第113話:「矮小なる愚者が問う」と妖精種の青年は言った。
僕たちは、北東域を『眠りの国』との国境をめざして北上した。
『暁の革命軍』の力がまだまだ弱い北東域では、僕たちの活動はどうしても鈍くなる。騎士たちの手がじわじわと追いついてくるのを、僕とメルチータさんは肌で感じていた。
けれど、北東域での反応も悪くない。
ほとんどの村で、第13月13日目の『招集』への快諾をもらった。
魔法書はどんどん広まっているし、『革命軍』に合流してくれる魔法使いも増えている。僕は彼らに、腕に緑の布を巻くように指示する。ムーンホーク領の証ともいえる緑は、決して騎士団だけの色ではない――――そういう決意のもとに。
――
第13月、7日目。夕方。
僕は、ピータ村の隣村、ファロ村までたどり着いた。
人間の集落、妖精種の集落――川を挟んで互いに干渉をしてこなかった2つの集落を騎士団が無理やり村という枠組みに押しこんだ、小村。
標高の高さを売りにファムの実が特産品となっているこの村には、今では交換商が多く立ち寄るようになっていた。
僕たちはそんな交換商のふりをしながら、門をくぐる。
訝しむ視線を投げかけられることには、もう慣れた。
結論。堂々としていれば、大抵、声はかけられない。
度胸って大切なのだと思う。
「タカハ君」とメルチータさんが言ったのは、ファロ村の広場を横切っているときだった。
「なんですか?」
「ここの1つ向こうのピータ村って……」
「…………はい。僕の故郷です」
ファロ村は、ピータ村のとなり村だ。
「ですが、ピータ村には寄らないほうがいいと思います」と僕は感情を殺して言う。
「……警戒されているから?」
「間違いないでしょう」
メルチータさんはフードの下でため息をついた。
自分の無力さに悩むようなため息だった。
「……私も。ピータ村は寄らないほうがいいと思う」
「はい」
どこか懐かしい思いを抱きながら、僕はファロ村を見る。
森の中にあるピータ村とよく似ていた。ファロ村はピータ村に比べると平地にあり、立ちならぶ家も大きい。狩りを終えてもどってきた男たちの大声と、木の実の食事が炊き出されるなんとも言えない匂い。秋のど真ん中の今は、狩猟団が1年で1番忙しい時期だ。村の外でムーンホーク領が大きく揺れていることなど、嘘のよう。
そんなふうに村の中を見ていた僕は、けれど、感傷にひたっていたわけではない。
にぎやかな広場の光景を見ながら、冷静に、路地裏を探る。
そうすると、たいてい、見つかる。
「……いました。メルチータさん」
「ん、りょーかい」
僕たちは、薄暗い路地の1つに足を向ける。
風すらも遠慮して入りこまないような路地裏だった。そこにたむろする人影が5つ。暗く、不気味な集会だった。
囁き声の会話は近づいても聞こえない。
僕は遠慮なくその路地裏に踏みこんだ。
「あ?」とガラのわるい犬人族の青年が僕を睨み上げてくる。
僕は無言でさらに2歩、近づく。
その時間で、観察は終えた。
右手前、深くフードをかぶっているのは人間か妖精種の女性。左手前に僕を威圧するガラのわるい犬人族。右奥はぞっとするほどに痩せて血走った目を向ける狼人族の少女。左奥はニコニコと笑う人間の少年。一番奥に、仁王立ちする大柄な妖精種の男。
「君がリーダー?」
と、僕は、ニコニコと笑い続ける人間の少年に言った。その笑顔が凍りついたのも、一瞬。
「やるね」
不敵に笑む表情にはどこかすごみがある。
少年のように見えるが、実際の歳はもっと大きいのかもしれない。
「……リィン、なんかやべーぞ、こいつ」
「パイク、手は出さないで」
「お、おう……」
僕は緑がかった髪をした人間の少年、リィンが前に出てくるのを見ている。
「どうしてそう思ったの?」とリィンは言った。
「君だけ、笑ってた」
「……それだけ?」
「他の4人はみんな、ビクついてた。君だけ、そうじゃなかった」
「で、僕たちになんの用?」
「それ」と僕は指をさす。
彼らの腕に誇らしげに巻かれた、緑色の布を。
「緑は騎士団の色だ。少なくともいい目はされない。忠告をしようと思ってね」と僕は言う。
「あんた……騎士か……?」
「どうしてそう思った?」
言葉を反復されたリィンはぐっと下唇を噛む。
両手を握りしめ、顎の動きで緑の布を示すと、言った。
「これは、聖戦のために立ち上がった『革命軍』の証だ。……騎士様なら知ってんだろ? 今、ムーンホーク領を揺るがすような叛逆の戦いが南部で起こってる。以前は正騎士まで上り詰めた『暁の賢者』様が、魔法奴隷のために『賢者の教本』を広めてる」
「……賢者の、教本?」
「ああ。読んだだけで、魔法の仕組み、使い勝手を理解できるすごい本、らしい……。騎士団が僕たちに隠していた、魔法の知識が書かれてるんだ。混沌に囚われた魔法使いたちの魂を新たな世界へと導くための……」
くそっ、とリィンは左目を隠しながら言った。
「僕たちのこと、潰しにきたんだろ……? 答える必要はない。僕たちを潰したって、なにも変わらない……。僕たちの代わりは幾度でも現れる……ッ。あはははは……ッ! あんたらにとっては、『悪夢』そのものだろうなッ。だが、これはッ! 世界の『意志』だッ!」
……。
…………。
その向こうの仲間も含めて、リィンの言葉に賛同しているようだ。
言葉選びに関しては無視することを決定して、僕はゆっくりとティーガの裾に手をかける。
「――――ひっ」とだれかの喉が鳴った。
「ああ、これ?」と僕は服の中に隠していたミスリル剣の柄に触れる。「これは、僕が正騎士だったころに持っていたものだ」
緑の布を腕に巻いた5人が、凍りつく
僕は背負い袋の中から魔法の教科書の『原本』を取り出した。黒インクのまだら模様が染みつき、たび重なる出し入れで角のあたりがすり減ってボロボロになっている羊皮紙の本。僕はそれを、5人に見せつけた。
「読む? 賢者の教本」
「ウソ、だろ……? ですよね? え?」とリィンが呆然と言う。
ガラのわるい犬人族の青年のひざがカタカタと震えはじめ、腕を組む妖精種の男はなぜか鼻をすすり始めた。
「…………『暁の賢者』様?」
「その呼び方は慣れてないけど……。僕はタカハ。正騎士だったころの騎士性はユークス。今は、魔法使いたちに知識を広めて回っている」
「ああっ! あああああっ! 本物? マジかマジかマジか……ッ!!」
リィンは髪をぐしゃぐしゃとかき乱し。
「いいいやあああああああッ!」
血走った目の狼人族の少女がとなりの家の壁に向かってヘッドバンギングを始めた。こ、怖い。ホラー映画だ。てかイヤなのかよ。
「……今回の村ではアウトローな感じの人たちにモテてるみたいだね」とメルチータさんが僕の耳元で言った。ええ。ご指摘のとおりだと思います。
アウトローな彼らは喜びをそれぞれの方向性で表現している。
僕が魔法書の中身を見せたら人格が崩壊してしまうんじゃないだろうか。
「…………ん?」
僕の視線は、5人の中の1人で止まった。
右手前、深くフードをかぶっている人間か妖精種の女性は、フードの中から緑色の視線をじぃっと僕に注いでいる。きわめて普通のリアクションだと思う。つまりアウトローな感じでは無い。グループとかチームが違うのか……?
「……森羅万象の覚醒に至りし流浪の賢者に、矮小なる愚者が問う」
興奮のあまり右手と左目に封印されたなにかが目覚めてしまったリィンは、しゅばっと機敏な動きで奇妙なポーズを取りながら、どうやら僕になにかを問うらしい。
「叛逆の紫炎が燃え上がったこの混沌の時代――『今』、」
「普通にしゃべって」
「……わ、分かりました」
「この人は?」
僕はフードをかぶった女性を示す。
その肩がぴくりと揺れた。
「あ、えっと、2日前から僕らに合流してくれたんです。名前は――」
リィンがそう言ったのと同時だった。
「タカハ、様」
彼女はフードを外した。
妖精種の女の人。
緑色のつり目が気の強さを連想させる。とがった耳の先と頬は赤みがかっているが、肌は白い。鼻のまわりにそばかすが散っていて、金色の髪は長くもなく短くもない。
「あ」
脳を走った電流が、そのまま声になったみたいだった。
時間がピータ村にいたころに巻きもどる。
「もしかして…………シリア?」
「覚えてるのね」
おどろいた様子の妖精種の彼女は咳ばらいをしてから言った。
「久しぶりね。タカハ……様?」
「いいよ、堅苦しいから」僕は苦笑する。
「じゃ遠慮なく」
シリアはピータ村の出身だ。友だち……といえるほど親しくはなかった。顔見知り程度。記憶が正しければ、僕より2つ年上の彼女は、すでに成人した17歳のはずだ。
シリアと仲がよかったのは、正騎士になっているプロパ。シリアの家はプロパの家と家族ぐるみの付き合いをしていた。
あのころ、シリアはどこかツンツンとして近づきがたい雰囲気だったことを思い出す。
今では少し変わっていた。
「……お願いがあるの」
シリアはか弱い口調で言った。
「ピータ村にも『魔法の教科書』を広めてほしい」
「……」
僕はゆっくりと首を横にふる。
「僕の立場は……知ってる?」
「ええ。おおよそ」
「ピータ村は絶対に警戒されている。中にいるシリアは感じないかもしれないけれど、森のなかには騎士団が潜んでいるはずだ。僕は、ピータ村には、行けない」
「私っ」
シリアは俯いたまま、叫ぶ。
僕は声の大きさだけじゃなくて、シリアの行動そのものに少し面食らっていた。
「騎士が嫌い。招集も嫌い。……あなたやプロパが騎士になったとき、おどろいた。『どうしてそんな道を選ぶの?』って。村で暮らしていればいいじゃない。平和で平穏でいられる」
「……」
「でも、タカハが今回の反乱の指導者だって聞いたとき、私、タカハのこと、すごいって思った。ずっと考えてて、ずっと計画してて、騎士団に入って、それを実行したんだよね? もっとおどろいた。……あなたって、『精霊言語』は上手だけど、いろいろと無計画なタイプだと思ってたから」
「そ、そっか……」
ズケズケと言うのは変わっていない。
だからこそ、彼女の言葉はときどき重さがある。
「今のタカハの言葉をピータ村の人たちに聞かせてあげてほしい、って私、心の底から思う」
「……シリア」
「魔法奴隷たちの話、うわさでは伝わってくるけれど、『暁の革命軍』はピータ村には無いの。だから、私はときどき村を抜けだして、ファロ村に来てた。騎士様たちの監視も最近はめちゃくちゃだから……。そうしたら、リィン君たちと知り合うことができて……こんなすぐにタカハに会えるなんて、思いもしなかったけれど……」
「その……元気そうで良かった」
「今さら?」
いたずらっぽくシリアは笑う。
気が強そう、という印象が一気に溶けていく。
「……私が全部用意をするわ。ガーツさんに話して、森のなかで安全な場所を見つけてもらう。そこに、有志の村人たちを集める。だから」
「僕がそこで、魔法書を広める」
「……ええ」
僕は腕を組んで、目を閉じた。
僕だってピータ村の人たちに想いを伝えたい。そういう願望はある。
シリアがその手伝いをしてくれるのなら、出来るのかもしれない。
「分かった」
「……それじゃあ」
「うん。行くよ。ピータ村」
「ありがとう」とシリアは微笑む。
ぼんやりと、どこかに違和感があった。
僕の知っているシリアはこんな笑い方をしなかった。キツい言葉で他人を攻撃して、その反論にふふん、と鼻で笑う。プロパとよく似ているなと思ったことがある。
今のシリアの笑い方は、すごく上品で、大人っぽい。
……それが答えなんだろう。
大人になるっていうのは、たぶん、そういうことだ。
「け、賢者様ぁぁぁ……っ」
話が終わった雰囲気を嗅ぎつけたのだろう。ヘッドバンギングをしていた狼人族の少女が、ガクガクと首や腕をゆらしながら近づいてくる。
「われらに、聖典をぉッ! 祝福をぉぉぉッ!」
「は、はいっ」
……こ、怖すぎる。
大丈夫なのか、ファロ村の『革命軍』……。




