第十三話 木月山
花月山への道のりは、明日どころか、僅か30分程度でついた。
約50kmの道のりを、風飛翔で一気に突き進んだのだ。平均時速100kmで飛び続けたことになる。
本人がその気になれば、もっと速度を上げることができたが、ある理由でそれができなかった。紺の腕に掴まれた躑躅が、吹き付けられる風圧に音を上げたのだ。
風圧の問題は、紺は全然問題なかった。だが三人種の中で、一番身体能力が低い葉人、しかも小柄な少女である躑躅には、体力的に限界があったのだ。
広い森や、時折見かける村々を、上空から見上げながら高速で駆けていく。これが遊覧のヘリ・飛行機ならば、とても見ごたえのある光景だったろう。
だが人に掴まれながら、高所から落ちそうな恐怖と風圧に晒される状態では、言える感想は恐怖の言葉しかない。
観光本の写真で見た、花月山を山脈の風景がどんどん近づいてくる。
「おい。どれが木月山だ?」
「……ふえ? はっ、はいあっちです」
目的の山を指差し、そっちの方向に紺は進む。やがて話に聞いた巨大な渓谷を発見した。
「すげえな、おい! こんな所、日本には全然無かったぞ!」
「……そうですね」
感動する紺に、やつれ気味に躑躅が答える。それは世界を割っているかと思うほどの、見事な風景だった。
やがて渓谷の脇、木月山側の大地に到着する。花月山側は、現在封鎖中であるため、立ち入りは厳禁だ。
紺は周りの風景をまじまじ見つめる。元々自然風景への愛着などなかった紺だが、ここまでスケールが大きいと、さすがに注目してしまう。
一方の躑躅は、自然ではなく、紺の方を注目していた。
(この人いったい何者!?)
もうその辺の疑問しか頭にない。
躑躅は今まで、一般人の仕事の手伝い程度の依頼しか、受けていなかった。この場所に来たのも今日が初めてだったりする。
鉄士試験の時のような幻影ではない、本物の魔物と戦えるような仕事を、そろそろしようと思っていた。自分の腕には多少自信があったが、どうにも不安があった。だから誰か一緒についてくれる仲間を探そうと考えた。
そんな時、紺の姿を見かけた。同年代の女子で話しやすそうというのと、顔つきが強そうな雰囲気だったことがあって、彼女に話を持ちかけようとした。
近寄ってみると、その身から微かに感じ取れる力の波動が、相手が只者でないと読み取れた。
ようするに、紺の最初の推測は正しかったわけである。だがそれ以上の、悪意ある考えを持っていたわけではない。
そんなこんなで魔物出現の可能性もあることの場所に、同行することができた。だが彼女のハイスペックぶりは想像を超えていた。
紺は葉人である(装っている)にも関わらず、風の魔法を使った。しかも扱いが難しい風飛翔を、である。
葉人はこういうタイプの魔法が、不得意なものが多い。だが全くいないわけではないし、これは問題ではない。
ただ飛行魔法は力の消耗が激しい。
彼女はその能力を、小柄な女子とはいえ人一人分の体重と荷物を抱えて、あれほどの速度で飛び続けたのだ。しかも途中休憩は一切なし。到着した今でも、全くと言っていいほど疲れを見せない。
(これほどの魔力を持ってて、鉄士でも武士でもなくて、民間人だなんて……)
何とも不思議な人だ、と躑躅は思った。
(やっぱり言ってみようかな・・・・・・)
本人が鉄士にならないと明言してから、大部分諦めていたが、もう一度挑戦してみる。
「紺さんは霊素材屋の人なんですよね」
「ああ、適当に仕事を探したら、あっさり採用されてな」
「これからもその仕事を?」
「いや、それなりに蓄えができたら、一度国を出てみようと思ってる。この世界で色々調べてみたくてな」
“この世界”という言葉の真意が判らなかったが、いい線を行っている。
「でしたらやっぱり鉄士になってみませんか? 私もあなたと一緒だと心強いですし」
その場の空気が一瞬で変わった。紺が冷めた目で、躑躅を見ている。
「やっぱりそれだったか」
「ええ、すいません」
こういう勧誘は、鉄士同士では一般的なものだ。だが一般人を相手に言ったのは、やはりまずかったのだろうか? とりあえずもう少し頑張ってみる。
「さっきも言いましたけれど、鉄士の仕事は危険なものばかりじゃありませんよ。危ないと思った依頼は受けなければいいんですし。指名依頼が来ることもありますけれど、断っても何も言われません。基本的に全てが自由なんです。……まあ、神職と貴族の方には、何故か嫌われてしまいますけど……」
「へえ・・・・・・」
「それに旅をするんでしたら、鉄士だと有利なこともありますよ。場所によっては一般人だと通れない関所もありますし」
彼女なりに懸命に、鉄士の長所を挙げてみる。最初は冷たい目をした紺も、少し考え始めているようだ。
「関所か。確かにそれは必要そうだな」
「でしたら・・・・・・」
「でもやめとくわ。誘って貰っておいて悪かったな」
「そうですか……」
想像していたような悪意は無いようなので、紺はとりあえず悪くない言い方で断る。
興味や関所云々とは別に、紺は鉄士になれない理由が、もう一つあった。こういう組織に従事すると、自分が純人だと露見する危険性があるからだ。
鉄士の採用方法は判らないが、そこに身体検査があったりすると、完全にアウトである。
純人の鉄士となると変な注目を浴びるだろうし、何よりあの四王国政府のように、自分を狙ってくる輩が現れるかも知れない。
こっちが危険な仕事を避けても、向こうから勝手に危険なものがついてくるかもしれない。故に鉄士になるわけにはいかない。
先程話した関所に関しても、紺は特に危惧を感じていなかった。先日簡単に関所破りができてしまっただけに。
ばっさり断られた躑躅は、残念そうに下を見ている。これに紺は、微かだが罪悪感を覚えた。
「まあ、そんなこと気にするより、今はやらなきゃいけないことあるな」
「へ?」
「何かやばそうなのが、すぐ近くに来ているぜ。気配で分かる」
周囲に目を配ると、渓谷の近くの林から、ガサガサと妙な音が聞こえる。しかも複数。すぐにそれは目に見える所に出現した。
それは人ではなかった。だが明らかに普通の生き物ではない。黒い鱗がびっしり生えた長い胴体、ひと睨みで相手を射殺せそうな鋭い目、そして猛毒を持った鋭い牙。
それは人間だって呑み込めそうな大きさの、黒い大蛇だった。林から出てきたときの動きは、実に滑らかで動きが速い。地球にもアナコンダという大蛇がいるが、あれは身体の大きさ故に、動作が亀よりも遙かに遅い。
だがこの蛇の動作は、それとは明らかに違った。牛にも匹敵する大きさで、なおかつ小型の蛇と同じぐらい素早い動き。この異常な生体は、間違いなく魔物である。
「キターーー! モンスターとの初エンカウント!」
「何で嬉しそうなんです!?」
滅茶苦茶強い魔王やドラゴンの相手など御免だが、この程度のモンスターならば、自分でも倒せそうだ。紺は絶好調で刀を抜く。
敵は3匹。紺はその内の2匹がいる側に斬りかかった。残数的に躑躅が一匹を相手にすることになる。
「シュルルルルルルルッ!」
黒い蛇の魔物=蟒蛇が、躑躅に向けて威嚇の声を鳴らし、今にも飛びかかりそうだ。
だが先に打って出たのは躑躅だった。
「眠花!」
躑躅の頭にある雑草のような葉っぱが、突如急成長する。植物の成長をハイスピードカメラで観察しているかのように、どんどん変異していき、最後には大きな花を咲かせた。
頭の天辺に、タンポポの花を咲かせた躑躅。地球人の視点からすれば、何とも滑稽な姿だが、この世界では葉人の戦闘形態の一つである。
躑躅が技名を叫ぶと同時に、花から黄色い粉が、大量に吹き出した。
それは花粉だった。量が多すぎて、まるで煙が吹いているようだ。そしてそれは、風もないのにもの凄い勢いで、蟒蛇の方へと飛んでいった。
「ギシャ!?」
花粉に覆われて黄色く染まった空間は、蟒蛇の顔の辺りを完全に呑み込んだ。
蟒蛇は動揺して、躑躅に向かって何かをしようとするが、すぐに様子がおかしくなる。
蟒蛇の身体が揺れ始めた。酔っぱらいのように、グラグラと身体のバランスが不安定になり、ついにはその場で、バタリと倒れてしまった。
頭を地面に落として動かない。だが死んだわけではない。呼吸による身体の呼応が、確かに確認できる。
蛇の目には瞼がないため判りにくいが、蟒蛇は深い眠りに落ちていた。躑躅の放った、眠りの花粉の効果だ。
爆睡して無防備になった蟒蛇の前で、躑躅が装備していた短刀を引き抜いた。緊張しているのか、顔の筋肉が震えている。
(動かない。動かないよね?)
恐る恐る、蟒蛇が攻撃しないことを確認する躑躅。やがて意を決して、短刀を持った手に力を込める。
ドスッ!
蟒蛇の身体の最も柔らかい部分。白い喉元に、短刀が突き刺さる。蛇の皮が破れ、そこから血が流れ出る。
「・・・・・・!?」
深い眠りについていた蟒蛇は、突然の痛みに驚き、痙攣し、やがて動かなくなった。
「やっ、やった!」
生き物を殺した感触に、若干嫌悪感を覚えながらも、初めて魔物を仕留めた実績に、心の中で歓喜する。
近くに頼れる仲間がいたおかげだ。その仲間はどうなったかというと。
「よう、終わったか」
振り向けば、向こうの戦闘はもう終わっていた。
紺の周りに、斬り裂かれ、地面を血の海にする蟒蛇の亡骸が転がっている。しかも2匹ではない。見た限り5匹の蟒蛇の死体がある。
どうやら自分が一匹を相手にしている間に、敵に増援があったようだ。
だが紺はそれをものともせずに、魔法無しで斬り伏せていた。