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狼と狐と亀

 ベランダの手すりからだらしなく両腕を垂らし、うなだれる。

 夜の帳が下り、ひっそりと眠りについた街をなんとなしに眺めながら、ため息を一つ。


 十夜雪咲になんと報告したものだろう。先ほどから、その事ばかりが胸の中に渦巻いて気分が重い。

 五坂の死については、警察か五坂の母親か、あるいは十夜家から連絡が入っているだろう。しかしそれで私の説明義務が果たされたわけではない。五坂の最後について私は十夜雪咲に話さなければならない。


 だがあの銀髪の妖精のような少女は、その事実にまっすぐに受け止る事ができているだろうか。私には、多分できていない。


 五坂の死については私も重く責任を感じている。十夜雪咲はそれ以上だろう。その傷に今この時に触れても良いものだろうか。判断が付かない。


「あぁもう。なんだかなぁ……」


 そんな言葉が自然と口から漏れ出す。うだうだしていても仕方が無い。そうは思っていても、心と身体が付いてこない。年齢さえ許すのであれば、お酒でもかっ喰らいたい気分だった。


「(シャワーでも浴びるかぁ)」


 茹で上がりそうなほどに熱いシャワーを頭からかぶれば、この鬱屈した気分も少しは晴れるのではないか。そう期待して夜の街に背を向けようとしたとき、不意に眼下を何かが走る。


 それは白い気体に見えた。煙か何かか。まさか火事?

 そんな事を考えていると、あちこちから更に白い煙が湧き上がってくる。そこから立ち上る腐った水のような悪臭と邪悪な気配。


「瘴気……!? 可視化されるほどに濃い瘴気だなんて……!!」


 瘴気の霧は瞬く間に街を覆い尽くす。さらには私の住むマンションの外壁を駆け上り、噴水のような勢いで私の前髪を跳ねあげた。


「つっ――!! 一体……」


 何が起きたのか、などと今更考える事もない。

 これほどの瘴気の奔流。それを引き起こすようなものと言えば、心当たりは一つしかない。


 この街全体を巻き込んだ、土蜘蛛の召喚陣が発動したのだ。

 しかし、一体なぜ……と考えが及んだところで、何故か脳裏に浮かんだのは昼間に聞いた鍵森の言葉だった。


「地面の下……街の地下全体に張り巡らされた、防空壕……」


 考えてみれば不自然だった。街一つを生贄にした大規模召喚陣。その存在に特災が気付き、解呪作業を始めてもそれを描いたであろう魔術師は何のリアクションも示さなかった。膨大な時間と労力、そして費用を投じて作り上げたのであろう召喚陣が無効化されようというのに。


 ゆえに、私も特災も魔術師が手を引いたのだろうと考えていた。計画の失敗を悟り、去ったのだと。

 だがそれは間違いだった。私たちは相手の術中にすっかりハマってしまっていたのだ。つまり――。


「地上の召喚陣は、丸ごと全部フェイクだったの!?」


 本命の召喚陣は〝土の下〟――。

 この街全体の地下に張り巡らされた防空壕を利用して描かれていたのだ。


 それが今、発動してしまった。


 白く染まった夜に電子音が鳴り響く。携帯電話の液晶を確認すると、二扇警視からの着信であった。


『月宮、今どこにいる!?』


 二扇警視は珍しく切迫した様子だった。つまり、それほどの事態という事だ。


「自宅のベランダよ。やられたわね……、まさかもう一つ召喚陣を敷いていたなんて」

『もう一つ、だと? 月宮、お前何を――。いや……今は良い。それよりも悪い知らせだ。お前にとっては特に最悪かもな』

「何? さっさと言いなさいよ。この状況でもったいぶらないで」


 それもそうだ、と電話口で二扇警視が応える。


『土蜘蛛の眷属なのか、それとも別に召喚された物なのかは解らんが……。霧の中からぞろぞろ出てきやがる。今、ベランダだったか? 下を見てみろ』


 猛烈に嫌な予感がする。だが確認しない訳にもいかず、恐る恐る白く霧に沈む街へと視線を向ける。


 霧の向こうで何かが蠢いた。人間……ではない。そのような形ではない。

 眼を細めて霧を睨む。そしてその正体に気が付いたとき、喉の奥から「ひっ」と情けない声が出てしまった。


 あの眼、あの鎌、あの姿。見間違えようもない。

 初の禍津神討伐で、私に昆虫に対するトラウマを植え付けた憎き相手。

 目に見える範囲で二十は居る。いや、まだ増える。


 戦慄し、息を吞む私の耳を二扇警視の声が撫でた。


『禍津神――、〝逆吊り蟷螂〟だ』


 脳裏に四年前の光景が蘇る。

 世界の果てのような、白く沈んだ風景。

 紅く染まった雪景色。

 むせ返るような血の匂いと、痛みと苦しみに呻く人々の声。


 駄目だ。


 私の世界がひっくり返る。あの地獄が再び現れる。それも、四年前とは比較にならぬほどの規模で。


 駄目だ。それは駄目だ。


 ここは私の街だ。こんなうらびれた街でも、あんなワケアリな人間ばかりが集うような学園でも、ようやくたどり着いた場所なんだ。ようやく、人間らしい生活ができる私の居場所なんだ。


 それにこの街にはあの()が、十夜雪咲が居る。


 あの娘は私の合わせ鏡だ。


 その性質は違えど、私たちは互いに〝力〟持っていた。そして自身を取り巻く理不尽へ抗おうとし、結果、逆に大切な何かを失った。

 私は人としての心の在り方を見失い、十夜雪咲は唯一の家族と言える人を失った。


 守らなくてはならない。私はあの娘まで失えない。もし失えば、今度こそ私は、月宮一葉は人として〝終わって〟しまう。そんな気がしてならない。


『厄介なのは、逆吊り蟷螂にもまた眷属が居るという事だ。じきに街が禍津神共で埋め尽くされる。特災と呼び集めた祓い屋で応戦はしているが……』


 召喚陣を無力化する方法は三つ。


 一つ。術者自身に解呪させる。それが不可能なら殺害する。

 二つ。召喚陣を地道に解呪する。急を要する場合は破壊する。

 三つ。召喚された者を打ち倒し、召喚陣そのものを無意味化させる。


『術者は解らない、土蜘蛛は倒せない。となれば、召喚陣を破壊するしかない。だがカマキリ共がそれを許さないだろう。月宮、お前は避難する住民の護衛を――』

「私が、土蜘蛛を倒す」


 二扇警視が息を呑む気配がした。そして、重々しく言葉を紡ぐ。


『……正直に言うが、こちらもある程度は事情を把握している。女学生一人と街一つ。その価値を比べられるものではないが、どちらを救うべきかは解るだろ』

「でも――」

『たとえそれが、お前の友達であってもだ』

「…………」


 最悪だ。怒りと焦りと後悔で脳髄が焼け落ちそうだった。

 策にはまり、良いように弄ばれ、もはや前にも後ろにも進めない。

 思わす携帯電話を握りつぶしそうになった。ミシリ、と外装が悲鳴を上げたところで二扇警視のため息が耳朶を叩く。


『一時間だ。それ以上は待てない』

「……それは――」

『だが、敵わないと思ったらすぐに逃げろ。お前に死なれるのは――その、なんだ。……困る』


 思わず噴き出した。二扇警視はいつも饒舌に愛を囁く癖に、いざと言う時には途端に不器用になる。


 まったく、男って奴は。


「――ありがとう。感謝する」


 通話を切り、携帯電話をしまう。そして白く沈んだ街を見下ろした。


 この件を仕組んだのは恐らくあいつだろう。

 この白い景色。絶望的な状況。そして逆吊り蟷螂。四年前のあの日を(なぞら)えているつもりか。第一印象通りに底意地の悪い奴だ。


 口端から覗く犬歯が光る。


「最後の最後で、全部ひっくり返してやる……!!」



            ■



 電柱の天辺に立ち、俯瞰する。


 街を包む霧の中は、眼を覆いたくなるほどの酷い有様だった。


 禍津神共が我が物顔で往来を闊歩し、気まぐれに民家に押し入っては夜を紅に染め上げる。

 そこかしこから悲鳴が上がり、助けを求める声がこだまする。


 誰かが誰かの名を叫ぶ。しかし声は返らない。

 神の救済を願う者が居る。だが天から光は降ってこない。


 放っておけば、夜が明けるころにはこの一帯から人の気配は消えうせるであろう。現状でも十分すぎるほどに大霊災だ。

 しかしこの災害はこれでは終わらない。土蜘蛛の召喚が成されるような事になれば、その被害は街一つでは到底収まらない。


 目の前を野戦服を着込んだ一団が掛けていく。特災の実働部隊だ。手には刀や槍、そして弓などの各々が得意とする武器が握られている。

 民間人に襲い掛かる眷属を瞬く間に蹴散らしていく。そして流れるような連携で逆吊り蟷螂を包囲し、次の瞬間には八つの肉塊に切り分けた。よく訓練されている。四年前にもあんな手練れが居れば……。


 遠くで炎の渦が湧き上がる。禍津神共を巻き込みながら火炎旋風のように天高く舞い上がり、風に消えた。周囲の建物には焦げ跡一つない。

 少し離れた場所の空に、突然巨大な氷塊が現れた。目を剝いてそれを見つめていると、そこから龍の牙のように鋭い氷柱が地表へ向けて雨のように降り注ぐ。あれを受けて無事でいられる禍津神などそうはいないだろう。


 あれらの術は亀子さんが呼び集めた祓い屋によるものだろうか。しかし桁外れに強力だ。彼女にはとんでもないお知り合いが居るらしい。

 ともあれ、街の方は任せるしかない。それに足るだけの戦力もあるようだ。ならば。


「私は、私の役目を果たさないとね……」


 学園を目指してひた走る。バス通りへ出て、正門前までの一本道を駆けていく。

 前方の霧の中から人の気配を感じ、足を止める。やがて姿を現した人物に、私は特に驚くこともなかった。

 その男は形の良い帽子に一目で最高級と知れるスーツ、そして磨きこまれた靴を身に着けていた。目は糸のように細く、口元には胡散臭い笑みが張り付いている。


「居ると思っていたわよ。鍵森四凪」

「来ると思っていましたよ。月宮一葉」


 鍵森が大仰に両腕を広げ、くつくつと喉を揺らす。


「どうやら、私の招待状は正しく受け取って頂けたようですね」


 思わず眉根が寄る。


「何の、話かしら」


 そう言いながら、油断なく全身に古狼の力を這わせる。敵を前にしてのんびりお話に興じても居られない。


「もうハッキリ言ってしまいますが、地下蔵の存在を教えて、五坂君に土蜘蛛の影が憑くように仕向けたのは私です。貴方がこの件から引くに引けなくするようにね」


 鍵森はまるで昨日のニュースを語るかのように、軽々とそんな言葉を紡ぐ。


「彼にあれほどの耐性があったのは予想外でしたがね。まさか最後まで土蜘蛛の霊力に抵抗して見せるとは。まぁともかく、貴方は勝手に責任を感じ、この事態に自ら幕引きをするためにこうしてのこのこやって来た」


「……今更、別段驚きも無いわね。目的は変わらない。それにここで会えたのは私にとっても幸運よ。術者であるあんたを倒せば、少しは時間が稼げるでしょう」


 本当は殺害してしまうのが手っ取り早いのだろうが、この男の事だ、そこに何か罠があるかもしれない。やはり、ここは土蜘蛛を叩くべきだ。

 腰を落とし、機を伺う。それを受ける鍵森は、相変わらずの余裕ぶった笑みを浮かべている。


「できますかね? 貴方に」

「やれないと思う? 私に」


 相手の呼吸に合わせて踏み込む。鍵森が一呼吸を終える間に懐へ潜り込み、その腹へ向かって拳を突き出す。

 絶好のタイミング。そして角度。ヤワな人間の身体なら一撃で戦闘不能だ。しばらく眠っていて貰おう。


 しかし私の拳が鍵森へ突き刺さることは無かった。ゼリーのような重い軟体を殴りつける鈍い衝撃に、勢いを完全に殺されてしまう。


「っ! 結界!?」


 失笑をしながら、鍵森が呆れたように首を振る。


「ほんっとうに芸が無いですねぇ。貴方の戦いぶりを何度か拝見させて頂きましたが……毎度毎度、古狼の力に頼った愚直な突進ばかり。工夫というものがまるで無い」


 足を止めるのはまずい。後方へ飛び退り、体制を――


「そして、一撃目が通じなければすぐに距離を取る」


 鍵森が指を鳴らすと、私の着地点に赤く光る魔法円が現れた。


「まずっ――!?」


 空中では避けようもなく、魔法円を踏みしめる。魔法円から伸びる鋭い爪の生えた悪魔の腕が私の足首を掴む。


「喚起魔術……!」


 何とか腕を振り払おうともがくが、爪はしっかりと私の肌に食い込んで引きはがせる気配が無い。やがて腕が赤い光を放ち始める。え、ちょ、まさか。


 次の瞬間、視界は真っ白に塗りつぶされ、爆風に煽られて地面を転がる羽目になった。

 遅れてやって来たのは激痛。見れば、足首の肉は吹き飛ばされて赤黒い骨がむき出しになっている。周辺の熱傷も酷い。いくら古狼の再生力が凄まじくとも、これではしばらく歩けない。


「このっ! 調子に乗って……!!」


 胸から炎符を取り出し、霊力を這わせて鍵森へと投げ放つ。

 炎符は飛翔半ばで燃え上がり、破邪の力を孕んだ紫炎となって鍵森へ迫る。点で駄目なら面での攻撃だ。あの結界も無事では済むまい。


「ほら。そうやって、すぐ投げ物に頼る」


 鍵森がどこからが黒い鈴を取り出し、一振りする。チリン、という音に合わせて地面に毒々しい黒紫の魔法円がいくつも現れ、そこから〝人の形をした何か〟が次々と湧き出て炎符の炎に焼かれていく。


「今度は死霊術(ネクロマンシー)!? 死霊を盾にするなんて……」


 ついには炎符の呪力も尽き、紫炎が消え去る。


「芸達者な奴ね……」


 思わず舌打ちをしてしまう。虎洞会は実力はありながらも組織に馴染めないはぐれ者が集う祓い屋集団。ゆえに様々な系統の術者のエキスパートが集っていると聞いたことはあるけど……。まさか、こんなにもハイブリットな奴が居るとは。


「芸達者、ね……。なるほど。やはりこの程度、貴方にとっては所詮曲芸レベルですか」


 つい先ほどまで飄々としていた鍵森の気配が、急激に険しくなる。


「ねぇ月宮さん。祓い屋の力量を決める、もっとも重要な要素とは何だと思いますか」


 質問の意図が解らず、ただ困惑する。この男はいつも唐突だ。


「才能ですよ、才能!! 私のような凡人は、たとえどれだけ身を削っても才ある者の足元にも及ばないんですよ!」


 声を荒げ、悔しそうに地面を踏みにじる。どう見ても激昂しているのに、俯く鍵森の姿はどこか悲しんでいるようにも見えた。


「……才能なんか無くったって、努力を続けていれば頭一つ抜けた実力は身に付くでしょう」


 私の言葉に鍵森はゆるく首を振る。


「力のある奴は、どいつも同じことを言いますね。私が全てを投げ打って必死に努力をしている横で! 軽々とそれを追い越して! お前は頑張っているだなんて上から見下ろして!! フザケんじゃねぇ! 〝頑張ってる〟じゃ駄目なんだよ! 一番じゃ無きゃ二番もビリも変わんねぇんだよ!」


 感情を露わにした鍵森の叫びが白い夜に響く。


「学べる物はなんでも学んだ! 試せることは端から試した! でもどれも駄目だ。それだけ磨いても上級者どまり、達人にはなれない。……私はね、才能って奴が大嫌いなんですよ。特にせっかくの才能を〝望んで手に入れた力じゃない〟とか言って蔑ろにしている奴とか、その力に胡坐をかいて磨こうとしない阿呆とか、ぶち殺してやりたくなるんですよ!!」


 誰の事を言っているのかは流石に解る。言われる筋合いはまったく無いが。


「心底どうでも良いわね。それで? その才能嫌いが一体何よ。今回の件と何か関係するの?」


 言いながら足首の様子を確認する。まだ感覚が戻らない。回復まではまだかかりそうだ。


「今回、ではありません。四年前の温泉街で起きた〝逆吊り蟷螂事件〟から、ですよ」


 思わず目を剝いた。


「四年前……って。え、でもあれはダム建設で住処を追われた逆吊り蟷螂が」


 言い終わるのを待たず、落ち着きを取り戻した鍵森がニヤリと歯を剝いて見せる。


「私にもね、少しだけ人より得意な術式があるんですよ。それは〝召喚〟、そして〝使役〟です」


 脳裏にあの日の情景が蘇る。当初は楽勝と思われた討伐任務。奇妙なほどの連携を見せる禍津神。徐々に疲弊し、崩れ始める部隊。次々に吊るされる仲間、そして消えていく命の灯……。


「古狼の魂、その半分を貰い受けた少女が現れた。そのニュースを聞いた時はそりゃぁもう腹が立ちましたよ。突然に精霊も禍津神も知らない一般家庭の小娘が、弛まなく技術を練磨し続ける祓い屋たちの頂点に立ったんです。許せるわけがないでしょう?」


 毎日毎日、汗水たらして努力しているその横で、なんの関係も無い奴にいきなり追い抜かれたら腹も立つ。確かにその気持ちは解らなくもないが……。


「そしてその少女はこう言ったんです。〝こんな力、望んで手に入れた訳じゃない〟。ふざけんなですよねぇ? じゃあ貰ってやるよって話ですよ」


 一時は月宮家に匿われて姿を消した古狼の少女。しかしある日、その少女は祓い屋として活動するつもりらしいという噂が立った。ならば、と初陣として絶好のロケーションを用意し、私を誘い出したのだと鍵森が言う。


「でも……、なんでわざわざそんな事を」

「はぁ? 言ったでしょう、古狼の力を貰ってやろうと。大精霊古狼が、どうやって貴方に魂の半分を受け渡したのかは知りませんが、まぁ貴方の生き胆でも喰らえばあるいは……と思いましてね」


 生き胆――って、内臓? 喰らう……? え、私の?


「ほ、本気で言ってるの!?」

「それも言いましたよ。〝試せるものは何でも試す〟と。まぁ力を持つ者には解らないでしょうねぇ。私はね、力の為なら人を喰うくらい、なんでも無いんですよ」


 なんでもない訳がない。それは人として超えてはならない一線だ。それを越えようと……いや、この口ぶりなら既に超えているのかもしれない。


 この男、想像以上に――


「狂ってる……」


 今更何を、と鍵森が唇を歪める。


「ああそうだ、あれは傑作でしたねぇ。逆吊り蟷螂に、子供を盾にさせて貴方と戦わせたあの時ですよ」


 さっ、と血の気が引いた。やめろ。言うな。


「まさか、子供ごと貫くなんてねぇ。あれ以来、貴方はまともに笑えないんですって? まるで獣か人形のようですねぇ」

「黙れぇぇぇ!!」


 喉の奥から声を絞り出し、牙を剝く。今すぐにでもあの喉笛を食い千切りたいが、未だ足は戻らない。


「ふん、まるで芋虫ですね。やはり貴方は大したことない。他者の霊力を取り込まなければ全力を出せないとか、とんだ欠陥品ですよ。さっさと土蜘蛛召喚の準備に切り替えて正解でした。ま、暇つぶしに嫌がらせは続けさせて頂きましたけどね」

「土蜘蛛を召喚して、それでどうするつもりだったのよ。あんた如きにどうにかできる相手じゃないわよ」


 せめてもの意趣返しのつもりで言った言葉だったが、しかし鍵森は下らなそうに笑うだけだ。


「確かに私にはどうしようもないですねぇ。でもね、貴方を見て私は学んだのですよ。〝自分の力が足りないなら、余所から持って来れば良い〟とね。私には才能が無い。しかし知識と経験はある。ならば召喚陣は私が描き、最も才能を必要とする基礎部分を他者に描かせようと思至りました」

「でも……召喚しただけじゃ意味ないでしょう」


 やれやれ、とまるで出来の悪い生徒を見るような鍵森の視線が刺さる。


「符術以外はからっきしな貴方には解らないかもですけれどね、召喚に成功するという事は、その者の上位に立つという事なんですよ。ならば、その上位者を供物にして使役を行えば……どうなると、思いますね?」


 そんなもの、考えた事もない。考えてはならない。

 過去にはそんな事を思いついた物は居るのかもしれない。だが実行に移した者は居ないはずだ。それは人道を外れた行為だから。


「……計画としては落第ね。土蜘蛛の上位に立てるような桁違いの才能の持ち主で、貴方に何とかできるような人物……。そんな都合の良い人間がそうそう居るわけないでしょう」

「ま、そうですね。そこは認めますよ。召喚には土地も重要です。幾度となく空襲に晒され、たっぷりと血と魂の沁み込んだこの地。そして人目に付かずに陣を敷くのに最適な、街全体に張り巡らされた防空壕。ロケーションは最高でした。後は才能ですが……、こればかりは地道に探す他ありませんでした」

「それで、あんな魔術書もどきをばら撒いたって訳ね。そして十夜雪咲に目を付けて、誑かした」


 十夜雪咲の書斎で見つけた、若草色の本だ。様々な魔術の基礎から応用までが、丁寧に現代語で解りやすく書かれていた。

 悪戯を見咎められた子供のように、鍵森が苦笑いをする。


「ああ、ご覧になられたのですか。なんともお恥ずかしいですねぇ」


あんな得体の知れない代物、普通なら見向きもされない。しかし脛に傷を持ち、世の中に嫌気がさしている白藤学園の生徒なら手に取ってしまう者もいくらか居たのであろう。興味を持つ。それは才能の中でも最も重要な部分だ。鍵森はその切っ掛けをばら撒いた。


「才能は意外に早く見つかりました。それがあの十夜財閥のご令嬢だったのは私も驚きましたがね。それで、というわけでもないのですが、欲を出したのは失敗でした」

「あんたは十夜家に脅しをかけた。〝そちらの娘さんが禍津神の召喚なんぞに手を出していますよ。秘密裏に解決してほしければ金をだせ〟みたいな?」

「だいたいその通りですけれど、品が無いですねぇ。ま、結果として、対処に困った十夜家は丁度フリーになった貴方に目を付けて、この街へ寄越した。雪咲嬢から貴方に依頼させ、この件を解決させるようにね。困った話ですが、まぁ自分で撒いた種です。貴方の師である寂星さんがお亡くなりになられたのは、私たち虎洞会のせいみたいなも、の、で、す、し?」


 おどけるように、嘲るように鍵森が嗤う。思わず顔を顰めるが、いちいち相手にするのはもうやめよう。


「……あんたは力を欲した。そして真っ直ぐ手を伸ばした。やり方はどうあれ、別にその事を否定するつもりはない。でも、あんたは私をコケにした。その代償は払ってもらう」

「へぇ? それは恐ろしい」


 ある程度には回復した足で立ち上がり、焼けるような敵意と害意をもって睨みあう。


「ああそうだ、私の演出は気に入って頂けましたかね?」


 突然に鍵森がそんな事を言い出した。


「は? なんですって?」

「蜘蛛の餌には〝蝶〟が良い。どうせ蜘蛛に喰わせるなら、美しい蝶は実に絵になると思いませんか?」


 綺麗でしたでしょう、と言いながら、口端を歪めて見せる。ハンズマンに四肢を切り取られた被害者たち。そしてその血で描かれた蝶の翅。何かの暗喩かとは思っていたけれど……。


「……悪趣味過ぎて言葉もないわ」

「それは残念」


 鍵森が気雑ったらしく帽子の鍔を引いて表情を隠す。


「悪いけど、そうのんびりもしていられないの。通らせてもらうわよ」

「そう言うわけには行かないんですよ。こちらの準備も整いましたしね」


 周囲の霧から無数の気配が湧き上がる。やがて現れたその正体は視界を埋め尽くすほどの〝逆吊り蟷螂〟の群れだった。


「っ……、この数は……」

「何の考えもなしに、お喋りに興じていたとでも思っていたんですか? さぁ躾の時間です、月宮一葉。素行の悪い野良犬は私が調教して差し上げます」


 言いながら鍵森は懐から呪符を取り出し、構える。あの男、符術まで使えるのか。


「やってみなさいよ、狐野郎!」


 さて威勢よく言っては見た物の、どうする……? 学園までは一本道。他に道は無く、ここを押し通る他ない。

 では鍵森を退け、逆吊り蟷螂の壁を突破できるだろうか。可能かも知れない。全力を出せばだが。その後で控えている土蜘蛛との戦いに大きな影響が出るのは避けようがない。


 迷っている時間は無い。芸が無いと言われようが一点突破、これしかない。覚悟を決め、炎符に手を伸ばそうとしたとき――。


 耳を(つんざ)く轟音と共に、視界が真っ白に染め上げられた。

 それは稲妻であった。だがその雷撃は的確に逆吊り蟷螂だけを狙い撃ち、私と鍵森の周りには、燃え上がりながらのたうち回るカマキリ共で炎の円ができていた。


「年端も行かぬ少女に向かって躾だ調教だのと。どれだけハイレベルな変態ですか、鍵森四凪」


 炎の中からスーツ姿の女性が現れる。


「あの変態の相手は私がします。月宮さんは早く土蜘蛛の元へ。学園関係者の退避は完了しています」


 唖然としていた私に、亀子さんの視線と言葉が鋭く刺さる。

 今の稲妻は? 街の方は大丈夫なの? 聞きたいことは山ほどあるが……。


「……ありがとう。この礼はいずれ必ず」

「では、今度コーヒーでも奢ってください。普通の濃さで、ね」


 歯ぎしりをする鍵森の横を駆け抜ける。鍵森は一瞬だけ視線をくれるが、目の前の雷帝から目を背ける事もできずに立ち尽くすのみだった。

 遠ざかる月宮一葉の気配を背中に感じながら、鍵森が口を開く。


「まさか、これほどの力をお持ちとはね。警視庁特殊災害対策室副室長、並びに七尾家二十七代当主、七尾亀子」

「気安く名前を呼ばないで頂けますか。汚らわしい魔術師(メイガス)風情が」


 凍てつく声で言い放つと、七尾は指を一つ鳴らす。その音に反応するかのように、背後で炎の柱が立ち昇る。

 炎は徐々に姿を変え、やがて巨人の上半身となった。


「これだから、才能と言う奴は嫌いなんですよ……っ!!」


 喉を詰まらせながら鍵森が呻く。


 七尾の背後の現れた炎の巨人。それは天にあっては太陽。空にあっては稲妻。そして地にあっては豪炎。

 確固たる王。焼き尽くす炎。


「炎神、アグニ……!!」


 アグニが六本の腕を地面に突き立て、大地を揺らす。


『蟲退治の次ハ人狩りカ? アぁ、余ハ腹が減っテ敵わヌ。喰ロうテもよイか』

「やめておきなさいアグニ。腹を壊します。それにあれは人などではありません。虎の威を借る狐……といった所ですか」


 大きく舌打ちをし、鍵森もまた指を鳴らす。その背後から巨大な鎌が地中から突き出し、一際体格の大きい逆吊り蟷螂が姿を現した。鍵森が召喚した〝最初の一体〟だ。


「……貴方が土蜘蛛に当たれば良かったのでは? アグニなら勝機はあるかも知れませんよ」


 こめかみに汗を伝わせながら、鍵森が言う。


「いいえ。これほどの大精霊、私如きには雑魚掃除をしてもらうので精いっぱいですよ。とても対価を払いきれません。現状、土蜘蛛に対抗しうるのは彼女だけです」

「雑魚……ですか。言ってくれます、ね!」


 鍵森が呪符に霊力を込めて七尾に投げ放つ。呪符は飛翔半ばで渦巻く濁流へと変じ、七尾に迫る。


「水符ね。炎には水ですか? 芸がありませんね」


 アグニが腕を一振りする。それだけで迫る濁流は一瞬で蒸発し、風に消えた。


『ギィィィィィ!!』

『ふン。こちラも喰えソうに無いナ。ツまらヌ』


 奇声を上げながら襲い掛かる逆吊り蟷螂とアグニが組み合う。それだけで暴風が巻き起こり、辺りの霧を吹き飛ばした。


 顔に掛かる前髪を指で流し、七尾が軽蔑したような目で鍵森を見据える。


「さぁ躾の時間です、鍵森四凪。小賢しい野良狐は私が調教して差し上げます」


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