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未熟なナイトと拝金主義

「ああ。これは……良くないですね」


 苦虫を噛み潰したような表情で、亀子さんが低く唸る。

 目の前にあるのは、学園に現れた(くだん)の黒い影、だ。学園まで私を送り届けた亀子さんが、ついでだから確認しておきたいというので学園の敷地内を探して回る事になった。


 黒い影は、いつも学園の校舎にへばり付くように存在している。しかしながらいつでも出会える訳ではないので見つけられるかどうかは運でしかなかったが、どうやら今日の運勢は悪くは無かったようだ。


「確かに嫌な雰囲気はあるけれど、それほど危険とも思えないわよ?」


 深刻そうな亀子さんの言葉に、思わず首を傾げる。

 確かにあの黒い影からは悪意や害意が漏れ出ている。しかしどうも現実味がないというか、〝別の世界のお話〟と言った印象が拭えない。学園に住まう精霊達はこれを避けているようだが、実際に何かしらの被害を及ぼすような存在には感じられなかった。


「この影その物が危険な訳ではありません。これは言うなれば前兆です。大火の前の種火と言えば解りやすいでしょうか」

「ああ。大災害の前に何かしらの異変が起きるって言う、あの前兆?」


 それは動物の異常行動であったり、山々からの異音であったり、不自然な形をした雲の発生であったりと様々だ。


「この場合は〝霊災(れいさい)〟と言った方が良いでしょうけれどね」

「もしかして、一連の事件はこれが原因とか?」


 一連の、とはもちろん今朝も発生した例の殺人事件だ。


「断言はできませんが、直接関わっているとはどうも思えません。これはあくまで〝影〟ですから」

「ふーん? 色々あるのね?」


 私の仕事は基本的に、禍津神が現れてからの後始末だ。なのでこういった前兆などには疎い。まだまだ知らないことが沢山あるみたいだ。まぁ正直、あまり興味もないのだけど。


「ともあれ、良くない物であるのは確かです。これについては特災で調べを進めますので、下手に手を出さないでくださいね」

「言われなくとも、お金にならない苦労なんて請け負わないわよ」


 小さく会釈をし、亀子さんが駐車場へ向かって歩き出す。ややあって「ああ、そうだ」と立ちどまり、こちらを振り向いた。


「特災との契約の件、こちらで進めておきますね。もろもろ込みで五十と言ったところですか」

「安――っ!?」


 いくらなんでも酷い。相場無視の価格破壊もいい所だ。


「貴方に支払われる金銭は国民の血税です。あまりがっつくのはいかがな物かと」


 亀子さんが実にしれっとそんな事を言う。


「知ったこっちゃないわよ。それを言えば亀子さん達の給金も血税でしょう。ともかく、その金額じゃ絶対に納得なんてしないんだからね」

「そう思うのであれば、事件解決に全力を傾けてください。貢献度如何では増額も検討させていただきますよ」


 奥を見透かせない、薄絹のような微笑みを湛えながら亀子さんが言う。


「……解ったわよ。精々頑張らせてもらうわ」


 これはいけない。会話を交わせば交わすほどに、あちらのペースに引き込まれてしまいそうだ。一枚上手どころではない。

 では、と言い残し、颯爽と立ち去っていく背中を眺めながら細く溜息をついた。


「意外と曲者よねぇ……」




 低い太陽の光が大窓から差し込み、広い食堂の奥までを柔らかな朝日で包み込んでいる。

 赤茶けたレンガで形作られた、包容力すら感じさせる落ち着いた雰囲気の学生寮食堂だ。


 奥に設けられた厨房からは、食材を切る包丁の音や食器の擦れあう音が聞こえてくる。今は人気は無いが、後一時間もすればここは朝食を求める学生たちで溢れかえるだろう。その雛鳥たちの胃袋を満たす準備に余念がないようだ。


 ライ麦パンを一口齧ると、独特な芳ばしい香りが口内を通って胸に満ち、鼻に抜けた。そこへコーヒーを一口すする。ライ麦パンの香りとコーヒーの香味が相まって、得も言われぬ優雅な気持ちで満たされる。


 流石はお金持ちの集まる学園の学生食堂だ。ただのモーニングセットでも質が違う。コーヒーの濃さもオーダー次第でいくらでも変えてくれると言うのもポイントが高い。

 まぁ、ポイントだけでなくお値段も相当にお高いのだけど。


 読みかけの文庫本を取り出し、ページをめくる。

 実に優雅な時間だ。こういうのもたまには悪くない。


「あら、月宮さん。おはようございます」


 本へ視線を落とす私の頭上に、鈴の鳴るような涼やかな声がかけられる。目を上げると、そこには銀糸のような髪を陽光に輝かせる十夜雪咲の姿があった。


「ん。あぁおはよう……って、なんだか疲れた表情をしているわね」


 柔らかく微笑む雪咲の顔には、隠しきれない疲労の色があった。目の下の隈はいくらか誤魔化せているが、身に纏う暗い雰囲気までは消しきれていなかった。


「えぇ、まぁ……。例の件で遅くまで調べ物をしておりまして」


 例の件、聞いて思い出した。そう言えば二扇警視と亀子さんにこの子の事を伝えていなかったな。まぁ良いか。大した問題でもないだろう。


「それはご苦労様ね。それで、何か収穫はあった?」

「特にこれと言ったことは。月宮さんはどうですか?」

「……。いや、特にないわね」

「そ、そうですか……」


 そう言って、十夜雪咲が残念そうに目を伏せる。

 私は意図的に今朝の事を伏せた。調査に協力すると約束をし、謝礼まで受け取っている以上はある程度の情報を渡すべきだろう。しかしながら、未だ正体の見えない危険に一般人を巻き込むのは得策ではない。第一面倒くさい。


 そもそも〝協力する〟とは言ったが、どれだけ協力するかまでは言及していない。事件が終わり、全てが落ち着いた後で、渡しても問題の無い情報だけを渡す。それでも特に契約違反にはならないはずだ。


 雪咲、とどこかからか声が飛んできた。十夜雪咲の背後から一人の男子学生がこちらに向かってきている。黒い髪の、物腰の柔らかそうな印象の男の子だ。何かを十夜雪咲に言おうと口を開きかけたが、私の存在に気が付いて頭を下げた。


「紹介するわね。同じ図書委員で都研メンバーの五坂(いつさか)(けい)(すけ)です」


 どうも、ともう一度五坂が頭を下げる。それにつられて私も同じように頭を下げた。何とも間抜けな光景だ。


「で、敬祐。こちらが昨日話した月宮一葉さんよ」


 その名を聞いた瞬間、五坂が少し驚いたように一瞬目を見開き、私を値踏みするように睨みだした。明らかに警戒している。

 だけどそれで良い。十夜雪咲のように私に要件があったり、鍵森四凪のように害意を持って接して貰った方がまだやりやすい。元々私は人付き合いが苦手なのだ。お互いに何の含みもない全くの初対面と言った具合では、何をどうやって接して良いのか、未だに皆目見当もつかない。


「え、ええと。敬祐は私の幼馴染で、都研の設立にも協力してくれて……。それで、同じ図書委員で……」


 緊張した空気を感じ取ったのか、十夜雪咲がわたわたと要らぬ説明をする。少しでも場の空気を解そうとしたのだろうが、それって八割がたがさっき聞いたことなんだけど。


「それよりも司書の先生が呼んでいたよ。盗まれた本などは無いようだから、片づけるのを手伝って欲しいって」

「そ、そう? じゃあちょっと行ってきますね」


 十夜雪咲が私に向かって小さく会釈をし、食堂の出口に向かう。途中で五坂を見遣るが、すぐ行くからという言葉にしぶしぶながらも頷き、立ち去った。


 がたり、と音を立てて椅子を引き、五坂が私の目の前に座る。

 丸いテーブルを挟んで向かい合う五坂の目に宿る警戒心は、もはや敵意に変わりかけていた。


「幼馴染って言っていたけれど、お互いを下の名前で呼び合うなんて、もしかして男女の関係だったり?」


 くすくすと、あえて相手の神経を逆撫でするように言う。敵意を持って接して来る相手は怒らせてしまうのが一番だ。すぐに怒りにまかせて言いたいことをぶちまけるので、手っ取り早く話が済む。


「茶化さないでよ祓い屋。……一体どういうつもりなんだ」

「どうって、何が?」

「誤魔化すな!」


 五坂が声を荒げる。何事かという厨房からの視線に気が付き、そちらに会釈をしてからこちらに視線を戻す。随分と真面目な性格のようだ。この高圧的な態度も、必要にかられての演技という所かな。


「いくらなんでも三百万はやり過ぎだろう。禍津神の討伐ならいざ知らず、ただの調査協力でこの金額はぼったくりだ」


 声のトーンを下げて、しかし目じりは釣り上げて五坂が唸る。


「ああ、その話? 確かに相場よりは高いけれどね、提示された金額をそのままホイホイ出す方が悪いのよ。ましてや祓い屋なんて領収書の無い職業なんだから、そのあたりの警戒は依頼主側の責任でしょう?」


 うぐ、と五坂が声を詰まらせる。


「今度は私から質問。どうして祓い屋や禍津神の事を知っているの? どういう立場なのかしら」


 悩む様に五坂は黙り込む。情報の選り分けをしているのだろう。つまり、どこまで相手に知らせるか、だ。ややあって、五坂が諦めたように息を吐く。


「隠し事をしていても話が進まないね。僕と雪咲は確かに幼馴染だけど、本当はどちらかと言えば〝主従関係〟にあるんだ」

「んま。アブノーマルな香りがするわね」

「だから茶化さないでって言っているでしょう。……五坂家は代々十夜家にお仕えしているんだ。だから、小さいころから父親について十夜家に出入りしていてね。雪咲とはそれで知り合った」

「ふーん。それで、十夜雪咲がこの白藤学園に入学する事になったから、それに付き添うような形で付いてきたって感じ?」


 そうだよ、と五坂が頷く。


「なるほど、十夜雪咲のナイト様って所かな。それで、私にどうしてほしいの? お金を返して手を引けって?」

「だから茶化すなと……。いや、解った。つまり君はそう言う奴なんだな」


 私は肩を竦める。お堅いねぇ。立場上は仕方ないのかもしれないけれど、もっと気楽にして居ないと、思わぬ失敗をすることになると思うんだけどな。


「それで、禍津神に関しては?」

「知っての通り、十夜家は名家だ。逆恨みから呪いを掛けられる事もあるし、土地開発の際に、禍津神に絡んだトラブルを抱える事も多い。祓い屋〝月宮家〟の話は僕も良く聞いているよ。それで、ここからが本題なんだけど……。今回の事件、その三百万で〝解決〟してほしい」


 五坂がまっすぐに私を見据えて言う。


「勝手にそんな依頼をして良いの? 十夜雪咲はこの件に関わりたがっているわよ」

「それは解っている。けれど、雪咲をこの危険から遠ざける事が第一優先だ。ハンズマン事件は嫌な気配がして仕方ない」

「無理やりにでも遠ざければ良いじゃない」


 苦虫を噛み潰したように五坂が顔を歪める。


「それができれば苦労はしない。僕は雪咲の幼馴染である前に雪咲の従僕なんだ。主人の進む道を変えさせるなんて事はできやしない。ならば行く先の危険を取り除くのが僕の役割だ」


 人間関係には色々な形があるものだなぁ。やっぱり苦手だわ。

 それにしても、依頼と来たか。少し揺さぶってみようかしら。


「まぁ必死になるのも無理ないわね。もう四人も死んでいるし」

「うん? 三人だろう」

「いや……。今朝にもう一つ遺体が出たよ。ほぼ間違いなく同一の事件だね」


 五坂の顔からさっと血の気が引いた。もはや一刻の猶予もない、と感じたのだろう。


「雪咲は元々、天使や妖精の話が大好きだったんだ。でもいつしか、いわゆるオカルトという物に傾倒して、都市伝説研究会なんてものまで作るくらいになったが、それでも今回ののめり込み様は異常なんだ。このままでは間違いなく巻き込まれる。そんな気がしてならない」

「確かに、ポンと三百万を出すくらいだものね。よくよく考えてみれば、いくら大財閥の十夜家とはいえ、それはおかしいかしら」

「そう、それだ。雪咲はどこで貴方の事を知ったんだ? これまで、直接祓い屋と関わるような事は無かったはずなんだが」

「それは私が聞きたいわね。むしろ〝私が誰か知らないで依頼した〟って感じだったわよ」


 改めて考えてみれば、やはり妙だ。飴玉を丸呑みしたような、何とも言えない違和感が胸から消えない。


「まぁ、細かい事は置いておこう。優先するべきはこの〝ハンズマン事件〟の解決。それでどうかな、受けてもらえるだろうか」


 私は冷めたコーヒーを口に流し込みながら考える。五坂にとっては切迫した状況。危険を危険と知らずに突き進む十夜雪咲。バックに控える十夜家の財力――。


「五百万で」

「追加で二百万用意しろって? 足元見すぎじゃ――」

「何言っているの。〝追加が五百万〟よ」

「んなっ――」


 五坂が驚愕に眼を見開く。


「む、無理だ! 冗談が過ぎるぞ!」

「無理かどうかは貴方ではなく、十夜家が決める事でしょう。十夜雪咲にでも相談してみたら? 三百をポンと出すのですもの。後五百も軽く出るかもよ?」

「っ……! できるかっ! そんな相談……!」


 怒りと悔しさが綯い交ぜになったような表情で五坂が呻く。全然ダメだね、交渉ごとには向いていない。ナイトを気取るなら、何事にも動じない鋼鉄の心を持たなければならない。


「じゃあ十夜本家に相談してみなさいな。これ、私の携帯番号ね」


 鞄から手帳を取り出し、仕事用携帯電話の番号を記して切り取り、五坂へ差し出す。しばらく受け取りを躊躇していた五坂だったが、やがて奪い取るようにして乱暴にポケットにしまった。


「直ぐに十夜本家に連絡を取るが、あまり期待はしないでくれよ」

「金額が下がれば私のやる気も減少するだけよ。私に期待をしたいなら、せいぜい頑張りなさいな」


 残っていたライ麦パンを口に放り込み、席を立つ。


「このっ……、拝金主義者がっ……!」


 そんな言葉が背中を撫でる。私は緩く手を振る事でそれに応える。



 その通りですが、なにか?


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