第100話:「そのコート。騎士、だな?」と神秘使いが問う。
「進めぇッ! 進むのだ! もう少しでこの森を必ず抜ける! ええい早く歩かぬか!」
大男、だった。
この世界は、ときどき、極端に大きい人がいる。魔法があったり、神秘の力があったりする時点で前世の常識なんて使い物にはならないんだけど、1度常識と決めたものを変えることはとても難しい。
『剛鉄鎚』と呼ばれるその神秘使いは、質素な法衣を着た、小山のような男だった。大男の後ろには大量の兵士が続いているが、彼らと比べるとその存在感は圧倒的。
右肩に乗せられている武器も、その存在感を増すことに一役買っている。ヤシの木を丸ごと引っこ抜いたようなサイズの巨大な鉄のハンマーだった。
てかそもそもなんで担げるんだろう……?
「やつの聖痕は脚に刻まれておるようじゃな。それが理由かは分からぬが、あの武器をたやすく操る」
獣道を進む彼らを、僕たちは岩が作る高台から見下ろしていた。
「やつが使う神秘は2種類。『信仰の盾』、『聖別の靴』じゃ」
「ええと、『盾』は攻撃を弾く光の膜、『靴』は加速……だよね?」
「うむ。やつは『ミシアの使徒』と違って神秘の複数同時行使は不可能じゃ。まあ『使徒』が別格なのじゃが……まあいい。今はおそらく『信仰の盾』を展開しておるはず。必殺の瞬間にのみ『靴』に切り替える。『靴』に切り替えたときのやつの戦闘力は危険の一言じゃ。気をつけよ」
「作戦は変更なしで。ゲルフが率いる魔法使いたちは、後続の一般兵たちの阻害を」
「その間、お前たちがやつを討ち取る」
今回の『剛鉄鎚』も含め、指名級の神秘使いはほとんど例外なく『信仰の盾』という防御用の神秘を操ることができる。
これは自動で動いて魔法を無力化するとんでもないバリア、って感じのシロモノだ。そのため、単に大量の魔法使いを動員しても勝利することができない。
なら、どうすればいいのか。
直接至近の駆け引きの中でその膜の向こうに致命傷となる魔法を放り込む。
現状、それしか手はないとされている。
神秘使いを倒す、っていうのは、そういうことだ。
両手のグローブの下に、じわりと汗がわいた。
敵は強そうだ。あんな大男、前世の僕だったら目をあわせないようにして通り過ぎるので精一杯だっただろう。
「いくつ魔法を伏せたのじゃ?」
「8つ。属性もまんべんなく」
「あとは立ち回りじゃな」
「いざとなったら、あれ、使うよ」
「……そうならぬことを祈る。理屈の上で上手くいっただけじゃからな」
「でも、使わないで死ぬのだけは嫌だ」
ゲルフはぽん、と僕の肩に手を置いた。「わしの魔法と頼れる相棒を信じよ」
「……行きます」
「うむ。健闘を祈る」
僕は老魔法使いと頷きあい、さらにその後ろに控える魔法使いたちを見た。全員の瞳に宿った光は強く、その視線に背中を押された僕は――隠れていた茂みから一気に飛び出し、ミスリル剣を抜き放った。
マナを知覚し。
詠唱開始。
「”火―4の法―今―付与 ゆえに対価は12”」
火属性の武器への魔法の付与をミスリル剣に施しながら、僕は斜面を駆け下りる。僕の剣に炎が踊るのと同時に、さきほどまでいた台地から大量の魔法が敵の隊列に降り注いだ。
轟音、爆音、炸裂音。
そこに、状況に気付いた『鉄器の国』の兵士たちの怒号が混じり始め――戦端は開かれた。
魔法使いたちの魔法は後続との連携を的確に断ち切っている。岩塊に押しつぶされ、炎球に焼き尽くされた兵士たちは動揺し、立て直すのに時間がかかりそうだ。
そこに、さらに第二波、第三波と続く。
そんな混沌の中で、大男は泰然としていた。
「――なんだ? 虫か?」
指名級の神秘使いが台地に目を向ける。
そして、距離を詰めようとする僕をとらえた。
――――ッ。
細い瞳に宿った眼光は強烈だった。
脊髄を、恐怖が焼く。
勝てるのか。
魔法使いという土俵では、7系統を使える僕は最強だった。
その確信があったから、ファラムともニンセンとも、僕は動揺せずに戦うことができた。
でも、神秘使いを相手にそれが通じるかどうかは、分からない。
……いや。
勝つんだ。
僕には、僕とゲルフには、ムーンホーク領でやらなければならないことがあるのだから――!
「”土―7の法―巨大にして加速した1つ―今―眼前に”」
単位魔法は『土の7番』。岩塊を射出する土属性の中量攻撃魔法、6マナ。
”巨大なる”に4マナ、威力を上げるための”加速”に3マナ。
発動時間指定”今”、2マナ。発動位置指定”眼前に”、2マナ。
「そのコート。騎士、だな?」
僕たちが負ければ、国境森林帯を突破されてしまう。
『魔法の国』が黒い鎧の兵士たちに蹂躙される。
それは、嫌だ。
「お前さん、若えし、ちっせえんだから、――――あんま、無茶、すんなよ」
言って、大男はハンマーを振るった。
ぐるりと大きく、振り抜いた。
小学生が傘を振り回したかのような、軽い動き。
ただ、それだけで。
「――ッ!?」
めきり、という音を1秒間のうちに100回押しこんだような凄まじい音が響き、大男の半径10メートルの木が、根こそぎ――本当に根こそぎ、宙に舞う。
「”ゆえに対価は17”」
対する僕の魔法は足元から。
僕のつま先の地面から撃ち出されたのは巨大な岩塊。加速の修飾節を加えたことで、その運動エネルギーは膨大だ。時速60キロの普通自動車くらいの破壊力はある、はず――――
「おおっ! ベースボールってことか!」
…………は?
だが、大男の構えを見た瞬間に理解した。
男は、鉄の巨大な槌を、まるで野球のバッターのように構えたのだ。
右打ち。
ミシアの大砲……?
「どっしゃぁあああ――ッ!!」
「やば――ッ!?」
僕は咄嗟に身近な大樹の影に飛びこむ。
ほぼ、同時だった。
月を打ち砕いたかのような凄まじい破裂音がして、次の瞬間、粉々に砕けた岩塊の破片が数千の弾丸になって森のなかに撒き散らされる。目の前にあった細い木の幹がずたずたと切り裂かれていくのを僕は呆然と見ていた。――化物め。
切れるカードはどんどん切っていかないと、潰される。
あのあたりなら――――
「”5番、待機解除”」
――――戦闘が始まる前。
僕は戦いが想定される戦場に、8つの魔法を『待機』させていた。魔法的な伏兵。これは回路の太さの目一杯まで行うことができて、僕の場合は最大で10個程度の魔法を『待機』しておくことができる。
8つのうちの、5番目。
単位魔法は、『土の2番』。
「うお……ッ!」
僕は木の影から飛び出す。大男の足元の辺りから生えた大地の槍は、しかし、機敏な軟体動物のように動いた『信仰の盾』に受け止められていた。
想定内だ。
次。
「”風―7の法―今―眼前に 対価は9”」
『風の7番』。移動速度を飛躍させる風属性の補助魔法。背中を風が押した瞬間、僕は全力で前方向に加速した。
「ガキのくせに、いくつ魔法を……!」
僕は風の加護を身に宿し、炎をまとった剣を構えて、大男に突撃した。
やつのハンマーが薙ぎ払った半径10メートルの半円まで、1秒もかからず届く。
「へっ、おもしれえ……! このグラン=ギリアスの錆にしてやらあ!」
「”2番、3番、待機解除”」
僕の右斜め上に電撃の塊が、敵の後方に氷の槍が瞬時に構築され、それらは同時に撃ち出された。敵の神秘『信仰の盾』が自分の身体を半分に分け、その同時攻撃を防ぐ。
同時に、僕は敵の武器の攻撃範囲に突入した。
木が根こそぎ剥がされた、密林の空白地帯。
「あばよぉぉっ!!」
視覚情報が、コマ切れのフィルムのように分割される。
1コマ目、男のハンマーは右肩に乗せられていた。
2コマ目、そのハンマーは僕のすぐ真横にあった。
正直、想像以上。
僕の認識を超えた速度。
3コマ目、僕は挽き肉になる。
――――はずだと。
敵は確信していたに違いない。
「――――あ?」
こぼれた音節は、手応えのなさへの、戸惑い。
密林の地面に全身でへばりつくようにして、僕はそのハンマーを回避していた。
転生したこの身体に、武術の適性はなかった。身体能力も、動体視力も、狩猟団で鍛えたからそこそこ身についたというだけで、ラフィアやガーツさん、騎士団長ほどに圧倒的なものがあるわけじゃない。
僕にあるのは――ただ1つ。
幼いころから狩猟団の見習いとして、数え切れないほどの獣を相手にした経験だけ。
だから、僕は本能で知っている。
どれほどすさまじい使い手だろうと――人間は獣より遅い。
ましてや武器を振るう動作なんて、遅すぎる。
筋肉に緊張が伝わる一瞬、視線の向き、体勢。
それだけの情報があればタイミングは分かる。
「やるじゃねえか……!」
「”1番、6番、待機解除”」
6番目に『待機』した魔法――敵の頭上から火炎放射器のような熱がぶちまけられたが、これは『信仰の盾』に完全に防がれる。
重要なのは1番の方だ。
大男と僕の中間地点に――小さな土の壁が起き上がっている。
僕は身を起こし、前のめりに走る。
風が、背中を押す。
「だがなぁ――ッ!!」
敵の2撃目。大男はハンマーを地面に落とした状態から、周囲の土を巻き上げるようにして、振るう。抵抗が増しているはずなのに、速度はさきほどと変わらない。そして、さっきみたいに地面に伏せてかわすことはできない一撃だ。
僕は。
内心で、乾いた笑いを吐き出した。
ほんと、脳筋なんだな。
同じことするわけないでしょ。
1歩ずつ加速する僕の足が、起き上がった小さな土の壁を強く蹴った。たぶん敵が発動にも気付いていなかったそれは――踏み切り台だ。
片足を爆発させるように、僕はそれを蹴る。
跳躍。
飛翔。
同時に、風が、背中を押す。
「な――――ッ!?」
僕は。
男のハンマーの軌跡を飛び越えた。
右手には炎を宿したミスリルの剣。
身体が描く放物線は、大男の顔のあたりに到達する軌道。
「”7番、8番、待機解除”」
右から真空の刃。
左から撃ち出される岩塊。
正面からは、僕。
敵を守護する自律防御の神秘は危険な攻撃を順に判断し――主の両側から迫りくる2種類の魔法を防ぐように動いた。
必然、正面はがら空きになる。
衝突の手応えは――重かった。
「――――がああああああッ!!」
右肩だった。
皮膚を突き破り、筋膜を切り裂き、鎖骨の下縁を削りながら滑った白銀の刃は、大男の肩甲骨までを容赦なく貫通している。おそらく、肺も削っているだろう。
しかも、その刃がもたらすのは純粋な刺突だけではない。
――火属性の武器への魔法の付与。
僕の右手にあるのは、消えることのない炎を宿した魔剣だ。
炎が一切の容赦なく、筋肉を、脂肪を、神経を、内側から焼き尽くしていく。
すぐに木の幹のような男の左腕に打ち払われ、僕は思い切り吹き飛ばされた。地面を転がり、受け身をとって、立ち上がる。
「…………お前」
大男は右腕で取り落としたハンマーを左腕で担ぎ直した。
その右腕はだらりと垂れ下がっている。僕のミスリル剣が貫いたあのあたりには、腕を動かすための神経が走っているはずだ。それを焼き切った。
男はハンマーを担いだまま、器用にも左手で突き刺さったままのミスリル剣を抜くと、それを足元に放り投げた。
「人の殺し方をよくわかってるじゃねえか……。獣みたいによ」
「……」
「右腕は、使えねえか。油断……いいや、お前さんの腕がいいんだな。――なら」
指名級の神秘使いは、笑う。
その瞳に消えることのない闘志を宿して。
対する僕にはもう切れる手札がないことすら、見抜いている。
「見せてやるぜ。おれの全力をな」
男は、腰を落とし、左肩に担いだハンマーをぐっと前に突き出した。
「――――『聖別の靴』」
『靴』は、加速。
宣言と同時に、男を守護していた純白の防御膜が消失し、その光が両足に宿る。
男の強さは、とてもシンプルなものだ。
ケタ外れのリーチをもつ巨大ハンマーによる破壊力。
それを生み出す怪物のような肉体。
唯一の欠点は移動速度が少し遅いことだった。だから、僕が戦闘前に『待機』させた魔法はすべてがほとんど有効に機能していた。
その弱点を神秘で補ったのなら。
それはまさに、高速で移動する破壊の暴風。
「――――ッ」
男の両足の筋肉が爆発寸前の火山のように、ぐ、と盛り上がる。
僕はただ、立ち尽くして――――
――――そして、勝利を確信した。
「――――ぐ、お――?」
驚愕に目を見開いた大男が――崩れ落ちる。
まるで唐突に足場を失ったかのように。
僕の位置からだと、はっきり見えた。
その直前、影のような双剣が男の背後で閃いたのを。
剣の軌跡は2つ。
男の右足の後ろ。男の左足の後ろ。
ベージュ色の髪を風に揺らし、大男から距離をとったその影は――ラフィアだ。
森のなかで気配を消し、この一瞬だけを待っていたラフィアの一撃は、大男の両足を支える腱を断ち切っていた。
どれほど両足に神秘の力を宿そうと――その両足が動かないのであれば、意味はない。
『信仰の盾』が持続している間はラフィアの奇襲は成功しなかった。確実に、失敗するだろう。自律防御のあの膜は、悪意ある攻撃を機械のような正確さで察知するのだ。
僕が単独で戦い、『聖別の靴』に切り替えさせる。
直後、ラフィアが敵の両足から力を奪う。
それが僕たちの作戦。
そして、その作戦にはもう1行の続きがある。
トドメをさすのは――僕だ。
「”土―2の法―今―彼方に ゆえに対価は10――!”」
詠唱をしながら走る。風が、背中を押す。大男は後ろ向きに倒れ込みながらも決して瞳から闘志を失わず、「『信仰の盾』――!」と叫んだ。同時に、僕の放った大地の槍が残された左腕を貫通。瞬時に展開された『信仰の盾』はその魔法を破壊することに躍起になっている。
「ぬう……! まだまだぁ……!」
僕は地面を転がっているミスリル剣を拾い上げ、跳躍した。
風の後押しを受け、自分の身長ほども飛び上がった僕は、重力に引かれる。
見開かれた大男の目。
仰向けの巨体。
今度は、外さない。
正中から少し、左寄り。
横向きに刃を倒して。
衝突。
「――――…………ははっ、負け、たぜ」
全部の体重を乗せた僕のミスリル剣は、寸分たがわず、男の心臓を貫き止めていた。
「強ぇな、お前さん……。完敗だぁ……」
両足の腱を切り裂かれ、右肩を焼かれ、左腕を折られ、今、心臓を貫かれたばかりだというのに、大男は笑った。
豪快で豪放な笑顔だった。
「俺は……ロウムランのガルゾイ。位階は司教、修道名はギリアスだ。……あの趣味の悪い二つ名よりも、こっちを覚えてくれねぇか?」
「……たしかに」
「へっ、そんな顔してるようじゃ……うちの『使徒』様には勝て、ねぇ……ぞ……」
男の呼吸が、ゆっくり、収束する。
ミスリル剣のグリップにまで跳ね返ってきていたどくり、どくり、という拍動が、徐々に弱々しくなっていく。
それでも、男は最後まで笑ったままだった。
『剛鉄槌』。
ロウムランのガルゾイ。
ビショップ=ギリアス。
「…………勝った」
ラフィアがゆっくりと近づいてきて、空に楽しい絵でも書いてあるかのように笑い続けている大男の目を、そっと閉じさせた。
「……強い戦士だった」
「……うん」
「……」
僕は男の胸からミスリル剣を抜き放つ。
粘り気のある血が男の白い法衣に赤い染みを点々と残した。僕は血糊を拭い、ミスリル剣を鞘にしまう。相変わらず、ふらつくほどに重い剣だった。
森の中は、散発的な戦闘の音が続いている。
ゲルフは役目を完全に果たしてくれているようだ。
ラフィアは大男の背負袋の中から敵軍の作戦指令書のようなものを取り出すと、それを慎重にポーチにしまった。
「おとーさんたちが戦う理由はもうないんだよね」
「うん。急いで戻ろう、ラフィア」
「――――いや、その前にさ。ちょっと喋ろうぜ」
その声は。
僕のでも、ラフィアのでも、今しがた討ち取った神秘使いのものでもなかった。




