第102話:『17の原則』
光が曇天の視界を染め上げた。
真冬の夜空にのぼった月のような、初雪の色をかき集めたような、ただひたすらに美しい純白の光。
点だった光は固体のように伸び、急速に成長して、光の柱を形成する。天上の楽園に手を伸ばすための塔のように、燦然とその輝きが増していく。
それは単なる光ではない。
光の柱でも、光の塔でもない。
異端者を断罪する聖剣だ。
「――――これで終わりだ」
白い法衣の男が嗤う。
一瞬、僕は立ち尽くしそうになった。
遮蔽物も、身を隠すスペースも、ない。
すべて、激しい戦いの中で破壊された。
敵の攻撃の移動速度を予測する。残された時間で僕ができる詠唱は、多くて1回。――だが、詠唱1度の火力では『信仰の盾』を突破できない。
妨害に失敗すれば、あいつはためらいなく光の柱を僕に叩きつけるだろう。そして、僕はフライパンに放り込まれたバターのように蒸発する。
この世界に来てから、僕はいくつもの戦場をくぐり抜けてきた。
その経験の蓄積が告げている。
このままなら僕は死ぬ。
ここで、間違いなく。
――――このままなら。
「――」
もちろん、タダで終わってやるつもりなんて毛頭なかった。
手はある。
試さなくてはならない手段が1つだけ残されている。
これは賭けだった。そして、あの老魔法使いが僕に託してくれた可能性でもあった。
『――――仮説というほど大げさなものでもない』
この戦場に来る少し前。
僕を呼び出した老魔法使いは、いくつかの資料を見せながら、言った。
『魔法の詠唱には精霊言語を使う。そして、無数にある発音の中でもとくに重要なのが、魔法番号と対価を指定する数字といえるじゃろう。お前がもし、自分でも聞いたことのない精霊言語を発することができるのなら――17より大きい数字を発音することもできるはずじゃ』
『17より大きい……? だって、それは『17の原則』が』
『我らのリームネイル語にはたしかに1から17までの数字しか無い。現存する精霊言語もそうじゃ。しかし、――完全だったころの精霊言語も同じじゃと、なぜ言い切れる?』
『――あ』
『精霊言語の数字は本来もっと多かったはずなのじゃ。簡単な例を出そう。『風の17番』の対価は17。これでは時間と場所を指定できず、使い物にならぬ。魔法体系を生み出した者たちが、そんな不便を自らに課すはずはあるまい?』
『……リームネイル語には17までの数字しかなかった。だから、歴史の中で17より大きい数字を意味する精霊言語が失われた……ってこと?』
『うむ。その結果、魔法使いたちは『17の原則』に囚われた……――こう考える方が我らの歴史を正しく捉えておる気がする。
さあ、イメージをせよ。17より大きい数字の存在を。
そして唱え、証明するのじゃ。
それができるのは、どうやらこの世界にお前ただ1人であるようじゃからな』
『17の原則』。
呪文の対価の最大値が17であると規定する、厳然たる法則。
それが魔法使いの絶対の限界だった。
少なくとも、今日までは。
僕は今日、魔法使いを超える。
「”火―9の法―――“」
詠唱の核となる単位魔法は『火の9番』。
発動起点の直上から強力な熱線を降らせる火属性屈指の高火力魔法の対価は、12マナ。
「”――17つ――”」
魔法の個数を指定する3番目の文節に17を挿入。こうすることで呪文の効果と消費マナは17倍になる。17倍魔法。
「”――今―彼方に――――”」
追加する修飾節はシンプルに2つ。
即時の発動を命じる”今”、2マナ。
遠方の展開を命じる”彼方に”、3マナ。
――――前世を生きた僕は知っている。
数字がいくつあるかを定めるのは、その世界の数体系だ。
『リームネイル語』には1から17までの数字しかない。
僕の前世の10進法なら、無限の果てまで数字を定義できた。
そして、『精霊言語』の数体系は――この時代に遺された知識では絶対に読み解けなかった。
だが。
僕には『対訳』という反則的な力がある。
概念をイメージし、発音しようと願うだけで言葉を引きずり出す、魔法使いにとって最強の能力が。
さあ、対価の計算をしよう。
12+2+3、合計17マナ。
その17倍魔法。
つまり、対価は――――17×17。
『対訳』のスキルが僕の意図を明白に察知する。
僕は息を吸い込み――
吐き出した。
「”ゆえに対価は――――289“」
…………あったんだ。
……『精霊言語』にはあった。
17より大きい、数字。
次の瞬間、一瞬では知覚しきれないほどの膨大なマナが、一斉に、僕の回路に流れ込んでくる。
巨大な熱のような、骨を削られるような、痛みに似た感覚にうめいた僕の目の前で――『17の原則』を踏み越えた圧倒的な消費マナの魔法が発動した。
敵の頭上に17個の赤い宝石が浮かび上がる。
大粒のルビーのように見えるそれは、放出される膨大な熱量の起点だ。
「上……!?」と『使徒』が天を振り仰ぐ。
こぉぉ、と飛行機が離陸する寸前のような吸気音。
視界を埋めつくす火山の火口よりも鮮烈な赤。
触れただけで肉体を焼き切る17倍の熱量が敵の頭上に凝結する。
距離を隔ててもなお届く圧倒的な熱量のせいで、目を開けていられない。
まるでそれを証明するかのように、周囲の木々が自然に燃え上がる。
『使徒』の周囲をたゆたっていた『信仰の盾』が、危険を察知したのか、機敏な軟体動物のように動き、敵の頭上に凝集する。
『火の9番』が1つなら、あの防御神秘を貫けない。
だが、僕の魔法はその17倍だ。
押し固められ、凝縮された、17倍の熱量が。
今――叩きつけられる。
「――――――――ッ!!?」
『使徒』の絶叫も、異端者を断罪する聖剣も、炎が焼き尽くす。
『火の9番』の照射時間は1秒と半分。
……その時間が、終わる。
ぱちぱちと木々が燃え落ちる音が僕の鼓膜を打った。
視界の真ん中で、炎の中心点はクレーターのようにえぐれている。僕の魔法は巨大な火炎放射器と同じだ。
敵には自律防御の膜に加えて、優秀な法衣があるけれど、たとえそれらを貫けなかったとして、生物の機能を停止させるのに十分すぎるほどの熱量がその一点に収束したはずで――――
「――――はははっ」
必死に瞬きを繰り返して、かすんだ視界をなんとかもとに戻す。
――ゆらり、と。
上半身の法衣を焼きつくされた男が灰色の煙の中から立ち上がった。
地獄の窯のへりに手をかけた悪鬼のような表情で。
「そんなことまでできるんだな、高橋。今のはちょっとびびった」
『信仰の盾』は――健在。
僕の回路は17秒あたり302マナ。
そして、『火の9番』の17倍魔法は対価が289。
これは『原則』を突破できると仮定した上で、僕とゲルフが考えついた、最大火力の魔法攻撃だった。
「……ッ」
それでも、なお、あの純白の膜を貫くことはできないのか。
使徒の、息が乱れている。
肩で息をしているし、少し身体が傾いている。
追い込んでいる。
それは間違いない。
だが、鈴木は――最後まで倒れないだろう。
最後まで余裕を演じきるだろう。
あいつはそういう男だ。
「歴史を勉強したほうがいいんじゃないか。ぼくたちの神秘は、そもそも、お前らの魔法に対抗するために生まれたんだぜ?」
……なんだって?
「おっと、喋りすぎたか。……まあいいや」
そこで僕ははたと気付いた。
残り15秒の間、13マナ分の魔法しか使うことができないという単純な事実に。
そのとき、焼き尽くされた木々の影からラフィアが飛び出し、一瞬でトップスピードに乗って『使徒』に切りかかった。
だが、『信仰の盾』はあっさりとラフィアから主を守る位置に移動し、その防御性能を遺憾なく発揮する。ラフィアの影の刃は純白の膜を超えることができない。
「うさみみちゃんも懲りないなぁ……。『聖別の靴』」
「やめろ――ッ!!」
『使徒』の靴に純白の光が宿った。
それと同時。
一瞬。
ラフィアですら対応できないような恐ろしいスピードで、その右足が振り抜かれる。
耳をおおいたくなるような凄まじい音がして、ラフィアの身体は数十メートルの距離を弾き飛ばされる。
「あれ? 詠唱しないのか? 最大のチャンスじゃん――って」
『使徒』が唇を歪めて、僕を見る。
いや。
違う。
僕の、隣――?
「ほんとに今日はお前らしくないな。そんなにサービスしてくれるなんてさ。ついてるついてる」
「――――落ち着きなされ、騎士様」
とん、と右の肩に手を置かれた。
「ラフィアはしっかり受け身をとっておったよ」
慌てて顔を向ける。
黒いとんがり帽子、黒いローブ。
もじゃもじゃの髭、僕と同じ黒い瞳。
「なんで……!」
――――逃げ延びたはずのゲルフが、そこに居た。




