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古狼の朝

 微かな電子音が、どこか遠くで鳴っている。


 ――いや、どこかじゃない。頭を置いている枕の下から聞こえてくる。

 なんだろう。アラーム? いや、この音は着信かな。って言うか、私、これ、寝てたのか。いつの間に?


 私は泥が詰まっているかのように動きの悪い頭を深く枕に沈めたまま、薄目だけを開けてその電子音を聞いている。


 だるい。眠い。動きたくない。指一本動かすのも億劫だ。


 不意に電子音が途切れた。騒音は一分程度だったような気もするし、気が遠くなるほど長い時間だったかもしれない。ともあれ、再び訪れた静寂に安堵し、瞳を閉じて意識を落とす。


 あぁ二度寝。良いよねぇ二度寝。焼肉の次くらいに好き。この浮ついた状態からもう一度眠りに落ちる時の多幸感は堪らない。脳内麻薬のなせる業だろうか。そうに違いない。そう思うでしょ?


 誰に向けているか解らない言葉を頭の中で紡ぎながら、再度眠りに落ちるその瞬間。

 私の意識は、再び鳴り始めた携帯電話の電子音に引き戻された。


「んぐ……」


 イラッときた。なんて邪魔くさい。もう一度無視してやろうかな。


 はた、と気が付いた。にわかに脳に火が入る。電話? あ、これプライベート用の電話の音だ。

 私用で私に電話をかけてくる人間など数人しかい居ない。鉛のように重い腕を蠢かせ、四角くて憎い機械を探り当てる。果たしてそこには「七尾亀子」の文字が光っていた。


 そう、光っていた。あたりはまだ薄暗い。一体今何時よ、と思いながら壁の時計を見遣ると、針は朝の四時過ぎを示していた。帰ってきたのが三時過ぎなので一時間も寝ていない計算だ。眠くて当然だ。

 小さく溜息をつき、片目を閉じたまま通話ボタンを押す。


「……もしもし?」

『七尾です。おはようございます。早朝からすみません』


 確かにこのような時間に電話をかけてくるなど普通ではない。しかもかけ直してきた、間違い電話ではない。そして亀子さんは常識の無い人間と言う訳でもない。緊急の用件なのだろう。


「あの変態警視なら着信拒否にしている所だけど、亀子さんなら話は別よ」

『報われませんね、あの人も』

「方向性の間違った努力が報われても困るわ」


 呆れた様な、あるいは困ったような細い笑い声が電話から聞こえてくる。だが、軽口を言えば返すだけの気力はあるようだが、あちらもろくに寝ていないのだろう、その声には疲れがにじみ出ていた。

 まぁ珍しい事じゃない。お互い、一度(ひとたび)事が起これば昼も夜もない生活だ。特に亀子さんは「初動が命」と根を詰め過ぎるきらいがある。


「まぁそれは置いておいて。本題を聞きたいのだけれど」

『はい。十五分ほど前、住宅地の中にある小さな公園で、若い女性の遺体が発見されたとの一報が入りました』


 やはりか、と目を細める。ある程度予想していたとはいえ、悪い知らせというのは気分の良い物じゃない。それに、わざわざこうして連絡を入れてくるという事は――。


「嘉手納達の件と関係がありそうって事かしら」

『はい。遺体の状況が、昨日の三名と大変似通っているとのことです。つまり、四肢が根元から失われている……と。そこで』

「遺体を検分しろって事よね。しかもなるべく〝新鮮〟なうちに」

『話が早くて助かります』


 思わずため息がでる。


「警察犬代わりに使われているような気がして癪だけど、いいわ。受けましょう」


 新しい情報が得られるのは、こちらとしても願ってもない事だ。断る理由は無い。それに、二扇警視や亀子さんにお願いしたいこともあるし。


『ありがとうございます。では、お迎えにあがりますのでよろしくお願いします』


 通話を切ろうとする気配があった。慌ててそれを制止する。


「まってまって。こっちの住所を言うから」

『お気遣いありがとうございます。しかし、不要ですよ』

「……あぁなるほど。さっすが国家権力」


 その程度のプライバシーは筒抜けと言う訳ね。


 二十分ほどで到着すると言い残し、通話が切れた。

 さて、着替えて顔洗って……とベットから身を起こすと、まるでガムテープを剥すような異音が身体の下から聞こえてきた。


 驚いて視線を落とすと、そこにはべっとりと赤黒い染みが広がっていた。その染みの正体は血液。その主は他ならぬ私自身だ。


 驚愕ついでに、眠りに落ちる前の記憶が蘇ってきた。


 影の中から現れた異形の禍津神は思いのほか強く、そして数が多かった。倒しても倒してもキリが無いのだ。たび重なる攻勢に私は徐々に疲弊し、身体に傷を増やしていった。


 どれ程の間戦い続けただろう。ようやく敵を一掃した時には満身創痍の状態にまで追い込まれていた。

 多少の油断はあったのだろうが、しかし、数の暴力がこれほどの脅威だとは思いもしなかった。お師さまと二人で戦っていた時には、こんな事は一度も無かったのに。やはり勝手が違う。


 部屋の明かりをつけ、あちこちが裂けた服を引きはがすように脱ぎ散らす。むぅ、自慢の美しい肌が無残に血塗れている。

 近くにあったウェットティッシュを一枚取り出し、慎重に腹部を拭う。……大きな傷は無い。残っているのは細かな切り傷程度だ。


 古狼の力のおかげで、それなりに深い傷でもしばらく休めば後も残らず綺麗に治ってしまう。

 大変にありがたい能力だ。この白磁のような美しい肌に傷が残るなど、人類にとっても大きな損失だもの。


 姿見の大きな鏡の前に身体を晒す。まるでスプラッタ映画の登場人物のような有様だ。もちろん、モンスター側の。ヒロインには程遠い。


 思わずため息が出る。あれほど昂ぶっていた夜のテンションも、いちど火が落ちれば実に滑稽だ。

 なーにが良い夜だ。服もダメになっちゃうし、シーツも取り替えなきゃ。まさかベットマットにまで浸みこんでないわよね。


 確かに古狼の力は便利だけど、戦いになると我を忘れがちなこの性質はなんとかならない物かしら。


 携帯電話を手に取り、メッセージ送信アプリを呼び出す。あて先はもちろん七尾亀子。そして文面はこうだ。


〈シャワー浴びるから、少し待ってて〉


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