第111話:「お手伝いをしたいと思いまして」と犬人族の騎士が言う。
「――――騎士タカハ。君を拘束する」
僕は馬からおりた騎士団長に視線を合わせる。
騎士団長がここに来た理由も理解したうえで、僕は言った。
「なぜですか。団長」
「……ッ!」
瞬間、騎士団長は拳を固めて、振り上げる。僕から見ればそれは人を殴り慣れていない手つきだった。
団長はゆっくりと震える息を吐きだし、僕を殴りつけることなく、腕を下ろした。生気を失ったように見える金色の瞳が、僕を見ている。
「なにをしたか。分かっているのだろうな」
「知識を――だれもが持っていて当然の魔法への知識を、奴隷と呼ばれている人たちに広めただけです」
「だけではない!」
騎士団長は強い力で僕の肩をつかんだ。
理性的なその瞳は、理性的でありすぎたがゆえに、血走っていた。
「知識を広めることが騎士団を転覆させる。それが分かる君が、なぜ、奴隷たちの足並みが乱れればムーンホーク領が転覆すると理解できない!?」
団長は世界に怒りをぶつけるような強い口調で続ける。
「彼らを村という小さな単位に分け、魔法の知識を分断すれば、たしかに彼らの個人個人は弱くなるだろう! だが、こうしなければだれがあんな戦場に行く!? 騎士がコントロールできなければだれが戦おうとする!? もう取り返しはつかないのだぞ!」
「……」
「ムーンホーク領の4分の1以上の村で同時に反乱が発生した。従騎士たちを動員したとして、足りない。もうこの炎を消し止めることはできないのかもしれない」
「……」
「しかし、火種は絶たなければならない。それが、君を連行する理由だ」
「団長――」と僕は言葉を返した。「それでも、僕は間違っているとは思っていません。彼らに戦い方を教えれば、戦場で失われる命がぐっと減るはずです」
「『17の原則』がある以上、個人の戦闘力には限界がある……ッ!」
「『原則』はそのくらいの足枷です」
「それが分かっていて、なぜだッ!! 騎士タカハッ!!」
団長の言葉の圧力が僕の胸を打ちすえた。膝の力を抜けば、崩れ落ちてしまいそうなほどの迫力だった。揺らぎそうになる。この人がかけてくれていた期待に気付かないほど、僕は愚かじゃない。『暁』の弟子として、成長を見守ってくれてさえいたのかもしれない。
けれど、僕はもう止まれない。
魔法の知識はこの国の人々を豊かにする。魔法の知識はこの国を強くする。
今の騎士団のやり方は、間違っている。
僕は『暁の騎士』として、『革命軍』の盟主として、最後の最後まで、自分の意思を貫く。
僕は表情を消し、動揺を押しこめ、騎士団長を見つめ返す。
「ッ。……拘束しろ」
団長は吐き捨てるように言った。
「僕は、あきらめません」
「……前代未聞のことだが」
切り返した団長の口調はすでに冷徹さを取り戻していた。
「正騎士である騎士タカハを罪人としてとらえる。これは、公爵閣下の法令にも基づいている」
『公爵閣下』という言葉が魔法奴隷たちをどよめかせた。騎士タカハは王族にも認められた大逆人である、と団長は言ったのだ。おそらく、その言葉の持つ影響力を理解した上で。
なら。
「団長だって、気付いているのではありませんか」
「……なにをだ?」
「敵国はますます国力を増してきています。魔法使いたちは強くならなければいけない。だれかが統一して、魔法というこの武器を、鍛えなければいけない」
「……」
「この国は――――貴族や、市民や、騎士たちのためにあるわけではありません」
どっ、と魔法奴隷たちが声を上げた。歓声のようで、悲鳴のような、不思議な声だった。それを騎士団長は視線の力で封殺する。
「拘束しろ。私は書物を探る」
団長のわきに居た2人の騎士がゆっくりと僕の手に縄を結び、最後の1人が僕の魔法を封じるための猿ぐつわをかませる。
「…………油断をしましたね」
喉の奥に笑みを殺しながら囁いた最後の1人は――騎士エリデだった。
怠惰で傲慢なペルシャ猫は、勝利の喜悦に瞳孔を細める。
「あなたが今回の反乱軍の中核に近い立ち位置にあることは以前より掴んでいました。『革命軍』の規模はつかみきれていませんが、あなたの命にこそ価値がある。『暁の大魔法使い』の弟子であるあなたの命に。……利用させてもらいますよ、私が、ふたたび緑色騎士団の中で返り咲くためにね」
くつ、くつ、と――猫は笑う。
そのまま、馬車に乗せられた。
僕は抵抗しなかった。
馬車が動きだすその瞬間まで、イコン村の人たちはだれ1人として身じろぎもせず、言葉も発さず、僕と騎士たちを見ていた。
夕日は山の稜線に落ち、馬車は動き始める。馬車は中に乗っている人の姿が見えない幌がかけられたタイプだ。僕は足元に視線を落としながら、眠った。休めるときに休んでおくべきだ。
正直に反省すれば、つかまるつもりは少しもなかった。
予定では、奴隷たちの反乱の発生と同時に行方をくらますつもりでいたのだけれど……騎士団長の行動が想像以上に素早かったのだ。
騎士エリデの強い要請があったのは間違いないだろう。そういう意味では、この騎士も優秀なのかもしれない。
夢と現実の狭間に忘れられたようなその長い夜、競うように天の中央に上っていく2つの月だけが、記憶に焼き付いた。
――
空がじわじわと明るんでいき、太陽が登って、僕は目覚める。
両手の拘束はきつく肌に食いこみ、猿ぐつわから垂れたよだれが頬を冷やし続けている。空腹もひどい。肩甲骨が身体に張りついてしまったかのような錯覚。座り続けていたお尻も痛い。
馬車は一度、止まった。
聞き慣れた鎖の巻き上げられる音が聞こえる。
……そっか、と内心につぶやく。
ここは領都の正門のようだ。
となると、下げられた橋を進み始めた馬車が向かうのは、大通りだろう。
馬車はすぐにふたたび足を止めた。
「……どうした?」と騎士団長が御者台に問う。
「奴隷たちです。『暁の騎士』様を解放しろと」
御者の悲鳴のような言葉を受け、騎士団長は黄金の瞳で前方を睨んだ。
「足を止めるのはマズい。無理矢理でも進め」
馬のいななき、怒号、じりじりと進む馬車の振動が時間の経過を教えていた。
僕は、考える。
正騎士である僕が封じこめていた知識をばら撒いた。ムーンホーク領の歴史に刻まれるような決定的な事件となるだろう。
ありえない行動だからだ。
少し考えれば分かる。それが自らの首をしめる、ということを。招集に人数を送り出したい騎士の立場なら、奴隷たちは知識を持たないほうが都合がいい。民が強くなってしまえば管理に苦労する。だが、その結果として自国の兵士は弱くなる。
言葉にしてしまえば呆れるばかりの致命的な矛盾。
「騎士タカハ」と騎士団長が言った。
僕は目を開き、視線だけで応える。
団長はゆっくりと僕に近づいてきて、猿ぐつわを外した。
「なにを考えている?」
「……なにも考えていませんが」
数時間ぶりに動かした口の中が、しびれる。
「では、なぜ、それほどに平静を保っていられる?」
「自分のしたことが正しいと、確信しているからです」
「……ッ」
僕の言葉にひるんだようにも見えた団長は、反論の言葉を飲みこみ、僕にもう一度猿ぐつわを結んだ。べたべたとした不愉快な感覚が頬に貼りつく。馬車は遅々として進んでいないようだ。
「――――騎士団長」と声が聞こえた。
木組みの馬車をブーツが蹴る音とともに、幌のかけられた荷台に乗りこんできた人物が居る。
彼を見て、声が出そうになった。
馬車に飛びこんできたのは、犬人族の騎士。
リュクスだった。
三角形の耳が、きっちりとセットされた黒の長髪の中で、ピクピクと揺れている。リュクスは僕に一瞬だけ目を合わせ――――すぐに逸らした。
「騎士リュクス……どうした?」
「ムーンホーク城から急いで参りました。お手伝いをしたいと思いまして……。前方を占拠する魔法奴隷の件ですが、自分に考えがあります。お任せください」
騎士団長の顔に微笑みが戻る。「そうか。では、頼むぞ」
リュクスはゆっくりと僕に近づいてくる。表情は冷たい。僕を荷物の1つであるかのように見下ろしている。
待てよ。
なぜ……?
なぜ、リュクスは僕に近づいてくる……?
「……ッ!」猿ぐつわの中の声がくぐもった。
――――リュクスの手の中に金属の輝きが隠されていることに気付いたのは、リュクスがすぐ目の前に立ったときだった。
つまり、遅すぎた。この場にいた、だれにとっても。
電撃のような一瞬だった。
「騎士リュクスッ!」とナイフを見た騎士団長が目を見開いて叫ぶ。
僕は身を固め、リュクスの目を見つめ返す。感情を殺した、魔法使いの目で、リュクスは僕を見ている。その瞳には、なんの感情だって宿っていなかった。
よけることは不可能だ。近すぎた。
僕は、抵抗することをやめた。
最後の瞬間までナイフの切っ先を見つめ続ける。
リュクスの手に隠されたナイフの切っ先は――――
僕の身体に向かわなかった。
――――ぶつっ、という鈍い音ともに。
僕の両手をしばっていた縄が断ち切られる。
「…………へ?」と間の抜けた声は、僕の口から。
「お手伝い」
呆然とした僕に、リュクスは完ぺきなウィンクを投げかけている。
馬車の中のだれもが、さらに1秒、動きを止めた。
その1秒で、十分だった。
「ラフィアちゃん――ッ!!」
リュクスの声とほとんど同時――――
馬車をおおっていた白い幌が斜め十字に切り裂かれ、双剣士専用の防具を身にまとった人影が弾丸のように飛びこんでくる。たんっ、と小気味のいい音を響かせて、ラフィアが馬車の中で立ち上がった。影を溶かしたような双剣が振りぬかれ、次の瞬間には、僕の猿ぐつわと両足の拘束が切り裂かれている。
「ニンセンを捕らえたという肉体奴隷かッ!?」
「――ッ!」
「なっ――!?」
団長はミスリルのレイピアを抜剣しようとするが、その柄にはすでにラフィアが放った拘束用の縄が絡みついている。武器の性質上、レイピアの優れた使い手である騎士団長とラフィアは相性が悪い。その団長を封殺した。
僕、リュクス、ラフィア。
団長、残り3人の騎士。
計7人の人間がひしめく馬車の荷台の中に、魔法を使えるような距離は残されておらず、詠唱できるような時間も残されていなかった。
ここはラフィアの距離で、今はラフィアの時間だ。
ラフィアは双剣と、縄と、フェイントを巧みに織り交ぜながら、3人の騎士たちの間を駆け抜ける。白い嵐のようだった。
彼女が通りすぎた後には道ができている。
「団長! 詠唱の許可を!」
「ならん! 馬車の近くには人が多すぎる! 手で止めろ!」
「しかし――――」
僕は3人の騎士の間を走った。
馬車の荷台の長さは、数歩の距離。
幌の向こうに見える光の中に、僕は飛びこんだ。
領都の大通りを、逆さに底が抜けたような秋の青空が覆っている。
そして、馬車を囲む大勢の魔法奴隷たちが視界に映る。
胸の底に熱がともる。
奴隷たちは――全員が魔法の教科書の複製を持っていた。
「騎士様――ッ!」「『暁の騎士』様――ッ!」
彼らは魔法書を空に掲げ、僕に見せつけてくる。
馬車の荷台から飛び出し、着地するまでの間に、僕は緑のコートを肩から引き剥がした。奴隷たちの大声と、大通りを走る秋の風が、僕の緑のコートを舞い上げ、空へと攫う。
「領都の正門を直ちに閉鎖だ! なんとしても捕らえろ!!」
後ろから騎士団長の怒号が響く。
僕たちは魔法奴隷たちの海の中を領都の正門の方向へ走る。歓声が紙吹雪みたいに僕たちを包む。
すぐ隣に、犬人族の正騎士、リュクスが並んだ。
「……タカハ、間に合ってよかった」
「どうして……ッ?」
僕は、ラフィアが助けてくれる、と信じていた。
けれど、リュクスの登場でそれがもっとスムーズになったことは間違いない。
「んー。なんとなくだけどさ」
リュクスも緑のコートを肩から脱ぎ去って、不敵な笑みを僕に向ける。
「俺、従騎士のときから思ってたんだ。タカハに付いていくのが、面白そうだなって」
僕は苦笑した。たしかにリュクスには公爵閣下の血が流れてるらしい。
「……ほんとにいいの?」
「言ったよな? 俺は鼻が利くんだ」
つんつん、とリュクスは自分の鼻先に触れた。もう一度苦笑する。
「後悔はさせないよ、リュクス」
「ああ。楽しみにしてる」
「……ラフィア、追撃は?」
兎人族の少女は耳をぴくぴくと動かしながら周囲の建物の屋根に視線を走らせている。そのままこちらを見て力強く頷いた。「ないと思う。魔法奴隷の人たちが邪魔してくれているみたい」
「よしっ」
僕たちは魔法奴隷たちに紛れて大通りを疾走し、大きな石造りの正門を出た。
「頼んだぜ、『暁の騎士』様!」
いつか会話をした門の衛兵が右腕を掲げた。僕も同じ仕草で応える。
正門の外は、草原地帯が広がっている。
風に揺れる草原で、見慣れた複数の人影が待っていた。
薄青のツナギ姿で腕を組んでいるエクレア。
橙の髪を大きく揺らして手を振るコロネちゃん。
そして、無表情で僕を見る白黒の使用人、ティルさん。
胸に手をあてて、息を吸ったり吐いたりしているメルチータさん。
「ド派手に逃げてきたんだな」
「頑張ってくださいっ! ティルさんのことは任せてっ!」
この逃避行に、出会って数日のティルさんは巻き込めない。領都に残るエクレアとコロネちゃんに保護をお願いしていた。
「タカハ様のお言いつけの通り、食料、羊皮紙などの雑貨を用意しておきました。3人分ですが……こちらになります」とティルさんが渡してくれた革袋を受け取る。ずっしりと重い。
「馬は4頭連れてきて正解だったな。みんな歳をとってるけど、気性がおだやかで根性があるから安心してくれ」
「借りにしておいて」
「出世払いで頼むぜ。期待してるからな」
エクレアの手から4本の手綱を受け取り、僕は一緒に逃げる残りの3人に向き直った。
「4人で行動する必要はない。二手に分かれる。狩猟術、生存術を使えるのは僕とラフィアだけ。ミスリル武器を持っているのは僕とリュクスだけ。だから…………僕とメルチータさん、ラフィアとリュクスのペアで行こう」
「戦略的な目標は?」とリュクスがプロパの口調を真似て言った。
「『第13月13日目』、それから、『魔法の教科書をばらまき続けること』だ。ラフィア、道中で説明をしてあげて」
「うんっ」
「各地の『革命軍』を頼って。2人は西部をお願い。僕とメルチータさんで東部に向かいます」
震える息を、吐ききる。
「きっちり1月で、すべてを収束させる」
僕たちは手早く再集合の地点を決め、一斉に馬に騎乗した。エクレアたちが草原の間に隠れる。
――――それと同時だった。
「いたぞ――ッ!」「騎士タカハと騎士リュクスだ!」
領都の正門のほうから、騎士たちの怒号が響く。続けて、容赦のない詠唱――。炎の球が飛来し、雷が近くの地面を削る。氷の槍が僕のわきをわずかに外れ、大きな土の塊が頭上をかすめて飛んで行く。
4人は、2人と2人に別れ、領都に背を向けた。
メルチータさんは矢を放つような鋭い視線を騎士たちに向け、呪文を唱える。
「”土―11の法―巨大なる1つ―今―彼方に”」
単位魔法は『土の11番』。
土の壁を起こす防御呪文に、”巨大なる”の修飾節を重ねたメルチータさんの魔法は、お手本のように完ぺきなタイミングで発動した。
「”ゆえに対価は 12”」
騎士たちの正面に立ち上がった巨大な土の壁がその視界を塞ぐ。飛来する魔法が数秒、止んだ。馬の全力で逃げる僕たちにはそれで十分だった。
「……」
「……」
僕とメルチータさんは無言で草原と丘の間を疾走する。
風は強く、秋の空はどこか突き放すように遠くにあった。
――――第12月、13日目。
『南域の大反乱』が発生した、その翌日。
手に入れた正騎士の位をたったの2月で失って、僕はメルチータさんと2人、領都から逃げ延びていた。




