第105話:夜が開ける、少し前に。
「南西域の支部からも支持するという連絡をいただきました」
翌日の夜。
僕は領都の中にあるヴィヴィさんの家にいた。
上品な調度品でまとめられた居間には、少し重苦しい雰囲気がある。それもそのはずで、たくさんの人間が詰めかけていたからだ。
ほんの数日前、国境森林帯に老魔法使いが呼び集めた魔法奴隷たちの中で、領都に住んでいる人はほぼ全員が集まっている。
ヴィヴィさんは羊皮紙をテーブルに置く。
赤みがかかった茶色の瞳が、まっすぐ僕に向けられる。
「これで『軍団』の総意は固まりました。――盟主としてのお立場を引き受けてもらえますか、正騎士タカハ様」
老魔法使いが立ち上げ、騎士団に悟られぬままにここまで大きくした『軍団』。その道のりで、盟主は常に老魔法使いただ1人だった。
その地位を、僕に。
てっきり、二代目はゼイエルさんがヴィヴィさんのどちらかがなると思っていた。だが、ほとんどのメンバーが次期盟主として僕の名前を挙げたのだという。徴税官との1件や、招集の戦場での活躍のおかげだろう。僕が7系統の精霊言語をすべて使えることはわりと知られているから、それも理由かもしれない。
いずれにせよ。
僕の心は決まりきっていた。
僕は魔法使いたちの瞳を星座のようにつないで、順に視線を合わせた。
「1つだけ、僕には無くせないものがあります」
魔法使いたちがじっと僕を見つめる。
「父はいつもこう言っていました。騎士団を倒し、市民を排除して、貴族と王族を支配下におき、我ら奴隷が、自由と権利を獲得する。――苛烈な決意の宣言のようにも聞こえますが、父はそういうつもりで言っていたわけではなかったと、僕は思います。
父は、取り戻そうとしていただけです。
本来、だれもが当たり前のように持っているはずの、未来の可能性を」
ですが。
と僕は言った。
「そんな父が1番最初に、唐突に、可能性を奪われた」
ずん、と魔法使いのだれかが、床板に足を打ち付けた。
「騎士が命じた、傲慢で、不合理な決断によって」
もう1度踏み鳴らされたその音は、複数になっていた。
「のうのうと領都で暮らす市民たちによって」
ずん……。
「その責務を果たそうとしない貴族たちによって」
ずん――!
僕は目を閉じ。
開ける。
「身に余る大役ですが、お引き受けします」
魔法使いたちがじっと僕を見ている。
「僕は老魔法使いの遺志を継いで、この緑の領に革命を起こす。その実現のためには大きな力が必要です。どうかみなさんの手を貸してください」
ささやかな拍手が僕を包んだ。大きな拍手は付近に住む魔法奴隷たちに怪しまれるからだ。その穏やかな雰囲気の中で、涙をこらえきれない者もいる。
「盟主様、最初のご決断を――といっても、いきなり1番大きなものになってしまうのですが」
ヴィヴィさんは微笑を浮かべて、羊皮紙の報告書を取り出した。血の色と同じ判がいくつか押された見るからに最高機密っぽい書類だった。
「奴隷たちの一斉蜂起を第12月12日目。
そして、革命の成就を第13月13日目。
これらが計画の好機だと判断しました。ご裁可を」
今日は、第11月の1日目。
2ヶ月後。
それまでの2ヶ月間、僕たちは領内のありとあらゆる奴隷たちに働きかけ、仲間を増やす。その効果が最大となるのが2ヶ月。
一方で、これ以上に時間をかけると領内に潜む『軍団』の各支部が騎士団に摘発されるリスクが増す。
ゼイエルさん、ヴィヴィさん他、複数の幹部がそう判断したようだ。
さすがに、少しだけ、動揺した。
歴史に出てくるような海戦で艦隊を率いていた司令官はこんな気分だったんだろうか。顔も見たことがないたくさんの人の命を預かり、率いて、動かす。僕の放つ一言が彼らの命運を決める。
「行程をヴィヴィさんの案で――決定します」
さあ。
これでもう後には退けない。
静かな緊張が広間を伝わっていく。
そのとき、僕はふと思いついた。
「盟主として、もう1つ、提案があります」
僕の言葉に、水を打ったように場が静まり返る。
「僕たちの名前を統一しましょう。『夜明けの軍団』、『反同盟』、『防衛協会』、『連合』……いろいろな呼び方がありましたが、もう、僕たちはそういう規模の組織ではなくなりました。正々堂々と、名乗りをあげようではありませんか」
「決まっているのかい?」とゼイエルさんが穏やかな微笑とともに言った。「ちなみに私には腹案があるが」
「……安心してください。一文字も間違えるつもりはありません」
僕はきっと、あの老魔法使いによく似た不敵な表情をしているはずだ。
「――――『暁の革命軍』。
それが、僕たちの新しい名前です」
――
「タカハさん」
『革命軍』の盟主となって初めての会議が終わった後、ヴィヴィさんが声をかけてきた。
その手には――黒く、くたびれたとんがり帽子があった。
「ピータ村長のガーツさんが拾っておいてくれたものです。ゲルフ様のものだ、と」
「……もらっても、いいですか」
「ええ。もちろんよ。……そうだ、タカハさん、かぶってみてくれないかしら?」
何年間使い込んだのだろうと思わせるような、ボロボロの帽子だった。とりあえずかぶってみる。頭のサイズはまだ老魔法使いの方が大きかったようだ。帽子の中は古い羊皮紙の本のような匂いがした。
ヴィヴィさんはかすかに首をかしげて、「……あまり、似合いませんね」と一言。
「…………」
ヴィヴィさんが上品にくすくすと笑って、僕も自然な笑みを浮べていた。強張っていた頬の筋肉がほぐれるような感じがして、笑ったのはずいぶんと久しぶりだと気付く。
……ああ、ヴィヴィさんのことだ。
もしかしたら、この流れも計算ずくだったのかもしれない。
「下が騎士団のコートだからだと思うの。……そうだわ。黒いローブが余っていた気がします。着ることはあるかしら?」
「うーん、たぶん、似合わないと思うんです……」
「盟主様らしさはほしいところですね」
「どうすればいいでしょうか?」
「やっぱりおひげかしら」
「15歳ですよ!?」
コロコロと笑われて、僕は肩をすくめる。
魔法使いたちに別れを告げて、僕は夜の領都へ踏み出した。
かがり火も落ち、寝静まった領都の空で、2つの月が戯れている。
考えることもなく、かといって退屈と感じることもなく、いつの間にか僕は騎士団の宿舎にたどり着いていた。
最近、こういうことが多い。
時間が飛ぶのだ。
頭が回っているようで、止まっている。
そうして静止させなければ機能不全に陥るとでもいわんばかりに。
廊下を進み、自分の部屋の扉を引く。部屋は真っ暗だった。ラフィアは眠っているようだ。僕は入り口でブーツを脱ぎ、それを揃えると、足音を殺して自分のベッドに近づく。腰を下ろす。
黒いとんがり帽子が、僕の右手にあった。
よくもまあこんなにボロボロになるまで使い込んだものだ。
そういえば、狩猟につかう道具にせよ、魔法の書物にせよ、とても物持ちがよかった。平気で成人したばかりのころの道具とかを引っ張りだしてくる。マメなんだろうな、と僕は思う。
「…………ゲルフ」
その名を口にした瞬間だった。
喉の真ん中のあたりに、かっと熱がともった。
熱すぎるそれはそのまま僕の首筋を貫通して、一気に目頭を焼いた。
「……っ……ぁ……」
視界が崩壊して、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
僕はくたびれた黒いとんがり帽子を抱きしめる。
息ができない。胸が痛い。溺れているみたいだ。
そう錯覚してしまうくらいの感情が僕を襲う。
「――――タカハ」
温もりが、僕を包んだ。
わけも分からず、その体温にすがった。
そうしなければ、自分がどこに居るのかも忘れてしまうような、自分が消えていくような感覚に、僕は揺さぶられ続けた。
夜は、いつまで経っても、明けなかった。




