第十七話 二匹目
太陽が昇り、夜の闇が完全に消えた時間。
森の中を一人の龍人と、一人の葉人が、木の陰にコソコソと隠れるように進んでいた。浅葱と躑躅である。
二人は昨日のように、背中に背負ってなどない。躑躅が鉄士だと判ってから、彼女の世話をやくのは中止し、自力で付いてくるように言ったのだ。
歩き始めてどのぐらい経ったのだろうか? 浅葱はまだ余裕たっぷりだが、躑躅の方は額に汗を流し始めている。じきに両者の体力の差が顕著に出るだろう。
(あいつはもう追ってこないのだろうか?)
洋竜が追撃してくる気配は、今のところ無い。
奴は元々、魔力の濃い花月山からほとんど出ようとはしなかった。だがあの謎の変異を起こしてから、今まで同じように考えるのは危険だ。
この場所が花月山の範囲内なのかも、未だ不明だ。また集落らしき場所にも、一度も遭遇しない。本当なら宿をとる場所が欲しいのだが・・・・・・
(あいつが俺たちを追って人里まで来たら、完全に俺たちが疫病神だよな・・・・・・)
人のいる場所に行きたいのか、行きたくないのか、微妙な心境で歩み始める。
昨日から何も食べておらず、空腹が障害になり始めた。そうしたら幸運にも、その空腹を満たせるものが現れた。森の中で、一つの大きな影が2人の眼前に現れた。
「魔物!? いえ、あれは・・・・・・」
「大兎だ! 天の恵みだ!」
それは大木の根元で眠りこけている、一羽の白い大兎。体格は以前、紺が遭遇した者と同じぐらいの大物だ。
浅葱は即座に抜刀し、刀身に魔力を注ぎ込む。霊素材が含まれている刀身は、浅葱の魔力を増幅させ、炎の魔力を発生させた。
「!!??」
だがその熱気に反応したのか、大兎が瞬時に目を覚ます。そして炎の刀を構えて、獣のような殺気をこちらに向けている浅葱を注視した。
対応は素早く、大兎はその場から、脱兎のごとく(まさに言葉通り)逃げ出した。
「待て!」
浅葱は刀をフェンシングのように突き出し、刀身から火炎弾をライフルのように発射した。
でかい図体にもかかわらず、素早く失踪する大兎。それを追っていくつもの魔法攻撃が襲う。
ドム!ドム!ドム!ドム!
森の中の各所を、火炎弾が着弾し、ロケット弾のように爆発する。その勢いでいくつもの樹木が倒れ、引火し赤く燃え始める。
「ちょっと! やりすぎです!」
「ああ、確かに。俺としたことが……」
大兎はどこぞへと逃げ、後には山火事となった森だけだ。
「躑躅、お前水の魔法は使えるか?」
「いいえ。そっち方面は全然」
「・・・・・・だろうなあ。俺一人でやるしかないか」
浅葱は火の魔法が主能力であるが、一応水の魔法を扱うことも出来る。幼い頃からの鍛錬の賜だ。
だがそれが得意というわけではない。威力があまり高くない上に、魔力の消耗が大きい。だがこの場合しょうがない。冷静さに欠けた行動をとった、彼女の自業自得だ。
彼女の刀が、今度は水色の光を帯びる。そして切っ先から大量の水が、ホースの放水のように発射された。
水が燃える植物たちに降りかかると、消火現象と共に、濃厚な煙が舞い上がった。
そのまま魔法で消火活動を続ける浅葱。この時、浅葱はとても大事なことを失念していた。敵が一向に来ないことの安心感から、気が緩んでいたのかもしれない。
燃え盛る炎と、湧き上がる黒煙は、とてつもなく目立つ。森の上の空を飛ぶものにとっては特に、それは灯台のように判りやすい目印であるということを。
紺は森の木々のすぐ上を、もの凄い速さで走っていた。
風飛翔の速度は、以前よりも増している気がする。ジェット機のように勢いよく飛び回りながら、自分を喰って汚物まみれにしてくれた仇敵を探す。
(躑躅も無事なんだろうな? この森広すぎて全然わかんねえよ!)
あの時自分が襲われた場所に、躑躅の姿はなかった。彼女もまた、自分と同じように喰われたのかと思ったが、自分が喰われた場所以外に血痕はなかった。襲われたときに落とした刀も見当たらない。
また谷の向こう側の岸にあった、謎の焼失地帯。そして転がっている武器や鎧の破片の数々。あの後何が起こったのか、さっぱり見当がつかない。とにかく諦めるにはまだ早い。
しかしこの辺りの森は本当に広い。見晴らしのよい花月山の山頂付近は、何度も飛び回ったが、竜や人の姿はなかった。
あるのはへんてこりんな魔法陣だけだ。だとしたら探すのは麓の森だけだ。だがそれでも見つからない。
やむを得ず花月山の封鎖地域から出たが、これが本当に広い。この世の全てが、森で覆われているのではないかと思うほどだ。
「うん?」
だがそんな中、風に吹かれて飛んできた、妙な匂いを察した。
「焦げ臭い匂い・・・・・・山火事か?」
強化された嗅覚が、遠方の匂いを嗅ぎ分ける。
(もしかして誰かが、あの化け物と戦ってるのか?)
探すあては他に存在しない。紺はまっすぐその匂いを辿りながら飛んでいった。
一方の浅葱と躑躅はというと、まさに絶体絶命の危機に陥っていた。
やっとの思いで消火活動を終えた浅葱。ただでさえ空腹の状態で、大量の魔力と体力を消費した彼女は、今にも倒れそうなぐらい疲弊しきっていた。
躑躅はそんな彼女を労り、頭から生やした薬草をむしって浅葱に与えた。そんなときにある天空から、ある声が聞こえた。
「ガァアアアアアアアッ!」
最初は空に映る点だったものが、今はその影形が見え始め、それが何なのか認識できるようになる。それはあの洋竜に違いなかった。真っ直ぐこちらに向かって飛んでくる。
2人はお互いの顔を見合わせる。両者とも同じ絶望モードだ。
「逃げることは・・・・・・無理ですよね」
「そうだな。言っておくが逃げるなよ。責任持って俺と戦え」
「ははは、しょうがないなあ」
洋竜の姿が、鱗の色まで判る距離にまで達する。2人は最後に見栄を張ろうと、戦闘の構えを取る。
「来るがいい、この化け物め!」
空へ向けて怒号を上げる。洋竜の姿は、こちらを睨み付ける目まで判る。そして2人は最後の意地で、向こうからの攻撃に構えた。
ドンッ!
だが攻撃は来なかった。ハヤブサのようにこちらに急降下していた洋竜は、何故か直前に左横に飛行方向を変えた。正確には変えたのではなく、変えられたのだ。
右横から弾丸のように飛んでくる謎の物体が、2人に向けて突進中の洋竜に激突。その勢いで洋竜は、別方向に吹き飛ばされた。
「何だ!?」
突然の事態に動転する浅葱。もしかして鉄士か武士団の救援が来たのか?と希望を抱いたのは一瞬のこと。
洋竜をはじき飛ばした者の正体は、これもまた彼と同じぐらいの大きさのもう一匹の洋竜だったのだ。
「洋竜が2匹?」
空中でホバリング中の洋竜は、今まで見ていたものと違って、身体の色は黒かった。遠目からでは確認しきれないが、その黒竜は顔形や角の長さなどが、あの洋竜と微妙に違っている。
ベキベキッ!
洋竜が吹き飛ばされた方角から、樹木が折れる音が聞こえる。どうやら地面に墜落して、森の樹に激突したようだ。
黒竜はゆっくりと下降し、2人の目の前に着地する。そしてそちらに顔を向ける。その目には、あの洋竜と違って敵意といったものは微塵も感じられなかった。
『よう、生きてたか』
「「喋った!?」」
何と黒竜が、こちらに向けて喋った。口は一切動かしていない。電話越しに話しかけられるような妙な音声だ。だがそれは人工の声ではなく、ちゃんとした人の声に聞こえる。若い女性の声だ。
(この声、どこかで・・・・・・)
何かを思い出そうと悩んでいる躑躅の隣で、愕然としていた浅葱もすぐに気を取り直した。
人間に味方する竜というのも、決していないわけではない。種類からして土地神ということはないだろうが。ともかく言葉が分かるほどの知性を持つ竜ならば、相当な助っ人だ。
「お前は武士団からの救援か? それともどこかの鉄士が召喚したのか?」
会話を続行させることは出来なかった。森の木々を薙ぎ倒し、あの洋竜が迫ってきたからだ。
浅葱の所為で連続爆発と火事で木々が倒れ、森の中に出来上がった開けた空間に、2匹の竜が対峙した。
『シュワッチ! 前の借りを返させて貰うぜ!』
黒竜は、両腕を縦横にクロスさせる妙なポーズをとった後、洋竜に向かって突撃する。竜同士の激突が始まった。
両者が大きく口を開け、同時に口内から大きな炎の塊が吐き出される。そしてそれが竜同士の距離の中心でぶつかった。
ドウンッ!
凄まじい爆発が起き、爆風で躑躅と浅葱が吹き飛ばれそうになるのを必死に堪える。爆発が起きた直後に、中心の黒い煙で覆われた場所に、竜の肉体同士が激突した。
竜達はお互いの肩に噛みつき、両前脚を組み合わせて、力比べ状態になる。竜は顎に力を入れて、牙を突き立てるが、その身体は頑強で中々食い込まない。
竜達は組み合ったまま、その場で転ぶように同時に倒れる。地面を這った状態で、プロレスのように相手の身体を組み敷き合う。
お互いが全力で相手をねじ伏せようとしている中、唯一がら空きとなった尻尾が、不規則に振り回され、鞭のように地面を叩きつけて土を抉る。
「グガァ!」
このままでは埒があかないと判断したのか、洋竜は顎に力を入れるのをやめ、前脚を使って全力で黒竜の腹を蹴った。
両者はこの時、黒竜が洋竜の上に乗っかった状態であったため、黒竜の身体はその蹴りを受けて、10メートル程宙を舞った。だがすぐに着地して、体勢を整える。
両者は再び対峙し、2度目の激突が起こる。今度は噛みつかずに、頭でいった。
ゴン!
二つの硬くて大きな頭蓋が衝突する。雄牛や猪のように頭突きをぶつけ合った竜達は、お互いに効いたようで、激突後に酔っぱらいのように身体が安定せず揺れている。
だが数秒で持ち直し、再び激突した。この後10分近くに渡って、竜達は噛みついたり、引っ掻いたり、火を浴びせたりと、凄まじい攻防を続けた。躑躅と浅葱は、ただそれを呆然と眺めていた。
お互いの身体は傷だらけで、相当疲弊しているようで、息が荒い。
『・・・・・・ふう、ふう、やるじゃん。このくらいの疲れを感じるのは、すごい久しぶりだ』
「グルルルルッ!」
もう何度目かも判らない激突が、再び始まろうとしたとき、横から介入する者が現れた。
「グガァ!?」
『!?』
大量の黒い粉が、風もないのにまっすぐに洋竜に向かって飛び、顔面を覆い尽くす。これに洋竜は大いに動転した。
見れば躑躅が、前に使ったのと同じ花粉魔法を放っていたのだ。一向に勝負がつかないのを見て、援護に回ったようだ。だが・・・・・・
「グゴォオオオオオッ!」
以前の攻撃で耐性ができたのか、洋竜は初戦の時ほど苦しまなかった。怒りを発散させて、躑躅に襲いかかる。
「くそっ!」
隣に控えていた浅葱が、躑躅をかばうようにして立ちはだかる。刀を構えて残された魔力を振り絞って、結界魔法を生み出した。洋竜は迷うことなく、それに向かって蹴りを放った。
バキンッ!
薄い魔力の壁はガラスのように叩き割れ、それを発生させていた刀身は竹のよう折れ、浅葱の身体は後ろに躑躅もろとも蹴り飛ばされた。
重なり合った2人の身体が、サッカーボールのように飛び、近くにあった樹に叩きつけられた。