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古狼の夜

 良い夜だ。 


 あらゆる者が息を潜め、眩い星明りに照らされた濃紺の夜空に溶けている。

 涼やかな夜風が頬を撫でる。頭上には月が燦然と輝く。身体の芯まで浸透していくその光を見つめていると、まるでこの場所が世界の中心なのではないかという気さえしてくる。


 十夜家から一室を与えられた十二階建てのマンション。その屋上のフェンスに腰かけて夜空に混じる。


 ひやりとした夜の空気が踊っている。瞬く星々が囁いている。


 良い夜だ。とても、好い夜だ。


 田舎の夜は足が速い。夜中の零時ともなれば、もはや街に人の気配はほぼ無い。せいぜい深夜営業の居酒屋とコンビニの店員が欠伸をしているくらいだ。

 しかし人々は知らない。この瞬間にも世界に蠢く影がある事を。


 ここにも、そこにも、あそこにも。

 寝起きのぼやけた意識のような。微かに聞こえる遠吠えのような。あるいは探し物が見つからない時の微かな苛立ちのような。


 多くの者には名前もない。形もない。しかし彼らは確かに存在している。

 白く霞む朝靄の中に。心を引っ掻く紅い夕日の中に。足もとにわだかまる自らの影の中にさえ。

 人の世は、人の手だけで作られているのではない。世界という大きな、しかしはっきりとした定義の無い存在は、精霊達によって支えられている。


 精霊の呼び方は様々だ。

 時には霊、あるいは魂。そして魔力、マナ、精気(オド)。そして、命。時に幽霊、妖怪。または悪魔に神。この世の全て。


 夜の気配を胸いっぱいに吸い込む。灯りが燈るように、気分が少しずつ高揚してくる。夜に生きる古狼の血が、早く走り出せと私を駆り立てる。

 夜行性である古狼に性質を引っ張られているな、と思わず苦笑いがこぼれる。そう嫌な気分でもないが。


 精霊の大半は夜に活動する。そして、先ほどから夜風に微かな瘴気の匂いが混ざり始めた。(くだん)の禍津神と出くわす可能性があるかもしれない。もしそうなれば僥倖(ぎょうこう)だ。

 そして鍵森の「夜は出歩くな」という言葉。経験上〝邪魔をするようなら容赦はしない〟という事なのだろう。何か仕掛けてくるかもしれない。


 上等じゃない、と思わず牙をむいた。

 ここ最近は退屈な仕事ばかりだった。生も死も等しく軽いこの世の中で、唯一私を(たぎ)らせてくれるものは結局の所、これだけだ。もっと争いを。もっと戦いを。ついでにお金も儲かれば言うことは無い。


 私に宿るこの古狼は、争いを好まぬ大人しい性質だという。しかし私には解る。それは大きな間違いだ。人間の身勝手な解釈である。


 古狼が特定の土地に根付かず、放浪するのは新たな敵を求めての事だ。

 所狭しとこの世を駆け巡り、獲物を見つけてはこれを討つ。その姿が人間には災いを祓うように見えるのだろう。しかしその実は真逆だ。

 煮え立つような闘争本能。溢れ出しそうな狩猟本能。


 フェンスを蹴り、虚空へと身を躍らせる。そして少し背の低い建物の屋上へと降り立ち、同じ要領で建物飛び移りながら静まり返った夜の街を一陣の風となって駆け抜ける。


 しかし東京とはいえ郊外の田舎町。すぐに背の高い建物は消え失せた。仕方がないので電柱から電柱へと飛び移って移動をする。


 やはり障害物の無い空中を飛び回るのは気持ちが良い。本当なら昼間も同じことをしたいのだが、流石に大騒ぎになってしまう。それにお師さまからは、平時に古狼の力を使う事は極力避けろとも言われていたし、仕方がない。夜だけで我慢しよう。


 さてどこへ行こうか。


 やはり、昼間はろくに見れなかった遺体の発見現場を確認するのが得策かしらね。

 


 

 河川敷のグラウンドは、やはりはずれだった。

 水の近くは精霊たちが多い。そのせいで様々な匂いが入り混じり、痕跡が見事に消えていた。漂う精霊も煙の様なあやふやな者達ばかりで、新たな情報を得る事はできなさそうだった。


 もう一方の現場である町はずれの工場は閉鎖されていた。、門は硬く施錠されているが、私には飾りにもならない。門を飛び越えて難なく内部に侵入し、巨大な芋虫のような形に書かれた白い線の残る現場へとたどり着いた。

 がらんとした広い空間だ。恐らくは資材などを一時的に保管しておく場所なのだろう。


 やはりというか、綺麗に片づけられており、ここにも何もない。だが私が欲しいのは目に見える物ではなく、痕跡という名の〝匂い〟だ。


 意識を集中し、痕跡を探る。


 焼けた砂のような埃の匂い。纏わりつくような機械油の匂い。コンクリートに赤黒く沁み込んだ血液の匂い。大勢の捜査員たちの匂い。


 そして、見つけた。腐臭のような禍津神の匂いが僅かに残されている。最初の現場と思われる、学園近くの自販機付近で感じた匂いと同じものだ。

 一言に匂いと言っても、人間もそれぞれ体臭が異なるように、禍津神の放つ瘴気の匂いにも微妙に違いが生じる。故に、一度匂いを覚えてしまえばそれを追って行ける。


「ま、どれだけ当てになるか解らないけどね……」


 三人の男性の遺体を、それぞれ離れた場所に遺棄するというのは禍津神でも骨の折れる仕事だ。普通に考えて複数か、あるいは空を飛べるようなタイプか。それとも影の中を移動するような、距離という概念を持たない存在か……。

 ともあれ、この匂いは今回の件が禍津神の手によるものだ、という事の何よりの証拠になる。まぁ状況からも最初からそうではないかと思っていたが。


 下調べはこの程度で良いか。後は依頼を受けてから本格的に調査をしよう。

さて、問題はどうやって依頼を取り付けるかだけど……と思った所で、ある疑問が脳裏を過った。


 他ならぬ虎洞会の事だ。


 以前から目を光らせていたとはいえ、予想外に特災が動き出したからとはいえ、そして私までもが絡んできたからと言って、こんなにも早く姿を晒して警告までして来るものだろうか。不自然ではないか?


 この件はまだ依頼を受けられるような状態じゃない。第一、被害者の一つ、嘉手納家が警察組織である特災に一番に連絡をいれているのだ。つまりは、民間の祓い屋などに依頼をする気が無いという事だ。


 基本的に、今回のような宙ぶらりんな状態で祓い屋が被害者に対し、積極的に関与しようとする事は少ない。売込中のフリーな祓い屋……つまり私のような奴ならともかく、大手である虎洞会の動きとしては違和感がある。少なくとも、今回の事件が自分たちの〝仕事〟になるという前提で動いているように見える。二扇警視たちが既に動いている事も知っているはずなのに。


 二扇警視たち、つまり特災の手には負えないと考えているのか、あるいはどうしても関わりたい理由でもあるのか……。


 ちくり、と首裏を刺すような視線を感じた。


 いや、これは視線などではない。――殺意だ。

 瞬間、がらんとした資材置き場が〝ざらり〟と音を立てて蠢いた。そして、耳鳴りがするほどの静寂に包まれる。足もとから這うように生臭い匂いが漂ってきた。


「まさか――」


 思わず口からこぼれたその言葉に、自分で突っ込む。まさかじゃない。どう考えても禍津神だ。それも多数。


 気が付けば、周囲をぐるりと嫌な気配が囲んでいる。やがて月明かりの届かない物陰から、染み出すように異形の者が姿を現した。


 それは人の形とは程遠い、まさしく異形。


 形だけは人型と言える。しかし本来なら、頭部があるべきその場所に三本目の腕が生え、何かを求めるようにその五指を蠢かせていた。


「うーわ、なにあれ。気持ち悪い……」


 さっと周囲を見渡す。数は十二体。体躯は人間の男性に近い。しかし上半身は奇形と言えるほどに胸が張っている。両の腕をだらりと下げ、三本目の腕だけをゆらゆらと揺らしながら、正体不明の禍津神たちが距離をゆっくりと詰めてくる。何ともシュールな光景だ。

 そして何よりも滑稽なのは、これほど人とはかけ離れた姿だというのに、それぞれがカジュアルな衣服を身につけているという点だ。


 不意に、禍津神が自らの身体にズブズブと腕を突き入れる。そして引き抜かれたその手には、汚らわしく錆びて朽ちた刃物が握られていた。服はなぜか無傷。

 笑えないジョークね。しかし、先日学園で出会った影の刃のような雑魚ではなさそうだ。

 明らかな待ち伏せ。わりとピンチ。だからこそ――。


「気の利いたことするじゃない。いいわよ。まとめてかかってこい!」


 思わず口角が上がる。湧きあがる闘争の歓喜に身体が震えた。

 考えるべきことは山ほどあるが、ひとまずは棚上げね。今は目の前の敵を平らげる事が優先だ。


 異形の禍津神たちが、身体や腕を激しく振り乱しながら一斉に襲い掛かってくる。

 薄氷のような月明かりを反射して、私の牙と鋭い爪が闇夜に煌めいた。


 一閃。


 右手の爪を振りぬく。ただそれだけの動作で、一番近くにいた禍津神の肉体は三つに裂けた。

 むせ返るような腐臭が辺りにぶちまけられる。


 ああ――、今夜は本当に善い夜だ。


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