第十一話 女神
花月山の山道を、二十人もの武装した兵士が整列して歩いている。
それは神主のような服装を着た魔道士達、和風甲冑を着込んだ侍風の戦士達。彼らは青龍京自治区に仕える武士団である。一流の戦士が集った精鋭部隊だ。
彼らがここに来たのは、観光登山などではもちろんない。倒すべき敵と戦うためだ。
十日ほど前に、突然この山に出現した洋竜は、付近で採集を行っていた鉄士に襲いかかった。竜は魔物に分類されないが、人を襲うとなると危険生物に変わりはない。
被害はあったが、この事件に鉄士達は、恐れるどころか舞い上がった。
竜の鱗や骨は、高級の霊素材になるからだ。本来土地神と対等な存在・霊獣である竜を、狩ることは禁じられている。だが人に自ら危害を加えた者は別だ。
多くの鉄士達が、洋竜の討伐に進んで花月山に乗り込む。標的を見つけるのは簡単だった。何故なら洋竜は、人の匂いを感じると、自分から向かってくるからだ。
多くの鉄士が洋竜と戦った。結果、多くの者が洋竜の餌となるか、逃げ帰ってきた。この被害に花月山の封鎖が決定した。
そして今、青龍京自治政府から許可を得た兵隊達が、洋竜討伐に向かっているところだった。
彼らの中に一人、まだ十代だろう、妙に若い女性の武士がいた。彼女の名前は浅葱。つい一月ほど前に、資格を得たばかりの龍人種の新米武士だ。
何時間も山を登っても、一向に洋竜がこちらに向かってくる気配は感じない。
「来ませんね? もしかして今日は満腹なんでしょうか?」
「何だ浅葱? 来ない方がよかったか?」
「そりゃあそう・・・・・・いえっ、そういうことではありません!」
山を登っていく一行。大分高地にまで行ったようで、草木の姿が背の低いものばかりになっていく。
やがて傾斜ばかりの山の中で、珍しく平地になっている部分を発見した。
「あれは・・・・・・自然の物ではないな」
そこには遠くからでも見える、明らかにおかしなものが存在した。それは巨大な魔法陣だった。所々壊れているが、その形はこの距離でもはっきり認識できる。
近寄ってみると、魔法陣の側に大量の血痕と、千切れた人の足があった。もちろんこれは人形の足などではなく、本物である。
「ここで人が襲われたようだが、こいつは鉄士か?」
「いえ、恐らく魔法学校の青竹でしょう。この杖に見覚えがあります」
浅葱が落ちていた杖を見せながら、以前横領で解雇されたと報道された、元学校教師の名前を口にする。
「判るのかそれだけで?」
「はい。俺も前に、彼の授業を受けたことがありますから」
浅葱は学生時代を思い返す。あの青竹という教師は、とてもじゃないが教育者として、いや人としてまともな者ではなかった。
女神が降臨した皇国の民こそが、最上の種であるという、屈折した選民思想を口にしていた男。その理屈で国外から来た生徒に、ずいぶんつらく当たっていた。学校では横領が発覚する前から、彼を解雇する話が進んでいた。
青竹は位の高い貴族の出だった。だからこそ問題視されていた。
元々民衆には、過去の歴史が原因で、貴族や王族に不信感を抱くものが多い。青竹の存在は、ただでさえあまり良くない貴族の評判を、更に悪化させる疫病神でしかないのだ。
「ああ、思い出した。確か“海龍の卵”を盗んで横領が発覚した奴だっけ」
「ええ、そいつです」
ある地方で、一匹の龍が魔物との闘争で死亡した。
精霊に近い力を持つ龍は、神聖な動物として敬られている。地元の住民が彼を弔ったところ、その龍の卵が発見された。
その学校は青龍京魔法学校に届けられ、そこで生徒達への勉学を兼ねて飼育されることになった。
だが青竹は、こともあろうかその卵まで、裏商売で売り渡したのだ。これが騒ぎとなり、本格的な捜査が行われ、青竹の横領が発覚した。
その後も卵の行方はわかっていない。銀朱と名乗る老人が買い取ったというが、そいつの身元は未だに不明だ。
「となると、この魔法陣を書いたのもこいつか?」
本来洋竜は、この世界にいる生物ではない。この世界にも竜はいるが、これとはタイプが違う。
この召喚用の魔法陣といい、事件の全容が徐々に見え始めた。
「グォオオオオオオオオオッン!」
甲高い鳴き声が、どこかから鳴り響いてきた。待ちに待った洋竜の襲来だ。
大きな翼を羽ばたかせ、一頭の竜が、上空から悪魔のようにこちらに向かって飛んでくる。
それを待ちかまえていた武士団。魔道士達は魔道杖を、侍達は刀や槍を、各々の得意の武器を、上空の洋竜に向けてかざす。
それぞれの武器から魔法の光が放たれ、どんどん魔力を充填されていった。
竜はどんどん近づいてくる。やがてそれは空中からでも、その巨体が判るほどになった。
「放て!」
武士団部隊長の命令と共に、兵士達が一斉に魔法を放つ。
光の矢・火球・風の刃等々、各々の得意とする属性の魔法を、最大出力を放つ。ちなみに浅葱の放った魔法は火属性だ。
洋竜の図体はでかい。的が大きければ、その分命中率が上がる。
真正面から馬鹿正直に突っ込んできた洋竜は、その攻撃の殆どをその身に受けてしまった。
「グギャァアアアアアアアアアアアッ!」
いかに頑丈な鱗に覆われているとはいえ、それだけの魔法を撃てば相当に効果がある。
しかも彼は現在飛行中。浮遊状態で身体が軽いため、そのぶん衝撃が身体に響きやすい。
洋竜の巨体が紙飛行機のように、地面に墜落し、その重みで地面が幾分か陥没した。
「今だ! 縛り上げろ!」
魔道士達が今撃ったのとは、別の種類の魔法を放った。魔道杖の先端から、光の線が走る。
それはゴムのように伸び、蛇のようにしなやかに動き、墜落して昏倒している洋竜の身体にまとわりつく。
計10本の光の縄が、洋竜の身体を縛り上げた。
「グガッアアアアアッ!」
鉄のように頑丈で、なおかつ凄まじい力で縛り上げるそれを、洋竜は何とか振りほどこうと、全身に力を込める。
魔道士達も必死で押さえ込もうとするが、力では叶わない。一本の縄がその力に耐えきれず引きちぎれ、魔法を放っていた者が、反動でひっくり返る。
一本が引きちぎれたのを引き金に、他の縄も次々と破られていく。ついに洋竜の身体が完全に解放される。だがそれを待っていたかのように、十太刀の光の刃が、洋竜を襲った。
洋竜と魔道士が力比べをしている間に、残りの侍達が己の得物に渾身の魔力を注ぎ、必殺の一撃の準備を取っていたのだ。
浅葱の刀には炎の魔力で真っ赤に輝き、刀身が元の三倍以上に伸びている。
「「たりゃぁああああああああっ!」」
侍達の必殺の剣技が、洋竜の身体の各部を、次々と斬りつける。
ザクッザクッザクッ!
刃は、鋼より頑丈な鱗と肉を切り裂き、洋竜の身体に十の深い切り傷をつける。
「ビギィイイイイイイイイッ!」
傷を負わされた本人は、痛みに悲鳴を上げる。
同時にバレエのように身体を回転させた。気が狂ったわけではない。回転と同時に、口から火炎を吐き、四方を焼き尽くした。
「ぐうっ!」
周囲を取り囲んでいた武士達は、全員その炎をまともに受けてしまう。彼らが怯んだ隙に、洋竜は再び翼を上げて、空へと飛び上がった。
「逃がすな! 追うぞ!」
ある者は魔法で空に浮き、ある者は高い身体能力で大地を駆け、逃走する洋竜を追撃した。
洋竜と武士団の追走劇が始まった。洋竜は怪我のせいか、あまり高度を飛べないらしく。山を下りる方向で麓へと逃げる。
「おいおい。この先には確か・・・・・・」
その先にあるのは山と山の中間地点。とても深い渓谷があった。渓谷の下には、とてつもない量の水が、激流となって流れている。
「谷を越えられると、追撃が難しい。何とかして落とさなければ!」
「私にお任せください!」
一人の侍が、自身の得物である槍に、再び大量の魔力を注いだ。そしてそれを投擲競技のように、上空の敵目掛けて、力一杯投げつけた。
「ビギッ!?」
槍は見事に命中した。矢のように飛んだ雷を纏った槍が、洋竜の右脚に突き刺さる。
その痛みに力のバランスが崩れたのか、再び墜落した。落ちた先は運悪く、広く深い谷の中だった。
大地の底に真っ逆さまに落ちて行く。やがて下の水に着水した。流れの速い巨大な河は、洋竜の巨体をも、たやすく流していく。
水にさらわれた洋竜の姿は、遙か先へどんどん運ばれ、あっというまに見えなくなった。
これを見た武士団隊長は、苦々しい表情を浮かべる。
「いかんな。これでは生死の判別が難しい」
「まあ、さすがにあれで死んだでしょう。とりあえず京に報告しますね」
一人の兵士が、無線で青龍京の本部に伝達する。彼らはこの後、川に流された死体探しという、ある意味戦闘より難しい仕事をさせられることになる。
紺は都市のあちこちを寄り道しながら、数時間かけて目的の図書館にたどり着いた。
そこは日本の大図書館にも匹敵する建物で、当然館内の書物も膨大だった。
とりあえず受付に、異世界関連の本はないかと聞くと、「こちらの検索機をお使いください」と脇にあるパソコン型の電子機器の使用を指示された。
和風様式と最新科学が混同した文化は、相変わらずおかしな印象を与える。
とりあえず検索したとおりに、異世界関係の本をあさってみる。図書館の中は恐ろしく広く、本棚の列が無限とも思えるほど続く。そこから本一つ一つ探すのにも、かなり苦労した。
ちなみにこの世界にインターネットは存在しない。そのためか図書館の利用客は、地球よりずっと多いように思える。
かなりの時間をかけて、探し出した本は10冊。意外と少ない。
しかも10冊中9冊は、召喚魔法関連の書物だ。この世界では異世界というと、その辺しか繋がりがないのかもしれない。
本の中身をパラパラ見てみる。
適当に読んでいるように見えるが、実はそうではない。紺の優れた感覚能力で、速読術を行っているのだ。故に読書時間は意外と手早くすんだ。
だが内容に、彼女の望むものはなかった。大概は召喚魔法で出現した生物の種類・事例。そして召喚魔法の危険性を、強く訴える文面である。
(あの使い魔ライトノベルみたく、人が召喚された話は一つもないんだな……)
事例で記されている召喚者は、どれも動物並みの知性の者ばかりである。言語を解せるような者が召喚された事例は、一つもなかった。
召喚された生物の種類から、召喚元の世界がどんなところだったのかを、様々な解釈で推測している文面がある。だがもし人が召喚されたならば、推測ではなく、もっと詳しい資料が残せるはずである。
これ以上は調べても無駄と、召喚魔法関連の本を閉じる。残る一冊は女神レイコに関する書物である。
かつてこの世界に現れ、疲弊した大地を癒し、人々に豊穣をもたらしたと言われる女神。まるで神話のような話であるが、実在の人物であるらしい。
最も彼女は別に、自身の信仰や教義を、人々に説いたわけではない。
各所を回り、魔法と思われる不思議な力で、ボランティア的に復興作業の援助をしただけなのだ。“女神”という呼び名は、尊称に近いものである。
女神レイコの話は、その後様々な物語や演劇に活用されている。紅月医師の病院の待合室にも、レイコの絵本が置かれているのを思い出した。
図書館で見つけた本をめくってみると、意外なことがいくつも記されていた。
文面はとても長いのだが、簡潔にまとめると次のよう。
女神レイコの姿形は、一般的に認知されているものと、史実とでは大きく違う。
物語等では、大人の女性の姿で、しかも絶世の美女として描かれることが多い。だがこれは、話の主人公として読み手に受け入れられやすいように、大幅に脚色されたものである。
このことは世間ではあまり知られておらず、この物語の姿が史実だと思っているものが多い。
実際のレイコの姿形は、髪の色は黒く、10歳ぐらいの少女の姿をしていた。
また女神降臨の描写は、天空から大勢の民の前で、光とともに姿を現す場面が、本の挿絵などに出てくる。だが実際は人知れぬところでこの大陸に到着し、そこから自身の愛馬(愛猪?)に乗って各所に姿を現れたらしい。
ちなみに彼女の飼っていたという猪に、飛行能力があったという話は、どこの記録にも残っていない。
レイコがどこからか来たのかという話は、こことは違う別の大陸から来たというのが、一般的な説である。物語等では、神秘性を高めるためか、レイコの故郷に関して意図して追及しないことが多い。
だがこの本の著者は、それに反論している。時代とともに、機械技術・造船技術の発達で、別の大陸へと自力で渡れるようになった。それによって実はこの惑星で、ここ以外の土地は、再生前のこの大陸=岩木地と同じように、生命のほとんどいない不毛の地であることがわかっている。
岩木地を現在のように再生させる力を持った人物が、自身の故郷を蘇らせようとせず、別の大陸に行ってしまうとは不自然である。
そこで著書は、レイコが異世界から来たという説を主張している。この世界で唯一の異世界との接点=召喚魔法で出てくるのは、どれも化物ばかりあるため、他の世界に人間がいないと思っているものが多い。
だがこれまでの歴史で接してきたものが、世界の中のごく一部の者であることは間違いなく。その考えにいたるのは浅はかだという。
レイコがこの大陸の者でないというのは、本人の言動から確信させられていることだ。
ならばレイコが最初にこの地に訪れた場所、つまり降臨の地はどこかというと、実は明確なところは分かっていない。
一般常識では、この猪神王国のどこかだと確定させられている。だがそれは、彼女が三賢者を生み出し、国の統治を命じた地がここであるからというだけで、ちゃんとした根拠はない。
余談だが、辺境の小国である六王国が、一時期「自国の領土こそが、女神降臨の地である!」と主張したことがある。
だがそれの証拠とする過去の文献には、曖昧な部分が多く、この説を支持する学者は殆んどいない。
と大まかにはこうである。
実像と虚像が違うという話に紺は、日本の源義経を連想した。
ちなみに西鬼町の図書館の歴史書には、レイコの姿はその虚像側の姿で描かれ、それが史実であるように記載されていた。まあ、所詮は田舎の文献だということだ。
(しかし、本人の写真がちゃんと残ってるのに、いつまでも間違いが正されないってのも不思議な話だな・・・・・・)
これ以上の情報はないと考え、紺は図書館を後にした。今回の調査で判ったことは一つ。女神が異世界人であることは確実だろうということだ。
(だってレイコって名前、どう考えても日本人じゃん)
“レイコ”とはカタカナ文字で伝えられているが、おそらく玲子・礼子などと呼ぶと思われる。この世界では、人名に漢字が使われることが多いが、「~子」という名前は今のところ聞いたことがない。
ただ判らないのは時系列。実はレイコが現れたというのは、今から四百年も前の話なのだ。四百年前の日本人名に、レイコという名前の人間がいたのだろうか?