第116話:戦場に思惑が交錯する。
赤く、まるで泣きはらした後みたいに充血した青の瞳を、プロパは僕に向ける。
「――――正騎士の名誉にかけて、お前を殺す」
来る……ッ!
僕は身構えてミスリル剣を握りなおす。
メルチータさんが僕の肩に添えた手を強く握る。
シリアが泣きはらしたような声で叫ぶ。
プロパの周囲でマナが動き、『精霊言語』を詠唱――――
そのときだった。
まぶしすぎる光が僕の視界を横切り、プロパとシリアに襲いかかったのは。
2人の妖精種の身体は大きく跳ね、彼らの身体は脱力する。
「な……ッ」
僕はとっさに足を前に出した。けれど、間に合わない。2人の身体は人形のようにイーリの群生地に沈む。白い花びらが舞い散る。僕は近づいてシリアの身体を抱き起した。
冷静な自分を取り戻す。
今のは魔法だった。
風属性のうちの『雷撃系』。
もしかして、味方なのか……?
「…………タカハくん」
メルチータさんのそれは、思いつめたような、告げることをためらうような、そんな口調だった。
僕は顔を上げる。
希望的な予測は、木っ端微塵に打ち砕かれた。
いくつもの美しい花びらの向こうに、見えた。
緑のコート、その緑、別の緑、緑、緑、緑緑緑緑――――僕たちを取り囲むように、ムーンホーク領の騎士たちが、ゆっくりとその輪を狭めてきていた。
17人隊。
それは、騎士たちが部隊として行動する場合の最大の規模だ。
内心で乾いた笑い声が出る。
2人で、どうしろっていうんだよ。
「騎士プロパは素晴らしい働きをしてくれました」
先頭の猫人族の騎士エリデは、猫をなでるような声で言う。
騎士団長の側近の1人の言葉を、僕は理解できない。
「あなたは、今、騎士プロパを――――」
「彼は単独行動が過ぎたのですよ。従騎士を含めた騎士団の全員が足並みを揃えなければならないときに、彼は小部隊で行動を続けてしまった。悲しいことです」
くつ、くつ、と不気味に騎士エリデは喉を鳴らす。
騎士たちの包囲の輪が徐々に狭くなってくる。
「そして、なによりも彼は君の友人だった。理解者だった。だからこそ、彼は1番最初に君にたどり着き、君を許そうとした。だから、私が止めたのです」
背筋がかっと燃え上がったかのようだった。
違う。
プロパが僕に1番最初にたどり着いたのは、冷酷だが優れた計略の結果だ。
そして、プロパは最後まで僕を許そうとなんかしていなかった。
騎士エリデは、僕を捕らえたという手柄がほしいだけだ。そのために密かにプロパの部隊をつけていたに違いない。最後の最後までプロパたちに戦わせ、敗北が決定的となった瞬間に、肝心の部分だけを強奪しようとしている。
腐ってる……ッ。
この状況で、騎士団長の側近ですら、自分の手柄のことしか考えていないなんて。
頭のネジが17本くらい外れているに違いない。
絶対にそうだ。
「…………メルチータさん」
「うん」
「いいですか?」
今にも砕けてしまいそうな膝に力を入れ、僕は背後に意識を集中する。
「当たり前だよ。そのために、来たんだから」
淡々とした声が、心強い。
「戦力比はざっと9倍ですが」
「私たちには『17の原則』の向こうがある。9倍くらい、なんでもないと思うけれど?」
勝ち気なその口調に、僕は魔女の本質を見た気がした。
心強い。
「…………では。行きましょうか」
「これはこれは」と騎士エリデは僕たちをあざ笑った。「まさかとは思いますが。冗談だと願っていますが。……私たちに、この人数の騎士を相手に、戦いを挑むつもりですか?」
魔法の飽和攻撃だろうと、人数差をぶつける接近戦だろうと、万に一つも僕らに勝ち目はない。分かっている。『原則』の向こうがあったとしても、くつがえせないほどの戦力差だ。けれど、僕ら1人のどちらかが生き延びることなら……あるいは可能かもしれない。
知識を広めることをやめてはいけない。
逃げられない以上、僕に残された選択肢は戦うことしかない。
降伏は、しない。
僕の視界を、ミスリル剣の白銀が2つに分ける。
騎士たちの間で殺気が広がっていく。
衝突はもはや避けられない。
呪文を、決めた。
そのときだった。
「――――おやおや」
声は、僕の背後から。
呆れたような、けれど普段通りの口調といった感じのその声は、戦場なのにやけに通った。
「裏手の森が騒がしいと思ったら、すごいことになってるじゃあないか」
女の人の声だ。年齢が積み重ねた深みが、揺らがないものとしてその核にある。
僕は、この声を知っていた。
がさり、がさり、と音がする。
落ち葉が踏みしめられ、枝葉が払いのけられる音。
しかも、少なくない数だ。それどころか……ものすごい人数。
僕の後ろ側から。
つまり、ピータ村の方向から。
「……ソフィばあさん、差し歯は大丈夫かい? こんな状況で呪文を間違えないでくれよ。もう17歳を3回も超えてるんだから」
「村長になってからずいぶんと口がでかくなったね。ええ? 準備運動であんたからいこうか、ガーツ」
「まあまあ。喧嘩はしないでくださいよ」
僕はゆっくりと振り返る。
いつの間にか壊されていた岩の牢獄の向こうから、魔法奴隷たちが歩いてくる。老若男女例外なく、質素なティーガの姿だ。
先頭を歩くのは、ニコニコした表情を崩さないソフィばあちゃん。
頬に大きな傷がある兎人族の大男、ガーツさんがとなりに並んでいる。
2人の喧嘩を収めたのは、穏やかな表情をした猫人族の青年だ。
さらに、数十人の単位で、ピータ村の村人たちが続く。
彼らは全員が全員、ぎらぎらとした魔法使いの目で、僕の向こうに立つ騎士たちを見ている。
「…………なんなのです、貴方たちは?」と騎士エリデが言った。
「ピータ村の魔法奴隷です。騎士様」
僕の右横に立ったソフィばあちゃんが答える。
騎士たちを前に、怯えなどこれっぽっちも感じさせない、強い口調。
「我が村は『暁の大魔法使い』の出身地でして」
僕の左隣に来た村長のガーツさんが続く。
頬の傷が歪む。ガーツさんは終始、不敵に笑っていた。
「当然、こちらの『暁の賢者』様も我が村の出身というわけです。で、こちら、『瞬光の繰り手』ソフィ。彼女を筆頭に、騎士様方の5倍以上の人数の優秀な魔法使いがこの場におります。……今日のところは、どうかお引き取りください」
「……なにを言っているか分かっているのでしょうね」
騎士エリデの額に、青筋が浮かぶ。
「おそらく、騎士様と同じ言葉を使っているはずですがね」
ガーツさんの痛烈な皮肉に、その青筋が裂ける音が聞こえたような気がした。
「いいでしょう。ピータ村を『反逆村』として認定します」
「やむを得ません。どうか道中、お気をつけて」
騎士エリデとガーツさんの間を飛び散った火花が見えるようだった。
けれど、状況は逆転した。
戦力はこちらの方が上だ。
もし開戦してしまえば、どちらかが壊滅するまで続く、血みどろの消耗戦になる。
騎士エリデはゆっくりと右手を上げた。
僕は彼の口元を凝視する。
「総員、――騎士プロパの部隊を回収。撤収しますよ」
数人の騎士たちが僕に憎悪の視線を叩きつけながら、乱暴な手つきでプロパの身体を担ぎ上げた。緑のコートが列になって、森の向こうへ消えていく。
呆然と、僕はその背中を見続けていた。
森は、いつの間にか静けさを取り戻している。
思考が働かない。
僕は、生きてる。
「すごいお帰りじゃないか、タカハ」
懐かしい声が、ほつれかけていた緊張の糸を完全に断ち切った。
なつかしいその姿を視界の真ん中にとらえる。
「ソフィばあちゃん!」
僕は白髪の兎人族に駆け寄り、思わず抱きついた。この3年で腰が曲がってしまったソフィばあちゃんはニコニコと笑っていて、白いティーガからはいつものように薬草の匂いがした。
「立派になって……。まったく、見違えたよ」
「よっ、『暁の賢者』様!」「やることがハデすぎ!」
「タカハっ! 元気にしてた?」「ラフィアは?」
「緑のコートはないのか?」「本があるんだろ?」
「ライノスさん、アルト、プラム……みんな……!」
顔見知りの村人たちの言葉は、優しい雨のようだった。
「立ち話もあれだな、タカハ」
僕の肩を強く叩きながら、村長のガーツさんが言った。
「戻ろうか。俺たちの村に」
その言葉に頷き、僕たちはゆっくりとピータ村への道を歩き始める。
……あ、れ……?
視界が、ぼんやりと、少しだけ滲んだ。
疲れているのかもしれない。疲れているのだろう。あ、そうか、両目に同時にゴミが入りこんだ可能性も捨てきれない。魔法の副作用かなにかで目がピントを合わせることを放棄しているのかもしれない。
少なくとも1つはっきりしていることがある。
これは、涙じゃない。
断じてだ。




