第十話 花月山
紺が国境を越えるよりも数日前の出来事。
王国でも有名な山の一つに、花月山がある。大陸の中でも、魔力と気が特に濃く集まる場所である。
その地脈の影響でか、この地に生えている植物には、強い魔力と特殊な力を持つ物が多く生えている。それは様々な種類があり、薬の材料に使う物もあれば、料理の調味料に扱われる物がある。
それらを狙って、昔から多くの者達がこの地を訪れる。国内有数の霊素材の名産地である。
同時に多くの魔物達が住まう、最大の危険地帯でもある。そのため、この山に訪れる者は、ほとんどが鉄士と呼ばれる身分の者だけだった。
その山の中、岩肌の多い平らな部分の土地に、何やら不審な人物が立っていた。
その男は、日本の神主のような身なりの服を着ている。これはこの世界での魔道士が多く愛用する服装である。手には錫杖に似た魔法の杖を持っている。
彼の足下には、直径10メートルぐらいの奇妙な紋様が、地面に描かれていた。それは六角形で、西洋の魔法陣に似ている。
和風の服を着ている男と、西洋風の魔法陣。地球人の観点からすれば、ひどくアンバランスな光景である。
男は40歳ぐらいの男性である。髪の色は日本人に近い黒。頭には二本の鹿のような角が生えている。
また服に隠れて見えないが、彼の肌の面積の半分ぐらいは、魚のような鱗で覆われているはずである。いや、この場合魚ではなく“龍のような鱗”と例えるのが良いだろう。
生まれつき高い魔力を持つ者が多い人種、“龍人”である。
彼は目の前の巨大な魔法陣に、自身の魔力を大量に送り込んでいた。そして何やら怪しげな呪文をブツブツと呟いている。
彼は何をしているのだろう。実は異世界の魔物を呼び寄せて使役する、召喚魔法を実行しようとしているのだ。
召喚魔法は強力な術であるが、同時に不安定で危険が多い。
過去に、召喚者のレベルを超えた、制御不能の怪物を呼び寄せてしまう事故が多発した。その被害は、酷いときは街一つ滅ぶレベルであった。
そのためこの大陸の殆どの国では、召喚魔法の使用を固く禁じている。もちろんこの猪神王国でもそうである。彼は今、ご禁制の術を使おうとしているのだ。
彼はかつて、青龍京の魔法学校に通っていた教師だった。だが二月ほど前に、彼は辞職させられている。
理由は学校の備品である魔道具を、闇市場に横領した責任。それには百金もの価値がある物もあり、彼は厳罰に課せられた。
これまでの教育現場での働きから、刑務所行きにはならなかったが、職を失い、私財の多くを没収された。
彼が何故こんなことをしたかというと、収入に不満があったからだ。彼は強い自己陶酔家で、自分は学校で最も優れた魔道士だと信じていた。
そんな自分の給与が、無能な他の教師と同じぐらいというのに、大きな不満を持っていた。やがて彼は自分にふさわしい報酬を、自分の手で取ろうと考えた。
結果、彼は全てを失った。
もう一人、横領品をうまく校外に運ぶために、彼は鉄士を雇っていた。
協会に少し賄賂を送れば、鉄士はこういう犯罪業にも手を貸してくれる。彼が仕事で雇っていた鉄士は、事件が発覚した後、学校内で働いていた一人の男に、全ての濡れ衣を着せていた。
哀れにも共犯の冤罪を掛けられたその人物は、青磁という学校警護の武士だった。
横領主犯のこの龍人の魔道士は、協会からこの冤罪工作に協力してくれれば、処罰を少し下げるよう手配すると伝達を送られていた。そして言われた通りに、青磁が共犯者だと嘘の証言をした。結果彼は、武士の身分を剥奪され、国外追放に処せられることになる。
だがその後、彼の裁判に、鉄士協会が何かしてくれたような気配はない。今思えば、まんまと利用された気がする。
(くそ共が! どいつもこいつも! 目にものを見せてやる)
彼が行おうとしているのは報復だった。自分に正当な評価を下さなかったばかりか、出世の道から追い出した学校の教師。
事件以前から自分を、傲慢な腐れ教師と罵った生徒達。彼らを、これから召喚する、とっておきの魔物で、皆殺しにしてやろうと企んでいた。
そのためにこの地域で、最も魔力が強く、術の成功率が高いこの花月山で、召喚の儀式を行っていたのだ。
ちなみに、彼が召喚魔法を行うのは、今回が初めてではない。数年前にも好奇心に駆られて行っている。
その時にも、一応召喚は成功した。相手を石に変える眼力を持つ、蛇のような下半身と、蛇の髪を持つ女魔人だった。
召喚直後にその魔物は、召喚者である自分に襲いかかったのだ。あの時はやばかった。素早く魔法防御を行わなかったら、自分は今頃石にされていただろう。
あの魔物はどこぞへと逃げ出した。聞いた噂に寄れば、辺境の小国家で暴れているらしい。そこでは石化病と言われて恐れられている。
これを聞いて彼は大きく安堵した。神聖なる猪神王国の民が被害に遭うのは一大事だが、辺境国家の野蛮人なら何の問題もない。野蛮人の命の価値など、虫けら以下だ。むしろどんどん被害を広げて、この世のゴミをたくさん掃除していただきたい。
しばらくして召喚の呪文を唱え終えた。最後の仕上げに彼は、魔法陣に自身の全魔力を、一気に注ぎ込んだ。
それに反応して、魔法陣が強く輝き出す。そして中心から太陽のような巨大な光が現れた。
(やった! 成功した!)
男は大きく歓喜した。巨大な光は一瞬で消え、そこにはさっきまでそこには無かった、巨大な物体が置かれていた。そしてそれは生きていた。
「やったぞ! 見事な洋竜だ!」
現れたのは、全身を緑色の鱗で覆われた竜だった。
トカゲのような胴体と尻尾、山羊のような角、コウモリのような翼。地球の認識からすれば、その姿は西洋風のデザインの竜である。
身体もかなり大きい。地球側で判りやすい対比をするならば、ティラノサウルスと同じぐらいの体格であろう。
洋竜と呼ばれたそれは、自分の召喚したその男を、その蛇のような鋭い目で、じっと見つめる。ワニのように鋭い歯が生えた口からは、涎がたらたらと流れ落ちている。
「さあっ私に従え、洋竜よ! そしてあの学校の屑共に復讐を・・・・・・!?」
突然彼の目に何も見えなくなった。視界は真っ暗な闇に覆われ、湿った空気と口臭のような嫌な臭いが、彼の顔にかかる。
何が起きたかというと、洋竜の大きな口が、召喚主の上半身をパックリと咥えているのだ。
彼は自惚れ屋で、しかも学習能力が欠けていた。前の儀式では失敗したのに、何故今回は成功すると確信していたのだろうか?
彼は、自身が召喚した洋竜に、その場でバリバリと喰われ、あっけなくその一生を終えた。
この洋竜は腹を空かせていた。そしてこの洋竜は人肉が大好物で、元いた世界でも恐れられている存在だった。
彼は翼を大きく羽ばたかせる同時に、魔力で重力操作を行い、その巨体を宙に浮き上がらせる。そして更なる食糧を求めて、山を下りていった。
国境を越えて半日ほどかけて、紺は猪神国の大都市の一つ、青龍京に辿り着いた。半日というのは驚異的な速さである。
紺はずっと風飛翔を使っていた。途中の山村でとった食事時間を除けば、彼女はほとんど休まず、空を飛び続けていた。
風飛翔のような飛行魔法は、力の消耗がとても激しい。半日間という持続飛行は、相当な負担の筈である。
だが彼女の体力や魔力は、全く底をつく様子がない。疲労も少なく、青龍京に着いた辺りで、少し汗をかいた程度である。
「魔法って、こういうものなのか? 違うよな? まあいいや」
昔の日本の城下町のように、街の周囲が城壁に囲まれていると言うことは、特になかった。
都市に入る道筋は、少し歩けば簡単に見つかる。特に検問なども必要なかった。
「でかいのがいっぱいあるな」
街の中は今まで見てきたのと同じ、和風建築が立ち並ぶ都市だった。だが江戸の街と違う点は、建物のサイズである。
一般の家屋や商店の他に、城かと見間違えるほどの、大きな建築物がいたるところにあるのだ。それは地球の高層ビルなどよりはずっと小さいが、昔の日本の建物と比べれば、あまりのビッグサイズだ。
多重家屋、集合商店、工場、富豪の屋敷、などの様々な用途の建物が、この広大な面積の都市の至る所に建てられている。
都市を進むための道は、高速道路のように広い。そしてそこに祭りのように、多くの人間が行きかっている。
行き交う人々には、鬼人・葉人・龍人が多様に入り交じっている。ここは三人種が共に暮らしているようだ。ちなみにこの国に、あまり大きな人種差別はなく、彼らはうまく共存している。
道のあちこちに、電柱のような柱が立っており、そこの天辺には大きなボールのように丸いデザインの街灯が取り付けられている。
(すごいな。日本も西欧文化が入らなかったら、こんな風になってたのか?)
今まで訪れた町や村は、特に見当たらしいものがなかったせいか、この大都市ぶりに感嘆した。
あちこちの商店を入り浸る。ある饅頭屋で全種類の饅頭を買いあさり、それは道の真ん中で立ち食いし、それを街の人から、マナーがなっていないと注意された。
この時紺は、反省心よりも、“マナー”という和風文化では、違和感ありまくりの英単語が、強く頭に残っていた。
人混みに紛れながら道を進んでいくと、二つの道が交差した大通りに辿り着いた。
その大通りの真ん中に、金属の骨組みで造られた、送電塔のような塔が建っていた。塔の各地に、丸い街灯が取り付けられている。一番上には、とてつもなく巨大な、街灯テレビが設置されていた。
「テレビまであるのかよ!?」
六王国では、電話や放送無線はあったが、テレビは無かった。
そういう映像機はあるらしいということは、話には聞いていたが、それを今日初めて拝見した。
テレビは大音量で、ニュース番組らしきものを映している。
映像はハイビジョンのように綺麗に映っている。高級そうな紺色の着物を着た、女性司会者が今日の情報を読み上げている。
『・・・・・・に出現した洋竜は、未だに花月山に潜伏している模様です。これまでに多くの鉄士が討伐を試みましたが、多くの死傷者が出る一方のこの状況で、王国軍が武士団の出兵を発表しました。これに対して青龍京政府は、鉄士・民間人関係なく、花月山の封鎖を完全封鎖することを決定しました』
“洋竜”の意味は判らなかったが、封鎖という言葉に、紺は強く反応した。
「花月山、今入れないのかよ・・・・・・」
霊素材採集は後回しになりそうだ。間の悪いときに来てしまった。
とりあえず紺は、もう一カ所行く予定だった場所に、足を進めた。
紺の最終的な目標は、当然のことながら元の世界へと帰ることだ。そもそも自分がこの世界に呼び出された理由が全く分からない。この世界には魔王はいないし、世界が危機に瀕しているわけでもない。不思議な力を得たが、その力を必要とする目的が全くないのだ。
そうなると必然的に、残された目的は帰還方法の探索である。それをするには、まずどうすればいいのか判らないので、最初に情報の収集が必要だ。
もし何らかの目的があってこの世界に送られたのだとしたら、それもまた自分で見つけなくてはならない。あの神社の声の主は、それも教えてくれなかったのだから。
六王国の図書館は、小さい上に古い本ばかりで、どうにも情報不足に感じられる。
緑天店で、ある程度蓄えが貯まったら、猪神王国の王都に行って情報を探るつもりだった。
だが今回のこれもいい機会だ。この都でも、時間つぶしがてら、ある程度情報収集をしてみるのもいいだろう。
そう考えて、紺が向かった先は、この青龍京の大図書館だった。