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夢幻の春

作者: 織田兼洋

桜は人に幻を魅させて惑わす。

人は桜に夢を紡がせて狂う。


未来はいつか現に飲まれ。

現はいつか見た夢へと消える。


孤独は幾千もの想いを抱いた日々の成れの果て。


満たされない心は乱れ、狂う。


その桜の花びらが乱れ舞うかのように。





教室の窓側の席

春に入ったのだと、桜の蕾が膨らみ始めたのを眺めてそう感じた日から幾週か経ったある日。

その日は日差しも暖かく、いくら寝ても寝たらないという怠けた心がいつも以上に燻ぶられた。

何をする気にもなれず、ただ窓の外をぼんやりと眺めている。

風景と言っても、校舎へと続く道に沿って植えられている桜が赤っぽくなっているのが見えるばかり。

ほとんどが散り、まだ少しばかり花がついている。

あまり面白くないとあきらめ、目線を教室の中に戻す。

あくびをかみ殺しながらぼんやりと時間を確認するとこの無駄な時間は30分もあるらしい。

HR中のクラスはただいま学園祭でなにをするのかで大揉めだ。


クラスの一人が寝ていても別に気にしないだろう。


春の陽気にとうとう敗北し、腕を枕に寝る体勢になる。

すぐに意識が、緊張感が抜けていく。

完全に意識が途切れる前、何故かまぶたから涙がこぼれた。

どうしてこんなにも苦しいのだろう、何故?



ぴちゃん。

何の音だろう。


ぴちゃん。

何かが跳ねる音がする。


ぴちゃん。

世界がぐるぐる回る。



瞼が開いているのか、閉じているのかさえ分からない。

気づいたら川のほとりに一人で立っていた。

何でこんなところにいるのだろう。

辺りは暗く、星もあまり出ていないのだろうか。

風が吹き抜け肌寒く感じる。

なんだか胸が痛い、寂しい。




ぴちゃん。

遠くで音が聞こえる


ぴちゃん。

どうして苦しいのだろうか


ぴちゃん。

目の前が青く塗りつぶされる。




ここは……

気づけば揺れる水面を下から眺めていた。

白い砂で覆われた底に、ごつごつとした岩がまばらに散らばっている。


遠くの方で同じように水面を見上げている人がいた。

吐いた息が泡となり水面へと浮かび上がるのを、その人は不思議そうに眺めていた。

何故だろう、不自然なほど瞠目した。

その人を、自分は知っているように思った。


誰だったろう。

意識が朦朧としてくる。

今の自分には思い出せそうにないなと一人呟く。

急に世界が激しくなった。

そこらにあるごつごつとした岩から細かい白っぽい泡が噴き出していた。

空へと舞い上がる割れることのないシャボン玉。


あぁ、きれいだ。


浮かび上がる泡を空から射し込む光がきらめかせ、宝石のように見える。

そして

浮かび上がっていた無数の泡は水面に到達すると凍り、ゆっくりと再び底に戻ってくるように舞い降りてきた。

あぁ、もうどうだっていい。

なにも考える必要なんてないのだから。

だって、目の前の事象はこんなにも美しいのだから。


ふと遠くにいたあの人に声をかけてみたくなった。

どう感じているのか、無性に聞きたくなったのだ。

その人が居た方を振り向くと、その人は


ぴちゃん。

水の滴る音が聞こえる。


ぴちゃん。

どうしてきれいだと思うより


苦しいと思うのは。

どうしてなのだろうか。


ぴちゃん。

世界は崩れさった。



別の景色が浮かび上がる


一面の桜、桜、桜……

桜の花びらが地面に積もりすぎて土が見えないほどの桜。



ぽと

何かが落ちる音がした


胸が灼けるように痛い。

手で触れてみると不自然に湿っていた。

手は真っ赤になっていた。

見ると服が赤く血に染まっていた。


ぽと

薄紅色の花びらが赤く染め直される。


ぽと ぽと

何故、こんなに清浄なところに


ぽと ぽと

何故、汚らしい自分はここにいる


訳が分からない、無性に叫びだしたい

もうなにも考えられない、考えたくない


ざわざわと木々に強い風が打ちつける。

枝についていた小さな花びらは散り、地に積もった花弁は煽られ吹き上げられる。



数万、数十万もの花びらが視界を覆い尽くす。



花びらが舞い、乱れ、狂う。


ぽと ぽと ぽと


悲しい、辛い、消えてしまいたい。



服の湿っているところに上から花弁が引っ付いていく。


このまま飲まれてしまいたい、だってもう自分は


「………」

聞き覚えのある声がふと思い出される。

誰の声だったろう。

「………」

苦しい


何でこんなにも苦しいのだろう。

胸が痛い、体が悲鳴をあげている。

「………」

そう、だ

悲しいんだ、苦しいんだ、つらいんだ。

分かって欲しかった、少しでも。

こんな気持ちになっているんだって、知って欲しかった。

無理だって分かっている、受け入れられないというのも自分で分かっていた。

知ってもらったところで、何に成るというのか。

そうやって自分自身を納得させていたのに。

ある時何かが崩れた、狂った。

心の奥に押し込めて、触れないでおこうとしていたのに。

触れてしまえば取り返しのつかないことになるだろうと分かっていた。


それなのに。


疲れはてた心の透き間を縫って、再びそれが目の前に現れたときには為すすべもなく、意識もしないうちに飲まれていた。

飲まれてからしばらくして自分でそれを自覚できたとき、すでに手遅れだった。



だから終わりにしたいと、心の底から願った。

それなのに。


「………!」

どうして、どうして、どうして。

あぁ、もうこんな生き地獄は終わりにしてしまいたい。

「……!!」

ふと桜の嵐は途絶えた。

一面の桜も一瞬にして掻き消えた。


地に積もったその花びらも全て。



体にまとわりついていた桜の代わりに、その身を預けてくれるあの人が居た。


服越しに相手の体温が、存在が、想いが伝わってくる。



だから、どんなに覚悟を決めてもたちまちのうちに崩されてしまう。

だから、どんな事があっても一緒にいたいと願ってしまう。


だから


だから、その人と。


ぴちゃん。

あの音が聞こえる。


ぴちゃん。

涙がこぼれる音だったのか。

心が必死で泣き叫ぶ声だったのか。

情けなくて、悔しくて。

苦しくて、辛くて。

誰かに知って欲しくて。



ぴちゃん。

血の池に涙が零れた。





「……い、おーい! 起きや!」

耳元で叫ぶな、鬱陶しい。

しぶしぶ顔を上げると能天気そうな顔がのぞき込んでくる。

「お前、クラスの模擬店なんやからきちんと話し聞いとかな。」

そう言うとそいつは黒板の前に立つ、司会をしている生徒にこう叫んだ。

「やっぱチヂミにしよ!!」


夢か

気になって胸元を見る。

血が出ていないことに少しほっとする。


チャイムが鳴り、HRは終わり担任による終礼が始まる。

諸連絡をしゃべってしまうと彼はさっさと終礼を終わらせてしまい、職員室へと引き上げた。

解放された生徒たちはそれぞれ気の合うものとしゃべり出す。

声をかけられる前に教室からふらりと外に出て、ぼんやりとしながら足の赴くままに歩を進める。


校舎と校舎の間に植わっている大きな桜。

葉っぱと花びらの量が大体同じぐらいついていて、ピンクと緑の入り交じる枝はこの時期にしか見られない。

足が自然と止まる。

根本から枝を見上げるとまだ花びらが残っているようだ。



今この瞬間が夢ではないという確証などない。

日々明日のためにと勉強し、家族と平和を分かちあう。

そして確かに過ごした夢のように短く、しかし掛け替えのないほどの楽しい瞬間。


夢なのかをまださまよっているのかもしれない。

それでもいいと思ってしまった。

ただ夢であっても、ここが自分の生きている場所であるのは誰にも否定させたくない。


さわさわと葉の擦れる小さな音がする。

踏み潰れた花びらが吹き上げられ渦巻く。


やがて桜に背を向け、人目を避けるように歩きだした。

一歩でも前に踏み出さなければいけないと、自分自身を叱咤しながら。





「………」

その言葉に自分はなんと答えたか。


「ずっと側に居させて。それ以上は求めないから。」



今はただ(こいねが)う。


この想いがいつもでも続けばと。

そして破られることがないことを。

いつかは呆気なく崩壊してしまう、仮初めの幻だと分かっていても。

暗がりに射す一筋の光明を、今はただ縋ることしか出来ないのだ。




夢とは願いなのだろうか。


望みとは罪なのだろうか。



見果てぬ夢を追う人間は、

どうしてこんなにも強くて、狂っていて、




こんなにも脆いのだろうか。

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