンだったお父さんの血が強いのか、整った顔立ちをしていた。だが、目元だけは穏やかな印象。
僕はグラムさんの横に馬をならべる。
「は、はじめまして。タカハ卿」
グラムさんの声は少し震えている。
僕にもその恐縮がうつった。
「はい、タカハです。その……よろしくお願いします」
「あ! 名乗ってなかった! ……あっと、僕はグラムです。マルムの兄の……」
「その……妹さんには、いつもお世話になって」
「男同士で見合いでもしてるのか?」
刺しこまれたガーツさんのツッコミは、それほど鋭くはない。
あはは、とグラムさんはガーツさんに苦笑いをして、僕に向き直る。そのときには、穏やかな瞳は湖のような落ち着きを取り戻していた。
「妹を家族として迎えてもらったみたいで、本当にありがとう。……マルム、迷惑をかけていないかな?」
「……」
僕は思い返す。マルムとの会話を。
もちろん迷惑なんてこれっぽっちもかけられていない。けれど、冗談という名のテーブルの上で交わされた数々の言葉には、なかなかびっくりするようなものも含まれていた。
僕の表情からなにかを察したグラムさんは、よく似合う微苦笑を浮かべる。
「あいつは父さんのセンスをばっちり受け継いでいて……。女の子っぽくないことも言ったりすると思うけど、その部分はばっさりと無視をして、これからも仲良くしてあげてほしいな、って……」
「もちろんです」
「タカハ」とガーツさんは言った。「グラムは領都の方で文官の手伝いをしていたんだ」
「そうなんですか?」
「測量士をしていたんだ」とグラムさんは頬をかいた。「いろいろな縁があって、本来は魔法奴隷がやる仕事ではないんだけれど、ずっとそれを任されていてね。……あ! ごめん! 測量士っていうのは地図を作る仕事のことで……あ! ええと、地図っていうのは――――」
「見せたほうが早いだろ?」とガーツさんが少し呆れながら言う。
地図、か。
グラムさんは背負袋から1枚の大きな羊皮紙を取り出した。筒状に巻かれた上で、さらに羊皮紙の紐で結んであった。グラムさんはそれを広げる。
使い込んだ羊皮紙の艶が綺麗だった。
けれど、この世界で初めて見た精緻な地図は、もっと綺麗だった。
一般的に普及している地図は、『感覚』で描かれたものばかりだ。街道のこの分岐はこのくらい距離、この地点から見てこの村はこの方向にある――そういう情報を人間の頭の中で判断して、人間で書いたものが出回っていた。
けれど、グラムさんのこれは違う。
方位磁石と距離を測る道具によって、精密に計測された地形だ。
羽ペンの線とは比べものにならないくらい細い直線がいくつも交差し、その交点を結んだ結果として牛の肩のような図形が羊皮紙の真ん中に描かれていた。丸で示されたのが村、だとすれば…………。
「これは、北東域ですか……?」
「そう! 分かるんだね!」
僕の頭の中のイメージがぐにゃりと変わる。もっと領都寄りが膨らんでいる形を想像していた。やっぱり人間の感覚はあてにならないらしい。
「ああよかった。僕も賢者様の役に立てそうだ」
「騎士団に居たときは、こんなに精密なもの、みたこともありませんでした」
「招集は村人たちの人数を把握してさえいればいいからね。……公爵閣下がこれの作成を命じたのも、気まぐれだったらしいよ」
僕の眉がぴくりと揺れた。「公爵閣下が?」
「うん。『面白そうだから』って仰ってね。面白そうってだけで、5倍の17人近い人数を動員しちゃうのが、閣下のすごいところだと思うけど、それでね――――」
僕は途中からグラムさんの言葉を聞いていなかった。
閣下はなにを考えている?
地図を作らせてあの人が得をすることは……?
僕は忘れたわけではない。
あの人は僕が7系統の使い手であるという事実を無視した。見逃した。
僕を捕まえて、拷問でも何でもして、その秘密を僕にしゃべらせる、という手もあったはずだ。見方によっては、公爵閣下はこの反乱の火種を知りながらも見逃したことになる。
読めない。
『面白い』というその言葉の向こうを、僕は想像してしまう。
ムーンホーク領の支配者であるライモン公爵は、今、なにをしているのだろう。
美しいムーンホーク城の最上階で、なにを思って、どんな指示を出しているのだろう。
そのときの僕が思い出したのは、さして重要とは思えないライモン公爵の言葉だった。
『なんたってファンだからさ』
ファン、ね……。
少なくとも、自分の何分の1も生きていない少年にかける言葉ではない。
記憶の海から浮かんできたその軽妙なセリフは、呪いのようなしつこさで、しばらく僕の頭から離れなかった。




