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算数で読み解く異世界魔法!  作者: 扇屋悠
騎士団編・第5部
108/164

第107話:「本当に、僕は悪くないんだ」と僕は言った。




 騎士団本部を後にした僕を、どこまでも広い青空が見下ろしていた。

 僕はその足をムーンホーク城の近くにある、自らの『屋敷』に向ける。


 正騎士の規定に従って、2、3日は休める。

 少し、ゆっくりしよう。

 今月の任務はハードな日程だった。17日で8つの村って、単純計算で2日で1つの村を回っている計算になる。当然、そんなのに意味はないから、1日のうちに2、3の村へ同時に顔を出していたわけだ。A村の狩猟団に指示をし、B村で魔法の授業、C村で子どもたちの相手をして、夕方はD村で村長と会談して――――


 思い出すだけでどっと疲れてきた。

 ゆっくりしようそうしよう。

 権利はあるよね。


 翼を広げた鷹のようなムーンホーク城を尻目に、僕は通りを折れる。

 同じような大きさで並ぶ2階建ての建物のほとんどは、文官を多く輩出する市民の所有物だ。すれ違う人の服飾を見て、一等地であることを再認識する。


「ここか」


 数分歩き、僕はその建物を見上げた。


 僕の・・屋敷だ。


 公爵閣下から正騎士に与えられるのは、任務を遂行するために必要ないくつかの権利だけではない。『屋敷』――そう奴隷たちから呼ばれる建物を1つ、ムーンホーク城に近い最高の立地で使うことができるのだ。

 僕が借りることのできる屋敷はどうやら2階建てで、大広間にキッチン、書斎、寝室は5つ、というぜいたくな造りをしているらしい。それをタダで貸してくれるというのだから、もうね。断る理由なんてないだろう。――たとえそれが短時間だとしても。

 前世の一般的な一戸建てよりデカい。石造りのベースに木を組んだ頑丈なデザインで、しかも庭付きだ。これが僕のものだと思うと、家を持つっていうのも悪くはないんだな、と率直な感想が浮かぶ。


 正騎士に指名された直後から僕はずっと駐屯任務に向かっていた。荷物の移動とかはやってくれるという話だったから、任せていたのだ。

 家に初めて帰ってくる、という不思議な状況になる。


 鉄の門を開け、小さな庭を横切り、扉の前に立った。


「…………あ」


 そこで気付いた。カギを忘れた。

 騎士団本部だ。着替えたときに自分の執務机に置きっぱなしにしていた……。


 あー。

 うー。

 なんなのこの上手くいかない感じ……。


 体中から気力を奪われ、自宅の前で崩れ落ちそうになっていた僕。

 その背中に声がかけられたのは、そのときだった。


「おー、お帰りタカハ~」

「お疲れさまですっ。お昼ごはん、すぐに用意しますね!」


 振り返る。

 秋の穏やかな昼下がり。

 整えられた庭を背景に、違和感すら覚えるほどによく目立つ2つの人影が並んでいた。


 揺れる青髪と緑色のツナギ、踊るオレンジの髪と白黒の服。

 エクレアとコロネちゃんだった。

 …………幻覚?

 幻覚ではなさそうだった。よく似た2人の少女はなにかを間断なく喋り続けながら、僕の横を通り過ぎる。そして、木の実や野菜や生肉といった各種食材を抱えた袋を持って、僕の屋敷の・・・・・扉を開けた・・・・・

 扉は、これっぽっちも抵抗しなかった。

 ……冗談だろ?


「…………落ち着け。まずは落ち着くんだ」

「なに言ってんだよ、タカハ」

「タカハ様?」

「今日まで、僕はずううううっと任務に出ていた。そして、僕が持っているこの屋敷のカギは1つ。僕が今、騎士団本部に置いてきたものだけ。つまり――――」

「つまり?」「つまりっ?」

「……いや。なんで2人はさも自分の家みたいに僕の家に上がろうとしてるのさ?」

「タカハの屋敷だから」「タカハ様のお屋敷だからですっ!」


 いやいやいや。

 ちょっと待て。


「カギ、渡してないよね?」


 瞬間、僕は少しだけ後悔した。

 ふーん、と無表情に戻したエクレアが腕を組む。


「アイツには渡すのに、ボクたちには渡してくれないんだ~。へ~。相棒だと思ってたのにな~、タカハがそんなに薄情なやつだとは思わなかったな~」「な~っ!」


 仏頂面と満点の笑みのセット。リアクションに困る。

 コロネちゃん……敵に回すと厄介かもしれない。


「ま、心配すんなよ。もう合鍵があるからさ」

「へ? なんで?」

「上がっちゃ、だめですかっ……?」


 うるうるとしたオレンジ色の瞳が、低い角度から僕を見上げている。

 ……視線をそらしてしまった時点で、僕の敗北だった。


「…………いい、けど」


「許可が下りたぞ! コロネ! ――やっほー、ティル!」

「やったねっ! 領都の一等地に別荘だよっ! こんにちはっ! ティルさん!」


 僕の両側をすり抜けるようにして、小柄な姉妹が屋敷に突入していく。


「ちょっと待って! コロネちゃんはどうして領都へ!?」と僕は廊下に向かって半分くらい自棄ヤケで叫んだ。


 オレンジ色の髪をぱたりと揺らして、コロネちゃんは振り返る。


「はいっ! 私っ、未成年なのでっ。シフォンさんに勧められたんですっ。『姉貴のところで社会勉強をしてきな』って。なのでっ、パパにお願いして、領都へ出してもらいましたっ!」

「お願いって……あんなことの後なのに……滅茶苦茶だ……」

「えへへっ! お昼はクロッカの実を添えたサラダにしますねっ」

「はーい、楽しみにしてまーす……」


 主である僕よりも勝手知ったる足取りで、屋敷の廊下を疾走する2人。

 なんだこれ……。

 僕の穏やかな休日を返してほしい。


 扉をくぐり、靴を脱ごうとして。

 僕の身体は自宅の扉で静止した。


 …………ん?


「お帰りなさいませ、タカハ様」


 鈴の音のように澄んだその声に、聞き覚えはなく。

 扉のすぐそばに立っていたのは今度こそ見たことのない顔だった。


 目頭をむ。

 疲れすぎているせいで見える幻覚その2なのか。


 犬人族ドグアの女の人だった。スレンダーな身体を、質素な黒いティーガと黒いスカートで包んでいる。エプロンの白とのコントラスト。両手をきっちりと前で組み、僕を見ている。


「……えっと、あなたは?」


 透き通るような肌は白。

 折れた耳は黒。

 黒の髪に白いメッシュが入っているように見える短髪の上には、白いメイドキャップ的ななにか。

 僕をじっと見つめる無表情の瞳は、大きく、黒い。

 文句なしの美人。

 無表情が似合う系の正統派だ。


「――――申し遅れました」


 胸に手を当てる姿は優美で、無駄がない。

 連想したのは、寡黙なダルメシアン。

 101匹の犬たちが織りなすハートフルなアニメ映画に登場する、あの犬種だ。


「タカハ様のお屋敷への派遣を命じられた、肉体奴隷のティルです」

「……え?」

「先月の10日目よりお屋敷でお仕事をさせて頂いております」


 僕は首をかしげた。たしかに騎士は、公爵閣下からの権利、屋敷に加えて、召使いの肉体奴隷を1人もらえる。

 けれど。


「えっと、お手伝いさん、僕はお断りしたと思うんだけど」

「派遣そのものは騎士団の方から命じられておりますが、公爵閣下のご命令だったようです」

「ふうん……」


 ……。


「ティルさんに家事をやってもらえる、ってこと?」

「はい。掃除、洗濯、食事のご用意はムーンホーク城に出仕していたころに一通り仕込まれております。以前お住まいだった騎士団の宿舎よりお荷物を運ばせていただきました。後ほど書斎と寝室で中身をご確認いただけますか」

「は、はい」


 なんか……すごい。

 一気に偉い人になった気分だ。


「その際に今後の任務のご予定、食事の好み、タカハ様の生活のルールなどをお伝えいただければ幸いです。今後の計画に反映させていただきます。また、その他に、タカハ様が屋敷にいらっしゃらない間のここの管理も命じられております」


 …………ちょっと待て。

 僕が屋敷にいない間の管理、と言ったぞ。この人。

 僕の勘違いでなければ、妙な髪の色をした侵入者2人組をあっさり通している。


「確認したいことがあるんだけど」

「ご安心ください、性別は女です。年齢は成人後5歳です。スリーサイズは――」

「違うッ!」


 …………はっ。

 どうして僕は止めたんだ。


「失礼いたしました。確認というのは……?」


 真面目に切り返されて僕は脱力する。やりづらい。


「ええと……んんっ」


 咳払いをして、仕切りなおした。「さっきの2人が来たとき、カギがかかっていなかったようだけれど……?」


「はい。エクレア様、コロネ様、ですね。2階のお掃除をしている際に、偶然こちらにいらっしゃるのが見えたので、手を振ってご挨拶をし、カギを開けておいたのです」

「いや、開けちゃだめでしょ」

「……?」


 あ。そうか。城仕えだったからか。

 怪しい人間は全部正門で衛士が弾いてるもんね。


 …………そういう問題じゃない!


「ティルさんはいつからさっきの2人と知り合いに?」


 ティルさんは白く長い指を唇に添えて、こくり、と首をかしげる。


「6日ほど前でしょうか。玄関で対応させていただき、『タカハ様のご友人』というお話でしたので、中に上がっていただきました」

「…………」

「その時点では『タカハ様の友人』という説明でしたが、詳しくお話を聞いたところ、『幼なじみ』かつ『ソウルメイト』かつ『領都で最近出来た最大の恩人』であるご様子でした」


 僕が駐屯任務で居ないのをいいことに、口八丁でティルさんを丸め込むエクレアとコロネちゃんの様を簡単に想像できた。


「とても楽しくご歓談をさせていただきました」

「ご歓談しちゃダメだろ!」

「申し訳ありません。城の外でお手伝いをさせていただいた経験がなく……。ですが、ご安心ください。エクレア様とコロネ様に対して、屋敷を預かる者として最低限の任務は果たしてあります」

「最低限の任務」

「はい。タカハ様の度量にも関わると判断し、合鍵をお渡ししました」

「やっぱりカギはティルさんが渡したんですね!」

「タカハ様の広いお心を、お2人は理解されているはずです。どーん、と合鍵をお渡ししておきましたから」

「それ……僕の、広い心じゃ……ない……」

「……?」


 脇が甘すぎる屋敷の管理人ってなんなんだよ……。

 もう……。

 年上だし、少し迷ったけれど、ここは厳しくしなければいけないところだ。

 屋敷の持ち主として言うべきところはしっかり言う。

 そう決めて。


「あのねティルさん――――」


 言いかけた僕を、別の声が横から遮った。


「……エクレアー、うるさいよぉ~。もう朝なの~?」


 ぱた、と玄関の近くの扉が開き、眠そうな声が本人と一緒に出てきた。

 ボサボサの金髪でとろんと眠そうな緑の瞳をした――メルチータさんだった。

 抱きかかえる枕。乱れに乱れた茶色のティーガはほとんど服としての仕事をなさず、メルチータさんはほとんど下着姿のように見えた。外人のモデルさんに匹敵するレベルのスタイルだ。ほんとうにひっくり返したフラスコみたいに見える。

 と、そこまでじっくり丹念に観察したところで、僕は自分が紳士だったことを思い出し、さっと顔を逸らした。


 玄関の右手には前のオーナーの置き土産だろうか、花瓶が置かれている。白いイーリの花が形よく3本ほど挿されていた。入ったときからしていたいい香りはこれだったのか。ああ、ほんと、実家のように落ち着くぜ……!


「おはようございます、メルチータ様」


 ティルさんが淡々と言う声が右耳に聞こえる。


「……大変失礼ながら、現在時刻について申し上げます。私の感覚といたしましては、お昼を少し回ったあとです」

「うぅ? ティルさん? 騒いでたのは、あれ? エクレアじゃ、な――――」


 メルチータさんの音声が完全にフリーズした。


「おはようございます、メルチータさん」と、僕は花瓶を注視しながら言った。


「あっ、っと……っ! こっ、こがっ……!」


 もはや言葉にならないメルチータさんの声。見なくても容易に想像できた。ゆでダコのように真っ赤になり、オロオロと取り乱しているのだろう。握手をするだけで取り乱してしまうような可愛らしい人なのだ。今回のケースでは気絶まであり得る。


「タカハ様? 花瓶のほうを向かれてどうされたのでしょうか? ……まさか、『メルチータさんのあられもない姿を僕は見ていませんよ』という演出ですか?」

「少しくらいは主人の味方をしてくれ!」


「お、おやすみなさいッ!」とメルチータさんのまともな言葉。


 ドアがびたりと閉められる大きな音が響いて、僕は息を吐き出した。


 メルチータさん、きっと遅くまで研究をしていたんだ。きっとそうに違いない。でも、もしかしたら……孤児院に居たころからあんな感じだったのかも。レイチェルとメルチータさんのどっちが朝が強そうかと言われたら……うん。

 僕も『メルちゃん』って呼ぼうか。

 ありだな。


 ため息を漏らしつつ、僕は廊下へ向き直ろうとして、それはできなかった。


「――――タカハくん」


 声が、まるで壁のように、僕の足を止めた。

 僕の身体はもう1度、静止する。今度は凍りついた。どうやら、僕の屋敷に、安堵あんどの時間は一瞬たりとも用意されていないようだ。

 15年間ずっと聞き続けた声が、僕の耳をなぞる。

 まるで、死神の凍える指先のように。


「ちょっと聞きたいことがあります」


 カクカクとした動きで僕は顔を上げた。


 廊下の正面には、親愛なる姉さま、ラフィアがいた。

 少女のベージュ色の髪はふんわりとまとまって、頬は柔らかそうだ。ちらりと見える歯が控えめに存在を主張している。満面の笑み。敵国の兵士だって微笑み返すような完ぺきな美少女に恐怖に似た感覚を覚えるのは、たぶんこの世界で僕だけだろう。


「ピータ村からお屋敷に帰ってきたのはおとといなんだけどね」


 1歩1歩、言葉のリズムにかぶせるようにしながら近づいてくるラフィア。


「女の人が4人いたの」

「1、2、3、4……あ。ほんとだ。ラフィアも入れたら5人だよ。びっくりだね」

「うん。わたしも本当にびっくりしちゃって」


 僕の真ん前に立って、足を止める。


「タカハだって立派な正騎士様だし、大変なのもよく分かるから、あまり干渉しないつもりだったけど」

「……ごくり」

「ふしだらすぎるのはいけません」


 ラフィアは人差し指でつん、と僕の額を押した。


「…………ラフィア姉さま」

「なにかなタカハくん」


「信じてほしい。本当に――僕は悪くないんだ」


 我ながら。

 想像を絶するほどにペラい言葉だった。




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