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赤黒い蝶

 薄い雲のかかる春の空が、二つの無感動な瞳に映しだされている。


 花の香りを孕んだ暖かい風に小鳥が歌う、生命の気配に満ちた青空とは正反対に、それを映し出す瞳からはもはや命の灯が失われていた。


 さっ、と瞳の上に影が掛る。

 二粒の奈落(ならく)を、一人の少女が覗きこんでいた。


 軽く青みがかった濡羽色(ぬればいろ)の長く美しい髪、白磁(はくじ)のような滑らかな肌、ほんのりとした桜色の薄く整った唇。


 その姿はあまりに精緻(せいち)な人形のようだった。もし彼女が学園の制服を身につけていなければ、死者の魂を迎えに来た死神のように見えたかもしれない。


 死体と少女の周辺には、多くの人間が忙しそうに行きかっている。

 青い作業着に〝鑑識〟と書かれた腕章を付けた男が、空間を丸ごと切り取ろうとするかの様にしきりにシャッター音を響かせる。


 グレースーツに身を包んだ男達が遠巻きに死体を眺め、何事かを囁きあっていた。死体を忌避しているわけではない。少女の放つ異質な気配に近寄り難いものを感じているのだろう。


 言うまでもなく彼らはみな警察の捜査員だ。場違いなのは当然、黒髪の少女のほうである。


 しかし誰も〝お前は誰だ〟、〝関係者以外は出ていけ〟などと言う言葉を少女に投げかけはしない。少女が何者であるかを知る物は居ないが、何者が彼女をここへ連れてきたかは良く知っているからだ。


 男たちの周囲にはブルーシートが張り巡らせられており、さらに立ち入り禁止と書かれた黄色いテープで作られた二重の結界がある。そしてその外側には、閑静な住宅街を切り取って作られた小さな公園が広がっている。

 普段は子供たちの賑やかな声が溢れる公園を、非日常が塗りつぶしたのだ。


 ふと、少女が目の前に横たわる年若い女性の死体へ、ごく自然な動作で口元を近づける。筋の通った小さい鼻で匂いを嗅ぎ、そしてぺろり、とその土気色の唇を一舐めした。

 日頃から死体を見慣れている捜査員たちも、その当たり前のように行われた異常な行動に息を呑む。「狂っている」と、誰かが呟く声が流れた。


「……生臭い」


 ぽつり、と少女が言葉を零す。腐った水のような、重く淀んだ臭いがその胸に満ちる。

 しかしそれは死臭ではない。腐臭などでもない。


 慣れ親しんだ、瘴気(しょうき)の匂いだ。


「どうだ、月宮。何か解りそうか」


 ブルーシートの結界をくぐり、神経質そうな眼つきをした男が少女の隣へ現れる。

 すらりとした長身、しなやかに鍛え上げられた肉体、色素の薄い瞳と頭髪、そして細い銀縁の眼鏡が相まって、抜き身の刀のような鋭さを感じさせる男だった。


 冷えた緊張感が場に走り、捜査員たちが背筋を伸ばして敬礼をする。


 男はまだ二十代半ばだが、肩書は警視。いわゆるキャリアだ。

 現場を知らぬ頭でっかちの小僧、と熟練の捜査員たちからは煙たがられる事の多い人種だが、その男性が放つオーラは抗いがたい強固な気配に満ちていた。


「禍津神の仕業と言うのは、まず間違いないでしょうね」


 その少女の言葉に男性がふん、鼻を鳴らす。


「そんな事くらいは、俺にだって解る」

「まぁそうでしょうね。あまりに気配が濃く残っている」


 そう言って、月宮と呼ばれた少女が血のこびりついた死体の首筋を指でなぞり、肩へと進めていく。しかしその軌跡はすぐに途絶えた。

 指の這うべき腕が失われていたからだ。

 いや、腕だけではない。

 四肢の全てが、根元から失われていた。


 ふと、その細い指先に小さな塊が付着した。血が固まった物とは違うようだ。少女はそれを指の腹ですりつぶしてみた。

 ざらりとした感触が伝わる。


「これは、錆び……?」


 立ち上がり、訝しげに眉を潜めて死体を見つめる。やがて少女は何かに気が付いたかのように顔を跳ね上げ、近くにあったジャングルジムをよじ登り始めた。


 少女が足を上げるたびに踊るスカートに、周囲の男たちは気まずそうに顔をそむける。しかしそんな事はお構いなしと言わんばかりに少女は最上段へと駆け上がり、高みから現場を俯瞰する。


 思わず息を吞んだ。そして、口端が意思とは関係なく吊り上がる。


「まったく、良い趣味しているわ」


 少女の眼前には四肢を切り取られ血の海に沈む、美しい顔立ちの女性の死体。しかし問題なのは周囲の流れ出た血液のほうだった。


 死体から流れ出したおびただしい量の血液が周囲に広がり〝ある形〟作り出し、女性の死体を別の姿へと作り替えていた。


 その姿とは――


 大きく(はね)を広げた、一頭の美しい蝶だった。


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