第115話:死闘。
「――――行くぞ。反逆者」
プロパの右手が振り下ろされる。
瞬間、僕の頭はめまぐるしく働きはじめた。
状況は、森の中。
まともな足場と言える場所は細い獣道が一筋だけ。
獣道の進行方向をプロパが塞いでいて、数が不明な騎士たちが周囲の森に伏せている。
おそらく、後退方向の獣道もふさがれている。
なら……ッ!
「メルチータさんッ!」
「……」
正面突破、あるのみ。
その向こうにどれほどの敵が潜んでいても、すばやい正面突破は有効なはずだ……!
――――逃避行の中、僕とメルチータさんはいくつもの襲撃パターンを想定して、対策を練ってきた。どんな状況にも2人で対応しなければならないからだ。
結論として、僕とメルチータさんの役割分担は固定されている。
僕が正面の防御と攻撃を引き受け、戦い方のすべてを決定する司令塔。
メルチータさんはその横から適切な魔法で援護する遊撃役だ。
『……タカハ君は1人で戦っているつもりでいて』作戦会議の最後にメルチータさんは淡々と言った。『気付いたらいつもの倍以上の戦果を挙げているような、そういうサポートをするわ』
呪文を唱えるでもなく、ミスリル剣を抜く様子もないプロパに、僕はまっすぐに突っこむ。妖精種の正騎士は僕たちの出方をうかがっているようだ。……そのくらい、敵の戦力は多いのかもしれない。
真後ろに付いてくるメルチータさんが小さな声で詠唱した。
「”風―2の法―6つ―今―眼前に ゆえに対価は”――」
単位魔法は突き進む突風、対価は3。
『今』が2マナ、『眼前に』が2マナ。
合計7マナ。
――――その6倍魔法。
「バカなッ! 『原則』が」とプロパが目を見開く。
「”42”」とメルチータさんは『精霊言語』の数字を詠唱した。
魔法は言葉で。
言葉は知識だ。
この世界で僕だけが知っている18以上の『精霊言語』の発音も、習得可能な知識であることに変わりはない。
メルチータさんは優秀な魔法使い。新しい『精霊言語』の発音を習得することに苦労はなかった。
約数の多い『精霊言語』の数字を僕はメルチータさんに教えていたのだ。
重ねあわされた突き進む突風が、風の槌となって獣道を疾走し、プロパに襲いかかった。
だが、プロパの動きは機敏だった。緑のコートを翻しつつ、狭い獣道で身をよじり、その直撃を回避する。反動をつけた勢いで、ミスリル剣を抜き放ち、僕たちを睨みつける。
抜剣した僕が大上段からプロパに襲いかかったのは、そのタイミングだ。
プロパは反応した。
とっさに剣の腹を横に向ける。
僕はその防御の構えにミスリル剣を叩きつけた。重い手応え。会心の一撃だ。
「ぐぅ……っ!」
一気に畳みかける。
「”土―11の法―今―眼前に ゆえに対価は7つ”」
僕は自分ができる最速の詠唱を終えた。
プロパが身構える。
けれど、遅い。
僕ら2人の足元で土の壁が起き上がり、プロパはバランスを崩す。土の壁を足掛かりに飛び上がった空中から、落ちる。
重力、筋力、体重、そのすべてをミスリル剣に乗せ、僕はプロパに叩きつけた。聞いたこともないような鋭い金属音が響き、僕の両手に反動が伝播する。
「ぐあっ……!」
プロパは地面に倒れ、その剣は叩き落とされている。
いつかの模擬戦とは違う。
僕は剣を握ったままだった。
「プロパ卿!」と森の中から上官を呼ぶ声が連続する。
僕はプロパのミスリル剣を拾い上げ、獣道を進行方向へ走った。「タカハッ!!」と僕を呼ぶ声が背中に爪を立てるかのようだった。メルチータさんが背後に土の壁を作り上げ、魔法による追撃を封じる。一瞬遅れて、水球や雷撃がその壁に着弾する鈍い音が続く。
空は薄暗く曇り、森の中にも暗い影が多い。
僕はメルチータさんの手を取って、獣道を走る。
その最中でプロパの剣を思い切り遠くへ投げ捨てた。
ファロ村に戻るのは事実上不可能だ。ピータ村に逃げ込むしかない。だが、ピータ村までは、慣れた村人の歩きで30分の距離。遠い。
「……はぁっ……っ……はっ……はぁっ……」
耳が風を切る音に交じって、メルチータさんの荒い息づかいが聞こえる。僕たちのペースは徐々に落ちていた。メルチータさんは体力で騎士に劣っている。追いつかれるのも時間の問題だ。
隠れてやり過ごすしかない。
どうする。
どんな手を使う……?
――――考えていた僕は、反応が少しだけ遅れた。
「ッ!!」
森が開ける。
脳内の森の地図を思い出す。
そこは、森の中にときおりある、花の群生地だった。白く凛としたイーリの花や、薄桃色で可愛らしいティグの花が、不安げな空の下で風に体を揺らしている。
面積にして、体育館ほどの広さだろうか。
身をかくすような――つまり、魔法の射撃を遮るような木々は、ほとんど存在しない。
「かかったっ!」「プロパ卿の読み通りだ!」「追い詰めろ!」
きゅうう、と心臓が縮み上がり、視界が揺れる。
罠だったのか。
先ほどのあの配置なら、僕が獣道を突破しようとすることを、プロパは読んでいた。そのまま獣道を走り続ける、とプロパは読んでいた。だから正面切って戦わなかった……!
その結果、僕たちは遮蔽物のない空間に追い立てられた。
「行くしかないよ! タカハ君!」
メルチータさんがぐん、とペースを上げて、走り出す。
イーリとティグの花びらが、舞い散る。
向こう側にある森までは50メートル近い距離がある。
これほど絶望的な50メートル走を僕は知らない。
「”火―4の法―”――」「”火―4の法―”――」「”火―4の法―”――」
騎士たち3人の詠唱。おそらくプロパが指示を出したのだろう、統一された詠唱の2節目が聞こえた瞬間に、心臓がもう1度凍えた。
僕はメルチータさんを見る。
緑の瞳が僕をとらえる。
騎士たちの選んだ魔法は『火の4番』。小範囲を焼く炎の絨毯を展開する魔法だ。つまり、範囲攻撃。逃走者を追い詰めるなら、僕であってもそうするであろう合理的な選択。
3人の騎士が僕たちの進行方向にまでバラバラな『起点』を選択すれば、僕たちは間違いなく炎の絨毯に捕まる。
僕は動揺のせいで、手が思いつかない。
「……ッ」
けど、大丈夫だ。
なんとかしてくれる。
普段はおろおろしていて、だらしがなくて、自分の好きなことに貪欲なくせに、頼ったときには、必ず応えてくれる。
それが、メルチータさんだ。
騎士たちを振り返った彼女の無表情の下で、めまぐるしく計算が走り――――暁の大魔法使いに『1番の弟子』と言わせた妖精種の魔女は、決断を下した。
「”水―1の法―16個―今―眼前に”」
メルチータさんと僕の体の周囲に炎の絨毯が広がったのと、「――――”ゆえに対価は80”」水属性の最軽量魔法が生み出す、水球が16個出現したのは、ほとんど同時だった。
1秒。
ぞっとするほどの熱量が頬を焼く、寸前。
メルチータさんが生み出した16個の水球は地面に向かって突撃し、炸裂した。
炎の絨毯の火力はそこまで大きくない。
それは――――水の塊でも押しつぶせるほどに。
しゅうう……っ、とスプリンクラーが火災を押しとどめるように、僕たちの周囲だけ炎の絨毯がかき消される。実際に、敵の魔法の効果としては持続しているけれど、その微妙な火力の炎は散らばった水を蒸発させることができないでいるのだ。
メルチータさんの回路は17秒あたり185マナ
すでに80マナを使っている。休んでもらうべきだ。
「”水―5の法―広範なる1つ―今 ゆえに対価は9”」
『水の5番』は霧を急激に出現させる単位魔法。
招集では撤退時に活用されることも多いその魔法に”広範なる”の修飾節を重ねた結果、もうもうと立ち込める霧が辺りを覆いつくす。僕とメルチータさんは霧の中を走り出した。
さらにマナを知覚しながら追撃を重ねる。
こっちが本命。
「”土―7の法―20個―今―眼前に”」
単位魔法は『土の7番』。
人間大の岩塊を地面から射出する、土属性のエース攻撃魔法。6マナ。
発動時間指定”今”が2マナ、発動位置指定”眼前に”が2マナ。
合計、10マナ。
――その20倍魔法。
僕は振り返って、霧の中に、20個の岩が飛んでいく方向をイメージした。
「”ゆえに対価は 200”!」
僕の足元から連射されるように打ち出された20個の岩塊は、戦艦の砲撃のような迫力があった。無秩序に、点ではなく面で破壊するかのような岩塊の群れが、猛然と霧の中に消えていく。一瞬遅れて、森の木々が打ち倒される激しい音が連続して響く。
さらに、一拍遅れて。
「ギアル――――ッ!!!」と、だれかが叫ぶ声がかすかに聞こえた。
とん、と胸を押される。
その声は、僕の解き放った巨大すぎる魔法がまき散らす破壊の音に比べれば、あまりに小さい絶叫。ああ、死んだんだ、と内心の僕が他人事みたいに言う。
想像――――霧の中から巨大な岩塊が緑のコートの人影に襲いかかる。避けることは間に合わない。けれど彼は必死に体をよじる。そのせいで、岩塊が直撃するのは右腕だ。その右腕がねじれ、ひしゃげ、彼の身体は地面に打ち倒される。けれど岩の運動エネルギーは消滅しない。彼の肉体は地面と岩の間で引きちぎられて――――
「タカハくん!!」
血まみれのその妄想を、メルチータさんの声が引っぱたいて破壊した。
僕はメルチータさんに頷き返し、その手をとって走り出す。
背後から強烈な風が吹いたのは、そのときだった。風の魔法だ。振り返った僕の視界の中で霧が吹き散らされ、5つの緑のコートと、巨人が歩き去った後みたいに荒らされた花畑が見える。
けれど、森まではあと少しだ。
森に逃げこめば、活路は広がるはず――――
「ダメ……ッ」
不意に。
先を行くメルチータさんが足を止めた。
僕は顔を正面に向ける。
そして、見た。
「……くそ……」
まるで僕とメルチータさんをあざ笑うかのように、見下ろすかのように、花畑をぐるりと取り囲む石の壁が立ち上がっていた。僕が反撃をしたあの瞬間、騎士たちの詠唱が途切れたように感じた。その時間に、彼らは僕たちを取り囲む牢獄を構築していたのだ。
「従騎士、抜剣――ッ! 武器に魔法を付与しろ! 散開して接近戦に持ち込む! やつらは『17の原則』を無視してくるぞ! 魔法を使わせるな!」
プロパの号令が確実に僕たちの首を絞めてくる。
射出するタイプの魔法には、当然、発射速度がある。横移動で回避することが十分に可能なものがほとんどだ。つまり1対1では大きな脅威とならない。
そして、範囲攻撃型の魔法は接近さえすれば潰すことができる。だれも自分を巻きこむことはできないからだ。
「メルチータさん!」
僕はミスリル剣を抜き放った。
「僕に補助魔法を!」
退路がない以上、ここで彼ら全員を倒すしかない。
メルチータさんは――強く、頷き返してくれる。
「”火―6の法―今 ゆえに対価は 6”」
『火の6番』は筋力を向上させる火属性の補助魔法だ。
体中の筋肉という筋肉の間に細い熱の線を埋めこまれたような感覚。皮膚がひっくり返ったかのように痒い、筋肉が焼けているように熱い、――――痛い。
けれど、その違和感が収束した後には、ミスリル剣が重さを失っている。指の1本だけでそれを振り回せそうだ。
20歩の距離に迫った4人の従騎士たちは、ロイダート団長のように『雷撃系』の魔法を武器に付与したようだ。
あれとまともに打ち合えば、ミスリル剣ごしに僕は感電する。
それに対抗できる魔法の武器への付与の流派を僕は知っていた。
ぶっつけ本番、だけど。
やるしかない。
「”土―11の法―巨大にして堅牢なる1つ―付与 ゆえに対価は17”」
巨大で、固い、土の壁を、僕は剣に付与する。
「ぐっ」と喉の底のあたりから声が出た。身体を活性化してもなお重い。短かったミスリル剣は、まばたきの間に、巨大な岩の刃へとその姿を変えていた。荒削りな岩石の棍棒のようですらある。そこから伸びる頼りないミスリル剣のグリップを、僕は両手で握りこむ。
さらにメルチータさんの詠唱。
「”風―7の法―”――」
一陣の風が僕の背を押した。『風の7番』は風の加護を宿し、移動速度を上昇させる風属性の補助系単位魔法だ。
「らあ――ッ!」
僕は両足に力をこめ、右から襲い来る2人の騎士にとびかかった。
両足にバネが仕込まれているかのような加速。風の加護が、僕の移動範囲を飛躍させる。僕は岩をまとった巨大剣を、防御の構えすら間に合わない騎士たちに叩きつけた。
巨大なトロールが見ている世界のようだった。
大きく振り回された岩の質量が、詠唱をしようとしていた1人の騎士の体をくの字にへし折る。岩の剣はさらにもう1人を巻き込み、彼らを吹き飛ばした。
残りは2人。
「取り囲め! 同時に攻撃をしかけろ!」
優秀なプロパの部下たちはすでにその通りに動いていた。
「……ッ!」
僕の背後から。
詠唱が聞こえた。
「――”―今―眼前に ゆえに対価は 12”」
しかも、詠唱だけではない。
騎士のミスリル剣の表面を紫電が踊る、ぢぢっ、という音――――
背後に迫った騎士は、魔法の詠唱を終え、雷を宿した剣を僕に振りぬこうとしている、というわけだ。
絶望的な距離、角度。
戦闘力を得るため、自らの剣を圧倒的なほどに重くした僕には、その奇襲を防げない。
だから。
僕はそれを、無視した。
背後ではなく、側面から回り込もうとしている騎士に僕は狙いをつける。その騎士の動揺がはっきりと分かった。背後を取られた僕が、その背後を、無視したのだから。
背後の騎士の刃が僕を切りつける。
その、寸前。
「――――”ゆえに対価は 12”」
僕をかばうように、僕の後ろに、土の壁が起き上がった。
メルチータさんの完ぺきなサポート。
土の壁の上で火属性の魔法が炸裂し、僕を切りつけるはずだった騎士の剣が土の壁に深く食いこむ。騎士が舌打ちをし、剣を引き抜こうとするが、堅牢な土の壁はミスリルの輝きをがっちりとくわえ込んでいる。
戦術でも戦略でもない。
その隙間にあるような、奇跡的な一瞬だった。
――――その一瞬をもって、勝敗は決した。
「はああ――ッ!!」
僕は側面から接近していた最後の敵に土の大剣を叩きつける。
腰のあたりにぶつけられた土の大剣を騎士はミスリル剣で受け止めたが、運動エネルギーは殺せない。宙を舞った犬人族の騎士は、石の牢獄に打ち付けられ、意識を失った。
「”風―15の法―今―眼前に ゆえに対価は16”」
メルチータさんのとどめの詠唱。
単位魔法は、枝分かれする稲妻。獰猛な稲妻は二条に分かれ、僕の背後に切りかかろうとした騎士と、最初に吹き飛ばされた騎士に直撃した。彼らは全身を大きく痙攣させ、そして、地面に倒れる。
「……はっ……はっ……はっ……」
視線を周囲に巡らせる。
何倍にも引き伸ばされて感じたけれど、この死闘は、ごくごく短い時間だったはず。
結果、プロパの部下である4人の従騎士を、僕とメルチータさんは完全に無力化していた。最初の1人を加えれば、5人、か……。
僕は土の大剣の剣先を地面に落とす。
ばきり、とその補強が剥がれ、ミスリル剣の白銀が姿を現す。身体の活性化の効果が終了するのもそれと同時だった。一気に脱力しそうになる。上腕も、大腿も、足首も肩も腰も首筋も、すべてがだるい。筋肉痛の詰め合わせセットのようなものがあったら、たぶんこんな感じだ。
それでも僕は、歯を食いしばってミスリル剣を構える。
メルチータさんの手が、僕の肩を支えてくれた。
「……」
正面には、倒された騎士たちを呆然と見つめる、プロパ。
距離にして20歩。従騎士の時代にやりこんだ模擬戦の距離を隔てて、プロパは立ち尽くしている。
僕は一歩、近づく。
足元で枯れ葉がざわめく。
「…………なあ、タカハ」とプロパが言った。
プロパは一歩も動かない。
森の向こうからシリアが駆け寄ってきて、彼女はプロパをかばうように両手を広げた。
僕は、もう一歩近づく。
「最後に訊くが……」とプロパが言った。
その青い瞳が、俯く。暗い色が滲んでいく。
垂れこめた曇り空から、冷たい風が吹いてくる。
「どうして――――オレに言わなかった」
瞬間。
僕の世界が、音を失った。
「お前は言ったな。ムーンホーク領のために頑張る、と……。こんなことを考えているのなら……どうして、オレに」
僕は。
僕は。
――――それでも。
「……戦略で戦術、だよ、プロパ」
僕は言う。機械のように。
「僕は、この計画をプロパに伝えることはできなかった。いや、正騎士のだれにだって伝えることはできなかった。バレてしまえば、防ぐのは簡単だったから」
「…………ふっ」
と、プロパは言った。
笑って、嗤った。
「はははははははははっ!」
「プロパ……?」とシリアが怯えた視線を投げかける。
プロパは片手で顔を覆いながら、しばらく笑い続けていた。
「――――そうか」
唐突に、死刑が執行されたかのように、その笑いが途切れる。
「なら、オレは」
赤く、まるで泣きはらした後みたいに充血した青の瞳を、プロパは僕に向ける。その緑のコートが冷たい風に揺れる。
「――――正騎士の名誉にかけて、お前を、殺す」




