お買いものと食事会
魔術師。
神道や陰陽道。またはそれらを起源とし、様々に派生した符術。そして召喚術や死霊術等の西洋魔術。そういった技術を禍津神を祓うためでなく、何かしらの個人的な〝目的〟のために行使する者たちを、祓い屋と区別する形でそう呼んでいる。
なぜそんな七面倒な事をするかと言えば、単純に一緒にされてはたまらないからだ。
身を削って人々の生活を守り、その平和維持に利する祓い屋。とてもだが真人間とは言えないような捻くれた性格の者たちばかりだが、少なくとも祓い屋としての仕事には自信と誇りを持っている。
しかし、魔術師は違う。
自らの目的のためには、他人がどれだけ巻き込まれて被害を被ろうがお構いなしに魔術を振るう。場合によっては、積極的に人々に害する場合すらある。
恐らくだが、今回の犯人は見つからない。
この事件を起こした目的は解らず終いだが、相当な手間暇をかけたであろう召喚陣を失ったのだ。ぐずぐず残っている理由が無い。もう、この地にはおるまい。
残された証拠品である呪物から情報を得られないのなら、更に手詰まりだ。
しかしながら油断はできない。
魔術師という者は夢想家で利己的で、自らの目的をこの世で尊い物だと信じて疑わない。時にこちらの予想を大きく上回る事を平然とやってのける。意志を持つ爆弾の様な奴らだ。故に、追うのは難しいと理解しつつも、二扇警視たちは捜査を続けているのだろう。
まっ。もう私には関係ないけどねー。
だってそうでしょう? 私に対する依頼は『この事件の解決』。犯人が見つからなくても、それは私の責任じゃない。もう再発の恐れは無いのだから、あとは無事に犯人を見つけ出すか、二扇警視たちが手を引いて都内に帰ればこの事件はお仕舞だ。一応、警戒はするけれどね。
私がこれから、例の〝規格外の才能〟の確認をしようとしているのも、後始末の一環だ。どんな些細な事でも、疑わしいと感じるならば調べておくべきだろう。私だってこれでもプロの祓い屋だ。一応、仕事はきっちりこなしますとも。
それにしても、二扇警視と亀子さんの心配性にも困ったものだ。
わざわざ私を訪ねてくるからよほどの進展があったのだろうと思いきや、聞かされたのは電話でも済むような程度の話。私の様子を見る事こそが真の目的だったに違いない。
「まったく、心配かけちゃってるなぁ……」
思わずそんな言葉が口から漏れ出てくる。
やがて、この街唯一の駅が見えてきた。
さて、色々あったが約束の時間には間に合いそうだ。
■
「ジーンズにスニーカーのスタイルも似合っていますけれど、月宮さんはもっと女の子らしい恰好をしても良いと思うのですよ」
「は、はぁ」
指を立てて熱弁を振るう十夜雪咲に、螺旋状にカットされたツイストポテトを齧りながら曖昧に応える。
「そうだ、さっき入ったお店の向かい側も良さそうでしたよ。ちよっと行ってみましょう!」
十夜雪咲は楽しそうに言うと、ずんずんと進んで行ってしまう。
「ちょっと雪咲! はぐれるからあまり先に行かないでよー!?」
小さくなる背中を五坂が戒める。が、当の十夜雪咲は急かすようにこちらに手を振っている。
「なんだか、妙にテンション高いわね、あの娘」
学園の時などとは、まるで雰囲気が違う。年相応にはしゃぐ十夜雪咲の姿に少し驚いた。
「同年代で同性の友達とお買い物するなんて、初めてだからじゃないかな」
「ふぅん……」
私も初めてだけれどね。
しかし、友達……ねぇ。
私は最寄駅から電車で三十分、そこから更にシャトルバスで二十分の距離にある、とあるアウトレットショッピングモールにやってきていた。
二日前、十夜雪咲からお買い物のお誘いを受け、丁度服を買おうと考えていた私はそれを了承した。
こういった場所には初めて来た。視界に五十人以上の人間が居るなんて、学園以外では初めての経験かも知れない。人酔いしそう。
子供の様に動き回る十夜雪咲に追い付き、一件のテナントに入る。
「そうですねぇ。スタイルが良いから何でも似合いそうですけれど、こういうスカートとかどうです? あ、このパンプスも可愛いですね!」
そう言いながら、十夜雪咲と店員が次々に服を持ってきては私に合わせる。まるで着せ替え人形の気分だ。あっと言う間に私の周りには服の山ができあがっていく。
「スカートなんて走った時に足がもたつきそうじゃない。それにパンプス? なにこの高い踵。これじゃいざという時に動きにくいわ」
「駄目ですよ月宮さん!」
きっ、と鋭い十夜雪咲の視線に、思わずたじろいだ。
「仕事とプライベートは切り分けて考えないと。仕事だけして生きている訳ではないでしょう? と言うわけで、これ全部ください」
衣服の山を指さして十夜雪咲がサラっと言う。
「「うえぇ!?」」
私と五坂の声が重なった。どういう買い物の仕方よ。
店員総出でレジ打ちと商品の梱包が始まった。レジに表示される金額の桁が、どんどん吊り上っていく。しかし十夜雪咲はそちらを一度も見ることなく、カウンターに黒いクレジットカードを置いた。ブラックカードどいえど色々あるが、それはおいそれとは手にできない部類のカードだっだ。
レジ打ちをしていた店員の動きが一瞬凍りつき、私たち三人をまじまじと見つめてくる。えぇ、そうですお姉さん。私たち、少しばかり常識外れな存在なんです。
って、ちょっと待った。
「何を自然に会計進めてるのよ。これは私の服でしょう? 自分で買うわよ」
「いえ。お誘いしたのはこちらですし、こないだの一件で服も駄目になってしまったでしょう? これは経費とお考えください」
「そういう訳にはいかないわ。過剰にも程がある」
契約上の金額と、最低限の必要経費以外は受け取らない。誠実さこそが今は亡きお師さまの身上であったし、私だってそうありたいと思っている。
そもそも、私はお金は大好きだが乞食じゃないんだ。稼ぐ事と施しを受ける事はまるで違う。
十夜雪咲は細い指を顎に当て、しばし考え込む。やがて、何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ、これは私からのプレゼントって事でどうですか? いいですよね!?」
星を散らさんばかりの笑顔で十夜雪咲が言う。
「え、えぇと。それは」
「駄目……ですか?」
突然の申し出に戸惑う私を、十夜雪咲がねだるような上目づかいで見つめてくる。
どんな男でも簡単に撃ち落せそうな可愛らしさだ。だが、十夜雪咲は狙ってこのような仕草をするタイプではない。天然でこれか……。
「……はぁ。解ったわ。ありがたく頂戴します」
十夜雪咲が「やった」と嬉しそうに笑顔を弾けさせる。私の口からは、感心とも呆れともつかないため息がこぼれた。
「まったく。ちゃんとお礼はしますからね」
「はい。期待しちゃいますね!」
だらしなく表情を溶かす十夜雪咲の額を指でつつくと、照れくさそうにそんな言葉を返してきたのだった。
それからたっぷり四時間が経過し、太陽の光にオレンジ色が混ざり始めた。
テナントに入るごとに荷物を増やし、行軍訓練中の歩兵の様な有様になった五坂の提案で、とあるコーヒーショップに立ち寄った。
カウンターで飲み物とケーキを注文し、席について一息つく。
「私、ちょっとお手洗いに行ってきますね」
「迷うんじゃないわよ?」
「あはは、大丈夫ですよー。……たぶん」
そう言って去っていく十夜雪咲の背中を見送ってから、背もたれに深く身体を預け、大きく溜息をついた。
「随分お疲れのようだね、祓い屋」
荷物を床に並べながら、五坂が声を掛けてくる。
「私は元々、買い物に時間を掛けるタイプじゃないからね……」
「女性にしては珍しいね。祓い屋はウィンドウショッピングとかはしないんだ」
「誰かさんみたいに、必要もないのに買い漁っちゃったりしないだけよ」
床に置ききれず、隣のテーブルまで占領している戦利品の山を一瞥する。
「あんたも良く付き合うわね。腕とか肩とか痛いでしょ」
「まぁ、ね。でもたまには、こういうのも悪くない」
悪くない、か。
数人で連れ立ってお出かけして、お買い物して、お茶して。
うん、まぁ確かに、悪くはない……のかな。
「楽しそうだね。祓い屋」
五坂が微笑みながらそんな事を言う。
「そうかしら。よく解らないわ」
「そう? 口元、しばらく前から緩みっぱなしだけれど」
思わず口元を手のひらで覆った。その様子を見て、五坂が楽しそうに笑い声を上げる。
「なによもう。それより、その祓い屋ってのやめてよね。私にはちゃんと名前があるんだから」
笑いを抑え込みながら、五坂が「ああ、うん」と悩むようなそぶりを見せる。
「呼ぶとしたら〝月宮〟さんだけど、それで良いのかな」
なるほど、そういう訳ね。その辺りの事情も把握しているのか。
「変に気を使わなくて良いわよ。確かに私はもう月宮家の人間でもないけれど、他に名乗る名前も無いのだし、名乗るなとも言われていないしね」
「そうか。それなら、解った」
五坂が熱そうにカフォレを啜る。
「さて、もう一通り店は見て回ったわよね。どこかでご飯でも食べていく?」
「夕飯なら、ぜひ御馳走させてくれ。先日の礼もきちんとしたいしな」
またお礼か。随分とご丁寧な事ね。これも育ちの良さ故かしら。
「さっきも言ったけれど、報酬と経費以外は受け取れないわよ。お気持ちだけ頂くわ」
私がそう言うと、五坂は困ったように肩を竦めた。
「困ったな。実はもう屋敷に用意させてあるんだ。お越しいただけないと、丸ごと無駄になってしまう」
「うぐ……」
温和そうな見かけによらず、意外に周到な奴だ。それとも、こないだ騙して置いてけぼりにした事の意趣返しのつもりだろうか。
「解った、解ったわよ。是非お邪魔させて頂きます。食べ物は粗末にできないものね」
「それは良かった。雪咲が喜ぶよ」
そう言って、五坂が柔らかく微笑む。
それから二人は他愛もない会話に花を咲かせる。やがてカップの底が見えてきた。
「ねぇ、あの娘遅くない?」
「言われればそうだね。お手洗いはすぐそこなんだけれど……。雪咲の奴、結構方向音痴でさ。何度も通ってるような場所じゃないとすぐに迷うんだ」
へぇ。意外な弱点もあったものだ。
「でも、歩いて二分も掛らない距離よ? 流石に、ねぇ」
「だよね。流石に……なぁ」
更に待つことたっぷり三十分。モール内に「十夜雪咲様が、お連れの方をお探しで――」という案内放送が響いた。
魂を吐き出すようなため息を付き、私と五坂は迷子のお姫様を迎えに行ったのだった。
■
「あら。意外ね」
二人の背中について辿りついた場所は、やや大きめの別荘と言った趣の洋館だった。
フェンスの隙間から見える屋敷は石造りだが壁は白く、屋根はこげ茶。全体の形は横に広い長方形。敷地面積は一般家庭の一軒家五、六棟分と言った所か。世界に名立たる大財閥の御令嬢が住まう屋敷としては、やや手狭な印象が拭えない。
まぁ十夜雪咲の生まれや境遇を鑑みれば、十分すぎるほどに恵まれた環境と言えるだろう。
しかし本当は相当に立派であったであろう庭も、やや荒れ気味だ。
取り繕おうと努力している痕跡は認められるのだが、素人目にもそれが成功していない事が解る。あまり手は入れられていないのだろう。
扉をくぐり、正面玄関へと向かう。大きな木製の両開き扉の前に辿りつく。すぐに五坂が扉を開けてくれた。
五坂と十夜雪咲の背中に続いて屋敷へ入る。てっきりロビーにはレッドカーペットでも敷き詰められているのかと思いきや、良くありがちな絵画や高価そうな壺も、空間を彩る花の一つも無かった。良く掃除はされているが、手入れは全くされていない。床の石材もむき出しで、客人を待たせるソファーの一つもない。これはまるで……。
「倉庫か、良くても古びた資料館みたい、と思ってる?」
五坂が肩越しに視線を私に向ける。肩を竦める事で肯定の意を示した。
「実はその認識で正解。ここは本邸の離れ兼、ご当主が世界中から掻き集めた妖しい書物やオカルトグッズの倉庫だ」
「ふぅん……」
五坂の言葉を話半分に聞きながら、あたりを見回す。
あちこちから視線を感じる。いたる所に密度の濃い精霊の気配がある。まるでこの屋敷そのものが意志を持っているような印象すらある。多少〝感じられる〟人間ならば、この場に足を踏み入れる事すら躊躇うだろう。よほど鈍感な人間でも三日と居られまい。
おそらくは、十夜家の財力に物言わせて掻き集めた書物や呪物の呪力に精霊の霊力が反応して引き寄せられているのだ。
余談だが、私の扱う呪符や十夜雪咲の持つ魔術書等の、〝物質に宿った力〟を呪力と呼び、人間、精霊、禍津神などが自らの〝体内に持つ力〟を霊力、と呼ぶ。まぁ基本的には同じ物なのだけどね。
十夜雪咲は「ちょっと着替えてきますね」と言って、どこかへ消えて行った。
荷物を玄関脇に降ろした五坂に続いて歩いていく。過ぎるいくつもの扉の向こうから激しい呪力のうねりを感じる。この一枚板の向こうに、一体何があるというのだろう。見てみたいような、関わりたくないような……。
ここは幽霊屋敷なんてレベルじゃない。質の違う様々な呪力が混ざり合って、まるで痰壺の中ようなおぞましさに満ちている。
「あんたも十夜雪咲も、よくこんな場所に居られるわね」
思わずそんな言葉を口にしていた。しかし、五坂は困ったように微笑むだけだ。
「今までいろんな人を雇ってみたけど、誰もが同じような事を言って辞めてしまうんだ。確かに僕も小さいころはなんだか怖かったけれど、もう慣れちゃったなぁ」
慣れる? このおぞましさに?
五坂自身からはそれほどの霊力は感じない。一般人のそれと同レベルだ。しかし耐性は凄まじい。小さいころから……と言ったか。つまり、幼いころからこのような環境に身を置く事により、本人も知らないうちに鍛錬を積み重ね、呪力に対する耐性を手に入れたのか。
そしてそれは、ここに住んでいる十夜雪咲にも同じことが言えるのだろう。
「そういえば、本邸の離れって言っていたかしら。でも十夜家の本邸は神奈川よね。離れすぎじゃない?」
「ああ、それね。十年前まですぐそこに本邸があったんだけど、老朽化に伴って移転した。それで、その跡地に作られたのが白藤学園だよ」
「えっ、なにそれ。白藤学園ってそんなに歴史が浅かったの?」
五坂が背中を向けたまま肩を竦める。
「白藤学園自体の歴史は長いよ。でもあちらも校舎が古くなっていてね、新校舎の建設を考えていたらしいんだ。しかし丁度良い土地が見つからなくて、困っていたところに十夜家本邸移転の話が持ち上がってね。飛びついたってわけらしいよ」
確かに、世界に名立たる大財閥の本邸があった場所となれば、地質的にも風水的にも最高の土地なのだろう。ワケアリの若者たちが心穏やかに過ごす為の場所としては、この東京の片田舎というロケーションも最適だったに違いない。都心へのアクセスもそこまで悪くないし。
「私は建築には詳しくないからあんまり言えないけれど、アレだけの規模の建物を基礎からとなると、相当大変なんじゃない?」
「流石に邸宅と校舎の基礎はまるで違うからね、全部作り替えさ。でも全部には手を入れられなくて、地下蔵なんかは埋め立てられずにそのまま残ってるって聞いたかな」
「へぇ、どこからか入れるの?」
「さぁ。あくまで噂だからね」
そんな会話をしているうちに、大きな木製の扉の前に行き着いた。五坂が扉を開けると、その先には楕円形の大きなテーブルがあり、上には白いシーツにフルーツバスケット。いわく、食堂と言う奴だろう。
椅子に腰かけて待っていると、しばらくして十夜雪咲がやってきて向かいの席に腰かけた。
「では改めまして。ようこそいらっしゃいました、月宮さん」
「お招きどうも」
「すぐに食事の用意を致しますので、しばしお待ちを」
十夜雪咲が視線を向けると五坂が小さくうなずき、部屋から出ていく。そしてすぐに帰って来た。その手には名前も解らないような、見慣れぬ料理が満載された銀色のワゴンを押している。
五坂が手慣れた様子で料理を並べていく。
前菜と言うやつだろうか、エビや色とりどりな野菜を包み込んで蒸しあげ、それをスライスした料理が見える。確かテリーヌとかいうやつだ。そしてスープ。緑色をしている。ほうれん草かえんどう豆のスープだろうか。さっぱり解らん。
メインディッシュは肉料理だ。赤茶色のソースの掛かったステーキがことりと置かれる。
たぶんフランス料理だ。たぶん。きっとそうだ。そうじゃないなら解らない。ともかく目の前にあるだけで肩の凝りそうな料理だった。美味しそうではあるんだけど……。
「な、なんか凄いね。もしかして五坂が作ったの?」
「まさか。ケータリングだよ。僕は普通の家庭料理くらいしか作れなくてね。いつもはそれで済ますのだけど、今日はお客様をお迎えするからね。格好付けてみた」
「そ、そうなんだ」
普通の家庭料理のが良かったなぁ、とは間違っても言えない雰囲気だ。
えーと、フォークとかスプーンは内側から使うんだっけ。いや、外側からか……? この白い布は襟元に指して前掛けにするんだっけ。それとも膝に置く?
ええと、ええと……。
まごつく私を見て、十夜雪咲がくすり、と肩を揺らす。
「そんなに気を遣わなくても結構ですよ。お好きなものをお好きなように召し上がってください」
「こうやって全部の料理をテーブルに並べている時点で、マナーもへったくれもないからね。ま、適当に行こう」
「そ、そう? じゃあ遠慮なく……」
気を遣わなくて良いとは言うが、何となく肩に力が入ってしまう。切り分けたテリーヌも一口のサイズがだいぶ小さい。スープを口にするときも、啜る音を気にしてしまう。どれも美味しいとは思うのだが、正直味を楽しむ余裕はない。
まるで借りてきた猫のような有様だ。まったく私らしくない。
ナイフとフォークで魚料理の切り分けに悪戦苦闘していると、不意に正面からの視線に気が付いた。目を向けると十夜雪咲がにこにこと微笑んでいた。一体何がそんなに楽しいのだろう。
「な、なに? そんなに見つめられると余計に食べづらいんだけど」
「え? あっ、御免なさい。なんかこういうの良いなって思ったら、顔が緩んでしまって……」
恥ずかしそうに俯いて十夜雪咲が言う。何よ、ちょっと可愛いじゃない。
「ここで食事をするのは、基本的に雪咲一人だからね。二人以上でこうやって食卓を囲むなんて、初めてじゃないのかな?」
「五坂もここに住んでるんじゃないの?」
「まさか! 僕は毎晩家に帰ってるよ。歩いて十分くらいの所に母親と住んでる」
という事は、十夜雪咲はこんな幽霊屋敷のような場所で一人暮らしか。私も一人だけど、家が広い分寂しさも増すのではなかろうか、と思った。
「じゃあ、その母親もつれてここで住むとかは無しなの?」
「敬祐のお母様は、ここには近寄りたがりませんから。本邸が移転してからはずっとここに一人です」
少し寂しそうに十夜雪咲が言う。言われてみればそりゃそうだ。仮に住み始めてもすぐに出ていくことになるだろうな、この幽霊屋敷具合じゃ。
「五坂だけでも住んじゃえば良いのに」
私がそういうと、五坂があからさまに動揺して見せた。顔が真っ赤だ。
「なっ、ばっ……! そ、そういうのはまだ早いよ! 雪咲と一つ屋根の下なんて、そんな」
「へぇ~? いつかは、とは思ってるんだ?」
「そっ、そういうわけじゃ……! ああもう、黙って食べなよ!」
「ぷっ、くっ。ふふ、ふふふ」
嫌らしく口元を歪めて茶化す私と、解りやすく狼狽する五坂。そんな二人のやり取りを見て、我慢できないと言うように十夜雪咲が笑い出した。
何となくバツが悪くなった私と五坂は、互いににらみ合い、口をつぐむ。
「やっぱり楽しいです。みんなで食べる食事って本当に美味しいのですね。私、初めて知りました」
なおも笑い続ける十夜雪咲。目端には涙まで光っている。涙が滲むほどの大爆笑ってわけでもなさそうだけど。
「すみません月宮さん。お礼としてお誘いしたのに、私ばかりこんなに楽しんでいては駄目ですよね」
「……別に。私も退屈はしてない。料理、美味しいし……」
本当は味など解りもしないが、心から嬉しそうな十夜雪咲の華のような笑顔の前ではそう言葉を返す他ない。
赤茶色のソースが掛かったフィレ肉のステーキを切り分けて口に運ぶ。
数分前より、格段に美味しくなっている気がした。