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虎洞会

 重油のように真っ黒な液体の入ったカップを傾け、深くため息をつく。

 おまけでもらったカヌレを一口齧ると、洋酒の効いた深い甘味が広がり、口内に残っていたコーヒーの苦みを打ち消した。


 私が居る場所は、遺体発見現場の一つである河川敷のグラウンドからほど近い喫茶店だ。


 最初の現場であろう自販機の前で風蛇から一通り情報を入手した後、私はついでとばかりにその足で情報収集に向かったわけだが、全て徒労に終わった。

 最初に向かった町はずれの工場も、河川敷のグラウンドもマスコミとやじ馬でごった返しており、とても近づけるような状態ではなかった。


 元々、人ごみは好きではないし、何よりうっかりテレビカメラに映ろうものなら〝あの美少女は誰だ! 〟とネットなんかで話題になっちゃうかも知れないじゃないか。そうなると今後の仕事に悪影響が出る可能性がある。


 ともあれ、いささか長すぎる散歩に疲れた私は、こうしてふと目についた喫茶店に一時の休息を求めて滑り込んだ。


 ログハウス風の可愛らしい風貌に引かれて私はこの店の扉を開いたわけだが、カウンターにいたのは店舗の外観とは到底釣り合わない、がっしりとした体格の熊のような大男だった。


 コーヒーを二倍の濃さで淹れて欲しいと言ったら、にべもなく断られた。

 倍の料金を出すと言ったら、渋い顔でそういう問題じゃないと言われた。

 更に倍と言ったら、満更でもないといった表情で了承し、おまけにカヌレまでつけてくれた。商売上手め。


 普通、コーヒーをあまり濃く淹れすぎると苦みや酸味ばかりが際立ち、味のバランスが崩れてしまうものだが、この店は上手い事調節されていた。豆が良いのか、淹れ方が良いのか。

 ともあれ、この店とは長い付き合いになるかもしれない。


「こんにちは。ご一緒してよろしいですか?」


 不意に背後から声をかけられた。他に客の姿は無い。間違いなく私に向けられたものだ。

 まぁそう珍しい事でもない。振り返らずに答える。


「こんにちは。席なら他にいくらでもあいていますよ」


 やんわりと拒絶する。これで大人しく退いててくれれば良いのだけど。


「すみません、こちらも仕事でしてね。そういうわけにもいかないのですよ。月宮さん」


 そう言うとテーブルを挟んで斜め前の席に男が座った。

 私の名前を知っているという事は、同業者だろうか。というか、十中八九そうだろうなぁ。


 男は一目で高級と解るスーツを着込み、同じく高価そうなハットを被っている。糸のように細い目はどこか狐を思わせ、口元には胡散臭い笑みが張り付いていた。


 テーブルにコーヒーが運ばれてくると、男はそれに砂糖とミルクを大量に入れ始める。


「……人の飲み方にあまりとやかく言うつもりはないけどね、それはちょっと入れすぎじゃない? ホットケーキが焼けそうな有様じゃない」


 思わず眉を顰め、そんな言葉が口を突いて出てくる。しかし男は気にした風もなく、褐色の液体をかき回す。


「コーヒーの苦みと酸味。それを包み込むミルクのまろやかさ、そして砂糖の甘味。私は、それらの組み合わせこそがコーヒーの本質だと思うのですけれどね。要するに、全ては組み合わせですよ」


 そういって男はカップを傾け、思わずと言った様子で唸った。


「ああ、おいしいですね。こいつは思わぬ収穫だ」

「そんな有様でコーヒーの味が解るのかしらね……」

「ははは。貴方のそのインクのようなコーヒーも大概だと思いますけれどね。胃をおかしくしますよ?」


 嫌味たっぷりに男が笑う。

 昔から舌戦は得意ではない。残っていたカヌレを口に放り込み、沈黙を作り上げた。

 じっくりと時間を掛けて咀嚼し、闇のような液体で流し込む。


「……要件は? 楽しいお話なら嬉しいのだけど」


 そう言うと、男は大仰に肩を竦めて見せた。


「残念ながらご期待には沿えそうにないですね。まぁせっかくですから、場所を変えて昼食がてらに聞いて頂けますか?」


 ふむ、と顎に手を当てて考え込む。

 話の内容は大方想像がつく。今朝の事件に関する事だろう。しかし、動きが早すぎる。


 私が特災の二扇警視や亀子さんと繋がりがあるように、この男にも何かしらの情報源があるのだろう。だがそう考えても、まだ何も動きを見せていない私に接触して来るとは、どういうわけだ。

 それに、この男の匂い……。つい最近、どこかで嗅いだ記憶があるのだけど……。


「んん……」


 普通に考えれば、同業者に対する牽制だろう。楽しいお食事になろうはずがない。ただでさえ私の名前は祓い屋業界の中では有名だ。

 無視をするのが一番だ。だが同時に情報を得るチャンスでもある。もちろん危険は伴うが、少しでも引き出せれば御の字だろう。


「解った。良いわよ、ナンパされてやろうじゃない」


 男が少々意外だ、と言うように、微かに目を見開いた。




 前々から不思議に思っているのだけど、どうして肉の焼ける匂いというのはこうも食欲を掻き立てるのだろう。

 どこか甘さを感じさせる溶けた脂の香り。じゅうじゅうと焼ける芳ばしい肉の薫り。実に素晴らしい。


 これで目の前にいるのが、苦笑いを浮かべた胡散臭い名も知らぬ男でなければ、もっと食事を堪能できただろうに。まぁ奢ってもらっている立場だ、文句は言うまい。


「どうしたの? 美味しいわよ?」

「いやその」


 困ったように男が笑う。


「実は、まさか付いてきて頂けるとは思っていなかったので、既に昼食は済ませてしまっていて……」

「あらそう。もったいないわね」


 もはや言うまでもなく、私が居るのはとある焼き肉店。適当に入った店だが、ここも当りだ。この街は意外と良い店が揃っているのかもしれない。


「レバ刺し無いのかしら、レバ刺し」

「流石に無いんじゃないですかね……」

「そう? 残念。あ、カルビとハラミと豚トロ。それとホルモンを塩で二皿分追加ね」


 二人で来ているのに一人で食事を続けるというのも少し気まずい感じもしたが、誘ったのは向うだ。遠慮なんてしない。


「ところで月宮さん」


 肉の焼ける合間を縫って、男が言葉を投げかけてくる。


「うん? 何かしら」

「私がどこの誰なのか、聞かないんですね」


 なんだ、随分とつまらない事を聞くんだなぁ。


「貴方がどこの誰でも大差ないからよ。聞いたところで本当の事を言うとも限らないし、大方の予想もついているしね」

「ほう?」


 男が興味深そうに身を乗り出してくる。


「この地域に情報源を持つ祓い屋。虎洞会の構成員でしょう?」


 ひゅう、と気取った口笛が響く。癇に障る男だ。


「それにさっき思い出したんだけど、前に一回会っているわよね。私の初登校の時に」


 そう。どこかで嗅ぎ覚えがある匂いだと思ったが、それは初登校の坂道で刺すような視線を突き付けてきた車内から漂ってきたものと同じだった。


「はは。噂通りの鼻の良さだ。香水も変えてきたというのに、やはり誤魔化せませんか」


 胸ポケットから一枚の名刺を取り出し、差し出してくる。受け取ったその名刺にはやはり〝虎洞会〟の文字。そして〝鍵森四(かぎもりし)(なぎ)〟と言う名が印字されていた。


「……どこかで見覚えのある名前ね」


 ふふ、と鍵森は笑みを漏らす。


「四年前は実にお世話になりました。今こうして私が生きているのも、貴方のおかげです」


 そう言って(うやうや)しく頭を下げる。なんて白々しい。


 しかしこの男も、逆吊り蟷螂事件の関係者……。偶然? いや、流石にそれは無いか。その縁から話を繋げろ、と交渉役に選ばれたという所かな。

 まったく、なんにせよ昔の因縁という物は面倒ね。


「そう思っているなら、放っておいてくれないかしら。どうせ手を引けって言いに来たんでしょう?」


 こんがり焼けたハラミを口に放り込みながら言う。


「話が早くて助かります。ここは元々、虎洞会のシマです。あまり勝手をされると困るのですよ。解るでしょう?」

「はっ! わっかんないわね! 私が月宮家を追い出されてここまで流れてきたのは、あんたら虎洞会のせいでしょう。ここで私が何をしようと、とやかく言われる筋合いはないわ!」


 思わず声を荒げてしまった。しかしそれも無理はない。


 一時期はあらゆる祓い屋が求めて争った、大精霊〝古狼〟の力を持つ私を、金のなる木であるはずの私をどうして月宮家が手放したのか。その答えは、一言で言ってしまえば虎洞会の〝嫌がらせ〟だ。


 逆吊り蟷螂の事件以来、祓い屋の勢力図は大きく塗り替わった。

 それまで圧倒的な権威を誇っていた諸星家は衰退し、醜態をさらした笹塚家の発言力も衰えた。それを好機と巧く立ち回り、代わりに台頭したのが斑目家、そして虎洞会。そして何より――逆吊り蟷螂を討伐した張本人であるこの私、月宮一葉だ。


 初陣で大金星を挙げた私は祓い屋業界に名を轟かせた。それはつまり月宮家の名誉であり、二扇家の後ろ盾を背景に月宮家は着実にその権力を増していった。


 当然、それを快く思わない連中がいる。他ならぬ斑目家と虎洞会だ。


 特に虎洞会の嫌がらせは酷かった。元が実力はあるが、素行に難のある曲者ばかりを集めた集団だ。鼻をつまむような嫌がらせを昼夜問わずに繰り返し、偽の依頼で罠にかけられた事も一度や二度ではなかった。


 お師さま。つまり月宮寂星は「気にするな。いずれ相手も飽きる」と快活に笑っていたが、先に月宮家本体が耐えらずに徐々に瓦解していった。


 徒弟が一人去り、また一人と去っていく。


祓い屋としては規模の小さい集団だった月宮家は、あっという間に戦えるものがお師さまと私だけになってしまった。

 そしてお師さまが死去すると、これ幸いとばかりに月宮家は祓い屋家業からの撤退を宣言し、その証左とばかりに私を追い出した。


 私が慕っているのはお師さまである月宮寂星であり、月宮家そのものに思い入れはない。しかし、だからと言って、こうもあっさり見限られる物か。

 お師さまと私が稼いだ大金。そしてこれから私が稼ぎ、月宮家にもたらされるであろう利益。そして虎洞会や他の祓い屋からの圧力を天秤にかけ、私を放逐したのだ。


 あっさりと私を捨てた月宮家に思う所は確かにある。いずれ見返してやろうとは思ってはいるが……酷い嫌がらせだった。あまり責める気にもならない。遺産相続の件は許せないが。


 それより憎むべきは、やはり虎洞会だ。こいつらがいらぬ事をしなければ、平和で居られたものを。

 とはいえ、お師さまは気にするなと言った。放っておけと。ならば私もその言葉に従おうと目を伏せて耐えてきたというのに、まだ私の目の前に現れて邪魔をするのか。


「そうですか。まぁ、そうですよねぇ」


 小馬鹿にするように鍵森が大げさに肩を竦める。本当にいちいち癇に障る男だ。わざとなのは解っているが、それでも腹は立つ。


 苛立ちを誤魔化すように、焼けた肉を口に放り込む。ここの肉が美味しくて良かった。もしこれで不味い店だったら暴れていたかもしれない。


 ホルモンをぐにぐにと噛みながら何とか自我を保つ。

 嫌いだからと言って、憎いからと言ってただ遠ざけるのは子供のする事だ。そうお師さまは言った。本当は今すぐ帰りたい気持ちでいっぱいだが、ここは言いつけを守ろう。


「ともかく。私は好きにやらせてもらうわ。まさか大御所の虎洞会が、たがたがフリーの祓い屋一人がうろついたところで困らないわよねぇ?」

「いいえ、困りますね。さっきも言ったようにここは我ら虎洞会のシマです。前々から気にかけていて、ようやくまともな仕事になりそうなのに、横から茶々入れられると面倒なんですよ」


 ……ほーう。


「前々から、ねぇ」


 鍵森がしまった、と言う様に顔を顰める。


「少し口が滑りましたね」


 すぐに平静を取り戻して鍵森が言う。しかし得るものはあった。今朝の事件の予兆は前からあったという事だ。こうなると十夜雪咲の言っていたハンズマン事件の絡みも多少は信憑性を増してくる。

 しかしこれではまだ足りない。もう一押ししてみるか。


「ねぇ。ちょっと情報交換しない? たとえば、どうしてこんなに早く特災が動いているか、とか」


 むぅ、と糸目を更に細めて鍵森が唸る。


「確かにそれは気になりますね。正直、本当に邪魔なのは特災のほうです。……解りました、乗りましょう」


 テーブルの下で小さく拳を握った。


 私にとって二扇警視たちがどういった経緯でこの街にやって来たかなど、茶飲み話で話しても構わないくらいの些事だ。しかし彼ら虎洞会とってはそうではない。目の上のたんこぶである特災、もっと言えば二扇家がいかにしてこの事件に禍津神の匂いを嗅ぎつけたのかという事は是非とも知っておきたい情報だろう。たとえ、それがどんなにつまらない内容であっても。

 そして私は、安い手札で新しい情報を得る事ができるのだ。


 情報交換の提案者である私から話をする。それを一通り聞き終った鍵森は、どこか楽しむ様にニヤついていた。


「嘉手納麗音、ね。逆吊り蟷螂事件の生き残り……ですか。まったく縁というのは不思議なものだ」

「話自体はとても普通で、つまらなかったでしょうけれどね。真相なんて往々にしてそんなものよ」

「いえいえ、中々に楽しいお話でしたよ。さて、私の順番ですね」


 やはりというか、鍵森の話も祓い屋としては実に普通のつまらない話だった。

 要約すると、白藤学園の内部で何かしらの不穏な影が現れたという情報を受け、調査をしようと思った矢先に例の連続通り魔事件、通称ハンズマン事件が発生し、様子を見る事にした。


 影と通り魔事件の発生時期の重なり具合からも、何かしらの関連性があるのだろうとは考えていたが、片や閉鎖的な学園内部、もう片方は世間の注目を浴びている通り魔事件。裏稼業的な側面の強い祓い屋としてはあまり目立つ行動はとれない。

 そして監視を続ける日々が続き、やがて通り魔事件も勢いが衰えて行った。このまま何事もなく収束してしまうのか。無駄足だったのかと懸念していた所に発生した今朝の事件だ。


 とはいえ、この事件も世間から注目されてしまっている。だが、この事件に禍津神の気配を察知しているのは自分達、虎洞会だけだ。事態が落ち着いてからゆっくり事を進めて行けば良い。そう思っていた。


 だがわずか数時間後に特災が嗅ぎつけ、更には準備期間も必要経費もすっ飛ばして即座に行動に移れる月宮一葉までもが絡んできた。相当に焦ったそうだ。


 ……さて、どこまで信用したものか。


 まず、学園に現れたという影については本当だ。私もこの目で確認している。他の部分もそれほど違和感はない。しかし、だからと言って鵜呑みにはできない。嘘の中に真実を織り交ぜ、真相をうやむやにするのはペテン師の常套手段だ。そして、恐らく目の前の鍵森四凪は筋金入り。とても信用などできようはずはない。


 それにしても、ここでも〝ハンズマン〟か。調べてみる価値はありそうだ。虎洞会の動きをネタにすれば亀子さんに情報を貰う事は可能だろう。


「よし。おなかも一杯になったし、そろそろお(いとま)しましょうかしら」


 そういって腰を上げる。椅子の足がガタリと鳴った。


「それは残念。もう少し美女との食事を楽しんでいたかったのですが」

「一枚も食べていないくせに、よく言うわよ」

「菜食主義でして」

「あっははは。笑えなーい」


 ごちそうさま、と言い残して背を向ける。そこへ鍵森の声が絡みついてきた。

「あの頃とは随分と性格が変わられましたね。四年前はもっと、おどおどとしていた印象でしたが」


 ふん、と鼻を鳴らす。


「女の子ってのはそういうもんよ。四年も経てば別人だわ」

「と、いうより……。なんというか、野性的になられましたね」

「そう? お肉食べ過ぎたかしら」


 二人の乾いた笑いが響く。


「そうだ。忠告……と言う訳でもないのですが。しばらくは夜間の外出を控えた方がよろしいと思いますよ」

「へぇ? どういう意味かしら」


 振り返らずに答える。


「何かと物騒、ですからね」

「……そうね。肝に銘じておくわ」


 くつくつを嫌らしい笑い声をあげながら、鍵森が「あぁそれと」と言葉を続ける。


「最近、蜘蛛を飼い始めまして。エサは何が良いですかねぇ」

「はぁ? 蜘蛛? 趣味悪すぎでしょう、知らないわよそんなの」


 思い切り顔を顰めて見せる。「じゃ、ご馳走様」と手をひらひらと振りながら店を出た。


 太陽は未だ高く、一日はまだまだこれからだ。しかし私には家に帰って備えなければならない要件ができた。


「夜は出歩くな……か。上等じゃない」



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