表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

5

和意先輩と戻った僕は、会長から帰宅の許可が出された。

会長の「今日だけだよ~明日からは凄いよ~」という言葉が誇張じゃないことを僕は知っている。まだ残っている生徒もいたけれど、遠慮なく生徒会室を後にした。

いつもより遅い帰り道は、少しだけ風景が違って見える。いつもなら風に乗って届く騒がしい子供の声も、さすがに今日は聞こえない。

追いつき追い越せと走る彼らの姿は、僕にとって憧れそのものだった。

あの輪に入りたくて―――入れなくて。


無邪気に走り回れない身体は、近所の子供から遠巻きにされる十分な理由になる。

僕の遊び相手はいつも実里ちゃんか誠ちゃんだった。

自分の友達と遊びたかったはずなのに、嫌な顔をしないで傍にいてくれた二人。

実里ちゃんが一足先に中学へ進学してからは、主な遊び相手は誠ちゃんだった。

誠ちゃんが剣道の時間は道場にお邪魔して、無理しない程度に身体を動かしたこともある。

誠ちゃんが付属の中等部に入ると、初等部は近いからと時々迎えに来てくれた。

学校から離れたところでする自転車の二人乗りは恐くて、でも楽しくて。最後に乗ったのは、誠ちゃんのお兄さんに見つかって怒られたときだ。

真面目な誠ちゃんは素直に二人乗りを止めたけれど、僕は不満で仕方なかった。

むっとした僕を宥めたあのときの誠ちゃんは、どんな気持ちだったんだろう。

「―――……またやっちゃったよ」

無意識のうちに脳裏を過ぎる、誠ちゃんとの思い出。

僕の過去はほとんど誠ちゃんが占めている。振り返れば振り返るほど、どれだけ彼が僕を支えてくれていたのかを思い知らされてしまう。

「………帰ろう」

過去に背を向けるように、僕は踵を返した。


感傷に浸ってしまったせいか足取りが重い。

家に着いたときには、もう夕焼けが見えなくなり始めていた。

「ただいま」

「お帰り」

鍵を開けて入ると、ちょうど私服姿の実里ちゃんが階段から降りてくるところだった。その手にはサイフが握られている。

「あれ? 出かけるの?」

「買いたい本があるのを思い出したの。ちょっと行ってくるから、それまで晩御飯待っててくれる?」

「そっか、二人ともいないんだっけ」

今日は両親が揃って外食の日だ。

学校のごたごたですっかり忘れてたけれど、そういえば朝言われた気がする。

僕が中等部に上がってから、両親はようやく夫婦のイベントを二人だけで行うようになった。それまでは僕の身体が落ち着かなかったから、気安く外出もできなかったしね。

二人が出かける日は、冷蔵庫に姉弟分の晩御飯が用意されているのがお約束だ。

「思ったより早く帰ってきたから、待たせることになっちゃうんだけれど」

「それは別にいいよ。一緒に行く?」

鞄を置く僕の横で靴を履いていた実里ちゃんは、ひらひらと掌を軽く振った。

「大丈夫。一時間はかからないから安心して」

「……それを心配してるんじゃないんだけれど」

外が暗くなり始めてるから言ったのに、実里ちゃんは違う意味で捉えたらしい。

実里ちゃんは家族が呆れるくらいの本屋好きで、一度行ったら二時間くらいは平気で時間を潰してくる。店にとってこれほど厄介な客はいないと思う。

「わかってるわよ。私の心配をなくすためにも、家で待ってて」

「はぁい」

逆らえない僕は子供のような返事をする。にっこり笑った彼女は、それこそ子供に対する態度で僕の頭を撫でた。

「いい子で待ってるのよ」

「実里ちゃんっ!」

僕が文句を言う前に玄関から出て行ってしまう。

鍵よろしくね、という声が玄関の向こうから聞こえてきて、僕はその場に沈み込んでしまいたくなった。

気持ちを入れ替えるように溜め息をついてから、言われた通りに鍵を閉める。その指が震えていることに気づいて、僕は苦い笑みを浮かべた。


一年生が言っていた、誠ちゃんの「彼女」。それは間違いなく実里ちゃんのことだと思う。

彼らが何を目撃したのかは知らないけれど、二人が付き合っているのだと判断する材料を僕も知っているから。

ここ数年で身長差ができた二人は、理想的な男女という雰囲気が醸し出している。

実里ちゃんの話かけに耳を傾ける誠ちゃんの姿を、僕は何度か見かけたことがあった。他にも、腕を絡ませて、実里ちゃんのペースに合わせて歩く姿とか。

見たことのない誠ちゃんの照れた顔が、凄く心臓に痛かった。

僕が誠ちゃんから距離を置くようになるにつれて、二人の仲はますます深まったような気がする。

それに、気づいたら誠ちゃんは実里ちゃんを呼び捨てにしていた。

実里、と。

初めて聞いたとき、僕の全ては凍り付いてしまった。

誠ちゃんが僕のことを構ってくれていたのも、僕の後ろに実里ちゃんがいたから。

気づいた瞬間から、息が苦しくて仕方がなくて。

その理由を考え続けた僕は、湧き起こる想いに泣きたくなった。

誠ちゃんと僕たち姉弟の関係は、僕が剣道場で練習する誠ちゃんを見かけたのが始まり。

実里ちゃんが同じ学校に通うようになって、幼馴染に昇格して。

誠ちゃんが僕の通う青南で先輩になって、僕が一番彼に近い後輩になって。

僕と誠ちゃんの距離は年数を重ねるごとに近づいていたと思う。

でも、気づいたら実里ちゃんが僕よりも近い存在になっていた。

自分のことを後回しにしてまで、弟の僕を大事にしてくれる実里ちゃん。

不器用なところがあるけれど、本当は優しくて誰よりも逞しい誠ちゃん。

二人とも自慢で、とても大切な人たち。

でも、二人が想い合うのは嫌だと思った。

その視界に入るのは僕がいい、と。

―――実里ちゃんに盗られたくない、と。

一度胸の奥底で芽生えた感情は楔となって、僕の中から消えようとしない。

だからといって、表に出すこともできない。

でも、抑えることはできるかもしれない。


「……抑えるしか、ないんだから」

弱気になりかけた自分に、何度言い聞かせただろう。

同じ家に住む実里ちゃんにはいつも通り接して、誠ちゃんとは反対に距離を置く。

そんな生活を毎日続けていたら、いつかは慣れるだろうと思っていたのに。

「―――……っ」

胸の奥が痛い。

このままじゃ、ダメなのに。

あの日から、自分の思いに取り込まれるのは自分の部屋だけと決めた。

一歩廊下に出たら外に出るまでは心の感情に蓋をする。

「……そうだ、着替えないと」

いつまでも制服のままでいたら、実里ちゃんに心配をかけることになる。

でも、もう少しだけ今の状況に浸ってもいいだろうか。

そのためにも部屋に戻りたくて、僕は重くなった足で階段を登り始めた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ