第114話:「……あいつは、騎士よ」と彼女は吐き捨てた。
かなり不安だったけれど、ファロ村のアウトロー4人組はふつうに優秀だったようだ。なんと、翌朝僕が目覚めたとき、魔法書は20冊近く複写が行われていたのだ。
……いや、深夜のテンションに突き動かされていたのかもしれない。たぶんそうだろう。そういえば夢のなかに奇声が入りこんできたような気もする。
とはいえ、4人でやったのだとしたら、ほとんど徹夜の作業だったはず。
少年のように見えて24歳のリィン君の家の居間で、4人は幸せそうに眠りこけている。それぞれの腕に巻かれた4つの緑の布が、ほこらしげに存在をアピールしていた。
「…………ありがとう」と僕は眠っている彼らに囁いた。
彼らを起こさないように書き置きを残し、いつの間にか早起きが得意になっていたメルチータさんとともに、僕はリィン君の家を後にした。
――
どんよりと垂れこめたくもり空の下、僕は迎えに来てくれたシリアに続いてピータ村へと続く森の中を歩いている。
シリアの選ぶルートはひどく複雑だったけれど、ピータ村出身の僕ならば理解できる明らかな目的があった。獣道を糸で縫うように進み、予想外の角度へ切り返す。ピータ村の出身でない追跡者が僕らの歩いた道のりを追うことは困難だろう。
今のところ騎士団の気配は感じない。
彼らが追うのはほとんど不可能に近い……と思う。
ばったり会うことだけはないように、警戒し続けるしかない。
「……はっ……はっ……っ……」
考えこんでいたせいで、僕は気づくのが少し遅れた。
「休憩しますか?」と僕は後ろを歩くメルチータさんに問いかける。
おでこにぺったりと金色の髪を張りつけたメルチータさんは、緑の瞳を申し訳なさそうに細めて言った。「……ごめんなさい」
「シリア」
「……ええ」
前を行くシリアは表情を変えずに足を止めた。
僕は背負い袋から水筒を取り出し、メルチータさんに手渡した。こくっ、こくっ、と白い喉が波打つ。僕は発熱するその体を支えるように倒木に座らせた。しばらく深呼吸をくり返すメルチータさん。
「ごめんなさい……森を歩くこと、あんまり慣れてなくて……」
「いえ。この辺りは落ち葉も深いですし、倒木も多い。当然だと思います」
「もう少しだけ、いい……?」
「はい」
メルチータさんは額をティーガの裾で拭い、息を整えている。
「……タカハ」とシリアに呼ばれて僕は顔を上げる。
シリアはちょいちょい、と僕を手招きしていた。つり目のややキツい印象のせいで、せかされているような圧迫感を感じる。僕が村に居たころからそうだったけれど。
僕はシリアが身体を預ける大樹のそばに近づいた。
シリアはそのまま、僕を大樹のかげに連行する。メルチータさんから見えない位置だ。開口一番、シリアは言った。
「どういう関係なの?」
「え?」
「だから、あの美人と、あんた」
「つまり、メルチータさんと、僕?」
「あきれた。はぐらかしてるの? 他にどういう意味にとれるのよ」
「どういう関係……うーん、一緒に魔法を研究してて、でもメルチータさんのほうが詳しいから、僕は魔法を教わったりしてるけれど……」
「領都から2人で来たんでしょう? ラフィアは?」
「仲間が他にもいて、生存術を知ってるのは僕とラフィアだけだから、別行動にする必要があって……」
「あの美人とずっと旅をしてきたってわけね?」
「そう、だけど」
「……ふーん」
シリアはため息を吐き出した。……理由なんてないんだけれど、シリアのため息のせいで少し不愉快な気分になった僕は、反撃を試みることにした。
「シリアこそ」
「ん?」
「シリアこそどうなの? プロパと?」
「あ……」
瞬間のシリアの表情の変化は、劇的だった。
喉まで出かかった言葉をシリアは飲みこむ。それを、下手な微笑でおおい隠す。その後、別のなにかを言いかけて、それも言葉にできず、今度は俯いてしまう。
「…………あいつは、騎士よ」
「え?」
「言ったでしょう」シリアは吐き捨てる。「騎士なんて最低。大っ嫌いなんだから」
……なるほどなるほど。
さては、なにかあったのだな。
「プロパは騎士だけど、いいやつだと思うよ」
僕は、ほんとうに、底が抜けるほどに、間抜けな言葉で返事をしていた。
――――僕は。
久しぶりにピータ村の出身の人と会えて、肩の力を抜いていた。楽観的になっていた。
だから、そのときだけ、忘れていた。
自分が逃走者であるという事実を。
騎士団に反逆した、大罪人であるという事実を。
僕の言葉を聞いて、はっとした表情を浮かべるシリア。
その瞳は、しばらくは忘れられないほどに綺麗に透きとおっていた。
なのに、みるみるうちに表情がかげっていく。
「タカハ……ごめんなさい……」
「え?」
「私、あなたに――――」
なにかを打ち明けるようなシリアの言葉は、最後まで続かなかった。
別の声にさえぎられたのだ。
「協力に感謝する、シリア」
永久凍土のように冷たく、固い声が、森に響く。
僕は最初、聞き間違えたのかと思った。
僕の頭の中に響いた幻聴なのではないかと、そう考えた。
そのくらい、知っている彼の声は別人のようだった。
そのくらい、冷たく、固い声だったのだ。
ゆっくりと。
進行方向の獣道から、緑色のコートを纏った人影が歩いてくる。
金色の短髪が風に揺れるが、青い瞳は少しもぶれなかった。透き通った白い肌と男にしては整いすぎた顔立ちを、いつもは皮肉っぽい表情で歪めているはずの彼が、獣道の進行方向、僕から15歩くらいの距離で足を止める。
「……………………プロパ」
そういうことか。
僕はシリアに視線を向ける。
ファロ村にシリアが居たのも、そこでシリアが『革命軍』のメンバーに混じっていたのも、すべて――――僕を誘い出すため。
村の中で戦いを起こせば、僕に加勢する魔法奴隷たちは多いだろう。その増援が見込めない森の中へ誘い出す。もっとも確実な、革命の首謀者を倒すための選択肢だ。
さらに、案内人にピータ村の人間を選んで、『ピータ村へ来てほしい』とお願いをさせる……だなんて。
憎らしいほど的確に、逃走者である僕の心の隙間を突いている。
相変わらずの指揮官っぷりだった。
引っかかった僕も僕だけれど。
僕は、奥歯を強く噛む。
すぐそばで、シリアは、致命的なまでにらしくない弱気の表情で俯いていた。
視線を正面に戻す。
一緒に騎士としての道を歩んできたプロパは、たぶん、敵にだってもっと情け深い瞳を向けるはずだ。ミスリル剣の柄に油断なく手を置き、切り裂くような青い視線で僕を睨んでいる。
表情は、無い。
そんなものは邪魔だと、削ぎ落としたのだろう。
「タカハ、私……ッ、私……ッ」とシリアが顔を手でおおう。
「シリア、もういい」とプロパが言った。
「……でもッ」
プロパは僕に言う。
「オレが命令したんだ。オレが、正騎士としてシリアに命令した。彼女たちの家族を人質にとって動いてもらった」
…………なるほど。
シリアに逆らえるはずもない。
僕は状況への印象を修正した。
「お前はピータ村に決して近づかないだろうからな。こんなにあっさりと獲物がかかるとは思いもしなかったが……。いずれにせよ、シリアは悪くない。それだけは忘れるな」
言うことはそれで全部だと言わんばかりにプロパは1度鼻を鳴らした。そのまま。緑のコートを翻しつつ、右手を高く掲げる。
合図のようだった。
瞬間、森の中に伏せていた殺気のようなものが、ぶわり、と僕たちの周囲に広がる。
やはり。
囲まれている。
メルチータさんが僕の後ろに駆け寄ってきた気配を感じる。
そうしながらも、僕はプロパを見ている。
その動きに、すべての神経を集中させる。
「シリア、伏せて。隠れているんだ――」と僕は言う。
返事は聞かない。
聞いている暇さえ、なかった。
「行くぞ。反逆者」
プロパの右手が、まるで指揮棒のように、振り下ろされる。
最悪の敵との戦いの火蓋が、切って落とされたのだった――――




