第三話 牛仮面
「特に異常はない。至って健康だよ」
「ええ、ありがとうございます」
和風建築の病院の中で、紺は医者に礼を言った。
文化は旧日本風なのに、病院の中の設備は、現代の病院にもありそうな高科学な器具が揃っている。
壁に掛けられている医療ポスターや、待合室にあった本棚の本の冊子には、何故か日本語の文字が書かれている。ここは文化だけでなく、言葉や文字なども日本に近い存在であるようだ。
最初に身体についた血は、自分のものではないと説明した。その後で森で獣に襲われたという話から、念のためと身体検査を受けたのだ。
ちなみに医者もまた、他の住人と同じ鬼人間だった。
「しかしこの国に旅人が来ることは珍しくないが、純人の客が来る日が来るとは思わなかった。いったいどこの国から来たのかね?」
「(純人?)ええまあ色々とあって、遠い国から……」
「そうか。まあ純人の方ならしょうがないか」
紺の返答は歯切れの悪いものだったが、何故か医者はそれで納得した。
周りを見ると、病院の窓や入口から、大勢の住人がこっちを覗き見している。ヒソヒソと話し声が無数に聞こえてくることから、かなりの数の人がこの病院を囲っているようだ。
「何か私、注目されてますね?」
「仕方ないさ。みんな純人を見るなんて、生まれてはじめてなんだから。いやはや、こっちが景気が悪い時に、こんなお客さんが来てくれて、何だかやる気が湧いてきたよ!」
純人が来て、どうしてやる気が湧いてくるの? そもそも“純人”とはなんなのか? 聞いてみたかったが、止めておいた。
ここでは常識的な事に質問して、不審に思われる可能性を考えたからだ。
「ええと私、色んな土地の歴史を調べているんですけど。ここにそういう資料を置いてある場所はあるでしょうか? それと生活費をとるための働き口が欲しいんですけど。ここの診察代もまだですし……」
自分の置かれた状況を知るためと、これからの生活のため、そう質問した。
前者はともかく、後者は少し図々しいかなと思ったが、医者は機嫌を損ねることなく答えてくれた。
「ああそれならこの町に図書館がある。場所はどこだったかな? 町のあちこち案内板があるから、そこを見ればいいだろう。仕事の方は、すまんが私には何もできん。まあ紺さんは純人だから、すぐに見つかるだろう。診察代のほうは気にしなくていい。純人の診察ができたというだけ、十分ですよ。はっはっはっ」
「そうですか。ありがとうございます」
色々と礼を言ったあと、紺は医者に別れを告げた。
病院から出ると、外には想像を絶するほどの人だかりができていた。
だが彼らは紺が歩き出すと、一斉に道を開けた。自分の周りの大勢の人の道を見て、紺は映画のモーゼの十戒を連想した。
「・・・・・・あれが純人」
その人の列の中で、一人の少年が、他とは違った希望の眼差しを、紺に向けていた。
人々の目線が痛いので、紺は一旦町から離れ、森の中の河原に向かった。
そこで血で汚れた自分のセーラー服を、河の水で洗う。現在紺は、医者から借りた紫色の浴衣を来ている。
正直この服は血で染まりきってしまって、もう二度と使えないような気がしたが、とりあえずできることはやっておこうと思ったのだ。
「なんか勝手に血が落ちてないか?」
袋から取り出したセーラー服を見て、紺は首を傾げた。
動物の血液による、服の染色面積が、以前よりも減っているような気がするのだ。
前は真っ赤に染まりきって、元の白い生地はほとんど見えなかったのに、現在は赤く染まった部分は全体の半分位だ。
とりあえず水に浸し、ゆすいでみる。だが生憎染み付いた血の色は、全く落ちてくれない。
(私の記憶違いか? まあいいや)
再び町に戻る。人々の注目の視線が相変わらずムズ痒い。とりあえず今はこの世界での仕事と、寝床を探さなければならない。
「仕事か・・・・・・」
この単語に思うところに、紺は嘆息した。
故郷では学生の身分で、親の小遣いで趣味に没頭する生活を送っていた。バイトなどもしたこともない。
考えてみれば卒業後に、自分はどんな仕事に就こうかなど、ほとんど考えていなかった。いや、あえて目を背けていたのかも知れない。
昨今のアニメでは、現実社会の厳しさを、リアルに描いたものがあるし、それに幾分か不安を感じていた。
しかし今、何の脈絡もなくその不安に向かい合わなければならなくなってしまった。
(もう少し考える時間をくれて欲しかったよ)
とりあえず住み込みなどで寝床を持てて、なおかつ他人との対話が少ない仕事が欲しい。我ながら贅沢な希望だと思った。
町のあちこちを歩いていると、“従業員募集”の張り紙がついた建物を発見した。
二階建ての古い建物だ。パッと見て廃屋かと思ってしまう。
看板を見ると“霊素材屋 緑天店”と書かれている。素材とは具体的に何なのか謎だが、とりあえず入ってみる。
「ごめんください。表の張り紙を見たんですけど……」
店内の棚やテーブルには、訳の分からないものが沢山置かれていた。色とりどりの鉱石が並んでいるかと思ったら、その隣にはデカイ動物の頭蓋骨が置かれている。
他にも枯れた植物の束やら、金属の塊、動物の角・爪・甲羅など、商品に全く統一性がない。
何より目を引いたのは、カウンターにいる店主の姿。
店主は黒い外套に身を包み、牛を象ったと思われる大きな仮面を被って素顔を隠していた。なんというかあまりに怪しい衣装である。
(この世界にもコスプレがあるのか?)
体格ははっきりと分からないが、大体紺と同じぐらいに見える。男性だとしたらかなり小柄だ。
「ここで働きたいのかい?」
牛の顔をこちらに向けて、そう喋った。声色からは男か女か判らない、不気味な雰囲気の妙な発声である。もしかしたら裏声かもしれない。
この声もあってか、ホラー映画の始まりのような、肌寒い雰囲気を感じた。
「ええ、そうです。できますでしょうか?」
「いいよ。純人なら大歓迎」
これまたあっさり話が通ってしまった。そしてまた出てくる“純人”という単語。色々と疑問が残るが、不都合ではないのでいいだろう。
それよりもっと気になることがあった。
「失礼ですがご主人」
「何です?」
「何故そのような衣装を?」
言ってから少し後悔した。実はこの衣装はここでは一般的で、もしかしたら失礼な質問をしたかもしれない。
だが店主の次の返答を聞く限り、そういうわけではないようだ。
「ああ、それはね。私の顔が不細工だからだよ」
「…………えっ? そっ、そうですか……(それだけかよ!? いや、もしかしてそれ程なのか?)」
これもこの世界の常識なのだろうか? とりあえずもう一つ聞いてみる。
「それとですが……さっきから声、わざと変えて喋ってますよね?」
「うん。これはただの趣味」
「趣味かよ!?」
思わずツッコミを口に出してしまう。これもこの世界の常識か? だとしたら嫌な常識だ。種族と文化の壁というのは結構手厳しいのかもしれない。
「ふっふっふっふっふ……この見た目のせいか、皆気味悪がってね。中々客が来ないのさ。それで人を雇って接客を任せようと思ってね……」
わざとらしい笑い声で、おかしな自己アピールをする店主。
どうやらこの人は、こっち側でも変人だったらしい。紺は心の底から安堵した。そして今更になって採用を断ろうかな、と思い始める。
「では早速仕事の話をしようか」
「……ええ、はい」
その後しばらく店主と話をして、“霊素材屋”の概要を理解した。霊素材とは要するに物品の材質を強化する特殊素材である。
この世界にはやはり魔物というものがいるらしい。その魔物から取れる骨や皮などからは、特殊なエネルギーを生成する不思議な力があるのだ。といっても全てがそうではなく、魔物の種類や、採取する部位などによって効力が少しずつ違ってくる。
例えばある魔物の骨を粉末にする。その粉末を溶鉱炉の溶けた鉄に混入させる。そしてその鉄から作られた、鍋や釜などの物品は、普通に鉄を鍛えて作るよりも、遥かに頑丈な品物に出来上がるという。
霊素材が魔物の肉体の一部だけではない。様々な場所から発見される珍しい鉱石や、高い魔力を宿した植物なども、霊素材になりうる。そしてその種類によって使われる用途なども異なる。
鉄を鍛える以外にも、薬の材料になったり、建物の補強部品になったりと色んな用途がある。
機械機器の材料にも多く使われるらしい。“機械”というのは、地球で使われている科学の産物と同じものと考えて良いのだろうか? それとも魔法道具の別称だろうか?
紺は自分の故郷にはそういったものが無かったと言ってみると、店主=緑天丸はかなり驚いていた。どうやら霊素材は、ここの住人の生活に相当深く結びついているようだ。
紺は緑天丸に与えられた、二階にある自分の部屋に入った。
畳と障子がある、典型的な和室である。あまり使っていないのか、少し埃っぽい。後日丁寧な掃除が必要だろう。
部屋の中で、今日拾ったあの刀を再び抜いてみる。緑天丸から霊素材の話を聞いたとき、紺は即座に、この刀の尋常じゃない切れ味と耐久性を思い出した。
(やっぱりこれも、その霊素材てのを使ってるのかな?)
紺はそこでいちいち考えるのをやめた。布団を敷き、すぐに横になる。空から転落後、初めての睡眠である。
思い起こせばこの二日ほどの間に、色々なこと立て続けに起きた。そして思い起こす度に、ストレスが溜まり始めた。
(ああっ苛つく! あの神社の幼女声。あそこの神様か! だとしたら帰ったらすぐにぶった斬ってやる!)
紺は試しにストレス発散に何か斬ってみようか?と考え始める。次第に斬っても誰も困らないような悪党でもいないかな?と怖い思考まで持ち始めた。
動物2体のスプラッターな場面を見て、感性が狂い始めたのかもしれない。
紺はやがて眠りにつき、夜は静かに更けていった。