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笑い方を忘れた狼

 若々しい朝の光に世界が包まれている。


 太陽は早く起きろと街を揺り動かすが、木々も、道も、家々も、未だ朝日に白く霞んでいる。きっとまだこの街は寝ぼけているのだろう。しかしそれも無理もない。時刻は早朝の六時半。人々は夢の中か、あるいは家の中だ。街に活気が満ちるまでには、まだ幾ばくかの時間が必要に思えた。


 温まり始めた春の息吹に黒髪をたなびかせながら、川べりの遊歩道を歩く。


 遊歩道の脇には多くの桜の木が植えられ、今を盛りとばかりに咲き誇っている。

 水晶を散りばめたかのように朝日を反射して煌めく川面に、桃色の風が重なる。


 道の小脇に丁度良いベンチを見つけ、軽くほこりを払って腰かけた。鉛のような重さが抜けない身体をほぐすように首を回し、目を瞑って天を仰ぐ。無遠慮に瞼裏へ侵入してくる陽光が、寝不足の瞳にじんわりと沁みた。


 胸元から生徒手帳を取り出し、光を遮るようにかざす。

 そこにあるのは絶世の、と言って差し支えない美少女の写真。


 黒曜石を思わせる、美しく艶めく濡羽色の長い髪。くりっとした大きな瞳、形の整った細いあご。白磁のような滑らかな肌。

 一度目にすれば心を捕えて離さない、美の体現者がそこに映し出されていた。


 そう。私だ。月宮(つきみや)一葉(かずは)だ。


 その隣にはおまけのように〝白藤(しらふじ)学園(がくえん)高等部(こうとうぶ)〟と言う文字が印字されている。


 白藤学園。東京都のはずれにひっそりと佇む、上流階級の子供たちが通う教育機関だ。

 とある事情から、現在の一七才という年齢までまともに学校という物に通ったことが無い私にとっては、未知の上に未知を重ねてもまだ足りないほどに想像もつかない世界。


 そんな私が突然、白藤学園などという異世界とそう大差もなさそうな場所に通う事になった理由は一つ。養父の死だ。


 故あって一家離散という悲劇を味わった私は、少々特殊な体質であったがために〝祓い屋〟などという、これまた少々特殊な家業を持つ〝月宮〟の家に養子として迎えられた。


 養父〝月宮(つきみや)(じゃく)(せい)〟に付き従い、その特殊な体質を生かして祓い屋の仕事に幼いころから従事してきた私だったが、ある仕事中の事故で養父が死去すると他の月宮家の住人は一斉に私を厄介者扱いし始めた。

 理由は実に単純。遺産相続絡みだ。


 お師さま――、寂星は浪費という物をまるで知らず、仕事一筋に打ち込み莫大な遺産を築き上げていた。それ故に相続争いは熾烈を極め、更には寂星の死を聞きつけた自称親戚が各地から集まり、事態は酷く混迷した。


 しかしながら私とて身を削って危険な祓い屋の仕事に従事してきたわけで、当然遺産の一部を相続する権利を有するわけなのだが、それを少しでも主張しようものなら烈火のごとく攻め立てられた。


 拾われっ子が。あさましい奴。憑物(つきもの)風情が。育てられた恩を忘れたか――等々、罵詈雑言をそれはもう何かの修行のように浴びせられ、ついには幾らかのまとまったお金を叩きつけられ月宮家を放逐されてしまった。


 まぁ、つまりは恐ろしかったのだろう。この私が。


 仕事の準備に膨大な時間と金が掛る祓い屋にとって、私の体質はまさに金の卵だ。事実、お師様の預金額が右肩上がりになったのは私を養子として迎え入れてからだ。その事実がある以上、他の人間は私の意見を軽視できない。しかし受け入れる事はできない。だからアレルギーのような過剰反応で私を排斥したのだろう。


 きっと今でも、ドロドロでギトギトな骨肉の争いを繰り広げているのだろう。しかしそれも無理はない。何しろ人生を三回遊んで暮らしても余裕があるほどの金銭が絡んでいるのだ。お金は大事だ。


 それに加え、競合する祓い屋からの度重なる嫌がらせで、誰もが精神的にも限界だった。祓い屋を廃業したがっていた。当主であるお師様、月宮寂星の死は、月宮家が瓦解するには十分な理由だったのだ。

 ――と、いかんいかん。思いふけってどうする。もうそれは終わった話だ。


 ゆっくりと頭を振って、雑念を払い落す。


 ところで祓い屋とは、人に仇なす精霊〝禍津神〟を清め、鎮め、時には祓う事を生業とする者たちの事だ。祈祷師や霊媒師などと混同される事が多いが、それらとは全く違い、直接に禍津神との戦闘事案が頻繁に起こる、より実戦的な職業である。


 では精霊とは何か、という話になるのだろう。しかし、私にしてみればなぜ多くの者たちはそれを知らないのかと逆に不思議に思う。


 それほどまでに、この世は精霊に満ち溢れている。


 風に、土に、水に、光に。

 音に、声に、喜びに、怒りに、悲しみに、楽しさに。


 形のあるなしに関わらず。物や音や光。ときには感情や時間の流れの中にだって存在する。

 それは時に歌う花であり、呟く虫であり、怒れる獣であり、嘆く人の姿をとる事もある。


 そう言った存在に対する呼び名は様々だ。


 時に幽霊、妖怪。または妖精、天使、悪魔。そして神。

 しかしてそれらは根源的には同じものであり、祓い屋はそれらを総称して〝精霊〟と呼ぶ。


 今この瞬間にだって、きっと誰の眼の前にも存在している。それが認識できていないだけで。だが、私にとって精霊はごく身近な者たちで、物心ついた時から当然のように常にそばにいる友人でもあった。


 ほら、たとえばそこの桜木の根元。粘土細工のような体に部族のお面のような顔をした、親指程度の大きさを持つ精霊が楽しそうに砂粒を投げ合いながら追いかけっこをしている。あれは〝小鬼〟と呼ばれる精霊で、どこにでもいるようなありふれた地精霊だ。


 空に目を向ければ、雲の切れ間から半透明の巨大な蛇〝(ふう)(じゃ)〟がのんびりと顔をだす。


 その雄大な姿から古来より龍と同一視され、時に畏れられ、時に信仰の対象になり、時に悪の象徴として追い立てられる、私に負けないくらい波乱万丈な奴だ。あれも空が見える場所ならどこでも出会える可能性がある。もちろん多少の運は必要だが。


 そんなふうに(まさ)しくどこにでも存在する精霊たちは、人間に対して危害をくわえるような事は殆どない。精霊たちにとって人間とは、森の中の木葉や河原の石のように、あくまで自然の一部であり、殊更どうこうしようという様な存在ではないらしい。 


 しかし例外という物は万物にすべからく存在する。


 騙し、脅し、かどかわし、人間に対して害をなそうとするものが少なからず存在する。そしてそういった精霊を、祓い屋は〝禍津神〟と呼ぶ。


 人間が狙われる理由はただの禍津神側の興味本位であったり、呪いや召喚といった何かしらの取引の結果であったり、時には人間側が精霊、あるいは禍津神の怒りや恨みをかう事によって事案が起こる場合もある。

 

 祓い屋とは、そう言った事態を収拾させるために存在する。いうなれば、人間と精霊のより良い関係を作り上げるためのトラブルバスター……と言いたいところだが、実際はそんな平和的な代物ではない。


 まぁ、そんな事はどうでも良い。問題なのは、この後に控えている初登校という一大イベントだ。

 しかもただの初登校ではない。人生初の登校だ。それも高校二年という半端な時期に。さらにクラスメイトの大半は上流階級ときてる。それを「なんてことは無いさ」と軽く流せるほど私の肝は太くない。


 挨拶で噛んだらどうしよう。もしドラマのように席に着くときに足を引っかけられそうになったら、あえて受けるべきだろうか、それとも避けるべきだろうか。あ、転校生と言えばやはり質問攻めにあうんだろうなぁ。どんな事を聞かれるのだろう。きっと親の年収とか聞かれるに違いない……。どうしよう、私に親なんて居ないんだけど。などと要らぬ考えに捕らわれ、昨晩は一晩中ベッドの上で身悶えし続けた。


 これではいけないと心を落ち着けて眠りの神に加護を祈るが……それも届かず、ただひたすらに釣り上げられた鯉のように寝返りをうち続けた。そして、気が付いた時にはカーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。意識の途切れた時間が幾らかあったような気はするが、とても睡眠と呼べるような代物ではなく、その代償は目の下の隈という形で表れていた。


 いくらなんでもコレは不味いだろう、と顔を揉んでみたがそれで隈が消えるはずもない。それならばせめて霞がかかったような頭だけでもクリアにしておこう、と早朝の散歩に出かけたのである。


 五度ほど忘れ物チェックをした鞄の中から手鏡を取り出し、そっと覗きこむ。


 うん。美しい。


 散歩の恩恵だろうか、いくらか血色が良くなって隈が薄くなっている。この程度ならば問題ないだろう。本当に良かった。


「さて、後は笑顔かしらね……」


 そう独り呟き、鏡に向かって微笑みを作ってみる。

 ……なんか、変。


 眉と目じりが妙な角度に歪み、しかも左右で微妙にずれている。口元もとても笑顔とは呼べないような有様だ。口内炎があるときに梅干しでも丸かじりしたらこんな感じになるだろうか。

 つまり一言で言えば、気持ち悪い。


 私の完璧な美しさが台無しだ。これならお面でもつけていた方がまだましだろう。


 考えてみれば、笑顔なんてここ数年は浮かべていなかった。

 小さいころは良く笑っていたような気がする。

 野山を駆け回り、なんでもない事に感動して、テレビから流れるくだらないジョークで腹を抱えて爆笑していた。


 しかしそれも今や遠い。


 月宮家の養子になってからは蔑まれ、疎まれ、煙たがられ。祓い屋の仕事は怖いしきついし、この体質を生かすためには、禍津神に正面から立ち向かう必要があったのでまさに命がけだった。


 養父であるお師さま――、月宮寂星だけは私を蔑ろにするような事は無かった。むしろ大切にしてくれていた。しかし、それも決して優しさなどからではないはずだ。

あくまでも禍津神に対する切り札。つまりは貴重で重要な道具に対する気遣いと同じものだった。


 だがそれを不遇と思ったことは無い。むしろ禍津神として祓われなかっただけでも幸運だとすら思う。


 そう、所詮私は大精霊〝古狼〟の一部をその身に宿す、人とも精霊ともつかぬ半端もの。

〝憑物〟なのだから――。


 沈み始めた気分を弾き飛ばすように、再度頭を振る。

 笑顔。そう笑顔だ。練習をしなくては。初日から根暗そうだとか怖そうだとか、マイナスのイメージを持たれてはかなわない。人が他人を見る目は第一印象でほぼ決まるという。そしてそれは後から上書きする事は難しい。


 人差し指と親指で口端を押し上げてみたり、目じりを下げてみたりと顔を捏ね繰り回して涙ぐましい努力をしている所に、一人の中年男性がくすくすと笑いながら目の前を走り抜けて行った。


 恥ずかしさと妙な気不味さで頬にさっと朱が差す。


 ……音も立てずにジョキングしてるんじゃないわよ。忍者かよ。


 や、やめよやめ! 人間相手と思うからぎごちなくなるのよ。相手をカメラのファインダーと思えば大丈夫なはず。現に生徒手帳の写真は完璧だったじゃない。


 そう心の中で愚痴り、寝ぼけて霞む街の中を一抹の不安を抱えたまま、私はまだ見ぬ母校に向かって歩き出した。


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