第109話:「困りました」と使用人は首をかしげる。
回想終了。1ヶ月前から僕は今へ帰還する。
「まとめると」
ラフィアは、満面の笑みを継続中。
もはやお面のようになってる。
「メルチータさんは『教科書』を作るために呼んだ」
「……はい。カギも渡していました」
「ティルさんは領都からの派遣」
「……はい。僕はその話を知りませんでした」
「エクレアと妹ちゃんは押しかけてきた」
「……はい。そちらも同じく知りませんでした」
「ふー」とラフィアは息を吐き出す。
ぴくぴくとベージュ色の耳が揺れた。
「じゃあ、――しょうがないか」
受刑者の心境だった僕は顔を上げる。
ラフィアは穏やかに微笑んでいた。
「だってタカハが悪いわけじゃないもの。正騎士の権利を乱用してるんじゃないかな、って心配になっただけだから」
「あ……。僕もメルチータさんの件は報告しておくべきだった」
「そうだね。領都に呼ぶだけじゃなくてお屋敷に呼ぶなら、家族にも許可をとってほしかったかな」
呼んでおいて宿を探してもらうわけにもいかなかったから、屋敷に部屋を貸したのは僕だ。
「じゃあ、いい?」
「もちろん。いいよ。それに、そういうことなら賑やかで楽しそうだもんね」
にっこりと笑ううさみみ少女。相変わらずの完ぺきな人格者っぷりに僕は絶句する。と同時に、少し心配になる。ストレス発散とかしているのだろうか。そもそもストレスが溜まらない……?
「今、メルに協力してもらって、魔法使いを相手にする戦い方をいろいろと考えてるの」
「そうなの?」
メルチータさんのことを『メル』と呼ぶくらいには仲良くなっているようだ。
「おとーさんとタカハの夢に協力するって決めたから。……たぶん、一対一ならそうそう負けないから、今は一対多数の戦い方を考えるのと、騎士様を相手にした場合の戦い方も考えてる」
「ラフィア……」
「だって、もうすぐだよね」
第12月、12日目。
最初の火の手が上がる。
「教科書、想像以上に広まっているからね」
「最初は、どこなんだっけ?」
「南東域と南西域。協力者が多いから」
「来月の任務は?」
「まさにその南西域に行ってくるよ。駐屯任務で」
「そっか。……気をつけてね。無理はしないで」
「うん」
「……」
ラフィアは肩の力を抜いた。
「ピータ村はどうだった?」と僕は訊く。
先月、ラフィアは北東域にいた。『教科書』を北東域の支部に手渡してもらうのが目的。……とはいえ、渡すだけでそれほど時間はかからないから、月の半分くらいはピータ村で羽を伸ばしてもらった。
ラフィアは気楽な話題に微笑むと、テーブルの向こうからこちらに回ってきて、僕の隣に座った。髪から甘い匂いが漂う。僕とラフィアは並んで、料理を作っているエクレア、コロネちゃん、ティルさんを見る。
「みんな元気だったよ。ソフィおばあちゃんは腰が曲がっちゃって大変って言ってた」
「無理してないといいけどな……」
「村長はガーツさんだけど、魔法の指導者はソフィおばあちゃんなんだって」
かつてはゲルフが行っていた、子どもの魔法を指導する役割だ。ラフィアは耳をぴくぴくとさせて声をひそめた。うわさ話モードだ。
「実はね、おばあちゃん、あんまり子どもが好きじゃないらしいの」
「え? そうなの?」
「あ、『好きじゃない』だと誤解しちゃうかな。苦手……? うん。苦手らしいんだ」
いっつもニコニコしている印象だったから、てっきり子どもが大好きなのかと思っていた。
ラフィアは楽しそうに言葉を続ける。
「逆に、おとーさんはすごく子どもが好きだったんだって。おとーさん、生きていたとき、ずっと子どもたちの指導役をやってたでしょう? 期間が長かったからおばあちゃんが『交代するよ』って何回か言ったらしいんだけど、いろいろな理由をつけて断られてた」
ラフィアは肩を揺らして笑う。
「他にもおとーさんのこと、いろいろ教えてもらったんだ。ファムの実がほんとうは好物だったり、昔は泣き虫だったり」
「……父さんとばあちゃんは、夫婦だったんだもんね」
「すごく素敵だと思う。お互いに実力があって、ずっと一緒にいるわけじゃないけど、肝心なときは頼りにしてて……」
「……」
僕はラフィアに視線を向けた。
目が合う。
つまり、僕が見るより前から、ラフィアは僕を見ていたことになる。
大きな青色の瞳がじっと僕に向けられていた。
「さっそく明日の朝からラフィアのことを頼りにしようかな」
「……寝坊宣言?」
「僕だって1人の任務のときはぴったりの時間に起きられるよ。けど、ラフィアが居ると安心して熟睡しちゃうっていうか。むしろ起きないふりっていうか」
「もう。なにそれ」
ラフィアは頬をくしゃっとさせて笑った。
笑って、言った。「2回まで、だからね」
「…………」
この流れの後でも、2回起こしに来てくれるらしい。
降参。
不足していた姉成分を十分に摂取し終えたところで――僕は正面から注がれているじとっとした3つ視線に気付いた。
「……姉弟でいちゃいちゃしてるね、お姉ちゃん」
「ああ。あの正騎士サマはすぐに女の子を口説いちゃうんだ」
「そうなのですか」
「間違いないぜ、ティル。約束するよ、ティルもそのうち口説かれる」
「タカハ様が私を……。なるほど、つまり――――」
「お前らな」
僕は立ち上がり、キッチンのほうへ突撃する。ティルさんは頭を下げ、明るい髪の少女たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「タカハ様、お食事の用意が整いました」
「え? ……あ、うん。いただくよ」
「かしこまりました」
事務的な口調でそれまでの流れを完ぺきに誤魔化したティルさんは、手際よくラフィアの座るテーブルに料理を並べ始めた。
「メルチータ! 朝だぜ! ゴハンだぜ! 昼ゴハンだぜ!」と廊下の方から元気いっぱいのエクレアの声が聞こえる。
「……もう少し寝たい~」
「子どもじゃないんだからさ!」
「うぅ……。……年齢の話は勘弁して……」
目をこするメルチータさんが廊下の方から入ってきて、テーブルにつく。ティルさんは召使いらしくその椅子を引いてあげている。
そして僕はようやく、異常事態に気付いた。
1、2、3、4、5……5人の女の子に、僕を加えて6人のテーブル。
すごい。
ちょっと信じられない。
異世界に転生して15年。すべてはこの日のためにあったのか……!
だが、ふと気づいた。
姉さん、居候、使用人、侵入者、侵入者。
…………。
……全員、肩書きは微妙だった。
料理の出来栄えに感動するラフィア、無表情のティルさん、お昼を過ぎてもまだ眠そうなメルチータさん、そわそわした様子のエクレアとコロネちゃん――その全員が、食事を前に僕を見ている。
……そうか。屋敷の主は僕で、僕が家にいる以上、僕が食べようと言わなければみんな食べられないのか。なるほどなるほど。
「じゃあ食べようか。いただきます」
5つのまぶしい光みたいな声が大広間に広がった。
そして、僕は――そのうちの1つを、じっと観察していた。
――
予想通り、事件はその夜のうちに起こった。
屋敷の玄関で、2つの月光がまだらの影を作り出す。
「――――どこへ行くの?」と僕は言った。
屋敷の主がこんな時間まで起きているとは思わなかったのだろう。
彼女は肩を震わせ、そして、足を止めた。
まあ、気持ちは分からなくもない。
みんなで昼食をとった――あの後からが本番だったのだ。
エクレアとコロネちゃんが真昼間から枕投げをしたいと言い出したり、ラフィアが『どうせ枕投げをするなら寝間着でやるべきだよ』とよく分からない優等生ぶりを発揮したり、ブレーキ役として期待していたティルさんが全員分のパジャマを完備していたり……と、屋敷は枕投げ大会の会場に変貌した。
常に全員から狙われたため、僕はわりとすぐに退場して見学することにした。ラフィアとエクレアのキレキレの動きも、コロネちゃんの意外とあざとい立ち回りも、ティルさんの正確無比な投擲も見ていて飽きなかったけれど、自分の曲げた枕を自分に当ててしまうくらいに運動オンチなメルチータさんにはちょっと勝てないだろう。本人が全力で他人に枕を当てようとしているのがポイントだ。
僕は昼から窓際で思いっきり昼寝をした。
その間も大広間ではガールズトークが続いていたようだ。
楽しかった。
こんな楽しい休日は、2回の人生を通して初めてってくらいに楽しかった。
だから――それが目の前の彼女以外の全員の協力のもとに演出された楽しさだったという事実は、少しだけ、寂しい。
いずれにせよ。
「今日か、遅くとも明日だと思ってたよ。――ティルさん」
「――――」
透き通るような肌は白。
折れた耳は黒。
黒の髪に白いメッシュが入っているように見える短髪の上には、白いメイドキャップ的ななにか。
僕をじっと見つめる無表情の瞳は、大きく、黒い。
文句なしの美人。
胸に手を当てる姿は優美で、無駄がない。
「起こしてしまいましたでしょうか。申し訳ありません」
いや、隙がない、の方が正しいか。
「ううん。それは正確じゃないよ。起きてたんだ。ティルさんが動くなら、深夜だろうからね」
「困りました」
ティルさんは白い人差し指を頬に当て、かすかに首をかしげる。
「申し訳ありません。タカハ様の仰っていることが、よく分かりません」
「エクレアとコロネちゃんを招き入れたのはやりすぎだったね」
「……」
「『肉体奴隷が接触をしてきたら多少強引でも屋敷に引き入れろ』。……そう、指示されてたんでしょ?」
「指示、とは」
「そうか、『見つかったとしてもしらを切りとおせ』とも言われてるんだ。でも、僕には確信があるんだよ。ティルさんがこの屋敷に派遣されるはずはない、っていう確信がね」
「……はずは、ない……?」
「そう。だって僕はライモン公爵に直接、『お手伝いの肉体奴隷の派遣は不要です』って断ったんだから」
「――――!」
ティルさんの鉄壁の無表情に、かすかに、ヒビが入ったように見えた。
「僕はたしかに、騎士団の本部でも『肉体奴隷の派遣は不要です』っていう書類を提出した。だから、君の雇用主であるその騎士は、ライモン公爵の名前を出せば無理やりでも君を送り込めると思ったんだろうね。……その計算は外れてしまったけれど」
ぴくり、と黒い三角形の犬耳が揺れる。
「ティルさんが今日の夜にまとめた報告書を、僕に見せてくれないかな」
「私は――――」
「命令も、脅しも、好きじゃないけど。ティルさんの方から見せてくれたら悪いようには決してしない」
沈黙は、1秒だった。
「――――ッ」
決着は、一瞬だった。
「ごめんなさい、ティルさん」
気配を消して忍び寄っていたラフィアがそう言った。
右手は、ティルさんが懐に忍ばせた手を押さえている。
視界の右側から杖を構えたメルチータさん。
視界の左側からアートを取り出したエクレアとコロネちゃん。
ラフィアに両手を押さえられたまま、ティルさんはゆっくりと崩れ落ちた。
「……タカハ様、お願いがあります」
「……」
ティルさんは黒曜石のような瞳と、淡々とした無表情で、僕を見て、言った。
「――――どうか、私を殺してください」
ため息。
そのセリフまで予想通りで、もう、見てられない。
「断るよ」
「なぜですか?」
「嫌だから。ティルさんに手をかけるのが僕は嫌だ。それに、今のところ、命を奪う理由もないし。だから、ティルさんの選択肢は2つ。1つ目、――明日から出発する僕の駐屯任務についてくる」
「え……?」
「この場合、ティルさんは雇い主に報告書を提出することはできない。そして、任務から戻った後、君はもとの場所に戻されることになる」
ぴくり、と。
ティルさんの肩が震えた。
表情も、視線も、ほとんど動かなった。
でも、『もとの場所』と言った瞬間、ティルさんは確かに――動揺した。
「2つ目、『雇用主の名前』と『雇用主がティルさんに命じたこと』の詳細を僕に伝える。つまりスパイが寝返るってわけだ。もちろん、タダでとは言わないよ」
「それは……」
「この場合――僕が正騎士としての全権能を行使して、ティルさんの身柄を以前の騎士から守る。……むしろこっちの方が情報は手に入るし、ティルさんとも仲良くなれるし、僕としては助かるかな」
今度こそ決定的だった。
ティルさんははっきりと、黒目がちの大きな瞳を見開いた。
ややあって。
「…………タカハ様はなぜ、私に選択肢をくださるのですか」
それがどこまでも純粋な疑問であると気付いたとき、僕はティルさんが生きてきた環境を知った。
彼女は選択肢を与えられたことがないのだ。
城仕えの肉体奴隷。いや、その身分もティルさんの言葉を鵜呑みにしているだけだから、実際はどうかわからない。市民出身の正騎士の屋敷で働かされてきたのだとしたら、城仕えより待遇が悪い可能性だってある。
「私は、タカハ様を裏切ろうとしていたのです。なぜ罰をお与えにならないのですか」
「んー」
僕は言葉を探して、それはわりとすぐに見つかった。
「――ティルさんの料理は、美味しかった」
「……ぁ……」
「屋敷もぴかぴかだし、書斎の本の配置も従騎士の宿舎のままになってたし、仕事は完ぺきだった。このまま、使用人を雇うのも悪くはないかなと思って」
「…………分かり、ません。仰っていることの意味が、よく……」
「ティル、うだうだ悩んでんじゃねーよ」エクレアがにぃっと笑いながら言った。「選択肢は2つで、どっちか決めろって屋敷の主が言ってるんだぜ? 使用人ならさっさと返事をしなよ」
「エクレア様……」
「そーですよっ。難しく考えることないですっ。今日1日このお屋敷にいてどう思いましたか? その雇い主の人とタカハ様を比べればいいだけの話なんですよっ」
「コロネ、様……私は……」
ティルさんはかすかに首を振った後、僕に顔を向けた。
そして、言った。
「私の雇用主は……緑色騎士団、正騎士、エリデ=レイン様です」
「……」
「タカハ様の行動やお屋敷に出入りする皆さまに関する情報をできるだけ細かく手に入れるように、と」
「…………そうか」
騎士エリデ。
元緑色騎士団副団長
ペルシャ猫のような、猫人族の騎士。
僕は必死に呼吸を整える。
そうしなければ、怒りに呑まれそうだったのだ。
ゲルフは直接的には『ミシアの使徒』に殺された。
だが、もし、ゲルフを殺した人間がだれかと問われれば――僕は間違いなく騎士エリデの名前を挙げるだろう。
けれど、相変わらずの間抜けっぷりだ。
どう転んだとしても、ティルさんをこの屋敷に送りこんだ時点で、――その事実を僕が掴んだ時点で、僕が優位に立つことになる。
少し考えたら分かることなのに。
「エクレア、あの工房、1人くらいなら入るかな?」
「ああ」
エクレアはしょーがねーなという感じに肩をすくめた。
「もちろん大丈夫だぜ」
「というわけで、ティルさん、あなたには――ちょっと誘拐されてもらう」
ティルさんは犬耳をぴくぴくっと動かしたあと、小さな声で「……はい」と言った。




