第十五話 花の香り
洋竜が渓谷に転落してから、武士団は数時間に渡って、彼の死体探しを行っていた。
殆どの者が、敵はもう死んだと思っており、それほど緊迫した雰囲気は無かった。途中で暢気に休憩と夕食時間をはさんだりもしていた。
だが食事が終わって、少し歩いてみると、事態は尋常じゃない方向に至っていた。
まずあの洋竜はまだ生きていた。しかも封鎖地域から僅かに離れた場所で。これまでの調査から、洋竜は花月山の範囲を縄張りにしていることが判った。
そのため封鎖地域は、花月山周辺に限定された。あまり範囲を広げすぎると、地域の住民から苦情が来てしまう。
だがあの洋竜は、その範囲を超えていた。何故そうなったのかは言うまでもない。自分たちが彼を、縄張りの外まで追いつめたからだ。
そしてさらに最悪なことに、武士団が発見したとき、敵はまさに人を襲っている最中だった。向こう側の大地に、洋竜の前で、人の姿が遠目からでも何とか確認できる。
この辺りは、花月山ほどでは無いにしろ、霊素材が取れる場所である。
道筋が険しいため、行き来するものは少ないが、いないわけではない。花月山が入れなくなったのだから、そのギリギリの場所まで、採集に来る者が現れることは、よく考えれば思いつかないはずがなかった。
「撃て! とにかく奴の気をこちらにそらせ!」
武士団は整列などせず、がむしゃらに魔法を放った。その行為が功を奏したのか、敵はこちらに首を曲げた。
「グルルッ!」
向こう側に、さっき自分を傷つけた相手がいる。それに気付いた洋竜は、怒りの唸り声を上げる。そして翼を広げて空へと飛び上がった。
「・・・・・・」
躑躅は翼風に吹かれながら、ただ事の成り行きを見守ることしか出来なかった。
洋竜がこちらに迫ってくる。翼を広げた辺りから、武士団は手早く乱れた陣形を直し、魔法の力を蓄え始める。
敵は力強く、空中からこちらに突撃してくる。さっきあれほどの傷を負わせたのに、どうしてあんなに安定して空を飛べるのか?一部の武士が疑問に思ったが、今はそれを考え込んでいる場合ではない。
洋竜が間近に迫り、一気に必殺の魔法攻撃を、洋竜に浴びせた。
この構図は最初の戦闘の、一番始めに行われた構図と全く同じであった。あの時は、洋竜は魔法の威力に撃ち落とされて、大地に墜落した。
だが今回は様子が違った。魔法は殆ど直撃し、洋竜の身体はいくつもの爆光に覆われて、一瞬その姿が隠れる。
だがそれが晴れると、そこには何事もなく羽ばたいている洋竜の姿があった。
「馬鹿な!?」
前回とのあまりの手応えの違いに、武士団は動揺する。洋竜はそれなりにダメージを受けているようだが、前回のような墜落に至るほどのものではなかった。
洋竜は口を大きく開き、動揺で隙を作った武士団に、真っ赤な業火を吐き出した。
「ぎゃあああああああああっ!」
その威力は凄まじく武士団全員が、炎の海に呑み込まれた。
「くう! どうなっている!?」
武士団部隊長が炎の海から飛び出し、上空でホバリングしている洋竜に困惑の表情を向ける。
さすが精鋭の武士団。あの一発で全滅と言うことはなく、熱で多大なダメージを受けながらも、何とか炎の中から抜け出した。
洋竜が羽ばたきを弱め、地面に下降していく。上空からの遠距離攻撃では威力不足と判断し、接近戦で挑むつもりのようだ。
「グオッ! グオオッ!」
侍達が剣に力を込めている間、洋竜はすぐには仕掛けず、威嚇の声を上げた。どことなくこちらを馬鹿にしているように聞こえる。
「なめるな!」
魔道士達が、次々と魔法を放つ。洋竜の身が、再度爆光に包まれ、一瞬だけ目くらましとなる。その隙に侍達が次々と必殺の剣撃を与えた。
以前の攻撃では、奴の硬い鱗と肉を、見事切り裂いた攻撃だ。今回もそうなると皆思っていた。だが・・・・・・
ガキッ!
石と金属がぶつかるような鈍い音が聞こえる。魔法の剣が、敵の皮膚に命中した音だ。
敵の身体は・・・・・・斬れなかった。線上の痣ができており、敵はそこそこ痛みを感じただろうが、前回とは比べものにならないほど弱い効果だ。
「馬鹿な!?」
「何故だ!? 何故斬れない!?」
武士団はまたもや大きな動揺に包まれる。洋竜は一切の隙を与えず、攻撃を仕掛けた。直前の接近攻撃で、侍兵はかなり近い間合いに入っている。
1人の侍が洋竜の牙に噛みつかれて食いちぎられた。
そのあとすぐに、2人の侍が、鞭のように動いた洋竜の尾に、叩き吹き飛ばされて、渓谷の下へと落ちていく。
1人の侍が槍で、洋竜の足下に差し貫こうとするが、あえなく踏みつぶされた。
洋竜が再び業火を吐き、魔道士達を攻撃する。
地上から放つ炎は、飛翔魔法の消費で魔力を分散させていないため、空から放つより威力が大きい。
魔道士達は結界で防御するが、受けきれなかった。一気に四人が炎を受け、黒く焦げて絶命した。
「何なんだ!? いったい何が起こっていると言うんだ!?」
訳の判らない事態に、部隊長が悲鳴にも似た声を上げた。
この洋竜とは以前とは比べものにならないくらいレベルアップしている。しかもよく見ると、さっき自分たちが与えた傷が、見る影もなく消えているではないか。
一瞬最初に戦った竜とは、別の個体では?という疑惑がよぎった。だがこの姿形や、自分たちに向けた憎しみの眼差しは、同一の者としか思えない。
この短時間でいったい何があったというのか?
「ガッガッガッガッガッ!」
妙な鳴き声で牽制する洋竜。この生物の知性はどの程度か不明だが、こちらを嘲笑しているのかもしれない。
「おのれ!」
これに苛ついた浅葱が、剣を振って、炎の刃を放った。それは敵の鼻に命中したが、全く効いた様子がない。
洋竜は浅葱に顔を向けると、鼻から小さな火球を吹きはなった。
「くっ!?」
浅葱は瞬時に刀で防護体勢を取る。
だがその火球は小さくとも強力で、直撃と共に大爆発。浅葱はその爆風によって10メートル以上吹き飛ばされた。
「駄目だ! 一旦退くぞ!」
残った武士達が、一斉に背を向けて逃走した。向かう先は渓谷の反対側の森。それを洋竜が追った。
(速い!?)
洋竜の動きは、その巨体にも関わらず、鹿のように機敏で素早かった。武士達のすぐ後ろにまで接近し、その場で地面を蹴って大きく飛び上がった。
走り幅跳びの代表選手顔向けの大ジャンプ。その巨大な身体は、武士達の頭上を通り抜けた。そして渓谷の岩肌の地面と、森との境界線に着地し、武士達に立ちはだかった。
前方には洋竜、後方には深い谷、完全に逃げ場のない挟み撃ち状態である。
「おのれえ!」
武士達はがむしゃらに魔法を撃ちまくった。だがそれは微塵も効果はない。
洋竜は一つ深呼吸した後、口からまたあの強大な火炎を放射した。
「「ぎゃあああああああああっ!」」
また炎に溢れ、武士達が焼かれていく。魔道士達はあっというまに焼死した。
強靱な肉体を持つ侍達はかろうじて生きていたが、火だるまになりながらもがき苦しんでいる。そんな彼らを洋竜は、蟻のように次々と踏みつぶしていった。
目の辺りの炎の海と、仲間達の絶命の悲鳴の前に、浅葱は呆然と立ちつくした。
さっき受けた鼻炎で一時倒れたせいで、他の仲間より退避が遅れていた。それが幸か不幸か、結果的に洋竜の火炎を直接浴びずに済んだ。
洋竜は残った最後の獲物に狙いを付けた。火炎に覆われた大地を、平然と通り抜け、浅葱の正面に立つ。
(くそがっ!)
浅葱は覚悟を決めた表情で、刀を構える。
「うりゃああああああああっ!」
策など何もない、正面からの特攻。だが彼女の攻撃が炸裂する前に、別の何かが洋竜に向かって飛んだ。
「腐花!」
その声と共に、浅葱の頭上を、黒い粉の嵐が通り抜け、洋竜の顔にぶつかった。
「ギャァアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「ぐぉおおおおおっ!」
洋竜と浅葱、両者が悲鳴を上げた。痛みによる悲鳴ではない。その黒い粉から発散される、凄まじい刺激臭に、である。
浅葱は鼻をつまんで、その吐きそうな匂いに悶絶している。一方の洋竜も、浅葱と同じようなポーズで、前脚で鼻を塞いでいる。
浅葱は粉の嵐の近くにいただけで、これだけの臭いを受けたのだ。これを直に浴びてしまった洋竜の苦悶はどれほどのものだろう。
(この技は葉人の!?)
浅葱は、粉が飛んできた方向の自分の背後に振り返った。
そこには1人の幼い葉人の少女=躑躅が、怒りと恐怖が入り交じった表情で立っていた。両手には、紺の持っていた刀を大事そうに抱えている。
「きっ、効いた?」
彼女の頭には、一本の花が生えていた。
さっき眠花を放ったときの、タンポポのような花ではない。形は睡蓮の花に似ている。だが色は黒く、見ただけで気持ち悪くなるほどの毒々しい色をしていた。
葉人の技の一つ“腐花”である。あの黒い粉は、この花から放出された花粉だったのだ。眠花を浴びせたときは、微塵も効果がなかった洋竜だが、今回は通じた。
洋竜は謎の変異によって、魔力と身体能力だけでなく、感覚能力も増強されている。無論、嗅覚もその中に入っている。
強化された嗅覚は、このタイプの刺激には耐性がまだついておらず、相応のダメージを受けることとなった。
(こいつはいったいどこから?)
不思議に思った浅葱だが、答えはすぐに出た。
彼女の背後の更に向こう、深く長い渓谷の谷間に、一本のロープが橋のように横断してくっついている。だがよく見ると、これはロープではなかった。向こうの岸から生えてきている一本の蔓植物である。
状況から考えて、躑躅が生み出した物だろう。
(まさかさっき洋竜に襲われていた者か!? 逃げていなかったのか!?)
それを含めて、浅葱は二重に驚いた。こんなところに入り込んでいるということは、相手は鉄士だと思っていた(実際そうなのだが)。
だが浅葱の認識では、こんな幼い少女が鉄士とは考えにくい。家の仕事の都合で、薬草系の霊素材を取りに来た民間人の子供だろうか。
だとするとあの刀は護身用だろうか? それにしては身の丈に合わない長さであるが。
洋竜は未だに苦しみ悶えている。だがこれで彼を絶命させることはできない。
同じ技を何度もかけると、彼の嗅覚が麻痺して、事態が逆に悪化させるかも知れない。
「今です! 逃げましょう!」
「うん? ああっ!」
2人は同時にその場から逃走した。
燃える地面をまわり、森の中へと突入する。だが葉人の身体能力は、龍人よりも劣る。浅葱と躑躅の場合でも、その影響が顕著に出てしまい、途中で浅葱が躑躅を背中に抱えて走った。
「グガァアアッ!」
洋竜が何とか持ち直したとき、2人の姿はそこにはなかった。
少し苛立ったが、逃がしたのはたったの2匹だ。洋竜は近くに転がっている、こんがり焼けたご馳走を、先に頂くことにした。