第117話:「いつでも旗を上げられるぜ」とピータ村村長は言う。
懐かしいピータ村の門をくぐる。
3年ぶり、か。
「変わってないな」と僕は言った。
「変わるはずなんてないのさ。3年くらいじゃあね」と背中からソフィばあちゃん。
「……」僕は言葉を飲みこむ。
背負ってあげているソフィばあちゃんは、その3年でびっくりするくらいに軽くなっていた。僕の身体が成長したから、ということではない。僕の体重が増えた量より、ばあちゃんの体重の減った量のほうが多い気さえする。
にぎやかな村人たちの歓迎をやんわりと回避し、僕たちは気絶したシリアを彼女の家に運んだ。
「ああ……ッ。シリア……ッ!」
引っかいたような甲高い声をあげて、シリアのお母さんは玄関先に崩れ落ちた。妖精種の彼女は痩せている。前からそうだった。そのせいで、すっと整った鼻筋が悪い意味で目立ってしまっていた。
「……」
中から出てきたお父さん、ゾリンさんは、無言のままペコペコと頭を下げる。シリアを抱き上げて、そして、僕を見た。
「久しぶりですね。タカハ」
「……こんにちは、ゾリンさん」
僕の声は少しだけ固くなる。
シリアがこんな目にあったのは、僕のせいだ。
僕が自分のやりたいことをしようとしたせいで、シリアは、大好きなプロパに、奴隷として使役されたのだ。
プロパが選んだ作戦は僕を引きずり出す最良の選択肢だったのだろう。プロパがそれをためらうことはない。
シリアにとって、これほど残酷なことがあるだろうか。
「……プロパ君と、戦ったの……?」と言ったのは涙をぬぐったシリアのお母さんだった。
「はい。……その、いろいろあって、決着はつきませんでしたが」
「あんまりだわ……。幼なじみで、戦わないといけないなんて……」
「……ぼくは混乱しています」とゾリンさんが言った。僕は顔を上げる。「正直に言えば、ぼくには、タカハを責めたい気持ちも、少しくらいはあるのかもしれません」
「…………あ」
「でも、それ以上に――――連れて帰ってきてくれてありがとう」
ゾリンさんはシリアの身体を強く抱きしめた。
「どんな感情も、どんな状況も、今、ここにシリアが生きていることに比べれば、ささいなことと思うのです。だからタカハ、本当に、ありがとう。……ぼくは、君のしようとしていること、応援しています」
「……」
僕は口を開きかけて、閉じた。
謝ってどうなる……?
謝ったって、シリアがケガをしたことは変わらないのだから。
顔の筋肉がこわばるのを自覚しながら、僕はゾリンさん夫婦をまっすぐに見る。
2人はほとんど同時に、ゆっくり頷いてくれた。
扉が閉じる瞬間まで、シリアの目は閉じられたままだった。
その瞳は、騎士に攻撃されたあの瞬間に、なにを見たのだろう。
僕への殺意をたぎらせたプロパの瞳だろうか。
そんなプロパの足元をすくう別の騎士の悪意だろうか。
「……大丈夫さ。シリアは強い娘だからね」
ソフィばあちゃんが言って、僕はどこか救われたような気持ちさえした。
その後、僕たちは広場へ戻った。
「ガーツさん、ピータ村の人たちに話したいことがあります」
「ほう? 演説か」
不敵な笑みを浮かべるガーツさん。隆々とした体格に加え、引き延ばされる頬の大きな傷。ラスボスに同盟を持ちかけた主人公の心境だった。
「……よろしくお願いします」と僕は言う。
言うべきこと、通すべき筋は決まっている。
ガーツさんはしばらく無言で僕を見てから、離れていった。
数分後、ピータ村のほとんどの村人たちがつめかけている広場に、僕は居た。
材木を積み上げただけの台にのぼる。
「みなさん、お久しぶりです」
口笛が反響し、「いよっ」とか「大将っ」とか、茶化すような声が飛んだ。
けれど。
僕は咳払いをして、頭を下げる。
「このようなことになってしまって、すみません」
「……」「……」
僕の言葉が、村人たちの表情から明るい成分を奪い去った。イケてない。最低の言葉だ。みんなの歓迎ムードに正面から冷水を浴びせたようなものだ。
けれど、僕には謝らなければならない理由がある。
「……僕を助けてくれた結果、ピータ村は『反逆村』に認定されてしまいました。騎士団はいつでも、彼らの裁量で、この村を攻撃することができます」
『反逆村』の認定は、村に対する極刑に等しい。
正騎士に公爵閣下から与えられた権能。魔法奴隷たちが奴隷であることを放棄した、という緊急時の判定だった。その瞬間から、騎士団にとってピータ村の村人たちは人間ではなくなる。つまり、認められてしまうのだ。どんな拷問も、虐殺も。
「すぐに準備をして逃げてください。身寄りがある人は彼らを頼って。難しければ、森へ逃れてください。ムーンホーク領のそこかしこで反乱が発生しているせいで騎士団の動きは鈍っていますが、僕が逃げ込んでいるこの村をいつまでも放置しておくことはあり得ません。そして――」
…………ん?
僕が違和感を抱いたのは、そのあたりだった。
反逆村の意味を村人たちも理解しているし、僕の言ったことは間違いない。
なのに、僕の言葉は村人たちの心に届いていないようだ。
前世ではありふれていた感覚。
…………スベってる?
本気で笑いを狙ったジョークがウケなかったときのような、質問の意図をカン違いしてしまったときのような、違和感。というか、無力感。
「……」
僕は言葉を止めて村人たちを見る。
無数の視線と、見つめ合う。
「謎かけをしよう、タカハ」
沈黙を破ったのは、ピータ村長のガーツさんだった。
「謎かけ、ですか?」
僕の目は白黒しているに違いない。
「今は第13月、秋のど真ん中だよな」
「はい」
ガーツさんは両手を広げた。
まるで、集まった村人たちをさし示すみたいに。
「本当なら、ピータ村狩猟団も全力で稼働してなくちゃいけない」
「…………あ」
広場に詰めかけているのは、ピータ村のほとんどの村人たちだ。
ほとんど。
狩猟団員が引き算された結果とは、とても思えない。そもそも狩猟団長も兼任しているガーツさんが真っ昼間のピータ村にいることがおかしいのだ。
狩猟団は、現在、活動していない。
重大な理由があって。
「それって、まさか――」
「ああ。その『まさか』さ。……楽な村人会議だったよ。全会一致だったんだから」
ガーツさんが右腕のティーガをまくった。
「俺たちは、ピータ村は――――『南域の大乱』が起こったって聞きつけたときから『暁の革命軍』だったのさ」
兎人族の大男の右腕には、ほこらしげに緑色の布が巻かれていた。
ゆっくりと、村人たちが動く。
腰ひもに緑の布を隠していたリュームさん。
バンダナのように緑の布を額に巻きはじめるアルト。
右の手首と左の手首でお揃いの緑の布を結んだプラムとミィコ。
ソフィばあちゃんはティーガの襟元に緑の布を縫い付けてあったらしい。
別の緑、また別の緑、緑、緑緑緑緑――――
この緑は騎士団のものじゃない。
ムーンホーク領の色だ。
「プロパがそうと知らずにシリアにあんなことをさせるとは思いもしなかったがな。……まあ、おかげで、俺たちはなんとか、賢者様の救出に間に合ったってわけだ」
ガーツさんの種明かしとともに、村人たちの口笛と冷やかしの声が再開される。僕は苦笑した。1番先に言ってくれればいいのに。
ああ。
けど、本当に頼もしい。
ピータ村のみんなが僕といっしょに戦ってくれる、なんて。
「ファロ村と近くの村を2つ、この話に巻き込んである」
ガーツさんは腕を組むと、豪快に笑った。
「いつでも旗を上げられるぜ。賢者様」
――
「ゲルフ様の家だ……。懐かしいなあ……」
メルチータさんは首をきょろきょろと動かして、僕の家を見上げている。僕はソフィばあちゃんに預かってもらっていた鍵を使い、雑な木組みの家の扉を開けた。
1月前にラフィアが来たからだろうか、家の中は小ぎれいに整理されていた。
土間とリビング。もはや『相棒』と名付けた水くみ用の木の樽。質素な土のかまどの横には太さごとに揃えられた燃料用の材木が積まれている。
こんなに狭かったっけ、と思う。率直に。
「あー! ここ! ここだよ! タカハ君はここに居たよね!」
ブーツを脱いでリビングに上がったメルチータさんが、その一角を指し示している。
「ええ、僕はカゴに入ってましたね。少しだけ覚えてます」
ほんとうは全部だけれど。
「こんなにちっこかったんだよ。こんなに。ほんとに、懐かしいなあ……」
僕は『相棒』と名付けた水くみ用の樽を手に取り、立ち上がった。水をくんできてお茶でも淹れてあげよう。少し息をつく時間がほしい。
物音が聞こえ、僕は振り返る。
僕の目が、驚愕に見開かれた。
メルチータさんがリビングで崩れ落ちていた。
いや、崩れ落ちたというほどハデじゃない。両足の力が一気に抜けたせいで、ぺたんと座りこんでしまっている。
「メルチータさんッ!」
僕は靴を脱ぎ捨て、深い緑の色のコートに駆け寄った。まさかケガでもしていたのか。それをずっと隠してここまで……?
座りこんだ姿勢のまま、1歳の僕がいた一角を見続けているメルチータさんは、胸に手を当てている。呼吸は浅く、速い。
ゆっくりと緑の瞳が僕に向いた。
その雰囲気は、脆かった。
今にも、崩れて、かき消えてしまいそうなくらいには。
「メルチータさん……?」
僕は膝立ちになって、その正面に回りこむ。
「……ッ!」
――――気付いたときには。
メルチータさんが。
僕に。
抱きついていた。
汗をかいたせいで少しぺったりした金色の髪が僕の頬に触れている。とんがった耳の付け根のあたりから、夏の草原のような穏やかで優しい匂いがした。柔らかい両腕は僕の首を大きく回って、背中側でキツく組まれている。抱きしめられている。強く。強く。なにかを求めるように。探すように。
それどころではない、というやつだった。
む、胸が……ハンパないっす、メルチータさん……ッ。
そんなつもりは毛頭ないのだろうけれど、ぎゅうぎゅうと押しつけてきているのに近い。
「1歳のタカハ君のこと、思い出したら……」
メルチータさんはほとんどの体重を僕に預けている。
「……生きてるん、だよね……」
その肩と、声が、震えはじめた。
「お願いだから……。もう、あんな、無茶はしないで……」
「……」
思い当たるフシはいくつでもあるけど。
最大のものは1つだ。
プロパの部隊、4人の従騎士との戦闘。
右からきた2人を倒した、その直後。
僕は『雷撃系』の魔法を付与したミスリル剣をもつ騎士に、背中をとられた。加えて、その騎士は、魔法を詠唱していた。必殺のタイミングだった。手を打たなければ、確実に、一切の慈悲もなく、僕は殺されていた。思い出せば背筋が凍えるような一瞬。
その一瞬を、その騎士を、僕はメルチータさんに任せた。
結果としては、メルチータさんの土の壁がかばってくれて、僕は生きている。
「私のイメージがほんのすこしでも、ずれてたら……。詠唱が、遅れてたら……」
喉の奥からこみ上げてくるなにかが、メルチータさんの声をぐちゃぐちゃにしていく。
僕はそうするべきだと思って、メルチータさんの背中に腕を回した。
「……タカハ君、は……っ。死んでた、かも……っ。しれ、ないん、だから……っ」
責める声は。
どこまでも優しい。
「ごめんなさい、メルチータさん」
でも。
「でも。……僕はメルチータさんだから大丈夫だって、確信してましたから。……これっぽっちも怖くなかったですし。……それにほら、僕たちは、生きてます。そうですよね?」
もぞもぞと、僕の肩に乗せられたメルチータさんの頭が動く。
頷いてくれたようだ。
その後、メルチータさんは僕の身体をもう1度強く抱きしめた。
僕は目を閉じた。
身体の深いところにあるスイッチが切り替わったみたいに、肩の力が抜けた。美人だとか、エルフのお姉さまだとか、今はそんなこと、どうでもよかった。ただ温かくて、僕はその温もりにひどく感謝していた。……歳の離れた姉さんがいたら、こんな感じなのだろうか。
「――――おう! 邪魔する!」
ばん、と大きな音がした。遠慮も容赦もなく、僕の家の扉がだれかによって開かれた。
「タカハ! ちょっと相談したいことがあってな! この『教科書』のこと、なん、だ、が――――」
僕は首をカクカクと回して、扉を見る。
僕とメルチータさんを見る村長ガーツさんの表情は完全に凍りついている。兎人族のうさ耳もぴん、と逆立っていた。
たぶん、戦場でだってガーツさんはこんなに動揺しないだろう。
「あっ」とメルチータさんが言って、僕を解放する。
「いや、その、なんだ……」
ガーツさんは視線を泳がせまくりながら、頬の傷を指でなぞる。
そのまま、機敏な動きで土間に土下座した。
「タカハ、それから、メルチータ先生……! ほんとうに、ほんとうに悪いことをした。俺の考えが足りてなかった。そりゃあそうだ。ずっと逃げてきて、落ち着けるタイミングなんてなかったんだもんな。邪魔しちまって、ほんとうにすまん」
「じゃ、邪魔、って……っ?」
メルチータさんがこれまで見たこともないくらいに動揺を始める。
「あとで集会所に顔を出してほしい。……いや、ぜんぜん急ぐことはない。この村の中は安全だ。ごゆっくり、楽しんでくれ。じゃあな」
言い切ると、ガーツさんは素早く僕の家の扉から出て行った。ばたん、と扉が閉められる。部屋がどこか薄暗くなる。「……タカハは書類仕事で忙しい。みんなは集会所で待ってるんだ」とガーツさんの完ぺきなフォローが扉の向こうから聞こえた。村人たちが去っていく足音が聞こえる。僕は鮮やかすぎるガーツさんの対応に舌を巻いていた。やっぱり人格者だ。
「邪魔……、ごゆっくり……、お楽しみ……」
僕はゆっくりとメルチータさんを見る。顔を真っ赤にして妄想を炸裂させるメルチータさんの視線は、すでに僕を見ていない。
「単位魔法……」
頭に血が行き過ぎたらしいメルチータさんは、よく分からない言葉をつぶやきながら、今度こそ床に崩れ落ちた。
……。
……。
……ちょっと待って下さい。
いや、気絶してくれなかった場合の展開を考えると、それもそれでいろいろとマズい気もするけれど。
あとに残った、僕のこの行き場のない衝動を、どうしてくれよう。
数秒間、僕の理性と欲望が終末戦争をくり広げ、辛くも理性が勝利した。
僕はメルチータさんの姿勢を直して毛布をかけてあげると、家の外に出た。村人たちと、その先頭を切るガーツさんが驚いたように振り返る。
「書類仕事、終わりました」
後のガーツさんいわく、そのときの僕の顔は妙に晴れ晴れとしていた、らしい。
明るい声で村人たちが話しかけてくる中、ガーツさんだけがひどく申し訳なさそうな表情をしていた。……いいんですガーツさん。ほんとうに。




