第0話:『17の原則』
光が視界を染め上げた。
真冬の夜空にのぼった月のような。
初雪の色をかき集めたような。
ただひたすらに美しい純白の光。
それは柱の形となって、今まさに僕に叩きつけられようとしている。
「――――終わりだ。魔法使い」
白い法衣の男が嗤う。
一瞬、僕は立ち尽くしそうになった。
敵の攻撃の移動速度を予測する。残された時間で僕ができる詠唱は、たったの1回。
だが、『17の原則』に縛られた魔法使い1人の火力では敵の防御を突破できない。
妨害に失敗すれば、あいつはためらいなく光の柱を僕に叩きつけるだろう。そして、僕はフライパンに放り込まれたバターのように蒸発する。
この世界に来てから、僕はいくつもの戦場をくぐり抜けてきた。その経験の蓄積が告げている。
このままなら僕は死ぬ。
ここで、間違いなく。
――――このままなら。
「――――」
もちろん、タダで終わってやるつもりなんて毛頭なかった。
手はある。
試さなくてはならない手段が1つだけ残されている。
これは賭けだった。そして、あの老魔法使いが僕に託してくれた可能性でもあった。
最後になるかもしれない詠唱のために息を吸い込んだその瞬間、まぶたの裏側をよぎったのは、初めて魔法を唱えた『儀式』の日の記憶だった。
『魔法は必ず17マナ以内で完結させなければならぬ』
内心で、僕は少しだけ、笑う。
あの日から、あの村から、
ずいぶん遠くまで来ちゃったな――と。
でも、そんな僕の旅は、いつも、あの老魔法使いが授けてくれた魔法とともにあった。
『呪文の詠唱はすべて精霊言語で行う。
われらの言葉に17より大きい数字はない。
よって、17を超える『対価』の宣言はできぬ。
それが『17の原則』じゃ』
なぜか、この世界には魔法があって。
なぜか、この世界には月が2つあるのに。
なぜか、この世界には17までの数字しかない。
だから、呪文の対価の最大値は17マナ。
この『17の原則』が魔法使いの上限。
個人の戦闘力を規定する、絶対の限界だった。
――――少なくとも、今日までは。
僕は『精霊言語』を唇に乗せる。「”火―9の法――“」
呪文の核となる単位魔法は『火の9番』。
発動起点の直上から強力な熱線を降らせる、火属性屈指の高火力魔法。12マナ。
「”――今―彼方に――”」
発動時間を指定する修飾節『今』、2マナ。
発動位置を指定する修飾節『彼方に』、3マナ。
主文の詠唱を終了。
この時点で、必要なマナ対価は12+2+3。『原則』が定める上限――17マナを使い切ってしまっている。だから、魔法使いに他の選択肢はない。ただちに補助文をすっ飛ばし、最終節で対価の宣言をして、呪文を完結させなければならない。
だが――――僕の詠唱は終わらない。
迫りくる光の柱を前に、僕は『精霊言語』を重ねた。
「“――17倍――”」
僕が補助文に選んだのは『倍数化』。
主文の効果と対価が17倍になる。17かける17。
その答えは――この世界には存在しなかった数字。
僕だけが知っているのだ。
数字は17までで終わらないことを。
無限のその果てまで続いていることを。
だから、この世界で、この数字を言うことができる魔法使いは、僕だけだ。
「”ゆえに対価は――――289“」
言えた、という驚きもつかの間。
『原則』を踏み越えた圧倒的な消費マナの魔法が発動した。
敵の頭上に17個の赤い宝石が浮かび上がる。
大粒のルビーのように見えるそれは、放出される膨大な熱量の起点だ。
「上……!?」と白い法衣の男が天を振り仰ぐ。
倍数魔法が解き放たれたのは、それと同時だった。
響くのは、飛行機が離陸するときのような轟音。
視界を埋めつくす火山の火口よりも鮮烈な赤。
――――触れただけで肉体を焼き切る17条の熱線が今、敵の真上から打ち下ろされる。
「――――――――ッ!!?」
男の絶叫すら、炎が焼き尽くす。
森を照らしあげていた巨大な白の光が立ち消えていく。
距離を隔ててもなお届く圧倒的な熱量のせいで、目を開けていられない。
まるでそれを証明するかのように、周囲の木々が自然に燃え上がる。
『火の9番』が1つなら、あの法衣と防御を貫けない。
だが、僕の魔法はその17倍だ。17倍魔法だ。
届く。
この魔法は、必ず、敵を打ち砕く。
「……」
祈るように、僕はその魔法の結末を見届ける。
『火の9番』の照射時間は1秒と半分。
その時間が、終わる――と。
ぱちぱちと木々が燃え落ちる音が僕の鼓膜を打った。
視界の真ん中で、炎の中心点はクレーターのようにえぐれている。
僕の魔法は巨大な火炎放射器と同じだ。敵には魔法を跳ね返す法衣に加えて、防御の膜があるけれど、たとえそれを貫けなかったとして、生物の機能を停止させるのに十分すぎるほどの熱量がその一点に収束したはずで――――
「――――ははは……っ!!」
声が、聞こえた。
必死に瞬きを繰り返して、かすんだ視界をなんとかもとに戻す。
「……くそ、化け物だな……」
呻くように呟いた僕の視線の先。
――ゆらり、と。
男が灰色の煙の中から立ち上がった。
上半身の法衣を焼きつくされた男は、地獄の窯のへりに手をかけた悪鬼のような表情で僕を見る。
「驚いたよ。『信仰の盾』も法衣もぶち抜かれるなんてな」
こいつの口元にある笑みは余裕ではないはずだ。
動揺を覆い隠すための強がり。
敵は満身創痍で、今すぐにでも撤退したがっているはずだ。
そう断じなければ、僕には立ち向かうことすらできそうにない。
負けるわけにはいかない。
僕には、生き延びて、この世界でやらなくちゃいけないことがある。
小さく息を吸い込んだ僕は、額の汗を拭い、杖を掲げる。ばきり、と大きな音を響かせながら、焼け落ちた木々が倒れていく。
「まだ始まったばかりだろう? ――高橋」
「ああ。……そうかもね」
強がりの言葉を放ち、杖をいつもより高く構えた僕は、引き返すことさえできない戦いに踏み込んでいく――――