第112話:「たとえ死んでも捕まるわけにはいかない」と僕は思う。
そこは、夜が作り出したかのような、薄暗い部屋だった。
真ん中におかれた燭台の炎だけが唯一の光源。頼りない炎が揺れるたびに、僕たちの作る影は不気味に形を変える。
「――――では、第13月13日目に」と僕は言う。
「必ず馳せ参じましょう」
南東域の1村、リューン村の村長は力強い口調で「『暁の賢者』様も、どうか、ご武運を」と続ける。
ノックの音が部屋に響いたのはそのときだった。
僕は身構え、すぐわきに置いてあるミスリル剣を手に取る。
「このノックは身内の音です」
「……はい」
息を吐き出す。
村長がゆっくりと扉を開けた。向こうから、若い村人が顔を出す。
「もうしばらくお待ち下さい。村人総出で、後半部分の複写を行っています」
「急がせるんだ」と村長が鋭い声で言う。
「はい。私も作業に――――」
だが、その言葉は村の中央の方から聞こえ始めた怒号に遮られた。
「……まったく、騎士様方もお耳が早い」と村長はため息を吐き出す。
騎士団の追撃がこの村までたどり着いたようだ。
僕が集会所にいると見つかるのも時間の問題だろう。
僕は村長に向かって頭を下げた。
「数時間でしたが、食事までいただいて、お世話になりました」
「いえ。お安いことです。『賢者』様が授けてくださった知識と比べれば」
僕は村長に目礼をし、ミスリル剣を手に取ると、薄暗いその部屋を出た。
集会所の大広間で、村人たちが羊皮紙の束をあわてて隠している。魔法の知識が刻まれた羊皮紙だ。
「タカハ君っ」
森の色のローブをまとったメルチータさんが、教科書の『原本』を手に持って近づいてきた。
「行きましょう。裏手から森へ抜けられるようです」
「ええ!」
慌ただしく、僕たちは集会所を去る。かがり火の焚かれた広場に4騎の騎士の姿が見えた。僕とメルチータさんは建物の影を縫うようにして、南東域の夜の森へ抜けた。
――
領都を出た僕たちが最初にしたのは、『南域の大乱』を鎮めることだった。
僕がばらまいた『魔法の教科書』。
知識を、騎士たちが秘匿していたという事実。
その2点を根拠に、南西域、南東域の半数以上の村が招集と徴税をいっせいに拒否した第12月12日目の『南域の大乱』は――――でも、それだけでは足りない。ムーンホーク領全体の4分の1の村が反乱しただけ、だからだ。少なくとも半分以上の村の足並みをそろえなければ、意味がない。
それを、僕たちは、村長たちを説得することで、1度は鎮めた。
不満の熱量は火山の噴火のようだった。けれど、それを散発的に爆発させていたのでは、意味がない。炎が吐き出される向きを決めること。それも、知識を広めた僕の義務だ。
説得と同時に、僕は魔法奴隷たちにあることをお願いしていた。
1月後。
第13月、13日目。
全ての奴隷たちに領都に集まってもらう。
『革命軍』の盟主である僕が、その日に奴隷たちを領都に呼び集める、というわけだ。
もちろん、強制的なものはなに一つない。
僕からのお願いにすぎない。
けれど、そこで決するはずだ。
知識を広める僕が、ゲルフの祈りが正しかったのか。
知識を秘匿する騎士団が正しくあり続けるのか。
奴隷たちは集まってくれるのか、僕を無視するのか、騎士団がそれを封じ込めることができるのか、騎士団に抗うことを奴隷たちが望むのか――――それを決めるのは、当然、僕でも、騎士団でも、騎士団長でも、市民でも、文官でも、貴族でも、公爵閣下でもない。
ムーンホーク領で、もっとも人数の多い、魔法奴隷たちだ。
だから、今の僕たちの目的は、その招待状を出来るだけ多くの魔法奴隷たちに手渡すこと。お願いをできるだけ多くの村で行うこと。もちろん、魔法の知識を詰めこんだ教科書を添えて。
『第13月の13日目に大罪人タカハがなにかをやろうとしている』。
その事実は騎士団にも当然、伝わっている。
逃亡者である僕と追跡者である騎士団の間にあるルールはシンプルだ。
――第13月13日目に領都へたどり着くことができれば、僕の勝ち。
――それまでに、僕を再度、捕らえることができれば、騎士団の勝ち。
局所的な戦いも存在する。その日までに、僕が魔法の教科書の複製を広めれば広めるほど僕はポイントを手に入れる。逆に、魔法の教科書の複製を燃やせば燃やすほど、騎士団のポイント。
その局所的な戦いは『革命軍』に優位に進んでいた。
『革命軍』の地方支部に名を連ねている魔法使いたちの立ち回りは見事で、『大乱』から数日のうちに、加速度的に『革命軍』を名乗る奴隷たちは増えていた。
そこに、ヴィヴィさんが率いる領都にいたメンバーが加わり、騎士団との戦いの最前線を引き受けてくれている。
彼らの力が強い南部では、ほとんど僕にできることはない。
僕とメルチータさんは進路を北へとった。
『第13月13日目』の呼びかけに加えて、教科書を受け取っていない村々を歩き、奴隷たちと言葉をかわし、教科書をばらまき続ける。
それはたぶん、僕にしかできない仕事だ。
『革命軍』の盟主――僕という精神的な支柱を失えば、不満の炎は無秩序にムーンホーク領を焼くだろう。ただ、燃やし尽くす。それで……終わりだ。力を失わなかった騎士団か、それに代わる組織が支配していくのだと思う。
知識を分断し続け、奴隷たちを管理するはずだ。
これまでと同じように。
今日は第13月、2日目。
あと11日。
…………たとえ死んでも捕まるわけにはいかない。
――
僕とメルチータさんは、南東域を『革命軍』に任せ、北東域に向かった。
北東域には僕の生まれ育ったピータ村がある。景色にも見なれた山や丘陵が混じってくる。南東域よりも隠れやすい森に見当がついた。
とっぷりと日が暮れ、僕とメルチータさんは最小限のたき火を囲んでいた。
第13月の別名は『夜長の月』。少し肌寒いけれど、夜も心地の良い適温と言える。
「んん~っ!」
メルチータさんは僕がつり上げて焼いた魚にかぶりついて、幸せそうな声を出した。
この素敵な妖精種のお姉さまとの逃避行で、気付いたことがある。僕と雑談したり、僕と握手したりするのは苦手だけれど、大好きな魔法の話題だけは別。――――そう思っていた。
実はメルチータさん、魔法に加えて食べることも大好きなようだ。
「美味しいね! つり上げたばかりのお魚を食べたのってどのくらいぶりかな……。んー、あ、13歳のときだから、ええっと、16ね――」
「その引き算はしなくていいと思います」
「え? どうして?」
きょとんと、緑の瞳で僕を見るメルチータさん。
年齢を隠したがっていたのはあなたですよ。
「まあ、僕が釣ってきたんだから、美味しいのは当然ですね」と無理矢理に話題を引きもどす。
「そう! ほんとうに美味しい! 脂がちょうどいいね。サモネルだよね? これ」
「はい。この辺りまで上ってくるので」
「へえええっ。私も釣り、練習してみようかな」
その後、メルチータさんは雨乞いの儀式のような動きをした。
……ちょっと待って下さい。
どうやらそれは、釣り竿を投げる動作の真似であったようだ。
アングラーへの道のりは険しい。
「あ、ははは……。ダメ、だね」
「そんなことないですよ」
「もー。そうやってすぐに思ってもいないはげましを言う」
「……いや……」
「……」
僕は言葉を見つけられなくて、サモネルの背中にかじりついた。
はじける皮の舌触りも、香ばしさも、脂の濃厚さも――――どこか、もやがかかった向こうにあるみたいに遠い。ラップをくるんで、そのラップの上から食べているみたいだ。お腹も空いていない。ここ数日、ずっとそうだ。
僕は、考えている。
この食事を終えたら、すぐにテントを設営。すぐにたき火を消す。たき火を消した後は、痕跡を残さないよう、ていねいな偽装が必要だ。どれほど集中しても、痕跡は残ってしまう。けれど、その努力をしない、というわけにはいかない。
騎士団はこの暗い森のなか、どこまで付いてきているのだろう。
僕と、どれほどの距離にいるのだろう。
背中がピリピリとする。
張りつめている。
僕は焼き魚にかぶりつく。機械のように。
「タカハ君」
「……ッ?」
僕は、びっくりした。
視界がいきなり真っ暗になったからだ。
たき火も、2つの月も、夜の森も見えない。
それだけではない、メルチータさんの声は僕の背中側からかけられていた。
両目を温かい感触が優しく押さえている。それが――メルチータさんの手のひらだと気付くのに、ずいぶんと時間がかかってしまう。
「目を閉じたらなにも見えないでしょう?」
「……ええ」
「なにも見えなければ、なにも無いのと同じ」
「……」
「『そんなワケない』、ってタカハ君は思ってる」
「ははっ」
完ぺきに心を読まれた。
「でも、最近ね、ほんとうにそう思うんだ」
メルチータさんは、遠いところに語りかけるように、言った。
「今この瞬間に見えなければ、感じることができなければ、それは無いのとおんなじじゃないかなって。孤児院の子どもたちはそうだった。いつも、この瞬間を生きてた。目の前のごはんを喜んで、目の前の友だちとけんかして、目の前の眠いっていう気持ちにしっかり従ってた」
「……」
「私はいろいろ考えちゃうから。考えすぎてがんじがらめになって、一歩も進めなくなっちゃう。分かっていても、今でもそうなる。……考えることはもちろん大事。でも、考えないことも同じくらい大事だと思うんだ」
「…………あ」
考え続けたメルチータさんの言葉だから、だろうか。
考えない、という選択肢は、僕の深いところにすっと溶けていってなじんだ。
「大丈夫だよ。騎士団の人たちは追いついてない。テントを立てるのも私が手伝う。片付けも手伝う。今は、おいしくごはんを食べて、すっきり眠るのが1番」
肩の力が抜けた。いつもの僕ならメルチータさんの本気の言葉のすみっこを捕まえて茶化しているのかもしれないけれど……言葉がなにも浮かんでこない。
僕はどうやら、自分でも気が付かないうちに、この逃走生活に参っていたようだった。
「……ありがとうございます」
同時に、僕の両目をおおう両手がぴくりと震えた。
「う、ううん。気にしないで……っ、えっと……その……」
言うべきことを言い切ったのか、自分の言葉のどこかに反省をしたのか、メルチータさんの動揺が柔らかい手のひらごしに伝わってくる。
「メルチータさん」と僕は言った。
「な、なに……?」
考えない、飾らない今の僕の言葉は、少し情けないものになってしまった。
「…………もう少しだけ、こうしててもらってもいいですか」
心の底からの、純粋な甘えだった。それがはっきりと伝わったのだろう、メルチータさんの手の震えはぴたりと消えている。
やや、間があって。
「……うん。いいよ」
耳元で囁かれた声が、僕の鼓膜を優しく揺らした。
明日、朝が明けたら、もう1度考えよう。だから、それまで……。
僕はその温かい暗闇の中で、しばらく目を閉じていた。




