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お題掌編

ぐい飲み 改稿分

作者: と〜や

 その家に行ったのは、雑誌の取材で一度きりだった。

 青山先生、と呼んでいたと記憶している。当時私は編集部に入りたてだったし、あまり文芸書には興味がなかったから本や著者に関しても詳しくなかった。ただ、カメラで食える職業を探していて、知り合いから紹介された新聞社の編集職に飛びついただけだった。報道カメラマン、なんてものにあこがれていた部分は若干ある。だが、私が配属されたのは文芸誌の編集部だった。

 幸いなのは、一度何か書いてみろと言われて提出したものを見て、編集長が私に文章を書かせることを諦めてくれたことだろう。文章を書くのがなにより苦手な私にとっては渡りに船だった。後に同僚の子から聞いたのだが、編集長が文章を書かせるのを諦めたのは後にも先にも私だけだったそうだから、よほどひどかったのだろう。ともかく、自分の文才のなさのおかげで、締め切りまでにこれこれの文章をまとめて仕上げなければならない、という耐え難い苦行からは解放された。

 以来、原稿の催促やら受け取りの使いっぱしりか、対談記事のためのカメラマン兼録音係としてかりだされるかのどちらかで、社内にいるときには校正刷りのチェックや電話番といった、内勤の女の子と大して変わらない仕事しかしていない。

 そんな私をインタビュアーに指名してきたのが青山先生だった。

 青山先生とはほとんど面識がない。もしかしたら原稿の受け取りにお邪魔したことぐらいはあるのかもしれないが、なぜ私を指名してきたのか、まったくわからなかった。

 先生は仕立てのよい上品な和服姿で、もう半ば白い胡麻塩頭をきっちりと七三分けにしていた。原稿用紙のおかれた黒檀の机の前に座り、使い込まれた万年筆を手にして、ずり落ちてくる丸い眼鏡を気にも留めず、一心不乱に書く姿を雑誌で見た人も少なからずいるだろう。あの写真はあの日、私がフィルムに収めたものだ。

 締め切り明けの翌日だったから、先生は上機嫌で、雑誌用のポーズを注文しても快く承諾してくれたものだから、図に乗って何カットもお願いしたのを覚えている。雑誌ではまじめに原稿に向かっているように見えるが、先生は実に楽しげに応じてくれ、何度か顔が緩んでいるのを引き締めてもらったほどだ。

 写真撮影が終わって、家の中を案内された。庭付きの日本家屋は年代物で、聞けば生まれたときから住んでいる家だという。黒い柱に掛けられた古めかしい柱時計の時を告げる鐘が、私には新鮮に感じられた。

 居間に戻り、編集の準備してきた質問集をあらかた終えたのは、もう日が暮れかける頃だった。当たり前のように食事と床の準備がされていて、「泊まっていくだろう?」とうれしそうに先生に言われては断ることもできず、電話をお借りして編集に連絡を入れると、編集長は渋々ながらも許可をくれた。その代わり月曜日までにインタビューの内容を文章におこせと言う条件はつけられたが。テープから文章を起こすのは大して苦ではない。何もないところから文章を書けと言われるよりよほど楽だ。

 泊まれることを告げると先生は大層喜び、早速一献勧められた。折りしも満月の頃で、縁側のガラス戸を開けっ放して月見酒としゃれ込むことにした。先生は部屋の明かりを全部消してしまわれて、部屋に差し込む青白い月の光だけを頼りに酒を酌み交わす。庭にはなんという花なのかよく知らないが白い花が咲いていて、なんとも不思議な世界にいるような気がした。月を見、酒を飲む以外、喋ることすらもはばかられて、二人してじっと月を眺めては杯を空けた。

 何杯目だったろうか。先生にお酌をしたとき、私のカットグラスとは違う、いびつなぐい飲みを使っていることに気がついた。月の光の元では正確な色はわからなかったが、どちらかというと黒かった。もしかすると赤土のぐい飲みだったかもしれない。釉薬もかかっていない素焼きのようで、素人目には工業製品でないことぐらいしかわからい。骨董や陶器にもまったくうとい私には、茶器と同じく古い逸品物なのかな、程度に考えていた。

 思い切ってそれを尋ねると、先生はしばらく私を見つめた後、大事そうにぐいのみを両手で包み込んだ。

「価値はつけられないね」

 それだけ言い、とびきり穏やかな微笑みを浮かべた。その日一日見てきた先生の表情の中では、一番やさしい笑顔だった、と今ならそう言える。だが、当時の私にはわからなかった。ただ、よほど高いものなのだろう、としか思わず、それ以上聞くことはなかった。


 翌日早々に屋敷を辞し、ごみごみした東京に戻って来ると、昨日の月見が嘘のような日々が待っていた。編集長にいやみを言われつつもテープ起こしをした原稿を上げ、写真を現像して提出した頃には、あの不思議な余韻はきれいさっぱり消えてしまっていた。

 電話番、カメラマン、使いっぱしり、と雑務に追われてあの日のことを思い出さなくなった頃だったろうか。先生の訃報を聞いたのは。

 担当編集と編集長と、それからなぜか私も通夜に連れて行かれた。いやまあ、忙しくなければおそらく、自分から列席したい、と申し出ていただろうとは思う。一宿一飯の恩という言葉があてはまるかどうかはわからないが、お世話になったのは間違いないのだから。

 通夜には多くの人が来ていた。庭にたむろしている大多数が同業者のようだったが、文壇に詳しくない私でさえも顔を見知ったことのある作家は一人や二人ではなかった。担当編集と編集長がそれぞれ挨拶まわりに行ってしまうと、私は一人だけ人の渦の中に取り残された。編集とはいえ単なる使いっぱしりで担当作家がいるわけではないし、他の出版社の編集に知り合いはいない。カメラマンとして来ているのであれば気にせずに立ち回れるのだが、そうでない立場でこういった場に来ると、どういう立ち居振る舞いをすればいいのかがまったくわからない。

「あれ、君は確か大同くんのところの」

 所在無く端のほうに立っていると声をかけられた。確か、以前原稿の催促に何度か行ったエッセイ作家で、名前は確か伊藤といった。

「ご無沙汰しております」

 大同というのは編集長の苗字だ。編集長がまだ一編集だった頃に担当していたらしい、と以前聞いたことがあった。

「しかし、青山君も急だったねえ。来週、僕の締め切り明けにあわせて皆で月見をしようという話になってたんだが。残念だよ」

「月見、ですか」

 数週間前の夜がフラッシュバックした。

「ああ、前に仲間内で飲んだとき、ここの庭の話になってね。雪見酒や花見酒もいいが、この時期の月見酒がいちばん好きだと彼がよく言っていたんだ。で、この庭で月見をすることになったんだ。友人の作家たちも誘ってね。ほら、皆締め切りを抱えているからなかなか集まれないだろう? だから、ずいぶん前に日を決めて、締め切りを調整して何とか集まろうってね。それが、本人の葬式で集まることになるとはね」

「そうでしたか」

 私が数週間前にここを訪れたときのことを話すと、伊藤先生はうなずきながら聞いていた。

「そうか。それはうらやましい話だ。僕もその場に居たかったよ。きっとすばらしい夜だったろうからね。彼はよく息子がいれば酒を飲みたいのに、と言っていたから、息子ぐらい年の離れた君と酒が飲めて嬉しかっただろうしね」

「そうなんですか?」

「彼はいわゆるバツイチでね。離婚前の話は一切語ろうとしなかったんで詳しくは聞かなかったけれど。よくうちに来ては息子の相手をしてくれてね。本当に子供好きな奴でな。何度か再婚を勧めたんだが頑なに断っていたよ。今回も奥さんさえいれば、助かったかもしれないという話だし、実に残念だよ」

 そういえば、先日の取材のときにも編集長からもらった質問表に家族の話はなかった。編集長が配慮した結果なのだろう。

「もうお別れは言ってきたかね?」

「いえ、先ほど焼香は済ませましたが」

「じゃあ、行ってくるといい。彼には親族がいないから、一人でさびしいだろうしな」

 伊藤先生はそう言い、他の知り合いを見つけて去った。私はといえば、そういわれても青山先生と縁が深いわけでもない、ただ先日ちょっとだけ上がりこんだ一編集でしかないわけで、勝手に上がりこむわけにも行くまい、と結局その場に立ち尽くしていた。

「こんなところにいたのか。探したぞ」

「編集長」

「明日は来られないからな。ご挨拶して帰ろう」

 編集長の後についていくと、担当編集が上がりかまちで待っていた。他の出版社の人たちがちょうど入れ違いに出て行くところで、軽く会釈をして数週間ぶりにその家の畳を踏んだ。

 二人で酒を酌み交わしたあの部屋の奥に、先生は眠っていた。 このあたりの風習で、葬式の日までは棺に納めないのだという。

 編集長のまねをして傍らの盆に線香を立てて手を合わせると、枕元にひざを寄せた。白布をのけると、赤みも温かみも失った青白い顔の青山先生が眠っていた。にこやかにやわらかく笑う先生の笑顔が不意に脳裏によみがえる。ここにもはや青山先生はいない。あるのは有機物の入れ物だけなのだ、という思いが湧いてきて、何の感情も浮かんでは来なかった。

 誤解のないように言うと、私は決して冷血な人間ではない。昔は泣き虫で母を困らせた記憶が山のようにあるし、母の死に際しては他に係累の者がいなかったため喪主を務めざるを得なかったにもかかわらず泣きまくってあちこちに迷惑をかけた。なのに、この時はなぜか哀悼の意さえ浮かばなかったのだ。あの日の幻想的な夢の続きでも見ているつもりだったのか、今でも分からない。後日聞いたところいよれば、編集長は私の様子に気がついたそうで、表情の消えた私の様子があまりにも変だったので、何度も声をかけたのだそうだが、それすらも覚えていない。

 ただ、先生の枕元にあったぐい呑みのことは覚えている。あの日先生が使っていた、いびつなぐい呑み。

 あんなのを昔、作った覚えがあった。小学校の頃、どこにでもよくある、みやげ物屋の体験陶芸工房だったろうか。うまくできずにただの土くれに戻ってしまったのが悔しくて、大泣きした。工房の人がやさしく手ほどきをしてくれ、新しい土もくれてなんとか形のあるものに仕上げてくれたように記憶している。そういえば、その時に何を作ったのだろう。そのあとどうしたかも全く覚えていない。今の今まで思い出さなかったが、ああいう陶芸などの体験工房を見るといやな気分になるのは、あの時のことがトラウマになっていたのだろう。

 編集長に言われて部屋を辞した私は、庭から空を仰ぎ見た。奇しくもその日も満月で、一段高いところに冴え冴えとした冷たい光をたたえた月が面をさらしている。あの日と違うのは、月光をかき消す黄色い弔いの光、虫の声の代わりに読経の声。屋敷の主は静かに眠り、二度と語らうことはない。諸行無常、という言葉が浮かんでは消えた。

「ご挨拶してきたかね」

 後ろから声をかけてきたのは、伊藤先生だった。

「はい」

「あっけないものだね。一秒前まで血の通った温かい肉体であったものが、死の瞬間に血の気を失いただのモノになってしまう。人一人が生きてきた時間も想いも記憶も、一体どこに消えてしまうのだろうね。死んだ者を悼むために遺体や墓を拝むけれど、魂の抜けた体はモノでしかない、と私は思うんだよ。では、本当に悼むべき彼の魂は、一体どこにあるのだろうね」

 伊藤先生はそう言って空を見上げていた。

「分かりません」

 かなり悩んだ挙句に私が答えたのは月並みな言葉だったが、伊藤先生は満足げにうなずいていた。

「そうだね、まあ、彼のことだから、きっとこのあたりをうろついているような気がするよ。君、葬式というのは死んだ者を悼むために行うものではないという話を知っているかね?」

「いえ」

「ある寺の僧侶から聞いた話なんだがね、葬式は残された者のためにある儀式なんだそうだ。残された者が失った者を嘆き、心の整理をするためのね。また、死者が本当に死ぬのは、死者のことを思い出す者が一人もいなくなったときであって、肉体の死は真の死ではない、というのが彼の主張でね。だから、彼の死を悲しむのではなく、彼の生を祝い、思い出を語ることが彼にとっては一番の供養なのだそうだ」

 伊藤先生の言葉に、私は母の葬儀を思い出していた。母が勤めていた会社の人が何人か、通夜の後もとどまって母の思い出話をしてくれたのを。

「さて、これから作家仲間で飲むことにしていてね。君も来るかね? 月夜の宴の話を聞きたがる奴もいるだろうし」

「いえ、大同がまだなので」

 今思えば、この誘いは伊藤先生なりの心配りだったのだろうと思う。単なる一編集が、それなりに名の通る作家たちの集まりに顔を出せるチャンスなど、そうそうにないのだから。当時の私にはその価値が全く分からなかったのだが。

「そうか、残念だな。そうだ、月夜の宴の話、今度詳しく聞かせてくれないか。もし君さえよければ、次の号に彼の追悼として載せたいと思うんだ。考えておいてくれ」

 私の返事を待たず、伊藤先生は呼ばれて行ってしまった。

 そのまま庭に立ち尽くしていると、老婦人に声をかけられた。あの日、何くれとお世話してくれた家政婦さんだった。顔を覚えていてくれたのだろう。お悔やみを述べると、家政婦さんは手にしていた新聞紙の包みを私に差し出してきた。

「先生の唯一のご遺言なんです。どうぞ受け取って差し上げてください」

 闇雲にお断りしようとしていた私は、その言葉を聞いて断れず、押し頂いた。

「ここにいたのか。帰るぞ」

 編集長と担当編集がようやく戻ってきた。家政婦さんに一礼して庭を去ると、私たちはそのままタクシーへ乗り込んだ。


「そういえばお前、さっき何渡されてたんだ?」

 駅へ向かうタクシーの中はまさに通夜帰りの静けさだったが、編集長が思い出したように口を開いた。

「編集長、見てたんですか」

「ああ。葬儀の場とかで何か持ち出してあとからトラブルになるとか、いっぱい見てきたんでな。一応な」

 喪服のポケットから包みを取り出し、開いたそれは、あのぐい飲みだった。不思議な月夜を共有したえにしの記念のつもりだったのだろうか。案の定赤土で練られ、釉薬もなにもかかっていない素焼きのぐい飲みだ。手でこねたのだろう、小さな手のあとが残っている。

 何気なくぐい飲みの底を眺めて、私は息を飲んだ。

 底には下手なひらがなで「たのくらふうた」と刻んであったのだ。

 私の名前。

「先生には黙っておいてくれって言われたんだけどな」

 隣で見ていた編集長が、ぽつりと言った。

「お前のお袋さん、お前が生まれてからすぐに離婚してるだろ。その時に離婚したのが青山先生なんだと。そのぐい飲みの話はよく聞かされたよ。お前のお袋さんが、先生が当時働いていた工房にお前を連れて行ったんだそうだ。大泣きしているお前を見て、会いたくないから泣いているのだと思った、と言っておられたよ」

 あの微笑みは息子に対する微笑、あの目は息子を見守る目。それならば、価値なんてつけられるはずがない。

 何かが自分の中からこみ上げてくるのを私は感じていた。

「編集長、すみません」

 振り向くと、編集長はうなずいた。タクシーを止めさせて、編集長と担当編集は降り、そのまま私はタクシーで屋敷に取って返した。

 息子として、なんて立派なものじゃなかった。父親、といわれてピンと来る年齢でもない。

 ただ、あの夜を共有した者として、最後まで見届けるのが自分の役目のような気がした。このぐい飲みを託された者として。それを、先生は期待しているのだろう。そう、あの時の私は確信していた。


 ぐい飲みならそれ、そこにある。

 月の良い日はあの日と同じように縁側を開け放して、明かりをすべて消してね。

 親父と二人で酒を酌み交わすために使っているよ。最近は息子が乱入してきて使っている。こうして、物も記憶も、受け継がれていくのかもしれないね。


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