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ワケアリな人達

 予鈴の残響に沈む廊下を、ゴム底の靴で歩いていく。


 人の居ない学び舎の廊下というものは不思議なものだ。張りつめたような、ここに居てはいけないような排他的な気配に満ちている。


 私を先導するのは、笑顔が張り付いて仮面のようになった担任の教師だ。年齢は四十歳手前といったところだろうか。


 それにしても、チャイムのメロディーというものをすごく久しぶりに聞いた。仕事以外で校舎内で耳にしたのは生まれて初めてだ。普通なら別段どうということではないのだろうが、私にとってはそんな些細なことでも感動に値する出来事だ。


 不意に教師が立ち止り「少し待っていてくださいね」と言って教室の中へ消えていく。

 扉の向こうから、生徒たちが椅子を引く音と、号令し、礼をする声が漏れ聞こえてくる。


 いよいよだ。


 もうじき先生が転校生がやってきた事を伝えるお決まりの言葉を発し、教室内がどよめく。そしてあの扉が開かれ、短い言葉で中へ招き入れられるのだ。

 一度は落ち着いたはずの心臓の鼓動が、再び早まっていくのを感じた。


 あぁ息苦しい。


 禍津神〝逆吊(さかづ)蟷螂(とうろう)〟との決戦前でもここまで緊張はしなかったというのに、この有様はなんだ。私は禍津神よりも、同い年の人間たちのほうを恐れているのだろうか。


 いやいや。禍津神との戦いは命がけ。比べてこちらは失敗しても、精々数年の学園生活がいくらか変な感じになるだけさ。大丈夫。うん、大丈夫。


 って、大丈夫なわけがあるか! 冗談じゃないわ!!


 形よく膨らんだ胸部の真ん中を、こぶしで叩いて心を落ち着かせる。

 やがて予想通りに教室内がわずかに色めき、その内部へと招き入れられた。


 私は覚悟を決めて、境界線を跨ぐ。すると、ざわめいていた教室は水を打ったかのように静まり返った。

 やめてよ。お願いだから、大人しくなるんじゃないわよ。怖いじゃん。


 しかしそんな私の願いなどつゆ知らず、生徒たちは新しい玩具を与えられた子供のような瞳で見つめてくる。


 好奇の視線が私を貫く。


 私は足元が浮つくのを必死に抑え込みながら、なんとか転ばないように壇上へとのぼる。僅か数センチの段差がやけに高く感じられた。


 私はなるべくロボットのように、ぎこちなくならないように意識して、お辞儀をする。窓ガラスから差し込んだ光で、私の黒曜石のように艶めく髪が煌めき、周囲から「ほぅ……」と感嘆の声が漏れた。


「髪きれーい」「わ。まつ毛ちょー長くない?」「良いなぁ。モデルみたーい」

 次々と私を賛美する声が聞こえてくる。


 とっ、ととと、当然よね! 髪とかお肌のお手入れって大変なのよ? 身体だって祓い屋の仕事で鍛え上げられていて、脱いだら凄いんだから。毎日のトレーニングだって欠かしていないのよ?


 期待通りの反応に私は胸を張ろうとする。


 だがその意思とは裏腹に、なぜかどうしようもない居心地の悪さを感じて肩が強張る。

 どの角度から見ても完璧な美しさの私ではあるが、その容姿を生かせるほど人付き合いをしたことがない。幼い頃など言わずもがな。幼子は母親とアンパンマンの区別がつけばそれでいいのだ。


 大精霊〝古狼〟の力をその身に宿してからは、近所の子供たちとも遊べなくなった。

 お師様の養子になってからは、顔を合わせるのは精霊と禍津神ばかりになった。

結局、容姿の美しさなど人間社会に生きてこそ価値のあるものなのだ。解っていたはずなのに、その維持に苦心していた私は、自身の知らないうちに人との繋がりを欲していたのだろうか。それとも、自分はあくまでも〝人間〟でありたいと思う、無意識からの欲求のためか……。


 場違いな感傷が心を過る。そんな私の意識を引き戻したのは


「うっお! マジやべーって。お前行けよ。そんで俺に紹介しろ」「ふっざけんな。お前ヤリてーだけだろ。そんで後始末を俺に押し付けんだろ?」「おめーらヘタレだなぁー。んじゃ一番は俺がいただきまーす!」


 などという、下衆な男たちの声だった。

 思わず、口の中で舌打ちをしてしまった。誰にも聞かれていなければ良いが。

 見た目の第一印象は最高のようで何よりだが、ああいった手合いはお断りだ。

放っておけば良いのだろうが、いずれは私に絡んでくるだろう。


「では月宮さん、自己紹介を」

「はっ!? あっ、はい!」


 横合いから投げかけられた担任の言葉に私は背筋を伸ばす。そうだ、何余計なことを考えているんだ私は。大切なのはこれからじゃないか。


 落ち着くのよ、一葉。余計なことをいう必要はない。名前と、簡単なあいさつ。それだけで良い。

 昨晩、ベッドの上で何度も繰り返したイメージトレーニングを思い出す。大丈夫、大丈夫。


「つ、月宮一葉です。半端な時期からではございますが、皆さんよろしゅ……。すゅ、しゅ……」


 …………。


くそっ! お約束かっ……!!


            ■


 時折舞い込んでくる禍津神討伐の仕事をこなしながら、学園生活を初めて早一週間。いくらかクラスにも馴染めてきた。


 学園に来る前は一週間といえばそれなりの長さだと感じていた期間だが、慣れぬ場所であれやこれやと気を張っていると、本当にあっという間に感じるのだった。

 まぁ、祓い屋の仕事と両立させるのは骨の折れる話ではあるのだけど……。


 仕事のほうは、危険度は低いながらも無視はできない、といったレベルの禍津神を討伐するだけの簡単な仕事ばかりだった。学生という私の立場を考慮してか、お師様を失い、一人になった私の実力をはかるためか……。あるいは、その両方だろう。以前のように、長期間張り込んで地域一帯から禍津神を掃討するような、大掛かりな仕事を任されるようになるにはまだまだ信用が足りない。


 クラス内での立ち位置の確保は思っていた以上にスムーズだった。

 最初の自己紹介での失敗が〝パッと見は気難しそうだけど、意外と抜けていて親しみやすい人〟という印象を与えたらしく、色々と気にかけてもらえたのだ。


 抜けている、とは全くもって不本意なことだが、人付き合いの経験が殆どない私としては、向こうから好意をもって寄ってきてくれるのは非常に助かっているので放置している。


 ところで、この白藤学園について幾つか解ったことがある。

 学園に初めてやってきた時から感じていたことではあるが、お金を湯水のようにつぎ込んでいるのは正門に校舎の一部、そして総合体育館など、学園のパンフレットに載っているような、多くの人目に触れるような所ばかりであった。少し裏に回ればそれ以外は大変簡素なものだ。広さだけは桁違いだが、設備のレベル的には普通の公立高校などと大差はないと思われた。


 そのくせ、学費はやけに高い。

 まぁ私の学費はこの白藤学園への入学を進めてくれたとある名家が請け負ってくれているので、問題はないが。

 いや、問題ないことはないか。この恩はいずれ何かで返さなければならない。借りを作りっぱなしというのも座りの悪い話だ。


 さて、この学園はいったい何を取り繕っているのだろう? という疑問に繋がる訳だけど、その答えはこの学園に通う生徒たちにあった。それがもう一つの解ったことだ。


 結論から言うと、この学園に通う生徒たちの殆どは、(すね)や心に傷を持つ〝ワケアリ〟な存在だった。


 思えば最初から疑問ではあった。私のような今までろくに学校に通ったこともない奴が、こんなお金持ちの学園に編入試験も無しに入学できるのはなぜかしら、と。


 切っ掛けはこちらも入学初日。

自己紹介とホームルームが終わった後、即座に私は周囲を囲まれ質問攻めにあった。


「ねぇ。バスケ好き?」「それよりバトミントンよ、バトミントン!」「バレーやったらモテるわよー?」「絶対、ソフトボール向いてるって! やろうよ!」


 などの、お決まりの部活動勧誘から


「肌きれーい。化粧品ってどんなの使ってるの? シャンプーは?」「おすすめのネイルサロン教えてあげるから、今度一緒に行こうよ! この辺りって田舎だけど、駅前は意外と良い店あるんだよ」


 などの日常会話的なものまで。ネイルサロン? はご遠慮しときます。爪は私の武器なんで自分で研ぎます。そして


「ねぇ、女の子同士の恋愛って、どう思う?」と、顎を指でなぞられたり「それより男の子どうしってどうかな!」と薄い本を押し付けられたり「こ、ここ、コスプレとか、似合うと、その、思うんだけど……その、良ければ、一緒に」と良く解らないお誘いを受けたりと様々だった。この学園は中々に個性的な人間が多いようだ。


しかし、だれにも聞かれなかった事が一つある。

 それは〝過去〟についてだ。


 転校生に対する質問といえば「前はどこの学校に居たの?」とか「どうしてこっちに引っ越してきたの?」などの質問の一つも飛んできそうだけれど、誰もそれについては触れてこなかった。どうやら〝過去について触れてはいけない〟という、暗黙のルールが存在しているようだ。


 私としても他人の過去などに興味はないし、聞かれないのはこちらも好都合ではあるのだけど、どうにも気持ちが悪い。


 そこで私は仕事で何かとお世話になっている情報屋から、クラスメイトの来歴を取り寄せた。それなりにお値段の張る情報ではあったけど、先行投資だと思って我慢した。畑に種を蒔かなければいくら待っても収穫は望めないように、金を欲するなら惜しみなく金を使わなければならない。ケチと節約は別物だ。


 さてその来歴だけど、なかなか読みごたえのある代物だった。


 目を見張るような文字で溢れるその来歴表だが、もっとも多いのは愛人や妾の子というものだ。

 存在を隠され、このような東京の片田舎に押し込まれているらしい。まったく、昼ドラの世界の話のようだ。


 それ以外には、跡目を継げぬ次男や三男が厄介払いされて流れ着いた、とか。過去に身代金誘拐を経験した事から普通の学校へは通えなくなり、この学園に行き着いた……とか。


 後者については、お金持ちなんだから家庭教師雇うなり、通信教育にするなり、色々と方法はあるでしょう? と言いたいところだが、結局のところお金というものは人付き合いの中から生まれるものであり、何かしら特殊な技能でも持たぬ限りコミュニケーション能力の乏しい物は自らの力で金脈を掘り起こすことはできない。金持ちほど人脈を大切にする。学生生活はコミュニケーション能力を養う上で、とても重要な役割を果たすのだ。だから、このような学園に放り込んだのだろう。


 そして……本当に居るんだなぁ、こんな奴。


 あの挨拶の時に下衆な言葉を投げかけてきた三人についてだが、この来歴表によると〝あまりの素行の悪さに通常の教育機関には通えなくなり、監視の意味合いも込めて白藤学園に入学させられた〟ということだ。


 あの程度の軽口、街を歩いていてもしょっちゅう投げかけられるから、あまり深く気にしてはいなかったけれど……、あいつらはどうやら本物の下衆のようだった。


 しかしまぁ、ここでも何か問題を起こして白藤学園を追い出されるようになれば、本当に行き場を失うという事くらいは、あの軽そうな頭でも流石に理解しているだろう。実際、最初は絡んでくるかと思っていたあの三人組も、今日の今日まで遠くで眺めているだけで何もしてこなかった。


 なんにせよ、こういった傷や問題を抱える者たちは禍津神からも狙われやすい。不幸なことだとは思うが、私にとっては誰もが上質なお客様になりうる存在だ。

 仕事用携帯電話をスリープモードにし、荷物を纏めて席を立つ。


 時刻は夕方。とっくに放課後を迎えた教室には私のほかに影はなく、椅子を引く音だけがやけに大きく響いた。

 木製の引き戸をくぐり、廊下に出る。


 柔らかな春の夕日が差し込む廊下には、様々な音が響いていた。


 調子の外れた管楽器の音。

 声を揃えた発声練習の声。

 ランニングをする運動部の掛け声。

 ほとんど怒鳴りつけるように轟く応援の声。


 そんな青春を貪り、咀嚼する音で溢れる廊下を、私はある場所に向かって歩いていく。


 家に帰る訳ではない。今日は祓い屋の仕事もないので、つい先日見つけたお気に入りの場所へ向かうためだ。

 十分ほど歩いただろうか、巨大な校舎の隅、その存在を知らぬまま卒業する者もいるかもしれないと思えるほど手狭な〝第二図書室〟へと足を踏み入れる。


 インクと焼けた砂のような古紙の香りが胸に満ちる。

 人の気配は全くない。司書や図書委員すら居ない。目に映るのは暖色の中に浮かぶ古惚けた木製の本棚に、簡素な机に椅子のみ。

 いや、それだけではない。あちこちに人ならぬ者たちが浮かんでいる。この場所は精霊のたまり場のようになっているのだった。


 この場所は素敵だ。故郷の山中を思わせるほど精霊にあふれている。私の中の人間と精霊の部分が同時に心から落ち着ける、数少ない場所だ。


 ここに辿り着けたのは偶然だとも言えるし、必然だとも言える。

 この学園に来てからの一週間、私は空き時間を見つけては校内を隅から隅まで練り歩いた。


 目的は一つ、精霊の調査だ。


 どの学校にも一つくらいはあるであろう怪談話。この白藤学園もその例に漏れてはいなかった。

 いわく、貯水槽へ誘い落す白い女や、異世界へ連れ去るという幽霊用務員だとか、出会うと不幸が訪れる白い手だとか、夜の白藤学園を支配している三つ目のカラスだとか……。


 私には恐怖の対象とはならないので放置してもよいのだが、万が一自分のホームグラウンドに禍津神がいても気分が悪い。なのでこの地に住まう精霊たちへの挨拶もかねてそれらを一つ一つ調査したのだった。


 思っていたより調査は難航した。こんなにも周囲を自然に囲まれたような場所では珍しいのだけど、精霊たちの姿をほとんど見つけられなかったからだ。

 これはおかしいと校内を隅々まで練り歩き、やがて精霊のたまり場になっているこの場所〝第二図書室〟へたどり着いた。そこで一つの情報を手に入れた。


 精霊のほとんどは人の言葉を解さないが、中には意思の疎通が成り立つものもいる。その者によれば、しばらく前に凶暴なよそ者がこの学園に突然現れ、自分たちはこの場所に追いやられたのだ……ということを教えてくれた。


 よそ者、ねぇ。


 私じゃないとすれば、学園生活初日に襲撃してきた影の刃か、あの巨大な黒い沁みだろうか。


 ともあれ、この第二図書館には各国の言語に翻訳された聖書や様々な宗教の経典、あるいは宗教学の学術書などが所狭しと並べられている。悪しき禍津神と青春を謳歌したい若者には近寄りがたい場所であろう。


 だが私とて宗教学に造詣が深い訳ではないので、そんな本に用事はない。

椅子の上でうたた寝をしている、親指程度の身体を持つ精霊〝小鬼〟を摘み上げ、机の上に載せてやる。そして椅子に腰かけた私が鞄の中から取り出したのは、一冊の文庫本。


 本を開き、しおりを取り払ってページをめくり始める。

 しばらくの時がたち、夜のとばりが降り始めたころ。そろそろ帰ろうかと支度をしていると、ある異変に気が付いた。


「……定期が、ない」


 いつもはバスの定期券を入れている鞄のポケットに、代わりのように一枚の紙切れが収まっていた。嫌な気配を感じつつ、開く。



 『一葉ちゃんへ

 定期は預かってまーす☆ 返して欲しかったら部室棟の二階奥の用具室へ八時までに来てねー☆ 

 もし来てくれなかったら、僕達ムカついて定期割っちゃうかもー☆

 あっ。ゴムなら持ってるから安心してねー☆ 持ってるってだけだけどー☆』



 …………。



 あったま悪ぅ――!?


 なんだこれ。読んでいるほうが恥ずかしくなるような文章だ。いや、文章といえるのかな? これ。


 誰の仕業……なんて考えるまでもないか。あの三馬鹿下衆野郎、どうやら本物の馬鹿だったらしい。


 さて……。どうしようかしらね。

 バスの定期券程度、別にくれてやっても問題ない。馬鹿馬鹿しいし腹立たしい出費だけれど。


 しかし、ここで無視したら次はどんな手でくる?

 ああいう奴らは遊び半分でこういう事をするから、しつこいし見境がないものだ。エスカレートするのは目に見えている。それに、多少の問題なら親がその財力を駆使してもみ消してくれると言うことを、今までの経験から良く知っているのだ。しかし、ここで問題を起こせば後が無いという考えには至らなかったらしい。なんにせよ、放置すれば面倒な事になる。


 教師に相談する? 否だ。

 ここの教職員達は、表面だけを取り繕うようなこの学園の教師〝らしい〟事に、基本的に生徒とは日常会話すら交わさないのだ。たとえこの手紙を見せたところで〝生徒同士の問題には手出しをしない〟と、取り合うことすらしないだろう。


 では警察に? さらに無い。

 事件にならなければ相談すらまともに受け付けない国家権力だ。あてにするほうが間違っている。

 放置はできない。誰かに相談もできない。ならば――


「ここはひとつ、私〝達〟でお灸をすえてやろうかしらね。手伝ってくれるかな?」


 私のその言葉に応えるように、人気(ひとけ)のない第二図書室がざわめいた。


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