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やさぐれキャリアと小さな狼

 東京郊外の小さな警察署。その片隅。

 大急ぎで用意されたのだろう。突然警視庁からやってきたキャリアのために用意された黴臭い部屋の中、分厚い埃の拭き筋が残る机の上で、二扇白烙(におうぎはくや)は変死体三人分の検死報告がまとめられた分厚い紙束を眺めていた。


 しかしその指は、最初の一ページ目の端を摘まんでいるだけでピクリとも動かない。銀色に縁どられたレンズの奥に佇む瞳も、ただ開かれているだけで何も映してはいなかった。


「目を開けたまま眠るとか、器用な事してやがりますね」


 不意に投げかけられた言葉に二扇が視線を上げる。そこには芳ばしい香りを放つコーヒーカップを手にし、訝しげな半目を向ける七尾(ななお)亀子(かめこ)がいた。


「良い香りだな。俺のぶんは?」

「自分で淹れやがれです。私はお茶くみじゃねーんですよ」


 いつも通りだな、と二扇は肩を竦める。普段通りでないのは自分のほうだ。


「さっき見た脚ですけどね。切断面はご覧になった通りぐっちゃぐちゃで照合できませんでしたが、サイズ的に黒川信(のぶ)(あき)のものじゃねーかなって事です」

「……そうか。わかった」


 果たしてこの情報が有益なのか無益なのかは、まだ判断が付かない。

 わざわざ四肢を切り取って持ち去った理由を解明する糸口になるかもしれないし、逆に捜査を混乱させるだけかもしれない。そもそも四肢を切り取るという行為自体に意味がない可能性もあるのだ。禍津神は人の常識では測れない。


「やっぱり変ですね。学園を出てからずっと上の空じゃねーですか」

「そんなこと、ないさ」


 紙の擦れる音を響かせながら、報告書のページを捲る。


「ありますよ。一ページ読むのに三十分もかかってるじゃねーですか。……月宮さんに言ったこと、気にしているんでしょう。格好つけてらしくもねーことするから、そういうモヤモヤを抱える事になるんですよクソ警視」

「気にしてなんか」

「私にまで格好つける気ですか? 似合わねー事してるんじゃねーです」


 被せる様に七尾が言う。二扇は胸を掴まれたように唸り、やがて深くため息をついた。


「クソは止めておけクソは。はしたない」

「別に良いじゃねーですか。ここは堅苦しい伊勢のお宮じゃねーんですから」


 七尾は面倒くさそうに顔をしかめて、コーヒーを一口啜る。


「で? 月宮さんの女子高生姿にエレクトしちゃって、余計な事言ったって感じですか?」


 顎の前で指を組み、二扇は自分の心情を思い起こすように遠くを見つめる。


「そうだな。嬉しく思っていたのは確かだ」

「流石は変態紳士」

「茶化すな」


 苦そうな表情で二扇が呻く。


「すみません。それで、なぜ嬉しく思ったのですか。月宮さんが普通の女の子として生きていければいいと、少しでも願ってしまったのですか」

「……そうだな」

「解りませんね。貴方がどう足掻いても二扇家の次期当主であるように、七尾家が二扇家の分家筋であるように、憑物はどこに居ようと憑物です。平穏無事など望むべくもないですし、本人も望んではいないでしょう」


 椅子の背もたれに寄りかかり、二扇は眼鏡を外して目頭を揉む。やがて疲れたように言葉を紡いだ。


「解ってはいる、つもりだったんだ。俺は月宮の鮮烈な生き様に惚れているはずなのに。あいつが学生になったと聞いた時、真っ当な人の道に戻れたのかと物凄く嬉しくなったんだ」

「それで、あのお節介なセリフですか」

「笑いたければ笑え。ああ、やっぱ嫌われたかなぁ」

「笑えねーですよ。良い年こいて色恋沙汰で悶え悩むキャリア組なんて。マジ笑えねーです」


 無条件に相手の幸せを願い、そのために自分でも思いもよらないような行動をしてしまう。それはもう完全に〝愛情〟じゃないかと七尾は思ったが、それを言うと二扇が調子に乗りそうなので黙っておいた。この男は多少落ち込んでいるくらいが扱いやすくて良い。


「そういえば、前々から聞きたかったんですけど。白烙さんは月宮さんのどこにそこまでご執心なのですか? 確かに彼女は綺麗だし、あの年にしては芯もしっかりしていますけど、大抵の事に興味が無い白烙さんがそこまでのめり込むなんて、ちょっと理解しがたいです」

「ああ、そう言えば今までそれについて話す機会がなかったな。俺が初めて月宮に出会ったのは亀子が特災に来る少し前、俺が初めて特災として出向いた現場……。つまり、逆吊り蟷螂事件の時だったのだが――」


 ふわり、と二扇の言葉が、窓から差し込む昼下がりの陽光の中へと浮かんで行った。



            ◆



 分厚いガラスの向こうは一面の灰色。耳には鼓膜を振るわせる、激しいヘリのローター音。

 ふと視線を地表へ向ければ、真っ白な冷気が霧のように地平線の彼方までを覆っていた。

 山も、川も、森も道も。点在する僅かな建物も。全てが綿のような白い(もや)の向こうに霞んでいる。


 警察学校を卒業し、特災の捜査員として着任してすぐの事だった。

 間もなくダムが完成し、数か月後には水の底へ沈む運命の小さな温泉街が禍津神に占拠されている、との通報を受けた。


 ダムの建造といえば一大国家プロジェクトだ。ただでさえ地元住人の説得に長い年月と費用を投じ、本当に必要なのかと世間の非難に晒され、苦難の末にようやく目途が立ったプロジェクトだ。今更、よく解らない事でこれ以上計画が遅れる事を嫌った国は〝即座に解決するべし〟と国民の血税をばら撒いて全国から名うての祓い屋を招集した。

 かねてからの豪雪により道路が寸断されているので、ヘリでの送迎付きで、だ。豪勢な事だと思う。


 結集した祓い屋は二十名ほど。そのどれもが祓い屋業界に名を轟かせる名家に名門ばかり。他は特災から手練れが十名出された。数字だけを見れば少なく感じるかもしれないが、祓い屋たちに支払われる報酬の総額は、平均的サラリーマンの生涯賃金と同程度だ。


 本来なら俺のような新人が出向くような場所じゃない。

 行った所ですることは無い。これほどの大戦力だ、大抵の禍津神は即座に調伏されるだろう。しかし、それだというのに二扇本家は〝勉強して来い〟と言って俺をこんな色彩を欠いた、世界の果てのような場所に送り込んだ。


 いつもこうだ。本当に勝手だ。俺の気持ちや考えなど全くの無視だ。

 すげー寒いし、ヘリのローター煩いし、座りっぱなしでケツが痛いしで最悪だ。

 二扇家と言えば、祓い屋として古来より日本国を影で支えてきた、超が付くほどの名家。特災という組織も、元をただせば二扇家が作り上げたものだ。

 なれば、二扇家の人間がそこへ籍を置くのは当然の事と言える。


 しかしそんな事は俺に関係が無い。俺には俺の人生がある。無限の可能性があるんだ、と若いころは大いに反発したものだ。いや、今でも十分に若いが。

 何かとつけて伝統、歴史、()来り(きた)。いちいち堅苦しく息が詰まる生活に、俺は年齢が十を数える前に嫌気がさしていた。


 拗ねて引きこもったりもした。身体が成長すれば、有り余る体力に任せて暴れてみたりもした。一時期は暴走族の真似事までしたこともある。

 それでも二扇家は何も言わなかった。黙って俺を放置した。

 俺はその事を不満とは思わなかった。だが、激しく不安になった。

 これこそが望んでいた状況ではないのか。そのはずだ。ならば、なぜこんなにも心もとない気持ちになるのかと、酷く混乱した。


 やがて俺は一つの結論に辿りつく。


 無限の可能性なんてない。


 無限の可能性とは〝何も定まっていない〟だけだ。そこには何も無いし、その先にも何も無い。

 拗ねていても始まらない。黙っていても終わらない。暴れてみても変わらない。

 ない。無い。ナイ。

 無い物尽くしの無い物ねだりだ。


 とはいえ、それを理解したところで急に何もかもを受け入れられる訳では無い。

しかしながら結局自分の人生にはそれしかないのだと、俺は二扇家に言われるがまま勉学に励み、祓い屋としての修業を文字通り血が滲むほどにこなし、そしてついに特災の一員として独り立ちした。まだまだ新人ではあるが。


 だが、それでも未だに俺は納得していない。

 確かに積み上げてきたものは誇りだし、培ってきた物は俺の名誉だ。しかし、自信を持って〝これが俺の人生だ〟を言えるものが何もない。


 全てを与えられ、喰らってきた。それだけだ。自分で見つけ出したものなど何もない。


 何かが。何かが欲しい。

 この温い幸福に満たされて淀みきった人生を切り裂くような、鮮烈な何かが。


「間もなく到着します。準備してください」


 騒音に掻き消されないよう、ほとんど怒鳴りつける形で前方の操縦席から声が飛んでくる。

 やがてヘリが着陸した場所はどこかの学校の校庭だった。叩きつけるようなローターの爆風に煽られながら何とか外へ出る。


 凝り固まった身体を伸ばしながら、積雪で輪郭を失った校舎を見上げる。当然ながら人の気配はない。人の居ない校舎という物はどこか寂しいような妖しいような、不思議な雰囲気がある。


 首の後ろに開いた僅かな衣服の隙間からするりと冷気が入り込み、背中を撫でた。その感触に思わず身を強張らせる。

 この寒さにもすっかり慣れたと思っていたが、高空と地表付近ではまた寒さの質が違う。高空に漂うのが身を切るような鋭い冷気だとしたら、地表付近の寒さは身体の芯から凍らせるような、静かな狂気だ。どれだけ衣服を着込もうが防ぎきれない。温い都会の生活に慣れたこの身にはつらいものがある。うっかり大口を開けて欠伸でもしようものなら、舌の根まで凍り付いてしまいそうだ。


 ネックウォーマーを鼻の上までずりあげ、細く息をする。寝ぼけていた精神が研ぎ澄まされていくのが解る。

 この場所から問題の温泉街へは車で二十分ほど。現在の路面状況では、もう少しかかるかもしれない。ともあれ、ここが作戦の最前線だ。


 慌ただしく蠢く人の流れに乗って、合流地点である体育館を目指す。


 ひんやりとした体育館の中は、まるで異世界のようだった。

 諸星家(もろぼしけ)笹塚家(ささづかけ)斑目家(まだらめけ)など祓い屋を代表する名家に、青嵐会(せいらんかい)()洞会(どうかい)竜胆会(りんどうかい)などの名門から派遣された実力者達が揃い踏みであった。

 それぞれが放つ異様な気配が渦巻いて立ち昇っている。今にも広い体育館の天井に魔界の門が開いてしまいそうだなどと、実に馬鹿げたことを思ってしまうほどだった。


 誇りある名を背負う者たちは決して交わろうとせず、互いを牽制しあうような短い挨拶だけを交わしながら周囲に睨みを利かせていた。


 まったく、なにが名家に名門だ。まるで怯えた猫じゃないか。

 どれだけの歴史と伝統と誇りがあろうが、それは古い慣習に捕らわれているだけだ。それに意味が無いとは言わない。くだらないとも、もはや言いはしないが、今この場に置いてはそれよりも優先するべき事があるだろうに。これでは各人の連携など望むべくもない。


 俺は自分でも意識しないままに深いため息をついていた。特災という組織が何のためにあるのかという事を、改めて思い知らされる。


 一つは言うまでもなく、禍津神などによって引き起こされる災いを鎮める国家特務機関。そしてもう一つは、古くから闇を闇のまま葬ってきた、世を影から支える者たちの監督役。つまりは纏め役だ。意地とプライドで生きているような連中を、金と権力で纏め上げるのが役割なのだ。そして二扇家はその組織を作り上げた大元。いずれ俺は望むと望むまいと、祓い屋たちの頂点に立ち、全てを監督する立場になる。


 しかし、これからの生涯全てでこの思春期の女学生よりも扱いにくそうな方たちの相手をしていかなくてはならないのかと思うと、今から気が重い。すぐにでも二扇の名を放り投げたくなる。


 まぁそれより、と首を巡らせて目的の人物を探す。

 本家の指示と言えど絶対ではない。それなのに、言われるがままにこの世界の果てのような場所までやってきたのは、ある目的があるからだ。


 視界の端に小さな人だかりができていた。目を凝らすと、僅かに覗く隙間に目的の人物、月宮寂星の精悍な姿が見えた。


「お? おぉ白烙じゃないか」


 人垣の向こうから良く通る男性の声が響く。


「ご無沙汰しております。寂星さん」


 声の方向へ近づいていくと、人の壁がすっと割れた。

 訝しむような、あるいは値踏みするような祓い屋たちの視線を浴びながら歩いていく。


 現在の祓い屋業界において白烙と言えば〝二扇白烙〟の事であり、不良上がりの気難しい二扇家次期当主として名が知られている。

 そして二扇家は纏め役と言えど慕われている訳ではなく、むしろその逆といえる立場にある。つまりは〝煩わしい〟だ。しかし、あからさまに敵対するのは得策ではない。下手に関わって睨まれるよりは、触れずに放っておこうと思われたのだろう。

 まったく、気難しいのはどっちなんだか。


「やべぇなここ。まるで冷蔵庫の中みてぇだな」

「何を言っているんですか。まだマシな方です。吹雪けばもっと寒くなりますよ」

「マジか。ますますやべぇな。俺、凍りそう」


 寂星さんが野太い笑い声を上げる。その響きは祓い屋にしては珍しい快活なものだ。

 月宮寂星は職業倫理にかたい、誠実な人物だ。普通の人間といえばその通りだが、金と名誉で凝り固まった祓い屋の中では異質の存在と言える。袴を着て呪符を操るよりは、煌々と燃える炉の前で金槌を振るうか、蒼い海の上で網でも投げている方が似合いといった風貌だ。


 常にあちこちで摩擦を起こし、決して相容れようとしない祓い屋を纏める二扇家としては、その存在は泥中の宝石のように輝いて見えたのだろう。二扇家の現当主、つまりは俺の父親とはよく酒を酌み交わす中であり、俺にとっては叔父か、そうでなければ年の離れた兄のような存在だ。


「無事に特災入りを果たしたんだってな。おめでとう。これで当主殿も安心だな」

「ありがとうございます。ですが、まだまだ若造です。精進いたします」

「おう。精一杯勉強してくれ。期待しているからな」


 寂星さんが嬉しそうに俺の肩を叩く。遠慮のない衝撃で膝が折れかけた。

 この人は何につけても豪快だ。真っ直ぐで、ぶれない。金で動かず心で動く。それ故に最初はとっつきにくいが、一度通じ合えば誰よりも信頼できる。


「いや、しかし良い顔つきになったな。お前が金獅子みたいに頭を染めたときは流石に驚いたが」

「あ、あの時の事を言われると弱いですね。お恥ずかしいです」


 荒く鼻を鳴らす音が響く。


「何を恥ずかしがることがある。道なんて外れて当然だ。寄り道も結構。時には引き返すのもありだ。そしてお前は様々なものを視て、そして考え、この道を歩んできた。流されるのではなく自分の足で、だ。それをお前自身が誇らなくてどうする」


 胸を張れ、と岩のような拳で心臓を突かれた。

 添えるだけのようなその拳が、深く身体の芯まで響いて浸透してゆく。


「それにな、金髪も中々似合っていたぞ。俺も染めようかな」

「やめてください。似合いすぎて仁王像も真っ青ですよ。父が卒倒します」


 ちがいねぇ、と寂星さんが重く喉を鳴らす。


「お、お師さま……」


 か細い声がどこからが流れてきた。みれば、寂星さんの巨木のような胴に隠れるようにして、一人の少女がこちらを窺っていた。


「お? おぉ、すまんすまん。こいつは二扇白烙と言ってな、俺の昔馴染みだ」


 少なくとも友好的な人物であろうと認識したのだろう。どこかほっとしたような表情で少女が姿を現す。


 思わず息を呑んだ。


 凛とした美しさと、野花のような可憐さを併せ持つ美少女だった。だというのに華々しい雰囲気など欠片も無く、むしろ深い森の奥に佇む湖のような、深く静かな気配を漂わせていた。

 不安げに微笑むその姿など、もはやおとぎ話に登場する妖精のようだ。


 しかしその大きな瞳の奥には、深く暗い闇が広がっていた。

 一目で解る。生きながらに身を千切られるような、酷い経験をしてきたものが宿す闇だ。その黒曜石のような瞳で、今までどのようなものを視てきたのか。

 そして俺の知る噂が正しければ、その暗い瞳の奥に潜むものは、人々の想像を遥かに超えるものだ。


「寂星さん。この子が?」

「おう。ほら、ちゃんと自分であいさつしなさい」


 ぐい、と少女の背中を押す。少女は戸惑うように身をよじらせ

「か、かずは……。月宮、一葉です」

 と、消え入るような声でそう言った。


 やはり、そうなのか。

 月宮一葉。この風が吹けば折れそうな少女が、流浪の大精霊〝古狼〟の力を宿した憑物だというのか。


 もう八年ほど前の話になる。ある一つの事件が祓い屋業界を揺るがした。とある小さな田舎町に、強大な力を持ちながらも支配せず、従えず、関与しない流浪の大精霊である〝古狼〟の力を〝分け与えられた〟少女が現れたというのだ。しかも、一般家庭の子供だという。


 通常、憑物とは肉体を持たない禍津神に身体を侵され、自我を失った者をさす。意識は混濁し、会話は成立せず、やがて死に至り魂を持ち去られる。

 また、何かしらの契約により精霊や禍津神を自らの肉体に降ろし、その力を借り受けるという物もある。神の力を借り受け奇跡を起こす密教に近いものがあるが、それとは似て非なる物だ。よほどの才覚がなければそのまま肉体を支配され、やがては魂までもを喰い尽くされる。


 しかし件の少女はそのどちらとも違う。どのような経緯があったのかは不明だが、古狼の魂を半分までもを分け与えられたというのだ。そして、その力を意のままに操る事ができる、と。


 これは祓い屋にとっては、死人を蘇らせる事に成功したと言われるのと同じようなものだ。鉛を金に変えたでも良い。それほど途方もない事なのだ。


 大精霊とは、もはや神だ。

 神の力を借り受ける技法は古来より存在する。しかし、神の力を〝我が物にする〟方法など存在しない。ましてや、それを分け与えられたとあれば、それはまるで英雄伝の主人公だ。

 異能を操り異形と対峙する祓い屋たちも、流石におとぎ話は信じない。


 初めは鼻で笑われ、たんなる噂話に過ぎなかった。やがてそのおとぎ話が真実であると解ると、壮絶な争奪戦が繰り広げられた。


 彼らを駆り立てたもの。それは金だ。

 禍津神の討伐には、その準備に途方もない時間と費用が掛かる。

 場を清めるために振りまくお香の一つをとっても、一般人には手が出せないような金額だ。


 大禍津神の討伐ともなれば、数百人単位の祓い屋が集結し、交代で大禍津神を結界で封じ込め、その間に討伐対象の禍津神を徹底的に調べ上げる。

 そしてある者は一枚につき万札一枚では釣り合わない価値の呪符を数千枚と用意し、またある物は同量の金塊よりも高価な呪物を山ほど用意する。

 そうして大量の人材を投入し、膨大な時間を消費し、呆れるほどの金銭を浪費してやっと戦えるといった具合なのだ。


 しかし、大精霊の力はその全てを省略する。


 ましてや上位の神格を持つ古狼の力となればなおさらだ。もしそのような規格外の力を持つ少女を自分の陣営に迎え入れる事ができれば、どれほどの利益をもたらすか想像もつかない。

 金も時間も人材も消費せず、あらゆる禍津神を駆逐し報酬を得る事ができる。それは祓い屋にとってはまさに神の恵みだ。湧き出す金銀財宝だ。

 ましてやその力の持ち主は年端もいかぬ少女。狙われないはずはない。


 あらゆる手段を尽くされたと聞く。

 恐喝、恫喝は当然として、時には誘拐もされたらしい。そしてそこを他の祓い屋が誘拐し、またそこを他の祓い屋が……と、冗談のような血なまぐさい争いが繰り広げられたという事だ。


 そのような嵐に、小さな田舎町の小さな家族が耐えられるはずもない。瞬く間に一家は離散させられ、少女は行き場を失った。

 そのような目先の欲に惑わされ、誇りを失った祓い屋たちの蛮行を看過できない者たちが居た。祓い屋を監督する立場である二扇家と、月宮寂星だ。


 様々な妨害を退けながら少女を助けだし、匿った。


 今まで無用な軋轢を避けるべし、と静観を決め込んでいた二扇家の急な対応に祓い屋たちからは不満の声が噴出したが、もとより人の道を外れた外道の所業。一度間をおけば徐々に冷静さを取り戻し、騒乱は収まっていった。実のところは未知数である少女の力と、監督役である二扇家と事を構えるリスクとを秤にかけた結果かもしれないが。


 しかしながら油断はできない。

 少女は月宮寂星に引き取られ、徹底的に秘匿された。二扇家の跡取りである俺からも隠された。


 そのままひっそりと隠れて暮らしていくと思われた少女だったが、ある日意外な事を言い出した。いわく、自分に戦う力があるのなら、その力を使って恩返しがしたい、と。


 二扇と月宮の間で何度も協議が執り行われ、結果としてその意思を尊重する事に決定した。そして月宮寂星が祓い屋として育て上げ、今日がその初陣と言う訳だ。

 だが、しかし……。


「どうだ、可愛いだろー? 手ぇだすなよ?」


 茶化すような寂星さんの言葉を遠くで聞いていた。


 正直、がっかりした。


 これが古狼の少女? 確かに見た目は驚くほど整ってはいるが、それだけだ。

 気弱そうな、どこにでもいる少女に見えた。

 数々の壮絶な噂話から、一体どんな人物なのだろうと少なからず期待していたのだが、これではまるで駄目だ。目が覚めるような鮮烈さを期待して、ここまでやってきたというのに。


 しかし、勝手に期待して勝手に失望するというのも失礼な話だ。感情を表に出さず、事務的に挨拶を交わす。俺がこの数年で手に入れた唯一の生き方だ。


「それで、作戦開始はいつになるんだ? 指揮官さんよ」

「指揮官、ですか?」

「おいおい、まさか知らねぇのか? ここの現場責任者はお前だぞ」


 頭痛がこみ上げてきた。寒さだけが原因ではあるまい。


「……まぁ、これだけの顔ぶれです。半日もすれば討伐は完了するでしょう。今から祝宴でのスピーチの言葉でも考えておきますよ」


 ぎろり、と岩を削って作ったような顔の奥で鋭く瞳が光った。


「なんだその腑抜けた台詞は。指揮官がそんな調子でどうする。お前はこの場全員の命を預かっているんだぞ!」


 思わず息が詰まった。脳髄が痺れ、背筋が意志とは関係なく引き伸ばされる。


「す、すみませんでした!」


 何も言わずにただ睨んでいた寂星さんが、やがてほどけるように表情を柔らかくして俺の肩を叩く。


「ま、何事も経験だ。格好良いスピーチを期待しているよ」


 そう言って豪快に笑いながらゆっくり立ち去る熊のように大きな背中を、ちょこちょこと長い黒髪を揺らして件の少女が付いていく。その姿は本物の親子のようだ。


「ま。似ても似つかないけどな……」




 油断。その言葉が脳内に渦巻いていた。寂星さんの戒めを受けても、俺はまだ解っちゃいなかった。

 現場の過酷さを、理不尽さを、まるで解っていなかった。


 作戦開始から丸一日と半日が経とうとしていた。

初めは楽勝と思われた戦いは、あり得ないほどに組織だった動きをする禍津神の軍勢に圧され、劣勢に立たされていた。

 時折無線から流れてくる音声は勝利と戦果を報告する朗報ではなく、助けを求める悲痛な叫びばかりだった。


 作戦本部である学校には指揮官である俺と、本部の防衛兼予備兵力として特災の三人が残され、それ以外の戦力は全員が禍津神の餌場と化した温泉街へ打って出た。


 そして、それが間違いだった。


 作戦開始後、半日で特災派遣員四人、諸星家三人、笹塚家二人の、合わせて九人が死亡。更には竜胆会の三人は全員が吊るされ、逆吊り蟷螂とその眷属たちの餌に成り果てていた。これで死亡十二名。青嵐会も、負傷におり戦力の半数を失っていた。虎洞会は通信が途絶え生死の確認も取れない。月宮寂星も片腕を裂かれ、満足に呪符を振るえない状態だという。


 尋常ではない大損害だ。


 加えて天候が悪化し、援軍を呼ぶこともできず撤退もままならない。雪が壁のように高く積もった悪路を負傷者を抱えて移動する事は不可能だし、何より禍津神どもがそれを許すまい。

 まさに進退窮(きわ)まった。援軍は望めず、撤退は不可能。


 俺は指揮官としてどうするべきなのか、その答えを出せないままに時間だけが過ぎてゆく。

 今この瞬間にも、あの地獄で戦っている者たちが居るというのに。


 取るべき行動は理解している。これしかない。ただ、それを口にするのが恐ろしいのだ。

 指揮官殿、と背後から俺をせかす声がする。解っている、解ってはいるんだ。


 正確な相手の性質も戦力も解らないままに作戦を開始したのは明らかに間違いだった。圧倒的な戦力に酔って無謀な突撃をさせたのはこの俺自身だ。

 責任は負わなくてはならない。たとえ外道と言われようとも。


「……総員、撤退し、集結せよ。自らの足で歩けない者は、置いて行け」


 重々しく言葉を落とす。胃の中に石を詰め込まれたような気分だった。


『……なんだと。ふざけるな。ふざけるな若造め! そんなことができるか!』


 無線から届くその声は斑目家のものだろうか。未だ戦意を喪失せず、仇を取るべしと奮戦している。しかし、既に結果は見えているのだ。


「繰り返す。撤退、撤退だ。負傷者はおいて……」

『だめ、です……。逃げるなんて、絶対に』


 か細い少女の声が響いた。月宮一葉の声だ。


「既に勝ち目は無い。一旦引いて援軍を待つ。これ以上の損耗は許されない、動けぬものは置いていけ」


 非情だと、自分でも思う。しかし、これしかない。

 心の芯が冷えて行くのを感じる。周囲を囲う冷気よりも冷たい何かが、己の内から湧き上がってくる。

 そうして心を冷やさなければ、何かが溢れてしまいそうだった。

 しかし無線の向こうにいる少女の声には、闘争の炎が消えずに宿っていた。


『か……、勝て、ます』

「……なんだと?」

『の、残っている相手の眷属は十数匹といったところです。後は、本丸である逆吊り蟷螂だけ。そして悪天候で援軍が来ないのはあちらも同じ。ま、間をおけば態勢を整えるのも互いに同じです。ならば』


 つかえながらも、芯の通った力強い声だった。本当にあの気弱そうな少女が発する声なのかと疑いたくなるほどに。


『ならば、ここで倒すべきです。時間が経ちすぎました。もはや救える命は無いかもしれません。ですが、ここで退けば、みんな犬死です。お願いです。彼らの死を無駄にしないでください』

「……だが。だがどうするというのだ。誰も彼も満身創痍だ。お前だってそうだろう。無謀だ」

『私が、倒します』

「なんだと?」

『そちらに残した予備戦力を投入してください。貴方もです。逆吊り蟷螂は眷属を集めて、東側の旅館にある大ホールに陣取っています。眷属さえ押さえてくれれば、私が、必ず仕留めて見せます』


 馬鹿げた提案だ。あり得ない。とても承服できない。


「ふざけるな。そんな無謀な案は――」

『怖いんですか?』


 思わず顎を引いた。


『怖いんですよね? 二扇家の跡取りともあろう人が、情けない』

「な、なん、な……」


 必死に否定しようとして、できなかった。

 正しく、その通りだったからだ。


『男を見せなさい、二扇白烙。貴方に、祓い屋としての誇りがあるのなら』


 無線に激しいノイズが走り、そして途切れた。どうやら通信機を破壊したようだ。もはや語る言葉は無いと言う様に。


 ……怖いか、だと?


「……くっ! くそっ! そうだよ、怖ぇよ。悪ぃかよ……!」


 何が名家だ。何が監督役だ。何が男だ。何が禍津神だ。くそ! くそ!! 何が祓い屋だ。何が古狼だ。何が二扇家だ。

 何もかもくだらない、ああ、もう、何なんだ!!


「予備兵力も全部投入だ! 打って出るぞ! クソ蟲どもをぶっつぶせ!!」





 紺碧に染まる夜明けの雪道は、まるで妖精の国へ続いているかのように美しかった。

 耳鳴りがするほどの静寂の中、雪を踏みしめる音と自らの吐息を鼓膜に感じながら、三人の特災派遣員と共に、ただひたすらに歩を進める。


 やがて何もかもが白く沈んだ、廃れた温泉街が見えてきた。

 うわべだけは静謐(せいひつ)な美しさを湛えてはいるが、少し雪を払えば、その下にあるのはおびただしい血痕とぶちまけられた臓物の海だ。


 斑目家の徒弟と無線で連絡を取りあい、放棄された旅館の一つに入り込む。セーフゾーンとして使用しているようだ。


 正面玄関から旅館内に入ろうとしてふと異様な気配を感じた。そして視線を這わせ、目を剥いた。正面玄関のすぐ横にある、雪に埋まった駐車場に大量の遺体が並べられていたのだ。

 その多くは肉体のほとんどを削り取られ、内臓を喰らい尽くされていた。赤黒い骨を晒し、筆舌にし難い苦悶の表情のまま顔が凍り付いている。


 外に並べ、雪と冷気に晒しているのは腐敗を防ぐためだろうか。その心配は無いだろう。今更なにを、とも思うが、その行為は少しでも人の原型を留めさせてやりたいという思いからかも知れない。

 そしてその中には、見知った顔も幾つか並んでいた。


 旅館内はまるで野戦病院のようだった。残されていた寝具を玄関ホールに敷き詰め、多数の負傷者が寝かされている。そしてそれらの負傷者に、どこからか掻き集めてきた救急セットで応急処置を施して回る小さな影があった。月宮一葉だ。

 黒い絹糸のようだった長い髪も、白磁を思わせる滑らかな肌も、悲惨なほどに穢されていた。乾いた血液がまるで(にかわ)のようになり、ひび割れを起こしている。


 自身も辛いだろうに励ましの言葉をかけながら優しく微笑みかけ、額に手を当てるその姿を見て、全く場違いな事だが――。


 ただ、美しいと、そう思った。


 しかしどれだけ懸命に手当てをしようとも、明らかに致命傷の者たちばかりだった。

 戦闘による負傷を負った者たちはまだ暫くは持つかもしれないが、長時間吊るされていた者たちは失血死寸前だ。加えてこの寒さ。残念だが、もはや助かるまい。

 その事は月宮一葉も痛いほどに理解している様子だった。うっすらと瞳を濡らしながら、それでも懸命に語りかけ、少しでも命を繋ぎ止めようとしている。


 こんなはずではなかった。本来ならば数時間で討伐を終え、天候が悪化する前に病院へ搬送する予定であったのに、さっさと済ませようと多少の手間を惜しんだばかりにこのような事態に陥ってしまった。

 全ては、俺の責任だ。


「よう。遅かったじゃねぇか」

「寂星さん! ご無事ですか」


 暗がりの中で潜む様に煙草をふかしていた寂星さんに駆け寄る。


「あぁ。かすり傷だこんなもん」


 まぁ今回はリタイアだがな、と苦い笑顔を見せる。しかし、明らかに重傷だ。

 血の通わない右腕は凍傷を起こしかけている。一刻も早く設備の整った医療機関で手当てを受けなければ、丸ごと腕を失う可能性すらある。


「……酷い状態ですね」


 腕の事を言ったつもりだったが、寂星さんは辺りを見回して低く唸った。


「逆吊り蟷螂の奴ら、普通じゃない。あいつらにここまで知能があったとは、聞いたことが無いな」


 その言葉に重く頷く。

 本来は昆虫程度の知能しか持たないはずの逆吊り蟷螂たちが、組織だった連携を見せるだけでも驚きだというのに、子供の人質を盾にしたり、遺体の中に潜んだ眷属が奇襲を仕掛けてきたりと明らかな知性を見せた。これは今までの常識からでは考えられない事だ。


「だが奴らも残りわずか。ここで仕留めるべきだ。お前もまんまと乗せられてきたことだしな。一葉に挑発させて正解だったぜ」

「……そう言う事ですか」


 確かに違和感はあった。あの少女はこんなことを言うようなタイプだったろうか、と。


「虎洞会の連中も先ほど合流した。無線を早々にやられて孤立していたようだ」

「無事であるなら僥倖(ぎょうこう)です。しかし負傷者ばかりのこの状況、どう戦うか……」

「私が、逆吊り蟷螂を討ちます。他の方たちは眷属を抑えてください」


 凛とした声に振り向くと、雪で濡らしたタオルで顔を拭う月宮一葉の姿があった。


「……そっちは本気だったのか。低級とはいえ一人でどうにかなる相手では――」

「勝てます」


 水晶のように透き通り、鋼鉄のように力強いその言葉に思わずたじろいだ。

 ――気圧されている? 俺が、こんな小さな女の子に?


「一葉は強いぞ。タイマンなら負けはしないだろう」

「ですが……」


 寂星さんがそう言うからには、そうなのだろう。しかし、たった一人に全てを託すような作戦は取れない。


「ならば、私も一緒に行きます」


 俺の言葉に、苦々しく寂星さんが顔を歪める。


「よしておけ。あまり言いたくはないがな、足手まといになるぞ。一葉が全力を出せなければ、それこそ問題だ。優しすぎるんだよ、あいつは」


 足手まといと言われては正直面白く無いが、確かに二扇家の術は、直接的な戦闘には向いていない。


 腕を組み、黙考する。

 戦える者の人数。負傷の程度。呪物の損耗具合。使用術式の構成。敵の残存戦力。事前に頭に叩き込んだ、戦地になる旅館の内部構造。


 ――五分五分と言った所か。しかし乱戦になれば更に被害は拡大するだろう。

 であるならば、眷属どもを分断して遅滞戦闘。防御に徹し、合流を防ぐ。その隙に最大戦力であるらしい月宮一葉を逆吊り蟷螂にあたらせ、撃破。不確定要素ばかりだが――、確かに有効な手段ではあるかもしれない。しかし……。


「本当に良いのか。十中八九、無事では済まんぞ」


 濡れタオルで顔を拭っている月宮一葉に問いかける。この作戦は、目の前の少女に〝一人で死地へ行け〟と命じる事と同義だ。


 月宮一葉は答えなかった。


 言葉を発する代わりに鋭く、妖しく、微笑んで見せた。

 それはまるで、解き放たれるのを待ち望んでいる獣のような――。


 この笑顔は自信の表れか。それとも自棄になっているのか。あるいは、少女の中に潜む古狼の力が見せた幻影か……。


 ともあれ、心は決まった。一度そうと決めたならば、後は振り返らずに突き進むだけだ。



            ◆



 二扇が一旦言葉を区切り、深くため息をつく。


「後の事は報告書にあるとおりだ。お前も読んでいるな」


 すっかり中身の冷めたコーヒーカップを手のひらで包みながら、七尾が頷く。


「更に犠牲を出しながらも、二時間に及ぶ激戦の末に逆吊り蟷螂を一葉さんが討ち果たしたのですよね。祓い屋業界のパワーバランスを大きく崩した事件ですから、何度も読みました」


 祓い屋の中で大きな力を持っていた諸星家や笹塚家、そして青嵐会に竜胆会が低級の逆吊り蟷螂ごときに遅れを取った、という話は瞬く間に業界全体に知れ渡り、その権威を著しく失墜させた。そして逆に、そのような状況でも大した被害の無かった斑目家や虎洞会の名声は更に高まった。そして何より、変異種ともいえるような強力な逆吊り蟷螂を単身で討ち果たした月宮一葉の名は、祓い屋の長い歴史に新たな一節を加える事になった。


「あいつは、月宮一葉は本当に強かった。知ってるか? 全力で古狼の力を呼び起こすとな、あの黒い髪が雪よりも白く染まるんだ。瞳はルビーのように紅く透き通って、その姿は本当に美しくてな。思わず見とれてしまったよ」

「なるほど、変態ですね」

「否定できん」


 二扇は困ったように笑う。


「それで、一葉さんに惚れてしまったと?」

「ああ、ま、あ。そうだな……。何と言うか、憧れたんだ」

「憧れ、ですか」

「自分の生き方も選べずに、理不尽な力に翻弄されて、それでも強くあろうとするその姿に、だな。素敵だと思った。美しいと思った。羨ましいと思ったんだ。それと、返り血を全身に浴びて、綺麗な白い髪が真っ赤に染まっていてな。その重たい髪をかきあげながら朝日に煌めく吹雪の中で佇むあいつは、まるで闘争の女神のようだった」

「なに詩人ぶってるんですか。気持ち悪りぃです」


 冷めたコーヒーの酸味に顔を顰めるように七尾が呟く。しかしそれくらいは言われ慣れている二扇は、構わず言葉を続ける。


「気が付いたら嫁に来てくれ、だなんて言葉を言ってしまっていた。自分でも驚いたよ」

「私も驚きです。とんだロリコン野郎ですね」

「それは否定させてくれ」


 しかしながら十三歳の少女に求婚するなど、そうとられても無理はない。とはいえ惚れてしまったものは仕方がない。そうと決めたら進むだけ。それが二扇白烙の生き方だ。迷いがあろうが、もう立ち止まりはしない。


「ま、ともあれ。それで手痛く振られてしまった、と」

「振られただけならまだ良かったんだけどな。すっかり不審者扱いだ。想いってのは、伝わらないものだな」

「そりゃあ、出会うたびに求婚してたらね……」


 二扇に対する一葉の態度を思い出して、思わずと言った様子で七尾が深いため息をつく。


「しかし、小動物みたいに気弱そうな一葉さんなんて想像つきませんね。今じゃ少々気難しいくらいですが」

「祓い屋なんてやくざな商売をしていれば、誰でも擦り切れるさ。あいつの場合は、少々事情が異なると思うが」

「事情? 古狼の件ですか」


 頷く代わりに腕を組んで、白く無機質な天井を見上げる。


「ああ。〝月宮一葉〟という人間の部分と〝古狼〟という精霊の部分が、徐々に混ざりあっている。人間の部分に古狼が同調しているのか、古狼の部分に月宮が呑まれているのかは解らんが、結局はあいつが〝どっちでいたい〟と思うかだ。似たような境遇の友人が一人でもいれば、随分違うと思うんだが……」

「白烙さんはあの子に〝人間〟でいて欲しいと思っているんですね」

「当然だ。そうでないと結婚できないだろう」

「ぶれませんねぇ。貴方がその楔になってみては?」

「できるものなら、そうしている」


 ですよね、と七尾が苦い笑みをこぼす。

 二人の間に、しばし沈黙が流れる。やがて


「さて、コーヒーも冷めてしまいましたから淹れ直してきますね。お話のお礼といってはなんですが、白烙さんの分も淹れてやりましょうか?」


 場の空気を変えるように七尾がそう言った。


「そうか? じゃあ頼む。濃さは――」


 二人の声がさっと重なる。


「「文字が書けるほどに濃く」」


 一緒に働くようになってからはまだ二年だが、物心ついた時からの付き合いだ。互いの好みは知り尽くしている。


「カフェイン中毒で早死にするんじゃねーですよ?」

「え、身体に悪いのか?」

「詳しくはしらねーですけど、流石に取り過ぎは良くないんじゃないですかね……」


 そう言い残して、七尾が埃臭い部屋を出て行く。


 後ろ手で扉を閉め、そのまま寄りかかった。そして思わずと言った様子で小さく呟く。


「まったく。付け入る隙が無さそうで、参っちゃいますね……」


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