第四話 純人
紺がこの町に来てから一月程が経った。
この期間の間、紺は仕事の傍ら図書館に入り、様々な情報を収集していった。
まず最初に、これはほとんど判っていたことだが、ここは紺が元いた世界とは全く違う異世界であった。
世界地図に描かれた地形も、紺の知る地球の世界地図とは似ても似つかない。
また夜に映る月も、地球で見るのとは少し違う。光の色等は同じだが、大きさは地球の月よりもずっと大きい。また月の表面に映る模様も、少し異なっているようだ。
文字や言語は殆んど日本と同じだった。だが図書館の書物を見ると、所々に英単語が混じった文がある。日本と同じく、この国でも英語圏の文化が入ったことがあるのだろうか?
ちなみにこの世界にも“異世界”の概念がある。ファンタジーRPGのような、異世界の者を呼び出す召喚魔法もあるらしい。尤もこれはある理由で禁術とされている。
そしてこの世界における“人間”の概念。
この世界には姿の異なる多様な種族が存在するが、ファンタジーにあるような亜人・獣人という単語は存在しない。
“人間”は一口に言っても様々な種がおり、種によって身体的特徴や能力が異なっている。
この町の人口のほとんどを占める、頭に角が生えた人種は“鬼人”と呼ばれる。一方で、紺のようなこれといった特徴のない、普通の人間を“純人”と呼称される。
彼らはひとまとめに全て“人間”のカテゴリに入れられている。いわばこの世界における種族の違いは、地球における白人・黒人・黄色人のように、単なる人種の違いと同じような認識であるわけだ。
だが多様な人種の中で、純人は扱いがかなり特殊だった。純人はこの世界に最初に生まれた、原初の人類であると言われている。
だが純人の姿は時代が流れると共に、ほとんど姿を見なくなり、一時期絶滅したのではないかと思われた。
しかしある時期から、世界各地に純人の出現例が出た。彼らは唐突に姿を現し、素性を一切明かさず、人々の生活に関わり、そして風のように去っていく。その正体は全くの謎である。
そしてこれはかなり迷信ぽい話だが、純人が現れた国や街は、とてつもない幸運に恵まれ、栄えるという云われがあるのだ。かつてこの世界に降臨したという女神が、純人であったとう事実も、その迷信を広げる要因になったかもしれない。
そのため多くの国では、純人の出現を歓迎する風潮がある。
この町に来た時の注目ぶりは、そのためだったのかと紺は納得した。
だがその一方で、純人を剥製にして家の中に飾っておけば、そこは更なる繁栄を永久に得られるなどという、かなりエグい伝説もある。
紺はこれを知ったとき、かなり背筋が凍った。人々から親切にされる一方で、命の危険に常に晒され続けるかもしれないということなのだ。
ちなみに純人に関する伝説は他にも、“純人が触れた病人は、瞬く間に病が治る”、“純人はあらゆる物質を自在に黄金に変えられる”、“純人は排泄をしない”などと、あからさまに尾ひれがついているようなものがある。
最初の二つに関しては、全くの嘘ではない。実際に重い病にかかった人々を救ったり、錬金術のような力で黄金を作り出した純人が実在したらしい。
(でもそれって、純人がすごいんじゃなくて、その人個人の実力ってことだよな?)
実際紺の故郷は純人だらけの世界だが、そういう特別な力を持った者が一人もいない。
これを知らないこの世界の住人に絡まれて、少し困った経験が、つい最近起こっていた。何とも迷惑な話である。
紺はこれらの純人の出現例に関して、彼らは皆、自分と同じ異世界人なのではないかと推測した。唐突に現れ姿を消したのは、異世界から召喚され、そして帰還したからではないかと。
その通りだとしたら、自分にも帰還のチャンスは巡ってくるはずだ。
ただ気になるのは、純人の資料に“異世界”に関連するものが一つもないことだ。これだけ来訪者がいるのなら、一人ぐらいそれについて証言しているものがいてもよさそうだが。
もしかしたら自分のように、不審者扱いされたくなくて、あえて隠したのかもしれない。
紺は、元の世界に帰りたいかと問われれば、迷わずイエスである。
故郷では続きを楽しみにしていたアニメ・漫画が沢山あるのだ。この世界に来た期間を考えれば、見逃した話数がかなりあるだろうが、大した問題ではない。後でブルーレイ・コミックを買い叩けばいいだけだ。
そのため紺は、この町=西鬼町である程度稼いだら、他の土地を旅して、色々探ってみようと考えた。
そのためには相当働かなければならないのだが。
(でも今のところ何もすることがないんだよな……)
紺は特に目的もなく町中をうろついていた。こちらに対する視線は未だにあるが、もう慣れた。
純人である紺が緑天店で働いている噂が広がってから、急に店の客が増えた。紺を見物するだけの冷やかし客が多かったが、品物は確実に売れていき、20日後には在庫が完全に無くなってしまった。
冷やかし客は、殆んどこの町の人間。商品を買ったものは、皆他の街から噂を聞いてやってきた者たちだ。
霊素材というのはそうすぐに在庫を補充できない。一つ一つに結構な値が貼り、一気に売れるということは殆んどないからだ。
そのため在庫補充が済むまで、緑天店はしばらく休業になった。これは別に悪いことではないが、その分暇を持て余すことになる。そのため止むなく、こうして当てもなく町をぶらついているのだ。
その行為に、ある程度リスクがあるとしても仕方がなかった。
現在紺が着ている服は、この世界に来る前から着ていた学校の制服である。
血で汚れて使い物にならなくなったと思われたが、あの日一夜明けて見てみると、染み付いていた赤い色が、全て綺麗に無くなっていた。
あの後、何度か汚したり破いてみたりしたが、時間を置くと勝手に自己修復してしまうことが判明した。同時に履いていた通学用の靴や、下着類も同様だった。
この世界に来た際に、自身の身体だけでなく着用物まで、おかしな力を持ってしまったのだろうか?
判らないことだらけだが、洗濯の必要がないのは便利なので、紺は常時この服を着ていた。この町では見ない、目立つ衣類だが、元々純人というだけで注目されているので問題ない。
皆が注目する中、堂々と紺に声をかける者が現れた。
「いやいや紺さん、こんなところで会えるとは素晴らしい。どうですこれから一緒に食事でも」
「ごめんなさい。タイプじゃないんです」
いきなり飛んできたナンパ臭い発言に、紺はそう即答した。某海賊漫画の人魚姫の台詞を丸ごとパクったものだが、これが意外に効果があった。
その男は、こちらに一度も視線を向けず、それだけ言って去っていく彼女の姿に、がっくり項垂れていた。
町に出るリスクがこれだった。町に来訪した純人が、若い女性と聞いて、このような筋の誘いをしてくる者がいるのだ。
そのほとんどが軽い感じのナンパレベルのもので、平然と無視できるものだった。だが何故か本気で告白してくる者もいたのだ。
紺の容姿は、そこそこ良い方ではあるが、飛び抜けて美人という程でもない。だがやはり伝説の人種ということで、色眼鏡がついて実際より上物に見えるのかもしれない。
これにはかなり対応が困った。もちろん受けるわけにはいかないし、かといってあまり相手を傷つける言葉も言えない。色々考えた結果、思いついた言葉があれだった。
今では相手の本気度合い関係なく言っている。
(このネタも使いすぎたな。今度出てきたら“二次元にしか興味がないんです”とでも言っておくかな?)
またしばらく歩いていると、周りの視線が少し変わっていることに気がついた。
正確には視線の中に、妙に悪意がこもったものが混じっているのだ。しかもそれはさっきからずっと自分の後をつけてきている。
この世界に来てから、妙に強靭な肉体を得た紺は、感覚能力も同時に優れたものになっていた。
これに気づいた紺は、道を外れて、わざと人の少ないとこに足を進めた。大道を外れて、人通りの少ない小道に回り込むと……
「あっ、純人様!?」
うっかり正面から人と出くわした。
しかもこいつ、他の奴らと違って、こっちに向かって声をかけている。
それは十二~三歳くらいの鬼人の少年だった。背丈は百五十cmほどで、少し汚れた青い浴衣を着ている。
「……純人とか呼ぶな。私の名前は紺だ。それと敬語もやめろ!」
「はっ、はい、紺さん!」
紺の言葉に、少年は慌てて言い直す。
この少年と、紺は初対面ではなかった。前にも図書館に帰る途中で、彼に声をかけられたのだ。だがいつもの奴と違って、目的はナンパではなかった。
『純人様、お願いです! 母さんを助けてください!』
それが彼の言葉だった。どうやら例の嘘くさい話の一つ、純人は病を治せるという伝説を当てにしたらしい。
だが生憎、紺にそんな力はないし、こんな見ず知らずの相手にいちいち構ってられないので、丁重に言葉を選んで断った。
「ゴメン、無理、さよなら」と三言だけだが。
あれ以降会うことが無かったので、彼のことはすっかり忘れていた。だがここで偶然か否か不明だが、ばったり出会ってしまった。
「あの……紺さん……」
「言っておくけど、私に病気は治せないよ。医者なら他を当たれ」
はっきりと突っぱねる紺。人に頼られて拒否するのは、後味悪いものがあるが、できないものはできないのだからしょうがない。案の定、少年は随分しょんぼりしている。
「それじゃあな……」
紺はそのまま、彼の横を通り過ぎていく。正直助けてやる義理などない相手だが、それでも少しだけ心苦しいものを感じた。
(うん? 気配が消えた?)
少年から離れて一分も経たずにして、自分を追っていた不審な視線が消えていることに気がついた。
(何だったんだいったい?)
疑問が残るが、いなくなったものを探ることはできない。しかたないので、当初の予定とは別の目的で、紺はその行き先に向かっていった。
翌日になって、紺は今日も、昨日と同じ場所に向かっている。
そこは町から外れた森の中である。昨日はそこで、ずっと剣の素振りを行っていた。ここに来てから、一度も剣道の練習をしてなかったので、とりあえず何かやっておこうと思ったのだ。
そして今日もそこに向かっていたのだが、また昨日と同じ不審な視線に気づく。紺はペースを落とさず、その気配を探りながら、森の中へと歩いて行った。
やがて目的の森の中に辿り着く。例の気配は、昨日と違って最後までこちらについてきていた。
人気がほとんどいない、町外れの森。ここなら何が起こっても、誰にも見られないだろう。紺の口元が一瞬邪悪に歪んだが、それを目撃するものはいない。
「おい純人。ちょっと俺たちと来てもらおうか?」
案の定犯罪者ぽい連中が、数名現れた。
数は四人。全員鬼人族である。彼らは全員腰に刀を差しているが、手に持っている凶器は刀ではなかった。
(……銃かよ。和風ぽい世界なんだから、刀を向けろよな)
彼らは皆、拳銃をこちらに向けていた。
形状からして恐らく自動式拳銃。現代の地球にもありそうな、高性能ぽいデザインだった。
「嫌と言ったらどうするんですか?」
「残念だがお前にそれ以外の選択肢はない。あまり壊さなければ殺しもいいと言われているからな。その場合さっさと冷凍保存するのが面倒なんで、しばらく生きたままついてきてくれると俺たちも助かるんだがな」
どうやら例の伝説を信じる者が主犯のようだ。さてどうするものか?
とりあえずある漫画の名台詞を真似てみることにした。
「銃を抜いたからには命かけろよ。そいつは脅しの道具じゃ……」
「やはり従う気はないか。だがこいつを見な!」
言い終える前に、森の中からもう一人のチンピラが現れた。彼の手には銃ではなく、人が掴まれていた。
(あれは昨日の!?)
それは昨日出会ったばかりの、あの少年だった。口を手で塞がれて、チンピラの大柄な身体の腕力で拘束されている。状況から見て、どうやら人質にされているようだ。
「下手に抵抗すれば、こいつの命が……」
「ああ、そいつ二回顔を合わせた程度の他人なんで、殺りたければどうぞ」
「「!!??」」
言い終える前の紺の発言に、絶句するチンピラ一同。
昨日の気配の動きから、紺は大体の事情が判った。皆の注目を無視する中、紺はこの少年とだけ、正面から顔を合わせて会話をしていた。このことから紺と親しい人物だとでも思ったのだろう。
「ちいっ!」
当てが外れたことに気づいたチンピラリーダーは、仲間の手から少年を掴み出すと、その場の地面に投げ飛ばした。
「うあっ!」
地面に叩きつけられた勢いで、少年は小さく声を上げる。だがすぐに起き上がり、その場から逃げ出そうとした。だが……
パン!
発せられた音は銃声だった。映画などで派手に演出された銃声ではない。本物の地味な音響の銃声が鳴ったのだ。
音源はチンピラの一人が持っていた拳銃。彼は目の前に投げ飛ばした少年に、持っていた拳銃で、背後から発砲したのだ。
少年の腹に小さな穴が空き、そこから血が流れ落ちる。少年はあっさりとその場で倒れ落ちた。