英雄の影に隠れて
「王女様、後もう少しで国境です。気を抜かないで下さいよ」
「言われなくともわかっている」
あの牢屋での再会から一週間。
私達は案外簡単に牢を抜け出すことができていた。
ジークウェルが食事を運んできた牢番を素晴らしく鮮やかな手つきで眠らせ、鍵を奪ってから出口に向かう間に立ちふさがる見張りを倒していく様はそれはもう見事なほどだった。
それからの王都脱出も少し気味が悪いぐらい簡単に進んだ。
ジークウェルも私が犯した罪の重さに反して見張りや追手が少ないことに疑問を抱いていたが、その理由を考えるには、私達が持っている情報はあまりにも少なかった。
関係があるとすれば勇者の召喚で、彼のためにも今王家の醜聞を流すわけにはいかないから大々的に人を動かせなかった・・・?
うーん。それでは理由にするには少し足りない気がする。
それにもっとわからないのは今目の前にいる自分の近衛騎士である。
彼と知り合ったのは十年前のことだが、その間和やかに話したことは一度もなかった。
本当に一度もなかったのである。
それぐらい自分達は仲が悪くて、何もかもが合わなかった。
なのに彼は当然のように私を連れて逃げようとしている。
剣を握ったこともないし、野宿をしたこともないただの小娘が足手まといにならないわけがないのに。
きっと私を置いていけば彼はもっと早くにこの国を脱出することができていた。
いったいどうして。
「・・・どうされたのですか?」
どうかしているのはお前のほうだ。と心の中で呟いて、自分の中の震えている部分に蓋をした。
もし自分が一人で捕まっていたらなんて考えたくもない。
大嫌いな奴に頼るしかない現実はもっと考えたくない。
「大丈夫ですよ。国境の警備はそれほど厳しくありませんから」
黙っていたら、私が国境を越えられるか心配していたのだと受け取られたようだ。
それにしても幼馴染が苦労して守りぬいてきた座に苦もなく座っている異世界の少年に、間接的とはいえ助けられることになろうとは。
検問が普段通りに行われていれば、森を抜けない限り私達は捕まっていたことだろう。
夜が、明ける。
濃紺の空が段々薄青く、明るい輝きに包まれていくのを眺めながら。
東雲色の世界で考えた。
変わらないと信じてきたものがこんなにも簡単に変わってしまうのなら。
私の心も知らず知らずのうちに変わっていってしまっているのかもしれない。
ーーーアリシアだけは変わらずにいてくれよ
どこかで懐かしい声が聞こえた気がした。
まずは一つ。世界にとっては本当にささやかな変化。
「私を置いていかないでくれてありがとう。ジークウェル」