第103話:大魔法使い。
「――――落ち着きなされ、騎士様」
とん、と右の肩に手を置かれた。
「ラフィアはしっかり受け身をとっておった」
慌てて顔を向ける。
黒いとんがり帽子、黒いローブ。
もじゃもじゃの髭、僕と同じ黒い瞳。
ゲルフが、そこに居た。
「――って、なんでここにいるんだよ!?」
しかも、右手に巨大な狩猟用の槍を3本も抱え、大きな金属製の盾を背負っている。
「む? 決まっておろうが。やつを討ち取るためじゃ」
「あははっ! 『暁』! 冗談も大概にしとけよ! お前は――――」
「よくぞ生き延びた」
大魔法使いは黒い瞳でまっすぐに僕を見ながら言う。
「さきの戦いを見て、また1つ仮説ができた。あの『盾』、打ち破れるやもしれぬ。そうすれば、お前の出番じゃ。胸のすくような大魔法を頼むぞ」
「打ち破れる、って――」
「やつはなぜあの熱の中で生きておる?」
「え……?」
「それを裏返してみよ」
首をごきり、ごきり、と左右に振ったゲルフは、3本の大槍から1本を選び取り、残りの2本を地面に放り出した。
選んだ槍を腰だめに構え――どこにそんな力が残されていたのかと思わせるような速度で、老魔法使いは『ミシアの使徒』へ突撃する。
「ゲルフ――ッ!!」
「おいおい。勘弁してくれよ。魔法も無くした老いぼれ1人に何ができる」
「間抜けめ。だれが1人じゃ」
素早くゲルフは左手を2度振った――瞬間だった。『使徒』を包囲するように、土の壁が起き上がる。3枚の巨大な壁は『使徒』の逃げ道を完全に塞ぐ配置だ。
僕は慌てて周囲を探る。いた。高台の上。ゲルフの指揮下にあった十数人の魔法使いたちが次々に詠唱をしている。
「ほかの魔法使いどもを――――!」
「神秘を使えよ、神秘使い。解説しておる余裕があると思ったか」
ゲルフは今度は右手の槍を掲げる。瞬時に、その槍に奔る稲妻が宿った。魔法の武器への付与。これも魔法使いたちのサポート。怯える仕草をこれっぽっち見せず、ゲルフは距離を一気に詰める。
『使徒』の頬が一瞬、不愉快そうに歪んだ。
「『奇跡の剣』!」
『使徒』は光刃を展開し、振った。
その光に呑み込まれる――寸前、ゲルフは獣のように地面に這いつくばってそれを躱している。
高台から小火球が連続して4発飛来し、『信仰の盾』がそのすべてを受け止めるが――『使徒』の視界は一瞬だけ潰される。
「くそ――っ!」
『使徒』が振るう光刃の軌跡は――もはや滅茶苦茶だった。
稲妻をまとった槍を低く構えながら突進するゲルフには、獣じみた迫力がある。
『使徒』は完全に気圧されていた。
「とんだ素人じゃな」
「ぼくを馬鹿にするな!!」
鈴木がどれほど強力な神秘を操ろうと、剣と剣を交える土俵なら、武術にも精通したこの老魔法使いに軍配があがる。
単純な結論だ。
でも――やつには『信仰の盾』がある。
僕の回路の限界に挑んだ17倍魔法を防がれた。
ラフィアの精緻な剣撃も防がれた。
そんな防御膜をどうやって。
…………まさか。
「もらうぞ!」
雷の宿った槍を渾身の力で突きこむゲルフ。
一撃は。
『信仰の盾』に受け止められ。
――――あっけなくそれを貫通した。
「――――づっああああああッ!!」
白い法衣の右肩に、ゲルフの槍が深々と突き刺さっている。流し込まれた雷撃が『使徒』の肉体を内側から破壊する――より少し早く、自身を貫かれた『信仰の盾』が機敏な軟体動物のようにゲルフの槍を包み、へし折った。
「ぬぅ……っ」と飛び退くゲルフ。『使徒』は苦悶の表情で純白の光を纏った宝石剣を取り落とす。『信仰の盾』もまたエネルギーを使い果たしたのか、ゲルフの槍が貫いた部分から徐々にかき消えていく。
見間違いじゃない。
雷をまとった槍が、『盾』を破った。
あれほど苦戦させられた純白の自律防御を。
そのとき――僕はゲルフの『仮説』に追いついた。
考察の起点は、僕が放った火属性の17倍魔法。
あの熱量の中で人間が生存できるはずはない。
つまり、『信仰の盾』の効果は魔法を消滅させること。
一方で、ラフィアの剣撃に対しては実体の硬度をもつことで、それを防いでいた。
魔法を中和するモード。
物理を防御するモード。
全く同じように見えて、それらは別物だったのだ。
そして、別物である以上――両立できない。
魔法のすべてを受け止める純白の防御膜は、同時に物理的な攻撃を重ね合わせることで突破できる。
老練の理性が導いた細すぎる道筋。
ゲルフはそこに賭け――そして、その賭けに勝利した。
「『聖女の瞳』――!」
使徒の右目のあたりから純白の光線が放たれる。ゲルフはそれをすんでのところで回避して距離を取りながら、左手を3度振った。
高台に布陣する魔法使いたちに向けて。
「おまけじゃ。とっておくといい」
瞬間――岩の牢獄の中に生み出されたのは、魔法だ。
一瞬では数え切れないほどの魔法。
炎弾。氷槍。雷撃。風圧。岩塊。灼熱。石矢。水弾。
十数人の魔法使いたちが放つ全力。それらは、頭上から、正面から、側面から――一斉に、『使徒』に叩きつけられた。
隕石が落着したのではないかと思わせるほどの衝撃と破壊が、『使徒』の立っていた1点に襲いかかる。
爆発的に膨れ上がった土煙が僕たちの方にも漂ってくる。
「追撃の詠唱をして待機せよ!」
ゲルフは僕の近くまで駆け戻ってくると、槍を1本拾い上げ、背負っていた大盾を身体の正面で構えた。僕の後ろにいる魔法使いたちが『使徒』に照準を合わせ、魔法を次々と『待機』させていく。僕も、あと7秒で、回路が回復する。そうすれば追撃に加わることができる。
ゲルフが、僕が、詠唱を終えた魔法使いたちが、息を呑んで――――
そんな、音の空白に。
声はよく通った。
「――――ああ、マジで。うざいんだけど」
瞬間、僕はとっさに身を投げ出した。
ゲルフもそうしていた。
土煙の中から飛び出した純白の線が視界を両断した。
一瞬遅れて、高台の方から魔法使いたちの絶叫が連鎖する。あの光に触れた魔法使いたちがどんなダメージを負ったのか――振り返って確かめる時間はない。
背筋が焼き付く。
あれは本命じゃない。
だって、あの魔法は――ゲルフを狙ってない。
「”土―11の法―堅牢なる1つ―今―眼前に ゆえに対価は11”」
なけなしのマナを使い、”堅牢”に補強した土の防御壁を立ち上げる。
289マナ分が再使用可能になるまで、あと、6秒。
「……青聖典の秘儀、見せてやるよ。ぶっつけだけど、まあいい。お前を殺せば終わりだ、『暁』」
土煙が流れていく。
その中心で、法衣をずたぼろにして、額からダラダラと血を流す使徒が、唇を歪めた。
僕はマナを知覚し、詠唱を始めた。
「”風―17の法―”」
「――――『大神罰の光』」
だが――敵の神秘の方が早い。
『使徒』の正面に凝縮された光の塊が構築される。
無理だ、ともう1人の僕が絶望の吐息をついた。
あの神秘の光の量では――土の壁1枚なんかじゃ到底もたない。
僕はあと3秒、魔法を使えない。
逃げ込める場所もない。
すべて、あの光は焼き尽くすはずだ。
こうなったら。
『焼き付く』のを覚悟で、詠唱をするしかない。
回路の限界を超えて唱えると、反動として回路が削られる。
魔法が発動するかどうかも分からない。
でも、どうせ死ぬのなら――!
「――――早まるでない! それでは失敗する!」
叫ぶ声が、僕の意識を踏みとどまらせた。
純白の光の真ん中に、シルエットが映る。
くたびれた黒いローブととんがり帽子。
ゲルフが――僕の前に居る。
「落ち着いて唱えよ。計算を誤るでないぞ」
何かを確信したその表情に。
こくり、と僕はまるで赤子のように頷く。
あと2秒。「”――10倍―今―眼前に”」
ちっぽけな土の壁のかげに僕を引きずり込んだゲルフは、その後ろで大きな鉄製の盾を地面に突き立てた。
そして――僕の前に立ち、ゲルフは両手を広げた。
まるで僕を庇うように。
――待って。
ちょっと待ってくれ。
何か手があるんじゃなかったのか……!
あと2秒をしのげる、大魔法使いの秘策があるんじゃなかったのかよ……!
「そんなもの、あればとっくに使っておる」
ゲルフが顔だけで振り返る。
15年前――僕を拾ったあの日と同じように目元に微笑を浮かべた老魔法使いは、あの日と同じように僕の目を見て、あの日と同じように頷いた。
あと1秒。「”ゆえに、対価は”」
――――こぉん、と甲高い音が響く。
神秘がこの世界の現実を削り取る音だ。
「2人を拾ったわしは、間違いなく、幸せものじゃった」
純白の光が直撃し、土の壁を蒸発させた。
鉄製の大盾も、もうすぐ形を失う。
その光はもう、ゲルフの黒衣を焼いている。
あっという間に――見慣れた輪郭が溶けていく。
光の中に、かき抱かれるように、遠ざかっていく。
「礼を言うぞ、タカハ」
いくつもの言葉があふれてきた。
伝えたかった言葉が、いくつも。
でも――僕の喉は精霊言語に塞がれていた。
「”210”」
――――ボロボロのとんがり帽子が、宙に舞い上がった。
「――――――――ッ!!」
『風の17番』。雷撃系の最大火力を誇るその単位魔法の対価は17。普通の魔法使いには発動の位置も場所も指定することができない禁じられた詠唱だ。
それは10倍を無理やり同じ空間上の点に押し固められ、僕の目の前に展開される。
それは、小さな太陽だった。
神秘の光よりもなお鮮烈なエネルギーの結晶。
世界中に落ちる雷を撚り集めた大雷球。
僕の目の前に広がったそれは、敵の純白の光と拮抗している。
いや、押し包んでいる。
イメージ――直進し、すべてを破壊しろ。大雷球は忠実なしもべとなって僕の命令に応える。イガグリのように手当たり次第に落雷を撒き散らしながら、僕の魔法は進む。
強烈なエネルギー体が、一瞬で使徒を呑みこんだ。
――――かに見えた。
「くそッ!!」
「あははははは――――ッ! あはははッ!!」
復活した『信仰の盾』が――僕の魔法を受け止めている。
魔法を中和するモード。
魔法だけでは、あれを突破することはできないのだ。
『信仰の盾』にエネルギーを吸い取られた大雷球が徐々に解けていく。周囲への無秩序な落雷の数が減って、次第にその勢いを失っていく。
僕の網膜にはいくつもの線が焼き付いていた。
純白の膜の向こうで、『使徒』が、嗤って――――
武器。
なんでもいい。
魔法の武器への付与をすればいい。
そうすればあいつを殺せる。
ミスリル剣はない。
武器。
なんでもいい。
……あった。
僕は足元から大槍を拾った。
「――――ああああああああッ!!」
すぐ隣に落ちていた黒いとんがり帽子を見て、理性の蓋が弾け飛ぶ。
獣のように叫びながら、僕は駆け出す。
その――――寸前。
「やめろ! タカハ!」
腕を強く引かれる。
僕はそれに全力で抵抗した。
「離してくれ! あいつが! あいつがゲルフを――ッ!!」
「周りを見ろ!」
だれがしゃべっているのか分からない。
言葉の意味を認識できない。
ただ、僕の視界は真っ赤で、その中心に僕を嘲笑する『使徒』が立っている。
どくり、どくり、と頭の横で聞こえる音が耳障りだ。
「許してくれ。すまねえ。タカハ……ッ」
視界から赤い色が引いて、今度は逆に黒が押し寄せてくる。
「……あ、……?」
ぷつんとコンセントを引き抜かれたように。
僕は意識を失った。




